
新規事業の旅175 ガソリン価格の高騰の本質
2025年4月29日
早嶋です。約3000字です。
2025年4月、日本のガソリン小売価格は1リットル186円に達している。世の中はGWの最中だが、スタンドの表示価格はハイオクであれば200円も間近だ。やはり「高い」と感じることだろう。ところで、本当にガソリン価格は異常に高いのだろうか。少しファクトを含めて調べてみた。結論はガソリン価格は、世の中比較では相応か、寧ろ安く、問うべきは税金に関する議論だった。
ファクトチェックをした。2015年、日本のガソリン小売価格は平均で約130円だ。このとき、WTI原油価格は約50ドル。ドル円レートは約120円。1バレルあたりの円換算価格はおよそ6000円になる。そして、2025年現在。ガソリン小売価格は約185円。WTI原油価格は63ドル。ドル円レートは150円なので円建て原油価格は約9450円となる。
つまり10年間で、ガソリン価格は約1.4倍に上昇しているが、原油の円建てコストは約1.6倍に上昇している。ここからガソリン価格の上昇は、原油コストの上昇幅よりも小さいということが分かる。そのため、「ガソリンが高い」という直感は、正しくないとも言えるのだ。
そこでガソリン価格の内訳を因数分解した。店頭価格の42%以上が税金だ。ガソリン税として、本則28.7円、暫定25.1円、合計53.8円が課される。そして、地方揮発油税が5.2円。さらに、石油石炭税・地球温暖化対策税が合わせて2.8円。極めつけは、それらを合算した金額に対して消費税10%が更に乗るのだ。その結果、ガソリン1リットルあたり、約78.7円が純粋な税金として組み込まれている。
ちなみに、ガソリン税には本則と暫定がある。本則税率の28.7円は、もともと道路整備を目的として1954年に導入されている。戦後の日本には、国土開発、高度成長期のインフラ整備等を支える財源に作られたものだ。ガソリンを使う車が主に、利用者負担で道路を作り、今でもメンテナンスに充てる発送は理屈にかなっていると思う。
しかし、暫定は意味不だ。本来は1974年のオイルショック後の財政危機対策として。時限的に上乗せした税金だ。当時の理由は、燃料消費が減ると道路財源が減る。それを補うために税率を臨時で上げるというものだった。そこで5年間の時限措置が取られたのだ。が、政府は5年毎に延長を繰り返す。そして事実上、恒久税化したのだ。実際、2008年の福田内閣の時に、暫定と言いながら半永久的な税とする法改正が行われているのだ。
日本の直近のガソリン年間消費量は約446億リットルだ。これにより生まれる税収は、
– ガソリン税だけで約2兆4000億円、
– 地方揮発油税で約2300億円、
– 石油石炭税・温暖化対策税で約1250億円、
– さらに消費税で約7500億円程度、
となり、合計すると4.5兆円以上が、ガソリン関連だけで国と地方に流れ込むことになる。国の大きな収入の柱とも言ってよい額だ。(2024年のガソリン税による税収は、国税で約1.5兆、地方税で約5千億となっていた。若干、からくりが不明だが大きな単位はあっているので、ここの理論はこれ以上詰めないでおく)
財務省の建前は、健全な国家財政運営だ。しかし、税収を最大化し、国家支配を維持することのように振る舞っているように感じる。同様に、経済産業省の建前は、産業振興と国民経済の発展だ。しかし現実は、特定産業との関係強化を通じて自らの存在意義を確保をしているかのようだ。燃料油価格激変緩和措置にしても、国民に寄り添う顔をしながら、元売り企業に補助金を与え、その間に行政と産業が利益を確保する構造にみえる。
なぜ、税を下げる選択肢をしないのか不思議だ。確かに、財務省は税収を減らしたくないだろう。そして、経産省は補助金配分の仕組みを手放したくないと思う。更に、地方自治体も地方税収を失いたくないし、元売り企業も補助金で価格維持できるから反対しないと思ってしまう。誰一人として、国民負担を本気で減らそうとはしていない。この事実に、私たちはまず気づかなければならないのだ。
このような状況に対しての合理的な打開策は、財務省の絶対的な予算支配の縮小し、経産省と大企業のつながりの解消(つまり自由化や既得権益の剥奪、そして規制緩和だ)、地方自治体が自律的に動き始め、国民が自分たちで社会を作る主体に戻ることだ。税金は明確な対価として支払われるようになり、補助金での誤魔化しを終えることだ。中央集権ではなく、分散型で自立した社会に生まれ変えることだ。まぁ、とても日本のしくみを考えたとて難しシナリオだが、希望を持てるシナリオだと思う。
しかし、現実は財務省は増税に動き、経済産業省はその財源を元にばら撒きに動き、政治も社会も、本気で「仕組みのスリム化」に取り組まないのだ。理由はなんだろうか?
1つは、官僚組織そのものに縮小するインセンティブが無いことだ。財務省も経産省も、自分たちの組織が大きく、予算が多く、権限が強いほど、将来のポストが増え、人事権が強くなり、天下り先が確保できると思うかもしれない。これが組織の生存本能というものだ。組織にとっては、「合理化=組織の弱体化」になるのだ。だから、合理化を自分からは絶対にやろうとしない。仮にやるときも、ポーズに留まるのは歴史から学んでいる。官僚にとって、国家予算とは国民のために使うものではなく、自分たちの支配力を拡大するために使うものになってしまうのかもしれない。
更には、政治家は本気で仕組みを破壊する気持ちが無いとおもう。本来、官僚を制御するのは政治家の仕事だ。しかし、日本は政治家も選挙に勝つために予算ばらまきを求めるし、官僚に政策立案を依存しているし、逆に官僚組織に取り込まれているという絵も確認できる。特に地方では、国の補助金がないと自治体が回らないため、中央からの財源確保を訴える政治家が重宝されるのだ。結果、政治家自身も、国民に痛みを強いる「合理的改革」には及び腰になり、票を失うリスクを避けて現状維持を選ぶのだ。
そして、極めつけは我々国民自体も痛みを伴う改革を望んでいないのだ。ここが最も根深くて、仕組みのスリム化は、今受け取っている補助金やサービスが減るかもしれない、公務員の数が減るかもしれない、地域の利便性が一時的に下がるかもしれない、ということを想起する。そのため痛みを受け入れう覚悟が後手に回ってしまうのだ。皆誰しも、今の生活水準を下げたくない、目先の安心を失いたくない、他人の権利は削っても、自分の権利は守りたい、という心理が働いているのだ。結局、国民自身が「痛みなき改革」を求めた結果、政治も官僚も、スリム化を真剣に進めないとなっている。
そう、現実は過酷なのだ。財務省の増税は常態化するだろう。経産省は補助金と規制で結果的に既得権益を守り続けると思う。そして地方は2極化し多くは衰退するだろう。若者は未来を失い、社会は静かに沈んでいく。実際、その動きは表面的な秩序を保ちながら、本質的にはゆっくりと沈む船のようになるのだ。
新規事業の本質と構造は同じだ。重要だけど直ぐに結果がでない。やり方が分からない。これまでのぬくぬく生活を捨て、気合を入れて取組む必要がある。その結果、一部の人は頑張るが、それでも1年、2年で状況が変わり、トップが変わり、熱が冷めてしまう。するとズブズブと過去の遺産でごはんを食べていたほうが今は楽なので手を付けなくなるのだ。
(過去の記事)
過去の「新規事業の旅」はこちらをクリックして参照ください。
(著書の購入)
「コンサルの思考技術」
「実践『ジョブ理論』」
「M&A実務のプロセスとポイント」
新規事業の旅 全集
2025年4月28日
こちらは現在連載している「新規事業の旅」の全部のリンクです。
新規事業の旅(1) 旅のはじまり
新規事業の旅(2) 既存と新規は別の生き物
新規事業の旅(3) よし!M&Aだ
新規事業の旅(4) M&Aの成功
新規事業の旅(5) M&Aの活用の落とし穴
新規事業の旅(6) 若手の教育
新規事業の旅(7) ビジネスモデルをトランスフォーメーションする
新規事業の旅(8) 自分ごとか他人ごとか
新規事業の旅(9) 採用
新規事業の旅(10) NBとPB
新規事業の旅(11) 未だメーカーと称す危険性
新規事業の旅(12) 山の登り方
新規事業の旅(13) ポジションに考える
新規事業の旅(14) 経営陣のチームビルディング
新規事業の旅(15) 偶然と必然
新規事業の旅(16) キャズムを超える
新規事業の旅(17) 既存事業の市場進出の場合
新規事業の旅(18) アンゾフ再び
新規事業の旅(19) モノからコトへ転身できない企業
新規事業の旅(20) 自前主義の呪縛とイデオロギー
新規事業の旅(21) 現場とトップのギャップ
新規事業の旅(22) 売ってから始まる事業
新規事業の旅(23) 道具の使い方
新規事業の旅(24) 敵のコトを知りつくそう
新規事業の旅(25) キャズムを超えるまでのKPI
新規事業の旅(26) M&Aの勘所を押さえる
新規事業の旅(27) 仲介会社のビジネスモデルと買い手の事情
新規事業の旅(28) 動画サブスクの落とし穴と処方箋
新規事業の旅(29) 売り手のトラブルは売り手の無知から
新規事業の旅(30) OEは最早役に立たたない
新規事業の旅(31) ジョブと障害とキャズム
新規事業の旅(32) 需要と供給
新規事業の旅(33) ストレッチ目標
新規事業の旅(34) 複利の効果
新規事業の旅(35) 人間は機械の一部になる
新規事業の旅(36) デジタルの弊害を受け入れる
新規事業の旅(37) 会社を居場所に置き換える
新規事業の旅(38) システム化された社会
新規事業の旅(39) 金融リターンではなく事業リターン
新規事業の旅(40) サービス業の苦悩
新規事業の旅(41) 3つの財布
新規事業の旅(42) グループ企業の試練
新規事業の旅(43) 思考と行動
新規事業の旅(44) デジタルバッジ
新規事業の旅(45) デジタル化とOC
新規事業の旅(46) ジョブ発見のコツ
新規事業の旅(47) 器と魂
新規事業の旅(48) Z世代の高級品
新規事業の旅(49) アニメ界のSPA企業が覇者になる日
新規事業の旅(50) PBR1割れの衝撃
新規事業の旅(51) 新規事業の創造3つの方向性
新規事業の旅(52) 別の視点で見るイノベーションのジレンマ
新規事業の旅(53) 新規事業のベストミックス
新規事業の旅(54) サーキュラーエコノミー
新規事業の旅(55) PBR1割れを考える
新規事業の旅(56) 情報の民主化と経済格差
新規事業の旅(57) セキュリティの今後
新規事業の旅(58) サステイナブル経営
新規事業の旅(59) Z世代のアプローチ
新規事業の旅(60) ドローン事業
新規事業の旅(61) ノンカスタマー
新規事業の旅(62) プランB
新規事業の旅(63) Z世代
新規事業の旅(64) 小売とマーケティング
新規事業の旅(65) 高齢者をターゲットにした事業
新規事業の旅(66) ベンチャーキャピタルの実態
新規事業の旅(67) 新規開発の落とし穴
新規事業の旅(68) 覚悟を持って取り組む
新規事業の旅(69) 売れるモノが良いもの
新規事業の旅(70) 性善説と性悪説
新規事業の旅(71) 保身に走らない
新規事業の旅(72) 中国リスク
新規事業の旅(73) サステナビリティ経営
新規事業の旅(74) ストックオプション
新規事業の旅(75) ゼロイチとM&A
新規事業の旅(76) TAM/SAM/SOM
新規事業の旅(77) 近くと遠く/全体と細部
新規事業の旅(78) 逆境を乗り越えるリーダー
新規事業の旅(79) ラストイチマイルの柔軟思考
新規事業の旅(80) 業務提携と資本提携
新規事業の旅(81) 部下の視点と視野の狭さはあなたの鏡
新規事業の旅(82) バックキャスティング
新規事業の旅(83) ペット保険にAmazon参入
新規事業の旅(84) ベンチャー企業
新規事業の旅(85) 生成AI1年目の誕生日
新規事業の旅(86) スケールする前後の組織
新規事業の旅(87) 無線給電
新規事業の旅(88) よく見る風景
新規事業の旅(89) ダイナミックプライシング
新規事業の旅(90) 提携と出資
新規事業の旅(91) アパホテルのプライシング
新規事業の旅(92) コカ・コーラのダイナミックプライシング
新規事業の旅(93) アップルのゴーグル型端末
新規事業の旅(94) 通年採用のススメ
新規事業の旅(95) 情シス事情
新規事業の旅(96) オープンイノベーションの打ち手としてのCVC
新規事業の旅(97) 今後のマーケティング
新規事業の旅(98) エフェクチュエーション
新規事業の旅(99) 2世と3世
新規事業の旅(100)自分事と他人事
新規事業の旅(101)最近の経営企画
新規事業の旅(102)ドーミーイン
新規事業の旅(103)誰もわからない
新規事業の旅(104)運とリスク
新規事業の旅(105)経済的なインセンティブの大切さ
新規事業の旅(106)スタートアップと採用
新規事業の旅(107)エクイティにおけるインセンティブ
新規事業の旅(108)イノベーションとCVC
新規事業の旅(109)ファイナンス関連の書籍
新規事業の旅(110)30年の停滞
新規事業の旅(111)30年停滞の要因
新規事業の旅(112)30年停滞からの学び
新規事業の旅(113)ワイガヤ再び
新規事業の旅(114)地域を盛り上げる前の分析の視点
新規事業の旅(115)足るを知る
新規事業の旅(116)継続は力なり
新規事業の旅(117)実践の妨げとなる心の豊かさ
新規事業の旅(118)学習性無力感
新規事業の旅(119)学習性無力感を克服するアプローチ
新規事業の旅(120)実践は時間と努力の変数
新規事業の旅(121)必要は発明の母
新規事業の旅(122)アントレプレナーとイントレプレナー
新規事業の旅(123)人事異動の落とし穴
新規事業の旅 (124)マネジメントの共通認識
新規事業の旅(125)高尚なパーパスの落とし穴
新規事業の旅(126)トレランスと遊び
新規事業の旅(127)行動しないことの考察
新規事業の旅(128)先延ばし
新規事業の旅(129)ベンチャー企業と中小企業
新規事業の旅130 設立から上場までの物語
新規事業の旅131 台湾事情2024その1物価
新規事業の旅132 台湾事情2024その2背景
新規事業の旅133 台湾事情2024その3再び物価
新規事業の旅134 北海道事情2024
新規事業の旅135 不祥事の元祖と原因と対策
新規事業の旅136 スタートアップと大企業
新規事業の旅137 提携や資本業務提携の契約
新規事業の旅138 LLCとKK
新規事業の旅139 やり抜けない人材排出の背景と打ち手
新規事業の旅140 創発する組織の会議
新規事業の旅141 高級時計ブランドのはじめ方
書店の敵は私立進学志向(アマゾンじゃなかった!)
新規事業の旅142 グリーンファンド
エアラインの業界構造
新規事業の旅143 アニメ産業の現状と課題
新規事業の旅144 勘違いをぶっ壊せ
新規事業の旅145 テーマパーク
新規事業の旅146 自分と部下の育成方法
新規事業の旅147 ハルメクに学ぶ新規事業の初め方
新規事業の旅148 観光公害と言わないで正面から向き合う
中東情勢の理解
新規事業の旅149 世代ごとの消費の特徴
新規事業の旅150 リユースマーケット
新規事業の旅151 価格と向き合う
新規事業の旅152 人的資本経営
新規事業の旅153 脱東京で成長を加速する
新規事業の旅154 オールドメディアの終焉
新規事業の旅155 マーケティング(2Cと2B)の基礎理解
新規事業の旅156 若手とベテランの壁
新規事業の旅157 NDAを結ばない時
新規事業の旅158 小規模農業者向けの流通プラットフォーム
学びの意味
新規事業の旅159 車社会
新規事業の旅160 消費と浪費
新規事業の旅161 ストア派哲学
新規事業の旅162 単一と統合の生態系
新規事業の旅163 問題設定の大切さ
新規事業の旅164 脇毛とマーケティング
新規事業の旅165 アメリカの終焉
新規事業の旅166 新しいことのはじめ方
新規事業の旅167 支援と投資のスタンス
新規事業の旅168 中国は金融戦争を仕掛けるか
新規事業の旅169 重要な取組が出来ない構造
新規事業の旅170 AとBのジレンマの処方箋
新規事業の旅171 増加する組織再編
新規事業の旅172 青を焼くか、重ねるか。文化と技術の対話の先。
新規事業の旅173 次の時代の生存戦略
新規事業の旅174 コメ価格高騰の裏側と、これからの日本の米市場
新規事業の旅175 ガソリン価格の高騰の本質
新規事業の旅176
新規事業の旅177
新規事業の旅178
新規事業の旅179
新規事業の旅174 コメ価格高騰の裏側と、これからの日本の米市場
2025年4月28日
早嶋です。約2400文字。
(コメ高騰の現状)
2024年から2025年にかけて、コメの小売価格が約2倍に跳ね上がった。ニュースでも話題になったが、その背景には単純な需給バランスでは片付けられない、もっと深い構造問題が横たわっている。この問題を理解するには、まず日本のコメ市場の仕組みを押さえる必要がある。
過去、日本はウルグアイ・ラウンドにおける日米合意で、米国産のコメを毎年最低30万トン輸入することを義務付けられた。関税は当初試算で700%とも言われたが、現在は実効で200〜400%程度だ。それでも高関税に変わりはなく、国内農家を守るための政策だった。ところが、その輸入米は品質が高いにもかかわらず、ほとんどが人間の食用市場には出回らず、飼料用などに回されている。これは、米農家の経営を守るため、そしてその背後にある農村票を守りたいという政治的思惑が絡んでいる。
一方で、日本の米農家は長年、JA(農協)に集荷と販売を頼り、どれだけ品質の良い米を作っても価格は一定の枠内に抑えられていた。努力しても報われにくい仕組み、安定した補助金。この環境が、農家を骨抜きにしてしまった側面もあると思う。しかし近年、その構造に変化が起き始めている。インターネットの普及、直販型流通の広がりにより、農家が企業や消費者と直接契約する動きが加速したのだ。つまり、JAを通さない流通が増え、JAの集荷量は年々減少してきたのだ。
そのような背景の中、2022年ごろから「コメが不足するかもしれない」という不安がSNSを通じて広まり、一部の流通業者や消費者がコメを過剰に備蓄する動きが広がった。これによって市場に流れるコメが減り、需給バランスがさらに悪化したと考える。結果的にコメの価格は、1年で約2倍に跳ね上がったのである。
政府は備蓄米を放出して対応を試みた。しかし放出されたコメは主にJA全農など大口組織が落札し、小売りや一般流通にはあまり出回らなかった。さらに、備蓄米を落札した業者には「1年以内に同量を買い戻す」義務が課され、リスクを取ってまで流通させる動きが鈍った。つまり、価格抑制策は名ばかりで、現場ではほとんど効果がなかったのである。
(コメの今後)
さて、このような現状を受けて、これから日本の米市場はどうなるのか。未来には、大きく3つのシナリオが考えられる。正常シナリオ、構造化固定シナリオ、改革シナリオだ。
まず、正常化シナリオだ。7月以降に新米が順調に出回り、流通が正常化することで価格も徐々に落ち着くというシナリオだ。ただし、かつての安い水準には戻らず、少し高い価格帯が新常態となると推測する。
次は、構造固定化シナリオだ。高価格帯のブランド米市場と、大量供給型の低価格米市場が二極化し、農家も流通も消費者も分断される推測だ。高級志向と節約志向が、よりくっきりと色分けされる未来だ。
最後は、改革シナリオだ。コメ価格高騰をきっかけに、農業政策の大転換が進み、補助金構造の見直し、JAの市場支配の緩和、流通インフラの再設計が本格化する未来だ。これが実現すれば、農業が再び生産性の高い産業に生まれ変わり、コメの輸出も拡大する可能性が出てくる。
(利害関係者の影響)
これらの未来に対して、関係者にはどのような影響が及ぶのだろうか。まず農家だ。JA依存のままでは生き残れない時代が本格化するだろう。直販やブランド構築ができる農家は大きなチャンスを得る一方、旧来型に留まる農家は淘汰されるリスクが高い。JAにとっては、独占的な集荷・販売モデルが揺らぎ、組織改革や再編を迫られるだろう。単なる守旧派でいる限り、存在感は確実に低下すると思う。
流通業者は、単に安く仕入れて売るだけでは生き残れない。高付加価値型、ストーリー型の販売手法を磨き、消費者との接点を深める必要が出てくるのだ。
そして、消費者もまた、変化を求められる。安く大量に買うだけの時代は終わり、品質、ブランド、生産者との関係性を意識して米を選ぶ時代がやってくるのだ。
最後に政府は、これまでのように場当たり的な対応では済まされない。農政改革を本気で進めなければ、農業そのものが国内外の競争に取り残され、食料安全保障という国家の根幹を揺るがしかねないのだ。
(でも、結局は元の鞘)
ここまで、日本のコメ市場をめぐる現状と未来を整理してきたが、率直に言えば、今回の価格高騰をきっかけに、劇的な変革が起きる可能性は高くないと見る。未来のシナリオとしては、大規模な農政改革や流通構造の大転換ではなく、「正常化」シナリオに落ち着く可能性が高いと思う。
つまり、新米が出回る7月以降、コメの流通量は徐々に回復し、価格も次第に落ち着く。ただし、かつてのような安い水準には戻らず、5kgあたり3000円前後、従来の1.2倍から1.5倍程度の価格帯で定着するだろう。
国は、根本的な改革には動かない。その理由ははっきりしている。今でも日本には、農業に従事する世帯が約100万戸存在し、この票は政治的に無視できない重みを持っているからだ。自民党を中心とする政権にとって、農業票を失うリスクを冒してまで、農政に大ナタを振るうインセンティブはない。
JAもまた、内部に葛藤を抱えているはずだ。中央のJAと地方JAの間で、方向性について温度差がある。しかし、いざ方針を決めるとなれば、多数決や組織防衛本能が働き、地方JAを守る方向へ動くことになるだろう。結果的に、農家を守るという名目のもと、現状維持が優先され、市場の構造的な歪みは温存されることになる。
つまり、「少しだけ変わったように見えて、本質は何も変わらなかった」そんな未来が、静かに、しかし確実に訪れる可能性が高い。これがThis is NIPPONなのだ。
(過去の記事)
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「コンサルの思考技術」
「実践『ジョブ理論』」
「M&A実務のプロセスとポイント」
旧暦コラム 視察がてら季節を楽しむ
2025年4月26日
早嶋です。今回は、福岡から唐津、伊万里、有田、佐世保と視察を済ませ、外海方面に長崎に。途中の寄り道を表現しました。
唐津、伊万里を抜け、峠道を越えていく。眼下に広がる棚田は、まだ水を張る前の硬い黒い土だった。いまは旧暦でいう「穀雨」の頃。春の雨が田畑を潤し、種まきや田植えの支度を促す季節だ。これから田んぼに水が満ち、初夏へ向かう支度が静かに始まる。
この日は、ある商業施設の視察を兼ねた道中だった。日常の延長にありながら、国道沿いや住宅街など、人の暮らしに欠かせない場所だ。そんな現場をいくつか見て回る合間に、思うがままに車を止めた。
佐世保へ向かい、石岳に登る。九十九島の眺めは、春霞にやわらかく包まれていた。晴れ渡った輪郭もいいが、ぼんやりと滲む島影もまた、静かに心に染みてくる。旧暦の季語でいえば、「霞深し」とでも言いたくなる光景だった。
西海橋を渡り、外海へ。海は、穏やかだった。遠藤周作が「沈黙」で描いた、あの舞台。波も音も最小限にとどまり、ただ黙ってそこにある。そんな海だ。遠藤周作記念館にも足を運んだ。館内はさらりと見て回り、海を眺めながら著書に触れられる空間に腰を下ろす。窓の外に浮かぶのは、大角力(おおずもう)、小角力(こずもう)と呼ばれる島々。潮の香りと静かな光のなかで、言葉にならない時間がゆっくりと流れていた。
その夜は実家に泊まる。両親の顔を見て、いつものように庭に出る。これからぐんぐん伸びる草木を、少しだけ剪定する。無心でハサミを入れるうちに、心も静まっていく。西に沈む夕陽が、じんわりと肌を焼き付ける。夕暮れの光も、旧暦でいえば「春の名残」。一日一日が、確かに、夏へと歩みを進めている。
田んぼには、間もなく水が張られるだろう。棚田も、九十九島も、外海も。春から初夏への歩みを、静かに、しかし確かに進めている。
新規事業の旅173 次の時代の生存戦略
2025年4月24日
早嶋です。5200文字です。
ユヴァル・ノア・ハラリの著書、「NEXUS」を読んだ。これまでの著書、「サピエンス全史」「ホモ・デウス」「21 lessons」を私の解釈で整理した。
「NEXUS」は、情報の本質と人間のつながりを整理した内容だ。人間は、今、膨大な量と種類の「情報」に囲まれ生きている。かつて人間は、見たこと・聞いたこと・触れたことのある範囲の中で世界を理解していた。しかし、技術が進化し、AIが情報を生成する時代に突入した今、人間は自らの目で全てを確かめることも、正しさを保証することも困難な状況に陥っている。
ハラリのこれまでの著書と、今回の「NEXUS」を読んで、私なりに人間がどのようにして情報とつながり、どのようにして虚構と現実を切り分けてきたのか、そしてこれからの時代において人間はどのように情報と向き合っていくべきかを整理する。虚構を信じて発展してきた人間は、AIとともにどこへ向かうのか。そのヒントを、ハラリの「ネクサス=つながり」は紐解いている。
(情報は「事実」ではなく、「解釈」である)
人間は日々、膨大な「情報」に囲まれて生きている。しかし、その情報の本質は何かと問われると、多くの人が「事実」や「真実」と混同する。だが本来、情報とは「誰かがある出来事や状況をどう見たか」という解釈にすぎない。
たとえば、「今日、雨が降った」という一文も、それが「どれくらいの雨だったのか」「いつ、どこで」「誰にとって都合が悪かったのか」などによって、まったく違う意味を持つ。同じ出来事でも、伝える人や受け取る人の視点によって「情報の意味」は変わるのだ。
このような情報の相対性は、インターネットやSNSの登場によって加速した。個人がメディア化し、情報が個人から個人へ、瞬時に拡散されるようになり、もはや「正しいこと」よりも、「共感できること」や情報の受け手が「聞きたいこと」「知りたいこと」が求められるようになり、真実の境目が薄れていった。
たとえば、SNSでバズる投稿の多くは、専門的な正確性よりも、「ウケること」や「共感されること」に重点が置かれている。「これってあるあるだよね」「その気持ち、わかる」と感じる情報こそが拡散され、多くの人の目に触れる。そこには事実の厳密さよりも、感情の共有が根底にある。
たとえば、選挙演説でも、政策の中身より「わかりやすい言葉」や「敵をつくって味方を鼓舞する構図」が好まれる。そのような情報を拡散したほうが、同じような共感する人間に知れ渡ることを政治家が理解しているのだ。そのため、正しいかどうかではなく、納得できるか、心が動かされるか、が重視されている。
つまり、現代において情報とは、「人と人とをつなぐための道具」として機能しているのだ。「これってわかる」「自分もそう思う」という感情の共有や、仲間との共鳴を生み出すこと。それが、情報の最も大きな役割になってきた。もはや情報の正確性や真偽よりも、「どれだけ人とつながれるか」「どれだけ共感を呼べるか」が重視される時代なのだ。
(小集団から広域社会へ:理解の限界と統治の発明)
人類の歴史の大半において、私たちは小さな集団の中で暮らしてきた。顔が見える距離にいて、日々の生活や経験を共有し、誰かが話す内容は他の人も体験していた。だから、情報の内容に対して全員がある程度の共通理解を持ち、対話や合意が成立していた。
しかし、農耕の拡大、人口の増加、都市の誕生によって、集団の規模が飛躍的に大きくなると、全員がすべての事象を体験することが不可能になる。地理的に離れた場所で起きていることや、専門性の高い事象について、共有された経験を前提とした対話はできなくなったのだ。
この時、人間はある課題に直面する。「自分が理解していない情報について、どうやって意思決定に関わるのか」という問題だ。ここから、人類は統治の形を発明する。ひとつが民主主義であり、もうひとつが全体主義だ。
民主主義は、個々の自由を尊重しつつ、重要な意思決定を「話し合い=合議」によって行う。しかし、合議の前提には「合議する参加者の議題に対する一定の理解」が必要である。情報の複雑性が高まり、誰もが内容を深く理解することが難しくなると、投票や選挙の判断は「正しさ」ではなく、「印象」や「好感」「共感」でなされるようになる。
一方で、全体主義は「すべてを理解するのは無理だから、誰かに任せる」という構造だ。統治者が解釈し、決定を下す。大多数は従うだけで済む。その分、効率は良いが、統治者が誤った判断をしても、訂正する仕組みが働きにくい。
このようにして、情報を「共有できる範囲」を超えたとき、人類は「どう意思決定をするか」という課題に対し、民主主義と全体主義という対照的な仕組みを生み出したのだ。
(物語と文字:情報伝達の進化)
人間が「情報」を他者に伝える手段として、もっとも古くから行ってきたのは話すことであり、そこには「物語」があった。単に出来事を列挙するのではなく、登場人物、因果関係、感情を交えながら語られるストーリーは、聞き手の記憶に残りやすく、理解もされやすい。
たとえば、「昨日、北の谷で獣が出た」というだけでは、聞いた人がその情報をどう受け止めるかはまちまちだ。具体性も乏しく、注意喚起としては弱い。一方で、「昨日、狩りに出た仲間が北の谷で巨大な牙を持つ獣に遭遇し、あと一歩で命を落としかけた。逃げ延びたものの、恐怖で声も出せず、今も震えている」と語れば、場所・状況・感情を含めて立体的に相手に伝わる。
このように、人は「出来事そのもの」よりも「物語として語られた出来事」の方に強く反応し、情報を理解する。だからこそ、人類は太古からストーリーテリングによって情報を伝えてきたのだ。
しかし、物語には欠点もある。語る人によって内容が少しずつ変わり、やがて事実と異なるストーリーへと膨らんでいくことだ。人から人へ伝わるうちに尾ひれがつき、全く別の話になってしまうこともあるのだ。
この限界を補うために、人間は言葉を記録する手段を発明した。最初は粘土板や刻印、やがて羊皮紙、そして紙へと発展し、最終的に活版印刷が登場することで、「記録された情報」が広範囲に、そして安定して伝達されるようになった。そして、「何が書かれているか」が「誰が語ったか」よりも重視されるようになり、次第に情報の民主化が始まった。
人間は、ストーリーで伝える柔軟さと、文字で残す確実性、そして情報の公開性という三つの武器を手に入れた。それは情報の進化であり、人間の思考と社会構造を変える大きな転機となったのだ。
(解釈者の権威化と全体主義への転換)
情報が開かれると、再び過去に起きた、新たらしく古い課題に直面する。それは「情報をどう解釈するか」だ。同じ文章を読んでも、解釈は人によって異なる。そこで人々は、情報の意味を「教えてくれる」存在を求めた。宗教のラビ、政治思想のイデオローグ、企業のカリスマ経営者など、「解釈者」が生まれた。現在は、文章を理解出来なくても音声や動画では理解できる人が多く、紙媒体はデジタル媒体になり動画や音声での理解が一定の割合で加速する。
しかしやはり、情報そのものよりも、「誰が語ったか」が重視されはじめるのだ。こうして特定の人間に対して「正しい解釈者」とされる人物が現れ、情報の解釈に関する疑問は排除される。しかし、その解釈が正しいかどうかは重要ではない。そのため、仮に解釈が誤っていても訂正そのものがされない状態が続くのだ。
結果として、情報の民主化が進んだ先で、解釈の独占と支配、しいては全体主義が生まれやすくなるのだ。ただし、すべてがそうなったわけではない。情報を開いたまま多様な解釈を認める、民主主義的な社会も当然に残る。そこでは、議論と訂正が可能であり、変化を受け入れる柔軟性がある。この両者の違いは、情報や判断に対して修正できる構造かどうかにある。
ただ、人間は自ら問いを立て疑問をもつよりも、受け身になって自分が信じる解釈社の言う事を聴いていたほうが楽なことを知っている。そのため、全体主義的な状況に身を置く人間が増え、民主化で互いに議論と訂正をする行動をとる人間がマイノリティになるのだ。
そしてAIが登場する。何が正しいか、誤っているかが不明瞭な時代のAIの登場は痺れるくらい危険もはらむのだ。
(AIと情報の氾濫:判断不能の時代へ)
「正しさとは何か?」という問いに対して、人間は長い間、経験や対話によって答えを模索してきた。一方で、多くの人間はその問いすら考えることもなく過ごしていた。しかし、いよいよ、その問いを考え続けた人間にとっても、根本的に構造が変わる時がきたのだ。
SNSの普及によって、人は「正しい情報」ではなく、「誰とつながれるか」を重視するようになった。情報の内容は重要ではなく、「それ」によって得られる共感や仲間意識が優先されるのだ。そのような環境では、たとえフェイクニュースであっても、信じたい物語に近ければ簡単に受け入れてしまう。或いは、既に多くの人間はフェイクかリアルかの意識を持たないまま、感情や自分が属する場、つまり所属によって関係構築をする道具そのものが情報になっているのだ。
そしてAIが加わった。AIは意図や倫理をまだ持っていない。目的の達成のために、大量の情報を瞬時に生成し発信することができる。その気になれば、発信した情報に対して、あたかも人間が対話しているように場の雰囲気を作り、その情報を活用した場を深め拡散することも可能だ。そしてその精度と速度は人間の認知能力を遥かに超えている。
結果、世界には「事実かどうか」がわからない情報が今に比較にならないほど溢れ、人々は何を信じてよいか分からなくなっていくのだ。それは情報社会の進化の行く末に、判断不能な社会の到来が始まるのだ。
(分断される人間社会:理解できる者と、流される者と)
このような情報環境では、人々の間に新たな分断が生まれる。或いは、既に生まれていたがその境が明確になる。情報を批判的に扱い、AIを理解して活用できる人々と、情報に流され、何も考えずにこれまで通り過ごす人だ。
前者の理解できる者は問い、調べ、判断し、テクノロジーを使いこなす力を持つ。他方、後者の流される者は、情報に流され、何が正しいかを考えることもしなくなる。もちろん出来ない。情報の量と複雑さに圧倒され、感情や関係性で無意識に受け入れるのだ。
この分断は、AIによる情報量の爆発に人間の処理能力が追いつかないこと、そして情報リテラシーや教育環境の格差に起因していると思う。「情報を構造的に理解し、活用できる人々」と「感情で反応し、情報に依存する人々」このような対立が生まれるのだ。そして、これが格差そのものの因果になり、社会に大きな影響力を及ぼすだろう。一部の人々はAIを駆使し、他者を支配しうる。しかし、同じ技術で救うこともできる。理解できる者のモラルは非常に重要だ。
人類は今、分断の渦中にいる。どちらに進むかは、人間の選択、それも理解できるもののモラルににかかっているのだ。
(情報とともに生きる:私たちはどこへ向かうか)
AIが無限に情報を生成し、真偽の境界が曖昧になる今、人間は情報とどう向き合えばよいのか。鍵は、「自ら問う力」だ。与えられた情報を鵜呑みにせず、その背景や意図を問い、自分にとっての意味を考えることだ。また、情報を他者と共有し、対話を重ねる姿勢も必要だ。異なる意見に耳を傾け、多様な視点と接することで、偏りから自由になれる。
AIやSNSをただ恐れるのではなく、正確な情報の見極め方と使い方を学び、つながりを育みながらも、誤った情報に流されない判断力を持つこと。それが、これからの時代の知性である。
人間は、進化の過程で「虚構を信じる力」を手にした。それこそが、他のホモ属との決定的な違いだった。神、国家、貨幣、制度。いずれも目に見えないが、人類はそれらを信じることで、大規模な協力と社会制度を築いてきた。
しかし今、その「虚構を信じる力」が新たな危機を生んでいる。AIが作り出す無限の物語と、人々の信じたい気持ちが重なり、現実との境界が曖昧になっているからだ。虚構を信じて発展してきた人間が、今度はその虚構によって崩壊しかねない状況にあるのだ。
だからこそ、これからは「虚構に耐性のある人間」が生き延びるかもしれない。目の前の現象に向き合い、検証し、問い続ける力。それこそが、次の時代の生存戦略なのかもしれない。虚構を活かすも、囚われるも、人間次第なのだ。
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新規事業の旅172 青を焼くか、重ねるか。文化と技術の対話の先。
2025年4月23日
早嶋です。
パリスダコスタハヤシマの時計づくりは、ある一つの懐中時計から始まった。それは、創業者の一人、トムのもとに代々受け継がれてきたロンジン製の懐中時計。6時位置に小さなスモールセコンドを備え、美しいブルースチールの針が、静かに時間を刻んでいた。その深く落ち着いた青の輝きに、私たちは心を動かされた。この「青」を、自分たちの時計に宿したいと考えたのは、ごく自然な流れだった。
しかし、私たちの時計にはマイクロローターを採用しているという背景がある。これはムーブメントの薄さや軽さを追求した結果であり、ドレスウォッチとしての機能性を高める選択だ。一方で、青焼きに使われるスチールは、帯磁のリスクを完全には排除できない。ムーブメントの近くに磁性を持つパーツを配置することに、私たちは慎重だった。
さらに、私たちの時計では針だけでなく、インデックスやブランドロゴ、さらにはムーブメントの一部パーツに至るまで、「紺碧(こんぺき)」という色をテーマとして統一したいという意志があった。つまり、針だけが「青焼き」で他の部位と色調がズレると、時計全体の調和が失われてしまう。
こうして私たちは、青焼きのもつ美しさと歴史性に敬意を払いながらも、PVD(物理蒸着)によって青を再現するチャレンジを始めた。
だがそれは、簡単な道ではなかった。青焼きのような「深く、光の角度で表情を変える青」をPVDで再現するには、素材と膜厚、蒸着温度や下地処理のすべてを調整する必要があった。均一すぎると冷たく見え、濃すぎると黒く沈む。薄すぎればグレーになり、表情を失う。
何度も試作を繰り返し、ようやく私たちは「これだ」と思える紺碧の青にたどり着いた。それは、火によって焼かれた青とは異なるが、同じく時を重ね、深まる色だった。
この選択は、「伝統を捨てた」ことではない。むしろ、私たちが伝統と誠実に向き合ったからこそ、たどり着いた技術であり、そこに文化と技術が対話する瞬間があったと、今は思っている。
青を焼くか、重ねるか。その問いの先に、私たちは「なぜ青にこだわるのか」という答えを見出した。それは、日常にこそエレガンスを──というパリスダコスタハヤシマの哲学そのものなのだ。
ーー
To Burn or to Layer — A Dialogue Between Culture and Technology
The story of Parris DaCosta Hayashima begins with a single pocket watch.
An heirloom Longines piece, with a small seconds subdial at six o’clock and elegant heat-blued hands that had quietly measured time for generations.
We were drawn to that deep, dignified blue.
It wasn’t just color—it was a feeling. A memory of craftsmanship.
Naturally, we wanted to bring this shade into our own timepieces.
But our watches feature a micro-rotor movement, chosen for its thinness, lightness, and everyday comfort.
This design decision also made us cautious—traditional blued steel carries a risk of magnetism, which could subtly affect movement performance over time.
More than that, our vision was to express a unified tone—Konpeki blue—not just on the hands, but also on the indexes, logo, and even certain components inside the movement.
We wanted the watch to feel complete, harmonious.
But with heat-blued steel, each part would age differently, and color consistency would be hard to maintain.
We realized: traditional bluing wouldn’t serve our purpose of elegant daily wear.
That’s when we began our challenge:
Could PVD (Physical Vapor Deposition) achieve the same emotional depth as heat-bluing—without its limitations?
The answer was not immediate.
Reproducing that soft, shifting blue was anything but simple.
We tuned the substrate, adjusted vapor pressure, played with film thickness, and watched countless samples under natural light.
Too dark? It turned black.
Too pale? It lost its voice.
Too smooth? It felt lifeless.
But eventually, we arrived at something that moved us.
A blue that held depth, warmth, and subtle change.
It wasn’t fire-forged. But it felt alive.
Choosing PVD wasn’t a rejection of tradition.
It was, instead, a conversation with it.
An attempt to carry its values forward—with precision, durability, and quiet beauty for modern life.
So in the end, it’s not about burning or layering.
It’s about why we choose blue at all.
And for us, that reason is clear:
To bring a sense of elegance into the everyday.
To craft something timeless—not only in form, but in spirit.
This is the blue of Parris DaCosta Hayashima.
Rooted in history. Realized through technology.
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新規事業の旅171 増加する組織再編
2025年4月21日
早嶋です。
最近、非上場を含めた中堅・大企業の中で、グループ会社を再編・統合する動きが目立つようになってきた。これは一部の業界に限った現象ではなく、製造業、建設業、物流業、食品業など、多様な業種で進んでいるように感じる。実際に、私の関与する案件の中でも、10年前にはほとんど話題に上がらなかった組織統合や会社再編が、今では年に複数件あるのが当たり前になってきた。
その背景には、いくつかの大きな構造的な理由があると思う。まず、人材不足だ。特に、管理部門やバックオフィス業務に従事する人材の確保が難しくなっている。人が足りないのであれば、各子会社で経理、人事、総務を個別に持つ意味が薄れてくる。むしろ一元管理し、スリムに運営する方が合理的なのだ。
次に、DX(デジタルトランスフォーメーション)対応の圧力がある。複数の子会社がバラバラのシステムを使っていると、IT投資は無駄が多く、データも統一できない。グループ会社を統合し、同一のERPやクラウドツールを使えば、コストも下がり、業務スピードも上がる。特に、最近のERPはグループ連結でのKPI管理やモニタリングが容易になってきているので、経営としての意思決定が加速するのだ。
資本効率という観点も大きい。100%子会社であれば、再編は比較的スムーズにいく。しかし、少数株主がいる場合には、交渉や価格評価が必要になる。資本の集中や、遊休資産の見直しを行うためには、子会社を統合してガバナンスを強化し、資本政策を見直すという流れが不可避なのだと思う。
また、最近はM&AやIPOを視野に入れている企業が増えている。グループ会社がバラバラのままでは、評価が分散してしまうし、投資家からの印象も良くない。事前に事業再編を済ませておくことで、バリュエーションが明確になり、外部資本を導入しやすくなるのだ。
一方で、組織再編は簡単ではない。100%子会社であれば、法務手続きと税務整理を進めれば良いが、マイノリティ株主がいる場合はそうはいかない。特に未上場会社では、株式価値をどう評価するかが大きな論点になる。DCF法、類似会社法、簿価純資産法などが使われるが、結局は「いくらであれば納得するのか」という実務交渉が中心になる。
実際の現場では、まず経営陣や親会社が第三者評価を取得し、交渉のたたき台をつくる。その後、少数株主に対して説明し、場合によっては買い取りオプションやExitボーナスなどを設けることで納得を引き出す。フェアネス・オピニオン(第三者の公正意見書)を取得することも増えている。
さらに、統合後のPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)も重要だ。人事制度、給与体系、評価制度、システム、ブランド統合が終わってからが本番である。お飾りの統合ではなく、実際に効率化やシナジーが出るように設計していなければ、従業員の不満や退職を招くだけで、逆効果になる。
一方で、再編を行う上で実務家として気をつけておきたいのは、株主間契約やExit条項の設計だ。スタートアップ投資などで使われるタグアロング(マイノリティが、親会社と同じ条件で売却に参加できる)、ドラッグアロング(親会社が合併・売却を決めた際、マイノリティも強制的に同条件で売却させることができる)条項や、プット・コール(将来の一定条件のもとで株式を売る権利(プット)または買う権利(コール)を定める契約条項)オプションをあらかじめ設定しておくことで、再編時の対立を防ぐことができる。
特に、外部ファンドやベンチャーキャピタルが株主になっている場合、合併や株式交換による価値変動に対する期待値とリスクのコントロールは最も重要な交渉項目になる。そのためには、段階的に持分を引き上げておく戦略や、持株会社化して株式の希薄化を避けるなど、複数の再編スキームを組み合わせて検討する必要がある。
つまり、グループ会社の統合は、単なる「コスト削減」の話ではなく、人材の最適化、IT資産の効率運用、資本構造の見直し、そしてガバナンス強化という、極めて戦略的な取り組みなのだと思う。目先の合理化だけではなく、数年先を見据えて、統合後の価値創出まで含めたストーリーを描けるかどうか。これが再編の成否を分けるのだと私は考えている。
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旧暦コラム そうだ、明日山に行こう!
2025年4月18日
早嶋です。
今週は月曜日から鹿児島でした。昨日の夜、福岡に戻ると僅か3日の時差なのに春が近づいている気がした。鹿児島に行く前の週末の朝、筍を掘りに近くの野山へ出かけた。目立って出ている筍はなく、ようやく土から頭を出した二本を見つけたに過ぎない。あれから一週間。明日は穀雨。
たしかに今日は湿度が高く、雨が降って地面を潤すほどでもない。けれど、山の匂いが少しずつ変わってきている。あの空気の底に、土が膨らみはじめる気配がある。明日はもう一度、筍を掘りに行ってみようと思う。今度は、地面の下から一気に伸びてくる気がする。探すことなく、破竹の勢いを感じられるだろう。そういう季節の気配だ。
筍というのは、まるで生き物のようだと思う。掘る人の気配を感じているかのように、ある時はひょっこりと顔を出し、ある時は黙って地中で待っている。油断していると、一晩で手の届かない高さまで伸びてしまう。そして、最近はイノシシとの奪い合いだ。幸いなことに近くの野山は市が管理しており、住宅地の中にポツリと残された自然なので競合相手がいないのだ。それでも、「今しかない」という、あの感覚は今の季節を感じる。
春という季節は、どこか焦らせてくる。花は咲くけれど、すぐに散る。若葉は芽吹くけれど、気づけば初夏の色に変わっている。筍もそう。掘れる時はほんのわずか。しかも、良い筍ほど見つけにくい。けれど、そんな一瞬を追いかける暮らしが、なんとも贅沢だと思うようになった。
スーパーに行けば、一年中たけのこ水煮が手に入る。でも、朝の山に入り、湿った土を手でかき分けて、「あ、いた」と静かに興奮する。そのひとときが、筍をもっと美味しくしてくれるのだ。実際に美味しく変えるのは妻の腕なのだが。
新規事業の旅170 AとBのジレンマの処方箋
2025年4月18日
早嶋です。約2700文字です。
(AとBのジレンマに陥る理由)
組織において、「A=重要だが成果がすぐに出ない取り組み」と「B=目の前の成果が出る取り組み」という構造は、現実的には常に並存している。そして多くの組織において、AとBは戦略的に使い分けられることなく、結果的に両立せざるを得ない構造に陥っている。その背景と要因について、整理する(詳しくは前回のブログも参照して欲しい)。
まずは、A(長期的かつ不確実な取り組み)が機能しない理由だ。個人の能力ややる気に起因するものではなく、組織構造に根ざした問題で、次の4つに集約される。
1組織文化(風土)
失敗を許容しない文化、完璧を求めすぎる空気が、Aのような不確実な取り組みを着手困難にしている。Aに取り組むことで、結果が曖昧になることや未完成な状態を見せることが、組織内で「やっていない」「失敗している」と見なされる恐れがあるため、A自体が避けられるのだ。
2評価制度
Bのように成果が明確な業務は評価しやすく、評価制度はBを前提に設計されている。一方で、Aの取り組みは評価軸が曖昧で、途中経過やプロセスが可視化されにくいため、評価対象にならない。そのため、人は合理的にBを優先する。
3危機意識の欠如
かつてはBだけで成果を出せる時代が続いた。しかし今は、構造的な変化の中でAの重要性が高まっている。しかし、「いま変わらなくても目先は安定している」という集団的錯覚によって、Aへのシフトが遅れているのだ。
4リソース配分
人材・時間・予算などの限られたリソースは、評価されやすく成果が見えやすいBに集中しがちである。その結果、Aに取り組む余白がなくなり、たとえ志があっても動けないという状態が生まれる。
(AとBが結果的に「両立せざるを得ない構造」になるのか)
上記の4つの要因は、単独ではなく複合的に組織に作用している。そして、たとえ意識的に「Aに専念しよう」としても、日々のB(業務・対応・成果)から完全に切り離すことは困難である。
たとえば、組織の評価制度がBで構成されている限り、Bをこなさないと組織内での信用を失う状況がある。たとえば、リソース配分においてAに割り当てられるのは「余剰」や「空き時間」になりがちで、実際にAを行うリソースをどうやっても工面できない。たとえば、上司や周囲の空気がBを優先していると、Aの着手に対して罪悪感すら生まれる。上司は将来の重要性の意識はあるが、上司すらも短期的な成果でしか評価されない現実がある。
その結果、AとBは戦略的に分離されず、同じ人がAとBを兼務するという構造が常態化するのだ。Aに取り組むはずの時間も、Bに押し流される。兼務体制が前提となると、Aが進まない理由はより強化され、やがて「Aに着手できない構造そのもの」が常態化する。
(処方箋としての5つの提案)
この構造的ジレンマを打破するために、以下の5つの実践的解決策を提示する。これらはすべて「Aに時間とエネルギーをどう確保するか」を意図している。
1:Aの進捗を「見える化」し、可視的な成果として扱う
OKRやKPIをA用に設計する。途中経過や仮説の数、アウトプット数などを定量化する。そして、経過毎のレビュー頻度を設けて、「やっている感」「進んでいる感」を組織的に育てることだ。
たとえば、新規事業開発では、企画書のドラフト数、ユーザーインタビュー件数、仮説検証レポートの本数を週単位で可視化している企業がある。これにより成果が出る前の「動いている状態」が定義され、評価されやすくなる。
2:A専用の「オフサイト時間」をつくる
月に2回とか、週に1回半日とか「B業務を禁止する」時間帯を設けるのだ。Aに取組む場所も社外にするなど、非日常的な空間で思考を構造的に切り替える取組だ。
たとえば、IT企業では「イノベーションフライデー」として、毎週金曜午前を既存業務から切り離し、リサーチ・アイデア創出・外部イベント参加に使う時間として制度化している。場所もあえて本社から離れたコワーキングスペースを用いているなどがある。
3:仮の締切や発表機会を設ける
完成度に関係なく、中間レビューやラフ発表を設けることで、行動のモチベーションと緊張感を創り出すイメージだ。
たとえば、ベンチャー企業では「月1ピッチ大会」を実施し、構想段階の事業アイデアや調査進捗を社内外にプレゼンする機会を設けている。これにより、日常のB業務に埋もれがちなAを「発信前提」で進める文化が醸成されるようになる。
4:チームで進める共有型のAプロジェクト化
Aを個人任せにせず、チームで持つことによって放棄や停滞を防ぐ。他者の目があることで質も進捗も上がるだろう。
たとえば、製造業のある企業では、R&Dテーマに関して3人から5人の「構想小隊」を組み、週次でブレストとタスク分担を実施している。共有責任化により属人性が薄れ、継続性が構造的に高まっている。
5:Aに関する役割・称号を明示する
「Aリーダー」「未来企画担当」など、役割を組織内で明確に定義することで、時間と行動の根拠を持たせるのだ。
たとえば、広告業界の企業では「イノベーション推進役」という職名をあえて与え、毎週10時間を未来構想に費やすことを正式な業務として認めている。周囲の認識も変わり、Aの取り組みが「業務」として定着している。ある中堅企業ではSDGsの取り組みに対して、若手選抜メンバをトレーニングして「SDGsリーダー」という役職を与えた。業務の10%相当の時間をチームで取り組めるようにしている。
(両立の幻想を捨てる)
ここまでの議論で明らかになったのは、AとBを兼務させると、ほぼ確実にBが勝つ構造が存在するということだ。だからこそ、本来的には「分けるべき」である。しかし、分けられない現実の中では、「構造そのものを変える仕組み」が現実的だ。
もちろん、トヨタのような大企業は、資源の豊富さゆえにAとBの両立が可能になる。すなわち、資本とは時間と多面性を買う力があるのだ。中小企業やスタートアップにとっては、むしろ「今はBで堅実に、将来Aをやる」とか、「Aに賭けて一点突破する」など、戦略的選択と集中が求められる。
是非、みなさんも部下を観察しながら問うてみて欲しい。自分の組織は、「いま本当にAをやろうとしているか?」 それとも「やっているフリの中で、Bに流されているだけなのか?」AとBは呼吸のように交互に必要だ。だが、その呼吸を組織として設計できるかどうか。それが戦略の核心であり経営者の役割だと思うのだ。
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新規事業の旅169 重要な取組が出来ない構造
2025年4月17日
早嶋です。2800字。
組織の中で、明らかに「重要」と認識されているのに、なかなか進まない仕事がある。たとえば、部下の育成計画、新規商品の企画、新規事業の構想や調査等だ。いずれも短期的に成果がでにくく、長期的な成果を見込む仕事である。ここでは、これをAとしよう。一方で、日々の業務やルーティン、定量目標の達成など、すぐに成果や評価に結びつく仕事は、誰もが必死にこなしている。これをBとしよう。
Aは必要だと頭ではわかっている。しかし、ついBに時間を奪われてしまう。このような構造的ジレンマを「AとBのパラドックス」として整理してみる。このパラドックスは、どんな組織にも存在しており、ますます深刻で、戦略的に重要な課題として浮上している。
(AとB、二つの仕事の本質)
まず、AとBの違いを明確にしておこう。Aは「組織の中で明らかに重要と認識されているが、なかなか進まない仕事」。Bは「日々の業務やルーティン、定量目標の達成など、すぐに成果や評価に結びつく仕事」。AとBは「どちらが重要か?」という問題ではない。どちらも重要で、どちらかだけでは組織は成り立ちにくい。
問題は、Aをやりたくてもやれない構造が組織内にあることだ。そして、その構造を自覚しないまま、組織はAを後回しにし続け、結果的に持続的な成長が難しくなっていく。
A:長期的に重要だが、すぐに成果が出ない仕事。成果が不確実/評価されにくい/習慣化しにくい。
B:目の前で重要で、すぐに成果が出る仕事。成果が明確/評価されやすい/習慣化しやすい
(Aが機能しない組織の構造的な原因)
読者の組織で、Aに相当する仕事は何があるだろうか。そして、その根本的な原因は何だろうか。20年間、さまざまな業種・業界、規模の大小の組織を観察してきて、私はその理由が大きく4つに集約されると考えている。すなわち、文化(組織風土)/評価制度/危機意識の欠如/リソース配分の失敗である。
文化(組織風土)
これは、失敗が許容されない文化や、完璧を求めすぎる空気が、結果としてAを妨げている。あるいはAの着手を、極端に高い壁のように勘違いさせる個々人や組織のマインドがある。Aは成果が不確実で、評価されにくい。前例が無いので習慣化されにくい。従い、Aに取り組んでいる場合、中途半端な取り組みや、失敗するチームのように思われるのではないかと、過度に恐れてしまう。
評価制度
Aに取り組んでいること自体が評価されない組織では、そもそも誰も動かない。Bは数字で評価しやすいが、Aはプロセスや途中経過を評価する設計が必要だ。さらに、Aは「どのような状態になれば成功か」という定義すら曖昧なままのことが多い。多くの組織が、短期成果偏重の制度に収束してしまっている。評価されない仕事であるがゆえに、誰もAに時間を割かなくなるのだ。
危機意識の欠如
そもそも、Bの仕事だけをこなしていれば、給与が安定して得られた時代があった。しかし、社会は変わった。多くの人が、Aの必要性を「なんとなく」感じている。だが、Bをやっていれば目先の未来は安定するという幻想にとらわれている。Aの必要性が高まっているにもかかわらず、組織内ではその温度感にズレがある。それがAの停滞を引き起こすのだ。
リソース配分の失敗
上記の3つの流れの結果として、人材も時間も予算も、目先の成果が見えるBに投下される。経営陣も含めて、Aに必要な「余白」の概念を理解できず、作れない構造になっている。そのため、Aの仕事にかける量も回数も期間もバラバラになり、何をやっても成果が出ないように見えてしまう。
そう、Aを妨げるのは、能力ではなく構造なのだ。
(Aだけをやる組織、Bだけをやる組織)
主力事業が成熟もしくは衰退期に差し掛かっている企業は、AとBの両立を目指すことが多い。だが、意図的にAのみ、あるいはBのみを行う組織も存在する。
Aを徹底するのは、主に起業フェーズやイノベーション企業だ。仮説を立て、未来を見据え、形のないものを信じて動く。これはとても尊い営みだと思う。だが、成功すればするほど、Aで生まれた製品やサービスがBに変わる。商品が売れるようになれば、非線形のイノベーションよりも、線形的な改善やオペレーションの効率性、そして拡張が求められるようになる。すると、組織は知らず知らずのうちに、Aの取り組みが弱まり、Bの効率と再現性に最適化されていく。
逆に、Bだけを続ける企業もある。「変わらないこと」を強みにする戦略だ。たとえば、日本の地方銀行や地場の中小企業などが該当する。さらに大きな組織でも、戦略的にBを続ける場合がある。トヨタなどはその好例で、B(ハイブリッド)を軸に据えつつも、A(Woven City、水素、電気自動車)にも継続的に投資している。
そして興味深いのは、“30年以上Bを続けてきた「日本そのもの」”だ。今、世界が変調をきたす中で、日本の存在が浮かび上がってきている。変化が美徳とされた時代に、「変わらないこと」に価値が出る局面が生まれている。グローバル化・IT化・資本主義の先鋭化を突き進んできた諸外国が混迷する中、日本のように変化を最小化してきた社会が、「安心」「秩序」「清潔」「安全」として再評価されているのだ。観光、農業、製造業、文化財など、「守り続けてきたこと」が強みに変わる、希有な例と言えるかもしれない。
(戦略提言:資源量に応じてAとBのバランスを変える)
冒頭で述べたとおり、AとBは「どちらが重要か?」ではない。両方ともに必要だ。問題は、Aをやりたくてもやれない構造を持ってしまうことだ。そして、構造がそれを許さない場合には、明確にどちらかに振り切る必要がある。
組織としてAとBを同時に追うには、それなりの資源が必要だ。トヨタは、既存の強いB(オペレーション)からキャッシュを生み出し、それを原資として未来志向のA(Woven City、水素自動車、電気自動車)に投資している。いわゆるPPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)理論を、極めて合理的に体現している。
一方で、資源が限られた中小企業やスタートアップは、AかBのいずれかに戦略的に絞るべきだ。両方を中途半端にやれば、どちらも成果を出せず、やがて組織が疲弊してしまう。だからこそ、今はBで耐えて資本を貯めるのか、それともAに賭けて未来の市場を先取りするのか、戦略的に決断することが求められる。AとBを曖昧に共存させるのではなく、意図的に選択し、明確に言語化して組織全体で徹底することが重要なのだ。
AとBは、対立する概念ではない。呼吸のように、変化と定着、探索と深化のリズムで、組織を循環させるものだ。問題は、それを意図的に設計できているかどうか。AとBのバランス、そして「いま自分たちはどちらをやるべきなのか」という問いを、静かに組織の中で問い直す時期に来ているのだ。
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