
日本からディープテック・ユニコーンが生まれにくい理由
2025年7月11日
早嶋です。約4200文字。
日本でも、ようやくスタートアップへの注目が集まりつつある。経済産業省が主導する「スタートアップ育成5か年計画」では、1000億円を超える規模のファンドが複数立ち上がった。だが一方で、本当に必要な「制度整備」や「インセンティブ設計」は、まだ追いついていない。特に、「ディープテック」や「バイオテック」などの長期戦型のスタートアップにとって、それは致命的な差を生んでいる。これらを、ストックオプション(SO)制度を軸に、日米の制度設計の違いを丁寧に整理することで、日本での成長の限界を示したい。
(ストックオプション)
ストックオプション(SO)は、将来、あらかじめ決められた価格で自社の株を買うことができる権利だ。たとえば、今、会社の株価が1株100円だとする。あなたが「100円で買える権利(SO)」を持っていて、会社が成長して株価が1株1000円になったとき、差額の900円が利益となる。
これを活用することで、会社が上場やM&Aで成功した際に、社員や経営陣にもリターンがもたらされる。つまり、会社の成長が自分の報酬と連動する仕組みとして、スタートアップのモチベーション設計の柱となっている。
(アメリカの先進性と制度)
少し結論的な話になるが、SOの「行使価格」は、公正な市場価格(FMV)である必要がある。これは税制上のルールだ。もし、実際の株の価値よりも極端に安い価格でSOを発行すると、税務当局から「不当な報酬だ」と見なされ、多額のペナルティ課税を受けるからだ。そして、その公正価格を評価仕組みがあり、それが409A評価だ。これは、外部の独立機関がその会社の株価(FMV)を客観的に算定する仕組みだ。外部の機関が、DCF法(将来キャッシュフローを現在価値に割引)などを用い、公正な価値を提示してくれるのだ。
この制度があることで、会社も、従業員も、税務当局も、「この行使価格は正当だ」と合意でき、安心してSOを付与・行使・保有できるのだ。つまり、透明性と予測可能性があるからこそ、SOという制度が広く活用されているのだ。
アメリカのスタートアップでは、資金調達のたびに経営陣や従業員用にSOプール(例:全体の20%)を確保しておくのが常識になっている。このSOプールは、会社として将来株式を発行する予約枠のようなもので、実際には株式が発行されていない段階で準備される。
たとえば、1000億円を調達する際に、「将来の従業員報酬として20%の株式を確保しておきましょう」と決める。この20%は誰かが持っているわけではなく、会社が予約しておく報酬の原資のようなものだ。このように先に設計しておけば、あとからSOを発行しても、創業者や経営陣の持ち分がさらに削られることはない。むしろ、持ち分を守りながらチームにリターンを配れるという意味で、SOプールはとても合理的な設計なのだ。
よく誤解されがちだが、SOプールを用意することは、あらかじめ将来の報酬原資を準備しておくことであり、現時点では実際に株式を発行したわけではない。ストックオプションは、将来的に条件を満たした社員が「株を買える権利」であって、現時点で株主ではない。だから、SOプールの段階では創業者の持ち分は直接には減らない。そして資金調達時には、投資家と一緒に「SO分の希薄化をあらかじめ考慮した株主構成」を設計しておくため、後になってから創業者の株がさらに削られるということが起きない設計が可能なのだ。
(日本のインフラの脆弱性)
日本にもSO制度はあるが、409A評価のような第三者による株価算定の仕組みがない。税制も非常に複雑で、「行使時に課税されるのか?」「売却時に課税されるのか?」がわかりにくい。結果として、創業者やVCは「SOを発行したくない」と考えがちになるのだ。特に、バイオやディープテックのような「時間がかかるが社会的意義の高い分野」では、途中で優秀な人材が報酬面で報われないという深刻な問題が起きるのだ。
たとえば、大学発スタートアップや研究機関発のディープテックベンチャーでよく見られる課題がある。経営側が、「優秀な研究者にも株式インセンティブを渡したい」と考え、SOを配分しようとする。しかし、いざストックオプションを発行しようとしても、「どの価格で、いつ、どれだけ渡すか」に明確なルールがない。株価の評価を会社が独自に決めざるを得ず、税務署に「時価を不当に安くした」と判断されるリスクが残る。実際にSOを行使した時点で、「売却もしていないのに課税が発生」する可能性がある。結果として、「研究に集中していたら税金の支払いが生じた」「給与より税額が多くて困った」といったことすら現実に起こっているのだ。
また、アメリカのようにSOプールをあらかじめ準備しておくという慣習もないため、「この研究者に報いるには、誰かが自分の株を差し出すしかない」という歪んだ構造になってしまう。これでは、経営陣の側も誰にも報いられない設計に追い込まれやすいのだ。
これはVCがスタートアップに投資する際にもハードルになる。日本のVCは創業者が一定比率の株を持っていないと投資しなくなるのだ。これは日本のVCが厳しい、という話ではない。むしろ、SOなどでチーム全体に報酬を配る制度が整っていないからこそ、創業者が多くの株を持っていないと誰もモチベートできないという現実があるのだ。つまり、SOが機能していないために、創業者の持ち分にインセンティブ設計のすべてを担わせざるを得ないのだ。
(アメリカの制度や文化)
アメリカの従業員の中には、IPO前にSOを行使し、あえて株を売らずに保有し続けるという選択を取る人がいる。なぜかだ。米国では、SO行使から1年以上保有すれば、売却益が長期キャピタルゲイン税(税率20%)の対象になるというのが答えだ。一方、IPO後に行使&即売却すると、所得税(40%超)がかかってしまう。これを避けるため、IPO前に安い価格(409A評価)でSOを行使し、一定期間保有することで、税率を抑える戦略が存在するのだ。
だが問題は、「そのためには大金が必要になる」ということだ。たとえば、行使価格が1株2ドルで10万株なら、2000万円。株価が上がっていれば、その差額に対して数百万円から数千万円の税金も先に発生してしまう。合計で数千万円という現金が、IPO前に必要になってしまう。多くの従業員には、そんなお金はないだろう。そこで登場するのが、Secfi、EquityBee、Liquid Stockのような専門のSOファイナンス企業だ。
これらの企業は、上場予定のスタートアップ従業員に対し、SO行使のための資金+税金分を立て替える。そしてその資金は返済義務はなく、売却できた時点で利益から回収する(ノンリコース)が主流だ。そのかわり、フィアンす企業は成功したときに報酬(成功報酬)をしっかりと受け取るのだ。つまり彼らは、 株が上場して儲かればシェアをもらうし、上場しなければ損を飲み込むという、極めてスタートアップ的なリスク・リターンの設計をしている。
このモデルが成り立つのは、アメリカ社会が「リスクは共有し、成功で回収する」ことに寛容だからだと思う。株式価値が市場で透明に評価されている。409A評価があることでリスクの下限を読みやすい。法律上、ノンリコースでも契約が成立しやすい。従業員と投資家が共にリスクを取るという発想が根付いている。このような文化や制度の考え方がアメリカのユニコーンを連発する背景にあるのだ。だからこそ、SOを行使して保有しようとする従業員を、社会全体で支援できる構造になっているのだ。
(日本に欠けている制度的なインフラ)
一方日本だが、このようなSOファイナンス企業は、存在しない。制度上も文化上も、それを支える土壌がないからだ。日本では、未上場企業の株価評価が顧問税理士や社内の恣意的な判断に委ねられている。外部に公正な評価機関がないため、時価を不当に安く見積もったと判断されれば、会社も従業員も追徴課税や罰金のリスクを負う。例えば、大学発スタートアップのCFOが研究員にSOを1株100円で付与したとする。だが後に投資家が1株500円で株式を購入していた事実が発覚したら、税務署が「SOの価格設定は不当」として、研究員に所得税+加算税を課し、会社にも責任が及ぶという事案が起こるのだ。
SOの課税タイミングが極めて不明瞭で、行使時なのか売却時なのかの判断が難しい。というか、そのような税を想定した制度が整備されていないのが現状だ。特に売却していない段階で課税される「ペーパーゲイン課税」が混乱の元となっている。たとえば、ITベンチャーの社員がSOを行使(価格100円/FMV1000円)したが、売却できていないのに900円の課税対象となったなどの例だ。そして、その後、株価が下落し、税金だけ支払って何も残らずに退職するという恐怖がある。
アメリカでは、SecfiやEquityBeeといったファイナンス企業が、SO行使+税金の支払いのために資金をノンリコース型・成功報酬型で提供する。失敗すれば返済不要、成功すれば一部リターンを分け合うという仕組みだ。先にも説明したが、アメリカのSaaS企業の従業員は、年収800万円、貯金100万円でも、Secfiから1000万円の行使資金を借りてIPO後に3000万円の手残りを得るということが可能なのた。日本の同様のスタートアップでは、行使資金がなくSOを失効する事例もある。
そして、日本では、SOによる大きなリターンが「ズルい」「投機的」と見なされがちで、制度自体が萎縮しやすいのだ。ある東証マザーズ上場企業で、エンジニアがSOで1億円のリターンを得たことが社内外で問題視され、社内制度としてのSO配分が見直されたなどの事実もあるのだ。
「成功したら回収、失敗したら失う」。ハイリスク・ハイリターン、それがスタートアップの本質だ。そして、そのリスクを一緒に背負ってくれる存在(投資家、社員、ファイナンス企業)がいることが、アメリカのスタートアップを強くしている。日本が本気でスタートアップ社会を築くのであれば、資金だけでなく、報酬設計、税制、制度、そしてリスクと報酬を分け合う文化を育てていく必要がある。単に「お金を集めること」ではない。人を動かし、報いる制度があるかどうか。 そこが、ユニコーンの生まれるか否かを分ける本質だと思うのだ。
民主主義の前提
2025年7月8日
早嶋です。
民主主義は、誰もが当たり前のように口にするが、考えてみると、ものすごく繊細な仕組みだと思う。仮に、社会の構成員が100人いるとする。その100人が等しく、ある一定レベルの教育を受けていなければ、本当の意味で民主主義は成り立たないのだ。いや、むしろ成り立たせてはいけないと思う。
それは、教育を受けていなければ、選挙は単なる人気投票になるからだ。耳障りの良い言葉に流され、都合の良い敵を見つけ、思考停止のまま「投票」という行為が行われる。これでは制度だけがあり、中身のない、形骸化した民主主義になってしまう。
民主主義は「誰でも投票できる制度」だが、制度があるからとて、それだけでうまく機能しない。教育を通じて、自分の頭で考える力。情報を比較して、取捨選択する力。未来への想像力。そういうものを持っていないと、「賢く選ぶ」ことはできない。
もっと言えば、教育とは「自分が信じていることを、いったん疑ってみる力」を育てることだ。これがないと、誰かに操作される。自分が操作されていることにも気づかずに、善意で間違った判断をしてしまう。だからこそ、教育は制度を支えるのだ。
言論の自由が大切なのは間違いない。ただし、何を言ってもいいわけじゃない。「私はそう思う」という考えを述べるのは自由だ。でも、まったく事実に基づかない内容を「真実であるかのように」広めるのは、もうそれは自由ではなく、暴力だ。
たとえば、何も悪いことをしていないA氏に対して、「あいつが犯人だ」と断定する発言。これがテレビやSNSで繰り返されると、事実でなくても空気ができあがる。そうすると、本人にとっては社会的な死刑宣告と同じだ。言論の自由は、責任と自覚がセットになって初めて成り立つ。
選挙を成り立たせるには、正しい情報が行き届くことが前提だ。その意味で、メディアは選挙を支える装置みたいなものだ。でも、実際にはどうだろうか。
特にテレビ。放送免許制のもとで守られ、限られたプレイヤーだけが公共の電波を独占している。そして、そこから発信される言葉は、ナレーション、映像、見出し、すべてが巧妙に編集されている。視聴者の多くはその「編集された現実」を事実として受け取る。ここに操作が入れば、世論そのものが動かされる。
事実、戦前のマスメディアは戦争を煽り、戦後は被害者を装って今の体制に移行した。構造は変わっていない。民主主義が機能するには、本来、メディアはもっと自律的でなければならない。でも現実には、メディアこそが第四の権力として、チェックされることなく影響力を持ちすぎている。
このように議論すると、こう思えてくる。もしかして、民主主義が「本当に成り立っている国」なんて、世界にひとつもないんじゃないかと。教育、メディア、選挙制度、表現の自由、格差、少数派の尊重、三権分立、どれか一つでも崩れれば、民主主義は歪む。
じゃあそれでも、なぜ民主主義を掲げ続けるのかだ。それは、「民主主義しかマシな方法がないから」ではない。そうじゃないと思う。むしろ、民主主義とは信仰のような存在なのかも知れない。
暴力ではなく、対話によって社会をつくる。声の大きさではなく、論の力で決めていく。そうありたいと願う人たちの集合的な信念だ。それがある限り、民主主義は完成された制度としてではなく、絶えず問い直される姿勢として存在し続ける。
選挙がある。憲法がある。制度は整っている。でも、本当に必要なのは、その制度を支える土台が今も健全かを常に問い直すことだと思う。それは教育であり、言論空間であり、公共性への信頼であり、考えようとする市民の姿勢だ。
民主主義が壊れるとき、それは制度の形ではなく、前提の崩壊だ。我々が当事者となり議論し続けることが大切だ。
民主主義は、誰もが当たり前のように口にするが、考えてみると、ものすごく繊細な仕組みだと思う。仮に、社会の構成員が100人いるとする。その100人が等しく、ある一定レベルの教育を受けていなければ、本当の意味で民主主義は成り立たないのだ。いや、むしろ成り立たせてはいけないと思う。
それは、教育を受けていなければ、選挙は単なる人気投票になるからだ。耳障りの良い言葉に流され、都合の良い敵を見つけ、思考停止のまま「投票」という行為が行われる。これでは制度だけがあり、中身のない、形骸化した民主主義になってしまう。
民主主義は「誰でも投票できる制度」だが、制度があるからとて、それだけでうまく機能しない。教育を通じて、自分の頭で考える力。情報を比較して、取捨選択する力。未来への想像力。そういうものを持っていないと、「賢く選ぶ」ことはできない。
もっと言えば、教育とは「自分が信じていることを、いったん疑ってみる力」を育てることだ。これがないと、誰かに操作される。自分が操作されていることにも気づかずに、善意で間違った判断をしてしまう。だからこそ、教育は制度を支えるのだ。
言論の自由が大切なのは間違いない。ただし、何を言ってもいいわけじゃない。「私はそう思う」という考えを述べるのは自由だ。でも、まったく事実に基づかない内容を「真実であるかのように」広めるのは、もうそれは自由ではなく、暴力だ。
たとえば、何も悪いことをしていないA氏に対して、「あいつが犯人だ」と断定する発言。これがテレビやSNSで繰り返されると、事実でなくても空気ができあがる。そうすると、本人にとっては社会的な死刑宣告と同じだ。言論の自由は、責任と自覚がセットになって初めて成り立つ。
選挙を成り立たせるには、正しい情報が行き届くことが前提だ。その意味で、メディアは選挙を支える装置みたいなものだ。でも、実際にはどうだろうか。
特にテレビ。放送免許制のもとで守られ、限られたプレイヤーだけが公共の電波を独占している。そして、そこから発信される言葉は、ナレーション、映像、見出し、すべてが巧妙に編集されている。視聴者の多くはその「編集された現実」を事実として受け取る。ここに操作が入れば、世論そのものが動かされる。
事実、戦前のマスメディアは戦争を煽り、戦後は被害者を装って今の体制に移行した。構造は変わっていない。民主主義が機能するには、本来、メディアはもっと自律的でなければならない。でも現実には、メディアこそが第四の権力として、チェックされることなく影響力を持ちすぎている。
このように議論すると、こう思えてくる。もしかして、民主主義が「本当に成り立っている国」なんて、世界にひとつもないんじゃないかと。教育、メディア、選挙制度、表現の自由、格差、少数派の尊重、三権分立、どれか一つでも崩れれば、民主主義は歪む。
じゃあそれでも、なぜ民主主義を掲げ続けるのかだ。それは、「民主主義しかマシな方法がないから」ではない。そうじゃないと思う。むしろ、民主主義とは信仰のような存在なのかも知れない。
暴力ではなく、対話によって社会をつくる。声の大きさではなく、論の力で決めていく。そうありたいと願う人たちの集合的な信念だ。それがある限り、民主主義は完成された制度としてではなく、絶えず問い直される姿勢として存在し続ける。
選挙がある。憲法がある。制度は整っている。でも、本当に必要なのは、その制度を支える土台が今も健全かを常に問い直すことだと思う。それは教育であり、言論空間であり、公共性への信頼であり、考えようとする市民の姿勢だ。
民主主義が壊れるとき、それは制度の形ではなく、前提の崩壊だ。我々が当事者となり議論し続けることが大切だ。
値引きせずに契約を勝ち取る提案術
2025年7月3日
高橋です。
私がコンサルティングをしている『営業プロセス研修』のエッセンスを、毎回お伝えしています。
今月のテーマは「値引きせずに契約を勝ち取る提案術」です。
先月は「価格の裏にある“本当の質問”とは?」というテーマでした。お客様が価格に関する質問をされた時は、価格ではなくその価値を納得させてほしいということでした。
今月も価格に関することですが、「値引き」について書いてみました。
「他のお店はもっと安かったんですけど…」
「この金額では決裁が下りません」
そんな言葉を聞いたら、多くの営業マンが値引きのプレッシャーを感じることでしょう。
しかし、安易に値引きをしたのでは利益を削るだけでなく、「この商品はその程度の価値なのか」とお客様の期待値まで下げてしまうことになります。
では、どうすれば“値引きせずに”納得して契約してもらえるのでしょうか?
まず大切なのは、やはり「価格を伝える前に、価値を伝える」ことです。
たとえば、同じ50万円の商品でも、
「これは50万円です」と言われるだけでは高く感じますが、
「この商品はお客様の〇〇な課題を解決し、△△の成果をもたらします。10年間フリーメンテナンスも含まれています」と説明されたうえで「価格は50万円です」と言われれば、納得感がまったく違います。
価格の話をする前に、「お客様にとっての好いこと(価値)」を明確に伝えることが肝心です。
値引き交渉に発展しやすいのは、お客様が「どこでも同じ」と感じている場合です。
つまり、「どこから買っても変わらない」と思われていると、価格競争に引きずり込まれてしまいます。
だからこそ、「自分から買う理由=価値」を明確にする必要があります。
たとえば、
導入後のフォロー体制
顧客の業種に合わせたカスタマイズ提案
担当者としての対応力やスピード感
こうした“見えにくい価値”を言語化することが、価格以外の差別化につながります。
お客様が本当に望んでいるのは、「一番安い商品」ではなく、「一番私に合っている商品」であることが多いものです。
「御社にとって、何を一番大切にされていますか?」
「価格以外で、重視されているポイントはありますか?」
こうした質問で、相手の“本音の判断基準”を引き出すことで、価格ではなく価値・信頼・安心といった要素で勝負することができます。
価格は交渉材料ではなく、“納得のゴール”です。
価格を下げる前に、価値を高める提案をしてみましょう。
営業プロセス、営業研修、人材育成、セールスコーチなどをご検討の経営者・経営幹部・リーダー・士業の方はお気軽に弊社にご相談ください。
新規事業の旅197 知識労働にもスマイルカーブ
2025年7月3日
早嶋です(1600文字)。
かつて、製造業の世界では「スマイルカーブ」という概念が注目された。
1990年代、台湾Acerの創業者スタン・シーが提唱したこの考え方は、製品づくりにおける価値の偏りを一目で理解できる視覚モデルだった。製品のライフサイクルを工程ごとに並べてみると、研究開発や企画といった上流工程、そして販売・マーケティングなどの下流工程に高い付加価値が集中し、製造や組み立てといった中流工程は極端に価値が低くなる。その理由は明確で、中流工程は機械化・標準化・外注化が進み、一定の資本と技術があれば、どの企業でも同じようにこなせるようになったからだ。大量生産・効率化の波にのまれ、そこで働く人々の付加価値は下がりつづける。
この「スマイルカーブ」という視点、現在、知的労働の世界にも静かに広がってきている。
2000年以降、インターネットの普及はあらゆる情報へのアクセスを容易にした。かつては専門のリサーチャーやアシスタントが担っていた「調査」「統計分析」「資料の要約」は、検索エンジンとネット上のデータベースによって誰でも簡単にできるようになった。資料作成の外注も、クラウドソーシングやリモートワークの拡大によって加速する。リサーチャーやライターといった知的な中流工程が、国内の副業層や、さらには海外のフリーランスに安価で委託されるようになった。知的労働にも、コモディティ化の波が押し寄せたのだ。
さらにSNSの登場により、コンテンツの流通構造も激変した。何を言うかではなく、誰が言ったかがすべてになったのだ。フォロワー数や影響力をもつ「個」としてのブランドが、発信の価値を左右するようになった。編集者や分析者のような黒子的な役割よりも、顔のある発信者のほうが評価される時代に突入する。つまり、情報の中身をつくる作業そのものは、下請け化され、価値が薄まっていったのだ。
2020年以降、AIの民主化はこの構造にさらに大きな衝撃を与える。ChatGPTをはじめとする生成AIは、リサーチ・文章作成・要約・構成・仮説整理など、かつて知識労働者が時間とスキルをかけて担っていた仕事を、一瞬で、しかも安価にこなすようになった。しかもその品質は、いまや専門家レベルの壁打ちとして十分に成立する。中流工程、すなわち「調べる」「まとめる」「整える」といった仕事の多くが、機械化されてしまったのだ。これは、製造業において「組み立て工」が機械に置き換えられていった構図と、まったく同じだ。
ここで、あらためてスマイルカーブを知識労働に当てはめてみる。
上流工程は、インスピレーション、問いの発見、構想、方向性の設計。中流工程は、リサーチ、文章作成、分析、統合(→AIによって自動化)等。そして、下流工程は発信力、認知、ブランド、ファンコミュニティの形成等だ。
すでに明らかなように、「考えを整理する力」や「情報をまとめる力」は、もはや価値の中心ではない。必要なのは、「何を問うか」「なぜ問うか」という構想力と、「誰が問うか」という信頼と影響力だ。ここから見える21世紀の価値はシンプルだ。
それは3つあり、問い、構成、そして個人の認知だ。問いを立てる力(構想力)だが、AIは大量の答えを持つが、「何を問うか」は人間の仕事だ。編集、つまり統合して仕上げる力(編集・構成力)だが、バラバラのアイデアや断片を、一つの意味ある作品に仕立てることだ。この指示をしなければAIは勝手に組み立てない。そして、個として認知される力(パーソナルブランド)だ。誰がそれを言ったのか? 信頼される「名前」が、ポイントになる。
今後の仕事をイメージして、スマイルカーブの谷間に、自分の仕事を置かないほうが良い。その仕事は、AIやネット検索、外注で代替可能なので、その価値は今後薄まっていく。しかし逆に、インスピレーションや編集、そして信頼される「語り手」としての立場を築けるのであれば、その価値はどこまでも高まる。皮肉にも製造業が通ってきた道を、いま知識労働がなぞっているのだ。そして、そのカーブの先には、新しいプロフェッショナルの姿が待っている。
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新規事業の旅 全集
2025年7月1日
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新規事業の旅(1) 旅のはじまり
新規事業の旅(2) 既存と新規は別の生き物
新規事業の旅(3) よし!M&Aだ
新規事業の旅(4) M&Aの成功
新規事業の旅(5) M&Aの活用の落とし穴
新規事業の旅(6) 若手の教育
新規事業の旅(7) ビジネスモデルをトランスフォーメーションする
新規事業の旅(8) 自分ごとか他人ごとか
新規事業の旅(9) 採用
新規事業の旅(10) NBとPB
新規事業の旅(11) 未だメーカーと称す危険性
新規事業の旅(12) 山の登り方
新規事業の旅(13) ポジションに考える
新規事業の旅(14) 経営陣のチームビルディング
新規事業の旅(15) 偶然と必然
新規事業の旅(16) キャズムを超える
新規事業の旅(17) 既存事業の市場進出の場合
新規事業の旅(18) アンゾフ再び
新規事業の旅(19) モノからコトへ転身できない企業
新規事業の旅(20) 自前主義の呪縛とイデオロギー
新規事業の旅(21) 現場とトップのギャップ
新規事業の旅(22) 売ってから始まる事業
新規事業の旅(23) 道具の使い方
新規事業の旅(24) 敵のコトを知りつくそう
新規事業の旅(25) キャズムを超えるまでのKPI
新規事業の旅(26) M&Aの勘所を押さえる
新規事業の旅(27) 仲介会社のビジネスモデルと買い手の事情
新規事業の旅(28) 動画サブスクの落とし穴と処方箋
新規事業の旅(29) 売り手のトラブルは売り手の無知から
新規事業の旅(30) OEは最早役に立たたない
新規事業の旅(31) ジョブと障害とキャズム
新規事業の旅(32) 需要と供給
新規事業の旅(33) ストレッチ目標
新規事業の旅(34) 複利の効果
新規事業の旅(35) 人間は機械の一部になる
新規事業の旅(36) デジタルの弊害を受け入れる
新規事業の旅(37) 会社を居場所に置き換える
新規事業の旅(38) システム化された社会
新規事業の旅(39) 金融リターンではなく事業リターン
新規事業の旅(40) サービス業の苦悩
新規事業の旅(41) 3つの財布
新規事業の旅(42) グループ企業の試練
新規事業の旅(43) 思考と行動
新規事業の旅(44) デジタルバッジ
新規事業の旅(45) デジタル化とOC
新規事業の旅(46) ジョブ発見のコツ
新規事業の旅(47) 器と魂
新規事業の旅(48) Z世代の高級品
新規事業の旅(49) アニメ界のSPA企業が覇者になる日
新規事業の旅(50) PBR1割れの衝撃
新規事業の旅(51) 新規事業の創造3つの方向性
新規事業の旅(52) 別の視点で見るイノベーションのジレンマ
新規事業の旅(53) 新規事業のベストミックス
新規事業の旅(54) サーキュラーエコノミー
新規事業の旅(55) PBR1割れを考える
新規事業の旅(56) 情報の民主化と経済格差
新規事業の旅(57) セキュリティの今後
新規事業の旅(58) サステイナブル経営
新規事業の旅(59) Z世代のアプローチ
新規事業の旅(60) ドローン事業
新規事業の旅(61) ノンカスタマー
新規事業の旅(62) プランB
新規事業の旅(63) Z世代
新規事業の旅(64) 小売とマーケティング
新規事業の旅(65) 高齢者をターゲットにした事業
新規事業の旅(66) ベンチャーキャピタルの実態
新規事業の旅(67) 新規開発の落とし穴
新規事業の旅(68) 覚悟を持って取り組む
新規事業の旅(69) 売れるモノが良いもの
新規事業の旅(70) 性善説と性悪説
新規事業の旅(71) 保身に走らない
新規事業の旅(72) 中国リスク
対立を望まない
新規事業の旅(73) サステナビリティ経営
新規事業の旅(74) ストックオプション
新規事業の旅(75) ゼロイチとM&A
新規事業の旅(76) TAM/SAM/SOM
新規事業の旅(77) 近くと遠く/全体と細部
新規事業の旅(78) 逆境を乗り越えるリーダー
歴史は繰り返す
新規事業の旅(79) ラストイチマイルの柔軟思考
新規事業の旅(80) 業務提携と資本提携
新規事業の旅(81) 部下の視点と視野の狭さはあなたの鏡
新規事業の旅(82) バックキャスティング
新規事業の旅(83) ペット保険にAmazon参入
新規事業の旅(84) ベンチャー企業
衝動買い合戦
新規事業の旅(85) 生成AI1年目の誕生日
グランドセイコーのブランディング
新規事業の旅(86) スケールする前後の組織
新規事業の旅(87) 無線給電
新規事業の旅(88) よく見る風景
新規事業の旅(89) ダイナミックプライシング
新規事業の旅(90) 提携と出資
新規事業の旅(91) アパホテルのプライシング
新規事業の旅(92) コカ・コーラのダイナミックプライシング
新規事業の旅(93) アップルのゴーグル型端末
新規事業の旅(94) 通年採用のススメ
新規事業の旅(95) 情シス事情
新規事業の旅(96) オープンイノベーションの打ち手としてのCVC
新規事業の旅(97) 今後のマーケティング
新規事業の旅(98) エフェクチュエーション
新規事業の旅(99) 2世と3世
そのショッパー有償ですか?
新規事業の旅(100)自分事と他人事
新規事業の旅(101)最近の経営企画
新規事業の旅(102)ドーミーイン
新規事業の旅(103)誰もわからない
新規事業の旅(104)運とリスク
新規事業の旅(105)経済的なインセンティブの大切さ
新規事業の旅(106)スタートアップと採用
新規事業の旅(107)エクイティにおけるインセンティブ
新規事業の旅(108)イノベーションとCVC
新規事業の旅(109)書店の敵は私学進出(アマゾンじゃなかった)
ファイナンス関連の書籍
新規事業の旅(110)30年の停滞
新規事業の旅(111)30年停滞の要因
新規事業の旅(112)30年停滞からの学び
新規事業の旅(113)ワイガヤ再び
新規事業の旅(114)地域を盛り上げる前の分析の視点
安部修仁語録
2代目ジャパネットタカタ
経営者QA 事業承継の際の覚悟、組織からの協力のポイント、大きな決断の覚悟の背景
経営者QA リーダーシップ 育成
新規事業の旅(115)足るを知る
新規事業の旅(116)継続は力なり
新規事業の旅(117)実践の妨げとなる心の豊かさ
新規事業の旅(118)学習性無力感
新規事業の旅(119)学習性無力感を克服するアプローチ
新規事業の旅(120)実践は時間と努力の変数
新規事業の旅(121)必要は発明の母
新規事業の旅(122)アントレプレナーとイントレプレナー
新規事業の旅(123)人事異動の落とし穴
新規事業の旅 (124)マネジメントの共通認識
新規事業の旅(125)高尚なパーパスの落とし穴
新規事業の旅(126)トレランスと遊び
新規事業の旅(127)行動しないことの考察
新規事業の旅(128)先延ばし
新規事業の旅(129)ベンチャー企業と中小企業
新規事業の旅130 設立から上場までの物語
新規事業の旅131 台湾事情2024その1物価
新規事業の旅132 台湾事情2024その2背景
新規事業の旅133 台湾事情2024その3再び物価
新規事業の旅134 北海道事情2024
新規事業の旅135 不祥事の元祖と原因と対策
新規事業の旅136 スタートアップと大企業
新規事業の旅137 提携や資本業務提携の契約
新規事業の旅138 LLCとKK
新規事業の旅139 やり抜けない人材排出の背景と打ち手
新規事業の旅140 創発する組織の会議
新規事業の旅141 高級時計ブランドのはじめ方
書店の敵は私立進学志向(アマゾンじゃなかった!)
新規事業の旅142 グリーンファンド
エアラインの業界構造
新規事業の旅143 アニメ産業の現状と課題
新規事業の旅144 勘違いをぶっ壊せ
新規事業の旅145 テーマパーク
新規事業の旅146 自分と部下の育成方法
新規事業の旅147 ハルメクに学ぶ新規事業の初め方
新規事業の旅148 観光公害と言わないで正面から向き合う
中東情勢の理解
新規事業の旅149 世代ごとの消費の特徴
新規事業の旅150 リユースマーケット
新規事業の旅151 価格と向き合う
新規事業の旅152 人的資本経営
新規事業の旅153 脱東京で成長を加速する
新規事業の旅154 オールドメディアの終焉
新規事業の旅155 マーケティング(2Cと2B)の基礎理解
新規事業の旅156 若手とベテランの壁
新規事業の旅157 NDAを結ばない時
新規事業の旅158 小規模農業者向けの流通プラットフォーム
学びの意味
新規事業の旅159 車社会
新規事業の旅160 消費と浪費
新規事業の旅161 ストア派哲学
新規事業の旅162 単一と統合の生態系
新規事業の旅163 問題設定の大切さ
新規事業の旅164 脇毛とマーケティング
新規事業の旅165 アメリカの終焉
新規事業の旅166 新しいことのはじめ方
新規事業の旅167 支援と投資のスタンス
新規事業の旅168 中国は金融戦争を仕掛けるか
新規事業の旅169 重要な取組が出来ない構造
新規事業の旅170 AとBのジレンマの処方箋
新規事業の旅171 増加する組織再編
新規事業の旅172 青を焼くか、重ねるか。文化と技術の対話の先。
新規事業の旅173 次の時代の生存戦略
新規事業の旅174 コメ価格高騰の裏側と、これからの日本の米市場
新規事業の旅175 ガソリン価格の高騰の本質
新規事業の旅176 民主主義が絶対主義になる時
新規事業の旅177 ポッドキャストの未来
最近の考古学の研究成果
新規事業の旅178 企業が思考停止に陥る理由とジョブローテーションの制度疲労
新規事業の旅179 生成AIがかえる都市の機能とカタチ
宗教改革から500年
新規事業の旅180 昭和100年
TSMCがもたらした変化
新規事業の旅181 グループ再編の現場の理想とリアル
新規事業の旅182 地方タクシー会社の未来
新規事業の旅183 PMIの失敗要因
新規事業の旅184 植物カルチャーの進化と熱狂の正体
新規事業の旅185 両利きの経営と時間をつなぐ仕事
新規事業の旅186 米問題に関する構造的課題とその処方箋
定着こそ最強の採用戦略クリニックが人を育成するためにすべきこと
新規事業の旅187 ブランドの3要素と成長戦略
新規事業の旅188
新規事業の旅189 少子高齢化と倫理の断絶
新規事業の旅190 アニメ業界における版権主権モデル
新規事業の旅191 シンギュラリティの隠蔽と創造の円環
新規事業の旅192 医療法人の運営と実態
新規事業の旅193 書く行為から見る未来
新規事業の旅194 個人が主導する情報時代の到来
継続は力なり
新規事業の旅195 モビリティ支配権をめぐる争奪戦
新規事業の旅196 ホワイトカラーの再変遷とAI時代の組織デザイン
新規事業の旅197 知識労働にもスマイルカーブ
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新規事業の旅196 ホワイトカラーの再変遷とAI時代の組織デザイン
2025年6月30日
早嶋です。3300文字。
2025年、アメリカで静かに進行している異変がある。
それは、「学歴のある若者が、仕事に就けない」という現象。大学を卒業しても就職できない。あっても自分の学位や期待する水準とはかけ離れた職場。しかもそれが一部の地域や業種の話ではなく、広範囲にわたって起きている。つまり、これは一過性の景気の波ではなく、構造が変化する兆し、或いはその現象が一気に表層化した証かもしれない。
米国のデータを見ると、22歳から27歳の新卒大学卒業者の失業率は2025年初頭の時点で5.8%に達している。これは、全体の失業率である約4.2%を大きく上回る数字だ。さらに深刻なのは、いわゆるアンダーエンプロイメント、つまり一応働いてはいるが、学位に見合った職についていない状態、の比率が41.2%に達しているという事実である。これらの数字は、過去10年以上で最悪水準で、「大学に行っても報われない」という漠然とした感覚が、いまや明確な現実として突きつけられているのだ。
特に就職が難しい分野は明確だ。会計、コーディング系IT、法務(パラリーガル含む)、コールセンター、バックオフィスなどのいわば「中間的知的労働」である。AIの進化と業務の自動化により、これらの領域は急速に代替可能なものとなってきた。一方で、レストランスタッフや水道・電気といったインフラを支える現場仕事、すなわち「オフショア化できない仕事」については、むしろ人手不足が続いている。皮肉なことに、ホワイトカラーの象徴だった知的労働が余剰となり、現場で汗を流す仕事が希少価値を持ち始めている。
この流れは、間違いなく日本にも、時間差を伴って波及する。いやすでに起きていると思う。
日本企業は1990年代までは、現場の猛烈な努力と、精緻な品質管理を武器に世界と戦っていた。特に製造業では、現場での工夫や改善が競争力の源泉となっており、ミドルマネジメントは現場の声を吸い上げ、経営に伝える潤滑油のような存在だった。AIやシステム化はあくまで現場を補助するものであり、機械はあくまで人間の努力の延長線にあった。
しかし2000年以降、IT革命とスマート革命が連続的に起こり、世界の構造が根底から変わった。知識やノウハウはネットワークを通じて瞬時に共有され、構想力と創造力が企業の競争優位の中心に躍り出た。にもかかわらず、日本の多くの企業では、ミドルマネジメント層がこの変化に追いつかず、現場任せの運営を惰性で続けてきた。日本は現場がとにかく優秀で我慢強く最強だったのだ。
本来であれば、ミドルマネジメントはオフショア化できる仕事と、そうでない仕事の見極めを行い、不要な業務を外に出す一方で、新たな付加価値を内部で創造するべきだった。だが実際には、多くの企業でそのような吐き出しは行われず、現場だけが疲弊していった。そのしょうこに、現場を抱える仕事であっても、昔と今で管理職の仕事の内容や評価基準が劇的に変わっている企業のほうが圧倒的に少ないのだ。現場だけが必死でスタッフ部門がゆるいのだ。経営や中間層が「考えること」「意味をつくること」から逃げ将来を構想したやり方をインストールすることなどを放棄し、1990年代と同じやり方で回すことを選んでしまったのだ。
この構造の限界を炙り出したのが、コロナだった。2020年からのパンデミックのなかで、企業は最低限の人数で業務を回さざるを得なくなった。そして気づいたのだ。「あれ?会議にいなくても、報告を受けなくても、意外と仕事は進む」と。Webで繋がれる少人数だけで、組織は機能してしまったのである。
この経験が浮き彫りにしたのは、「実は、何もしていなかった人」の存在だった。会議に参加しているだけ、報告を受けているだけ、KPIをチェックしているだけ。そういう人々が、組織には大量にいたのだ。しかし日本では解雇が難しい。そのため、コロナ後の現在においても、不要な人材が組織に居残り、風通しを悪くし続けている。
そして今、AIの登場によって、その状況はさらに加速する。ChatGPTをはじめとする生成AIは、既に多言語での指示理解、文書作成、KPI管理、情報の要約などを高精度かつ低コストでこなす。中間管理職が担っていた「指示伝達」「進捗確認」「定例報告」のような業務は、ほぼすべてAIで代替可能になった。しかも、速く、安く、間違わずに。つまり、構想力も共感力もない中間管理職は、いよいよ「ただの回路」として不要になりつつあるのだ。
では、これから残るホワイトカラーとは誰なのか。
トップ層には、未来を構想し、方向性を描き、そこへ向かって言葉と仕組みで組織を導く力が求められる。抽象的なビジョンを描き、それを実行可能な計画へと翻訳する能力こそが、AI時代のトップに求められる資質である。
一方、ミドル層には、大きく役割の転換が求められる。彼らに必要なのは、現場の心理的安全性を保ち、1on1などを通じて人の話を聞き、悩みを整理し、チームの空気を整える力だ。つまり、管理者から「ファシリテーター」や「コーチ」へと役割を進化させる必要があるのだ。
そして現場層は、単なる作業者から「意思を持った実行者」へと進化していく。AIをツールとして使いこなし、状況に応じて判断し、顧客に柔軟に対応できるインテリジェント現場が出てくる可能性があるのだ。
このような中で、組織のあり方も変わらざるを得ない。未来の組織再編のシナリオは、次の3つに大きく分かれるだろう。
第一は、「ハイブリッド型」だ。人とAIが役割を分担しながら共存するモデルだ。定型業務や報告系はAIが担い、人間は創造・共感・判断といった部分に集中する。中間層は心理的支援やコーチングに特化し、トップは構想力を研ぎ澄ませる。これは、日本企業にとって最も現実的な進化の道だと思う。
第二は、「トップダウンAI管理型」。AIがダッシュボードとアルゴリズムで意思決定を補助し、あるいは自ら意思決定を行うようなモデルだ。人間は異常事態の対応や倫理的判断に限られ、ほとんどの業務がAIに置き換わる。すでに中華系の一部テック企業や米国のスタートアップでは、この形が現実化し始めている。SFの世界では無いのだ。
第三は、「分散型・自律チーム型」。組織が極小のユニットに分かれ、それぞれが目標を持って独自に判断・運営していくモデルだ。DAO(Decentralized Autonomous Organization(分散型自律組織)の略で、簡単に言えば中央管理者がいないインターネット上の組織だ)やリモート企業など、クリエイティブ産業に近い構造で、ミドル層は「場をつくる役割」として再定義される。私はすでにこの組織形態を取り、上記の第一に近い組織と一緒に仕事をしているケースが多い。
いずれにしても、これまでの「会議室にいるだけで意味があった人」や「KPIを管理していた人」は、もう生き残れない。意味を生み出す人、感情に寄り添える人だけが、AI時代のホワイトカラーとして必要とされていくのだ。
では、そうでない人々は、どこへ向かうのか。選択肢は三つに絞られる。ひとつは、現場にシフトすること。もうひとつは、組織を離れること。そして最後が、自ら事業を創り出すことだ。
だが、日本では解雇という道が閉ざされている以上、多くの人は現場に戻るという形で組織に残ることになる。しかも、皮肉なことに、今の現場はかつてより価値を持っている。人が足りず、時給は高く、判断と実行が直結する。だから、現場の報酬は中間層を超えるかもしれない。
しかし、そこで問題になるのは金額ではない。かつて、自分が声を荒らげ、見下し、命令していた相手が、今や自分の先輩になるという構造に、人は耐えられるだろうか。20年、30年をかけて積み上げた自意識とプライドは、果たして現場の泥に触れることを許すのか。
それでも、構造は変わる。AIは止まらない。変化を受け入れるか、取り残されるか。問いは、ますます個人的なものになっていくのだ。
そしてこれは、もう始まっている。
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新規事業の旅195 モビリティ支配権をめぐる争奪戦
2025年6月26日
早嶋です。約6300文字です。
(自動運転)
多くの人は、自動運転と聞くと「ハンドルを握らなくてもいい車」のことを想像する。確かにそれも間違っていない。しかし、いま本当に進行しているのは、それをはるかに超えた世界だ。これは、車の進化ではない。都市の再構築であり、OSとしてのモビリティの支配権をめぐる争奪戦だ。
移動という行為は、すべての社会活動の前提にある。それを誰が、どのロジックで、どのインフラで制御するか。それが決まるということは、ある意味で都市の振る舞いや人々の行動パターンすら、ソフトウェアによって「書き換えられる」ことを意味する。
しかも、これは米中という二つの超大国の間で、静かに、しかし確実に進行している。表向きには、車が自動で走るという技術競争に見える。だがその裏には、インフラ、AI、地図、OS、クラウド、そして統治のアルゴリズムが折り重なった、国家と企業の複雑な設計がある。
そして今、私たちの目の前には、アメリカと中国という二つの全く異なるモデルが並んで立っている。片や技術で突き進み、片や都市ごと支配する。そこに、欧州、中東、日本といった他地域が、どう絡むか、あるいは絡めずに終わるのか。これは単なるイノベーションの話ではない。地政学の話であり、世界のOSをめぐる物語だ。
(米国の主導権)
自動運転の世界において、米国は先行者だ。なかでも目立つのは、Waymo、Tesla、Zooxの3社だ。彼らの思想やアプローチはまるで違うが、同じゴールに向かって進んでいるように見える。つまり、「人間の移動を再定義する」という取組だ。
Waymoは、Google=Alphabetの内部から始まった。地図、AI、クラウド、そしてスマートフォンを握るGoogleにとって、自動運転は自然な延長線上だ。Waymoは地道に都市と交渉し、センチ単位の精度でマップを整備し、完全自律型のロボタクシーを走らせている。これは、AIと都市インフラが融合するGoogleの未来像そのものだ。
Zooxは少し異なる。Amazon傘下としての戦略が透けて見える。彼らは「人が運転する」という前提を捨て、EVをゼロベースで設計した。ハンドルもアクセルもない。物流と都市交通を一気通貫で制御するために、Amazonはこの企業をグループ傘下に加えた。言い換えれば、「人の運転を経由せずに、人と荷物を動かす」という夢を、物理的に具現化した存在がZooxなのだろう。
Teslaは異端にして本命かもしれない。FSD(Full Self-Driving)という看板を掲げながら、実際にはレベル2からレベル3の支援システムに過ぎない。しかし、彼らの強みは「実装と分布」にある。ソフトウェアをオンラインで更新し、走行中の車からリアルタイムにデータを集め、学習させる。つまり、インフラや規制を先に整えるのではなく、「ユーザーを走らせてから整える」という逆転の発想だ。都市を制御するというより、ユーザーを都市より先にアップデートしてしまうのだ。
ここにGAFAMの全体像が浮かび上がる。GoogleはWaymoで都市と融合し、AmazonはZooxで物流と接続し、Teslaはクラウド化された車そのもので戦っている。AppleはProject Titanとして一度は参入しようとしたが、現在は実質撤退。Meta(旧Facebook)も自動運転には消極的で、ARやVR空間の中に「移動」を再構成しようとしている。MicrosoftはCruiseやAuroraのクラウド基盤を支え、裏側からこのゲームに参加している。
つまり、GAFAMの中で、「自動運転を戦略の中核に据えているプレイヤー」は限られている。今のところ、Google、Amazon、Teslaの三つ巴。その構図の中で、勝ち筋がもっとも明確なのはWaymoだ。すでに完全無人のロボタクシーを実装している都市を複数持ち、AIとマップの精度も随一。だが、圧倒的ユーザー数を背景にTeslaがいつ逆転してもおかしくはない。その意味で、米国は「技術完成度とデータ規模」の二軸で覇者を争っている構造だと言える。
(中国の本気)
中国の自動運転は、もはや「本気」どころではない。これはもはや国家戦略の一部であり、都市そのものを支配することを前提に組み立てられている。
筆頭はBaiduだ。Apollo Goというロボタクシーのブランドを掲げ、北京、武漢、深センなど15都市以上で展開している。すでに1,000台以上の車両が日常的に街を走り、完全無人の運転も始まっている。Baiduはもともと検索エンジンの企業だが、Googleと同様にAIと地図の文脈で自動運転に突き進んできた。今では専用EV「RT6」を自社で設計し、まさに都市の「足」として根付かせようとしている。
次にPony.ai。この企業は米中両方に拠点を持ち、トヨタなどのグローバルOEMとも連携している。冗長なセンサー設計と独自の地図生成エンジンを武器に、都市単位での運行モデルを磨いている。北京や深センでは、完全無人の運行も実施済み。技術主導の民間企業ながら、公共交通の一部として組み込まれつつあるのだ。
そしてWeRide。ロボタクシー、ロボバス、ロボ物流の三位一体を掲げ、すでにアブダビやシンガポールなど国外展開も進めている。中国国内では広州、武漢、上海などで実装されており、むしろ「乗り物」ではなく「都市機能」の一部として扱われている節すらある。
ここで注目すべきは、中国の「GAFAM的存在」だ。つまり、Baidu、Tencent、Alibabaのような巨大IT企業が、この覇権ゲームにどう関与しているかだ。
Baiduは説明した通り、完全に自動運転の中核を担うプレイヤーだ。一方、Tencentはモビリティそのものには直接手を出していないが、インフラ、地図、そしてゲーム空間などの「メタ空間」との連動で布石を打っている。Alibabaも直接の自動運転ではなく、Cainiao(菜鳥)による物流ネットワークや、AliOSによる車載OSなど、裏方として関わっている。
加えて、中国にはBYDという圧倒的なハードプレイヤーが存在する。テスラのライバルとされがちだが、実際にはすでにハードの規模ではテスラを凌駕しており、独自のADAS「God’s Eye」をほぼ全車に標準搭載するなど、自動運転の手前で「既成事実」を積み上げている。
中国の自動運転は、企業が単独で勝つのではない。企業と国家と都市が連動して勝ちに行くのだ。この構造は、自由市場でバラバラに勝負を挑む米国とはまったく異なる。ここには、「どの都市で、どの車を、どれだけ、どのルートで走らせるか」という政治性すら入り込む。もはや「技術」ではなく「統治の一部」なのだ。
(欧州の時間稼ぎ)
欧州は、強い。少なくとも、法とルールをつくるという点においては、誰よりも洗練されている。だが、こと自動運転というゲームにおいては、その「強さ」は逆に重たくなっているようにも見える。
Volkswagen、BMW、Mercedes、Stellantis。欧州を代表する名だたる自動車メーカーたちは、確かに一定の開発を進めてはいる。VW傘下のCariad、英国発のWayveなど、技術ベンチャーの台頭もあるにはある。
だが、最大の問題は、「走らせて学ぶ」という米中の手法に、都市側の許容が追いついていないことだ。GDPRを代表とするプライバシー保護、AI法案によるリスク等級制、道路交通法の厳格な規制。すべてが、自動運転の実証を「慎重に」「ゆっくりと」進めざるを得ない構造になっている。
欧州は、自動運転のOSそのものではなく、「その動きを制限する憲法」を作ってきた。これは、一定の戦略性を持つ。ルールを握れば、プレイヤーを支配できるという思想だ。しかし現実には、WaymoもBaiduも、そしてTeslaすらも、欧州の市場に対しては「慎重に見守る」姿勢を取っている。つまり、欧州は自らの規制によって、覇権の舞台から外れていっているのだ。
その時間を使って、自前のプレイヤーを育てることができるか。技術開発において2年から3年のギャップは致命的だ。世界が動く速度に比して、欧州の動きは確実に遅れている。法と規制のバリアで時間は稼げても、それは一時しのぎのシェルターに過ぎないのかもしれない。
(実験都市としての中東)
世界で最も自動運転の社会実装が早いのは、アメリカでも中国でもない。それは、「受け入れる意思のある都市」だ。この意味で、中東、とりわけUAEやサウジアラビアは、今や世界最大の実験場になっている。
アブダビでは、WeRideがミニバスとロボタクシーを同時に走らせている。Pony.aiもテストエリアを広げ、すでに一般利用者の乗車も始まっている。規制は緩く、地元政府の後押しも強い。なぜなら、彼らにとってこれは、「石油の次に来る国家像」を見せるためのデモンストレーションだからだ。
サウジアラビアのNEOMは、その極致だ。都市そのものを再定義し、ゼロから構築するなかで、自動運転は「初期装備」として組み込まれている。そこには、「道路をどう作るか」という次元ではなく、「人をどう動かすか」という哲学がある。
中東は、覇権を争う舞台ではない。だが、そのど真ん中に位置している。米国の技術も、中国の都市設計思想も、ここでは等しく歓迎される。それは、両者を比較し、採用する側の視点を持てるという優位にほかならない。
中東は、自動運転を「未来の自分たちの生活を飾る技術」として受け入れようとしている。その姿勢こそが、もしかすると最も柔軟で、最もしたたかなのかもしれない。
(その他周辺国や地域)
日本はトヨタがいる。ホンダも日産も、技術的には一定の水準にある。だが、それが「都市OSの構築」という文脈で評価されることはほとんどない。
トヨタはWoven Cityという実証都市を作った。そこでは、ヒューマンセントリックな未来を描こうとしている。だが、あまりに慎重で、あまりに内向きだ。海外展開もない。データも閉じている。その結果、日本の自動運転は「自国向けADASの延長」で止まっている。
ASEANはどうか。GrabのようなMaaS企業が急成長しているが、そのプラットフォームの背後には、WeRideやBaiduといった中国系テクノロジーの影がある。南米やアフリカでは、BYDのEVが続々と導入され、中国製のモビリティが「デフォルト」になりつつある。
つまり、米中のどちらのネットワークに接続されるかが、今後の分断を決める。それは、車のメーカーを選ぶというよりも、「どのOSを採用するか」という決断に近い。
覇権を握るのは、国家ではない。技術でもない。都市の振る舞いを支配するOSそのものなのだ。
(OS戦争の行方)
自動運転は、もはや車だけの話ではない。それは、都市の振る舞いを誰が設計し、誰が制御し、誰が所有するのかという争いだ。アクセルを踏むのが人間である必要がなくなった瞬間、移動はインフラの一部に変わる。そうなったとき、問題となるのは「どのOSで動かすのか」という構造の話になる。自動運転とは、車を進化させる技術ではなく、都市そのものを再構成する力学だ。
この覇権をめぐる戦いは、すでに米国と中国という二大勢力の構図へと収束しつつある。技術とデータ、インフラと規制、国家と企業が複雑に絡み合いながら、まったく異なる2つのモデルが進行している。
アメリカでは、Waymo、Tesla、Zooxの三者が覇を競う。WaymoはGoogleの叡智を背景に、地図とAIを駆使しながら都市と接続していく。その技術は静かだが、確実に人間の移動を置き換え始めている。ZooxはAmazon傘下として、物流と交通を一体に制御するための「人間不要の移動体」をゼロから設計した。ここには、ラストワンマイルを誰が握るかというAmazonの本質が現れている。そしてTesla。未だ完全な自動運転ではないものの、すでに100万台を超えるFSD搭載車を走らせ、ユーザーの行動そのものをデータ化し、ソフトウェアで世界を更新しようとしている。つまり、都市を制御する前に、人間の行動をアルゴリズムに吸収しようとしているのだ。
ここに、GAFAMの動きが重なる。Appleは撤退。Metaはバーチャルへ。Microsoftは裏方でクラウドを握る。今や、自動運転を戦略の中心に据えるテックジャイアントは、Google(Waymo)、Amazon(Zoox)、そしてTeslaだけだ。つまり、米国のモデルは「技術で勝つ」ことと、「市場でスケーリングする」ことの両輪で動いている。
対する中国は、まったく異なる風景を描いている。ここでは都市そのものが、国家主導で自動運転に最適化されていく。BaiduのApollo Goは、北京や武漢など15都市以上で1,000台超のロボタクシーを運行中。すでに完全無人運転が日常風景になりつつある。Pony.aiはトヨタや複数のOEMと連携し、民間技術としての完成度を追求しつつも、都市と直結する運行モデルを構築している。WeRideはさらに広く、ロボタクシーだけでなく、ロボバスや物流も統合したインフラとしての自動運転を押し出している。
中国の強さは、企業と国家と都市が一体化している点にある。そこにBaidu、Tencent、Alibabaといった中国版GAFAMが関与し、Baiduは中核プレイヤーとして技術と運用を推進。Tencentはマップやゲーム空間と結びつけ、Alibabaは物流網やOSレイヤーで接続してくる。そしてBYDが、膨大な車両とADAS技術で「既成事実」を物理的に構築していく。これは、自由競争の皮をかぶった中央集権型モビリティ支配の完成形だ。都市を誰が制御するのか、その問いに、中国は国家全体で答えようとしている。
欧州は、これにどう向き合っているか。答えは「ルールを作ることで時間を稼ぐ」だ。GDPRに象徴されるような情報保護、AI法、道路交通の厳格な法体系。外資系プレイヤーの侵入を抑えながら、自国のスタートアップやOEMに呼吸を与えている。しかしその間にも、Waymoは都市を増やし、Baiduは車両を増やしていく。法による時間稼ぎが、技術による既成事実に追いつけるのか。欧州の選択は、ある意味で防戦に見える。
中東はどうか。アブダビやサウジではすでにPony.aiやWeRideが実装されており、NEOMのような未来都市構想では、自動運転は「前提条件」として組み込まれている。石油以後の経済と国家像を描く中東にとって、自動運転は象徴的なイメージ装置なのだ。つまり中東は、覇権を争う戦場ではなく、その優劣を証明する展示会場として機能している。
こうしてみると、世界はすでに分岐している。米国モデルは、技術とスケール。中国モデルは、統治と制御。欧州はルールで抵抗し、中東は開かれた実験場として使われる。
自動運転とは、単なる機械の話ではない。これは、どのOSが人間の移動を支配するかという問いだ。都市を走る車を、誰が設計し、誰がアップデートし、誰のデータで学習させるのか。それは、その都市が誰の思想で動いているのかを意味する。
もはや、覇権を握るのはエンジンでもなければ、デザインでもない。人の流れと都市の振る舞いを、どのアルゴリズムで制御するか──その争いこそが、自動運転の本質なのだ。
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継続は力なり
2025年6月25日
早嶋です。
小さなことでも、積み重ねていけば確かな力になる。これは私の好きな言葉の一つだ。なぜなら、蓄積は嘘をつかないからだ。継続して取り組んだものは、たとえ目に見える形で現れなくても、必要なときに脳が動き、体が反応してくれる。表には出ていなくても、その努力は確実に内側で形を成している。
もちろん、「一夜漬け」で乗り切ることも時にはある。翌日には多少の成果を発揮できるかもしれない。でも、それが続くことは稀で、三日もすれば記憶も形もあっという間に霧散してしまう。
本当に大切なのは、「土台を作ること」だ。その基盤があってこそ、一時的に力を注ぎ込むことにも意味がある。だが、人生を長いスパンで捉えるならば、「コツコツと取り組み、常に準備しておく」という姿勢こそが、正解に最も近い。
そしてその「準備」や「継続」は、1ヶ月や3ヶ月、せいぜい1年という短期的な単位では測れない。3年、5年、あるいは10年かかることもある。大人はそうやって動いているし、企業のビジョンもまた、数年から10年単位で語られるべきものだ。
だからこそ、「毎日必死にやり続ける」だけでは、かえって息切れしてしまう。たとえ1年間継続できたとしても、その後に燃え尽きてしまっては本末転倒だ。むしろ、3日やって1日休む、そういう息抜きがあってもいい。でもその後は、1週間、2週間と続ける。それを繰り返すことが、息の長い継続につながる。
理想は365日続けること。でも現実には、300日できれば上出来だ。残りの65日は「休息」や「振り返り」の時間にしてもいい。
付け焼き刃は、すぐに綻びが出る。一方で、長期にわたって継続された取り組みは、表面には見えないかもしれないが、確かな実力と信頼を築いていく。
だからこそ、継続こそが、最も力のある行動なのだ。
新規事業の旅194 個人が主導する情報時代の到来
2025年6月20日
早嶋です。1700文字です。
ニュースソースは、かつて新聞、テレビ、ラジオ、雑誌といった「オールドメディア」が独占していた。記者が取材し、編集者が構成し、印刷所や放送局が物理的に流通を担う——このようなバリューチェーンによって、情報は丁寧に加工されてきたのだ。しかし、今やその仕組みは大きく揺らいでいる。
転換点となったのはソーシャルメディアの登場である。もともとSNSは、友人や知人とのネットワークを可視化するためのツールにすぎなかった。しかし、そこに「LIKE」や「シェア」といったインタラクションの設計が加わることで、徐々に情報そのものを媒介する場へと変質していったのだ。最初はテキスト、やがて画像、そして今は動画と音声が主流になる中で、AIによる編集・生成の技術も入り込み、もはやコンテンツは個人でも極めて高品質なものが作れる時代になった。
この流れの中で、特にZ世代は根本的に異なる情報感覚を持つようになった。彼らは物心ついたときからスマートフォンを手にし、ソーシャルメディアを通じて情報と接してきた。テレビやラジオ、新聞や雑誌といったオールドメディアとはほとんど接点を持たない。したがって、彼らにとって「情報を得る」という行為は、スマホを開き、SNSで検索し、ストーリーやリールを眺めるという日常の延長にあるのだ。
同様の現象は、忙しいビジネスパーソンの間でも広がっている。新聞を開く暇があればスマホでニュースアプリをスクロールし、通勤中や隙間時間にYouTubeやTikTokで情報を得る。オールドメディアに触れる時間は激減し、新聞や雑誌は廃刊や休刊を余儀なくされている。新聞社でさえ、紙媒体からデジタルへの転換を急ぎ、メディア企業としての生存戦略を模索しているが、GAFAをはじめとする巨大なプラットフォーマーには太刀打ちできない。情報の受信ではなく、プラットフォームの設計そのものを制する者が市場を支配する構造に変わってしまったからだ。
この変化は、単なるテクノロジーの進化によるものではない。構造的なパラダイムの転換である。オールドメディアは「地域性」と「地理的制約」、そして「組織としての情報統制」によって成立していた。一方、ソーシャルメディアは、地理的境界を超え、誰もが情報の発信者になれる世界を切り拓いた。言い換えれば、全人口が記者であり、視聴者でもあるという状態が出現したのだ。
この「情報の民主化」は、混乱をもたらす一方で、才能を解放する場ともなった。特定の分野に特化した知識やスキルを持つ個人が、その知見を発信し続けることで、多数のフォロワーを獲得し、影響力を持つようになった。オタク、マニア、エンジニア、職人、料理人——かつては局所的な存在だった彼らが、世界規模で発信し、評価され、時には仕事や収入にまでつながる時代である。
こうした人々は、単なる「インフルエンサー」ではない。知識のプロバイダーであり、専門的な情報の源泉となっている。その結果、彼らには企業からのスポンサーや協業の申し出、あるいは講演・出演の依頼が舞い込む。まさに、個人が一つのメディアとなる時代の象徴である。
情報の生産構造も大きく変わった。かつては組織に属し、方針に従って制作されていたコンテンツが、いまや個人の意志と感性によって生成・拡散されるようになった。そして、そのスピードと反応性はオールドメディアの比ではない。ひとつの投稿が「バズれば」、それに追随して似たようなコンテンツが爆発的に増殖する。新たな流行が生まれ、また瞬く間に消える。このサイクルはきわめて短期間で回る。
こうした状況の中で、情報の真偽を見極めることはますます困難になっている。フェイクニュースか、ユーモアとしてのクリエーションか。発信者の意図も受信者の解釈も多様化し、どこまでが「事実」で、どこからが「演出」なのかが曖昧になる。
情報の時代は、メディア企業の時代から、個の時代へと移行したのだ。そしてこの流れは、すでに不可逆的である。オールドメディアは、ただ「古くなった」だけではない。情報というフィールドにおける力の構造そのものが、根底から変わったということなのだ。
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新規事業の旅193 書く行為から見る未来
2025年6月18日
早嶋です。1500文字程度です。
最近、「パーキンソン病を予測するペン」というプロトタイプの存在をニュースで知った。これは、人間が文字を書くという日常的な行為から、神経疾患の兆候を早期に察知する取組だ。まだPOCレベルだが、書いた線のブレ、筆圧の変化、字の大きさやリズムといったデータを収集し、スマートフォンなどの端末と連携してクラウドに蓄積、機械学習によってパターン化された「異常兆候」と照合することで、本人も気づかない小さな変化を捉える概念だ。
この発想は、同様に登場しているスマートリングやスマートトイレとも親和性がある。前者は睡眠の質や心拍、ストレスレベルを24時間トラッキングし、後者は尿・便から身体の栄養状態や病気の兆候を検知する。いずれも共通するのは、「日常生活の無意識な行為」を介してバイタルデータを常時取得し、蓄積するという考え方だ。
こうした取り組みは、単に個人の健康を管理するだけではない。全人類のバイタルデータを常時取得・分析することで、疾患の予測・未病の可視化・医療資源の最適配分が可能になる。
たとえば、ある人が突然発症した心臓疾患について、その直前1ヶ月の心拍や睡眠データ、生活習慣を追跡し、過去に同様の症状を呈した人々との傾向をAIが照合する。そこから「なぜこの人が今発症したのか」という因果関係のモデルが生まれる。これが蓄積されればされるほど、未来の誰かを救うための前例となるのだ。
問題は、このデータを誰が持ち、誰がアクセスし、どう管理されるべきかという点だ。もしすべての人類のデータがブロックチェーンのような不可逆的で改ざん不能な形で保存され、個人が匿名のまま解析対象となるならば、その傾向値は多くの研究者や医師が自由に使える公共財となりうる。一方で、個人が特定される可能性があるデータには、アクセスに厳格な制限と透明性が必要だ。
この構想は、ある意味でウィキペディアのようなものに近い。すべての人の経験が集合知として蓄積され、それを誰でも参照できるが、書き換えたり悪用したりはできない。
ここで重要なのは、「すべてのデータが揃えば、もはや専門家はいらない」という誤解だ。実際には逆である。弁護士は判例データベースが整備されたからこそ、判断に集中できるようになった。医師も、過去の症例をAIが整理してくれることで、個々の患者の違いに注目できるようになった。金融も、アルゴリズムがトレンドを予測するからこそ、人間はその意図やリスクを洞察する役割を持つ。
つまり、記憶や情報の保持ではなく、それらを編集し意味づけし活用するスキルが専門性になる。
ここまでくると、教育そのものの在り方も変わる。かつて、教育とは「知識のインストール」だった。しかし、AIや検索エンジンがその役割を肩代わりできる現在、教育の役割はむしろ「問いを立てること」「意味を翻訳すること」「複雑な情報を構造化すること」へとシフトしている。
たとえば、生徒が自分でデータを取り、それを分析し、そこから何を読み取るべきかを議論するという教育スタイル。これは単なるプログラミング教育ではなく、知識の使い方を学ぶ教育であり、極めて実践的だ。教師の役割もまた、「知っている人」から「共に問い、共に考えるナビゲーター」へと変わるだろう。AIとともに学び、AIを使って学ぶ。その中で、人間だけが持つ直感や倫理、共感といった“非数値的”な価値が改めて浮かび上がる。
ペンはもはや、ただ文字を書く道具ではない。それは人間の内面の変化を映し出し、社会全体の健康を写す「レンズ」になり得る。そして、書くという行為のように、我々人間のすべての営みが、未来に向けたインサイトの種になる。問題は、それをどう扱い、どう活かすか。
我々の前にあるのは、道具としてのAIやスマートデバイスではなく、「人間の智慧」をどう開花させるかという問いそのものなのだ。
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