新規事業の旅139 やり抜けない人材排出の背景と打ち手

2024年9月13日 金曜日

早嶋です。8,000字です。

スタートアップ界隈では、グリッドややり抜く力、簡単な言葉では行動力や実行力が必要とされている。当たり前の取組なのに、何故にここまで企業で必要とさるのだろう。複数の視点から掘下げたいと思う。アナログとデジタル、日本における過度な平等主義、地理的影響と経済規模が及ぼす影響等から、挑戦しない人々を増産する日本があるのでは無いかと思う。

(アナログとデジタル)
アナログの特徴は、何かを習得するためにも膨大な時間と労力がかかり、全体像を把握するのが難しい。試行錯誤を繰り返し、手作業で何度も修正することで成果に到達する過程が重要視される。そう、下積みや忍耐が成果の基盤となる特徴があるのだ。一方で、デジタル技術は、アナログのデメリットを補い、時に破壊する。失敗した場合はリセットすると基に戻る。良いものがあればコピペが可能。時間が足りなくなれば、途中保存ができ、時差をおいて、そこから継続が可能だ。既存の仕組みをコピペして、更に改善できる。アナログでも同様の取り組みは可能だが、一定の時間と労力がかかった。デジタルはそれと比較して、圧倒的に手間暇がかからない。開発や成長が劇的に早なるのだ。効率的かつ迅速に成果を得れるのが特徴だ。

夏の終わり。小学生の夏休み自由研究展を見に行った。毎日、気温をつけて何処かの定点観測をする。その結果をパワポで作成してデジタルデータとして提出する。デジタルで行えば、場所と日時を指定すると過去の気温や天気データはすぐに手に入り、それらを表形式にまとめて印刷すれば出来上がる。全国にある小学校の中で同じ名前や地名の小学校を調べて、一覧にした研究があった。全てnetで情報を検索して、写真も現地ではなく、net上の写真を借用している。アイデアがあれば、作成の時間はかからない。

大局的に、毎日、アナログの気温計を見て計測している作品もあった。アナログの温度計を定点に置き写真を取る。毎日の天気の推移を朝、昼、夕に記録して写真と共に、毎日の気づきをコメントしている。そして、それらの結果を模造紙いっぱいにまとめた作品だ。他にも、全国の県庁所在地を調べて夏休みが始まった頃から終わりの時期までに、全てを実際に回り、県庁所在地のスタンプを押した作品があった。考察等はなかったが、手間と暇と金がかかった作品に見入った。概念的には同じ取り組みだが、デジタルの取り組みとアナログの取り組みで取り組みと学びのアウトプットが大きく異なる。

(過度な平等主義)
日本社会では、過度な平等主義が強調され、努力やスキルの違いに関わらず、全員に同じ機会や結果を与える傾向が強まっている。結果、成果よりも公平さが優先される文化が形成され、挑戦や努力を避ける風潮が生まれている。

現在の小学生の日常は、そこら辺の大人よりも忙しいかもしれない。習い事のオンパレードで学校から帰って「ぼーっ」とする時間がない。しかし、その習い事をみてみると、何のために行っているのかが意味不明な取組が多い。大人の満足、親の自己満足の結果ではないかと思う。スポーツではサッカーやバスケが人気だ。昔は子どもの習い事は親の関与があって成立していたのもある。いまのは、親は何もしないで良いクラブが人気だ。練習も優しく、誰でも参加できる。そこに属する限り、厳しいことも、嫌なことも言われない。指導者は専門の教育を受けていて、スポーツ心理学等に精通するも、親の満足を得ることに重きをおいた事業モデルだ。見た目は、子どもの底力を伸ばすと言っているが、努力と苦しさを伴わないスポーツと勝敗にこだわらない試合から何が得られるのか疑問が残る。そして、子供が取り組んでいる姿を親が見ていない。子供は何が嬉しいのだろうか。

私の子供達はソフトボールにはまっている。軟なクラブでは無いが、自治体のボランティアが軸となるので、練習は土日のどちらかに週に1回程度しかない。それでも勝つ楽しさ、練習して成長する実感を得ている。長男は4年生の終わり頃から、次男は2年生から。チームは人数は少ないが、それでも時々、近くのリーグに参加して20点以上も点差をつけられ負ける日々を経験してきた。始めはキャッチボールもままならない状態が、やがて相手のヒットを捕球して、1塁ベースに投げてアウトを取れるようになる。フライも取れずにランニングホームランになっていた時期も沢山あった。攻撃から守備になると相手バッターは1巡も2巡もして、長い辛い時間が続いた。5年生と3年生になる頃には、対戦相手に勝つことは少なくても、少ない点差での負け。そして、バッティングも守備も一応ソフトボールの体を成す状態まで上達する。時々ナイスプレーが出て、勇気をもらう。練習がない日は、兄弟で試行錯誤してソフトボールを楽しんでいる。今、6年生と4年生だが、遠方のリーグ戦に招待で呼ばれ、準優勝まで勝ち進むようになった。当たり前の練習を繰り返し、練習試合や試合で実際の経験を積みながら失敗を繰り返す。勝ち負けにこだわることで、負けたときの悔しさを次の練習や試合に活かすための取組を考えて行動する。ルールを理解しながら、ミスが出た場合のフォローを互いに行い、声を掛けを合いチームで守りチームで攻める。勇んでバットを全力で空振りし、果敢に飛び込んでエラーした経験が全て身になっているのだ。

練習に参加して、下手でも試合中に道具を整理し、声を出してチームを激する。そのような子供は、必ず試合に出れる。しかし、入って間もない子供や練習に参加しない子供は上手でも試合に出されることはない。これは平等ではなく公平だ。誰でも条件無しにスタート地点に立てる世界は無い。能力の得て増えて。親や何らかの金銭の有無。社会的な地位の有無。様々な障害があってスタートする。いきなり楽する世界はない。全ては地道な意味が無いと思いがちな行動の積み重ねで、その行動と蓄積が後で開花し糧になるのだ。

(ソーシャルメディアの成功と誤解)
世界人口の多くの方々が、WebやSNSにリーチできるようになる。世界中に成功する人々の話が毎日話題にのぼる。SNSでは成功体験や結果だけが強調され、若者は「短期間で簡単に成功できる」と誤解しやすくなっている。デジタルの世界は、途中を早送りして、結果をみて全てを分かったつもりになる。本当に理解し、習得した取組を何かに応用するには、途中の泥臭い試行錯誤の連続に意味があることの体感が得られない。SNSやデジタル情報は、努力やプロセスが見えにくいため、長期的な取り組みや挑戦に対する意欲が低下し、結果ばかりを追い求める風潮が助長されているのではないか。

マラソンを始めた頃。10キロどころか、数百メートル走っただけで、喉が血の味になり息ができなかった。足は重たくすぐに筋肉痛だった。そこでまずは毎日運動する、あるいは動くということから始めた。大学までバスケをしていたが、仕事をしはじめて10年も立てばいいおじちゃんになっている。昔を過信するのは辞め、ゼロから基礎を作るときめた。普段運動をしない成人男性が急激にトレーニングをすると動きに筋肉が追いつかずに、諸々のパーツが破損して怪我する。地味に毎日30分動く。2週間頃から、動く時間を60分に増やす。そして1ヶ月。ようやくカラダが運動するベースになってきて、60分の毎日の運動の中に軽いジョギングを取り入れる。それでも通して走らない。また1ヶ月続ける。その頃から、足やカラダの筋肉が運動できる基盤ができはじめる。そこから軽いジョギングやダッシュを取り入れる。始めは10キロのレースに出て、次にハーフ。そしてフルを完走する。カラダができてきたら定期的にフルに参加して、年に1度のペースでウルトラにも参加できるようになる。走っている瞬間を切り抜くと簡単なようだが、毎日のトレーニングをサボるとすぐに、ペースが落ち、筋力が落ち、取り戻すのに10倍くらいの時間が必要になるスポーツだ。

SNSでブームになると、すぐにできると思ってしまう。悪いことではない。コロナがあけてマラソンブームは終息しつつあるが、その前はすごかった。明らかに練習していない個々人や団体がこぞって大会に参加して、リタイアの繰り返し。途中リタイアは大会関係者に途方もない迷惑をかける。特にウルトラやトレイルのようにコースに用意にアクセスできない場所でのリタイアは危ない。SNSをみて、練習もしないで自分が走れると思うのだろう。試し食いして、やっぱり辞めたと、何か別の取組を始める。このような人たちを一定数観察することが増えたと思う。

(グローバル化と地理的条件)
フィンランド、スイス、韓国、台湾のような小規模な国々は、国内市場が限られている。そのため、国際市場への進出が生存と成長のために不可欠だった。また、これらの国々は技術革新や輸出に力を入れ、グローバルな競争力を高めてきた。一方で、日本は大きな国内市場を持ち、内需だけで一定の経済成長が可能だったため、外部との競争や国際化に対する動機が他国ほど強くなかった。これが、日本の競争意識や挑戦意欲の低下につながった可能性がある。フィンランドや韓国の国際化戦略と、日本のガラパゴス化の対比は諸々比較されうるとおりだ。

更に、日本の地理的条件が競争意識の低さに影響していると考える。日本は島国で、海で囲まれている。他国からの直接的な脅威や侵攻を受けるリスクが比較的少なく、歴史的にも内向きな発展が可能だった。この安全性が、外部との競争を避ける意識を強化してきた可能性がある。縄文弥生にかけて多くの渡来人が日本に来たことが分かっているが互いに喧嘩することなく日本人として交わり温和に暮らした文化を持つのだ。一方で、北欧や欧州の国々は、地理的に隣接し合っているため、常に他国との競争にさらされている。特にEU加盟国間では、協力と競争が共存し、外部とだけでなく、内部での競争も強く意識さざるを得ない。

普段、国内で生活をしていると海外を感じることは少ない。コロナ前頃から国が観光に力を入れてインバウンドを連呼し、都市部や観光エリアには一定の外国人がいるが田舎にはまばらだった。それが、人手不足になり外国労働者が日本で安住の地を求め様々なインフラの仕事を手伝って頂けるようになった。しかしここ数年の日本の国力ダウンと、日本語という障壁の高さから、そのような方々もドイツやフランスなど英語が通じる国にシフトしている。定期的に海外に行き、物価の違いを観察するがコロナ後は加速した。日本は給与は安いと言われるが、安全面、人的資源の教育やモラル等を鑑みて、多くの教育コストや安全コストが不要なため、高い品質で商品を提供できる面もある。それが日本クオリティであることを理解している人はかなり少ない。日本以外の条件や立地、実際の商品レベルを比較することがないからだ。つまりは、国内で仕事をしているだけで一定の経済を保てることができているからなのだ。

(マイノリティへの迎合)
近年、組織内での心理的安全性を確保することが強調されている。自由な空間で知的な仕事をするためにはとても大切な取組だ。しかし、言葉や概念が取り違えられている。失敗やリスクを避ける文化にフォーカスされ、挑戦や新たな取り組みに消極的な傾向を強めているのだ。小学校のリレーは、勝敗がつきにくいような工夫をしている。みんなでゴールして、みんな1位のような体験に美徳をおいている。熱中症のリスクが高まり、小学生は当たり前に学校に水筒を持っていく。給水器やミネラルウォーターを完備する私立も沢山ある。でも、日本の水道水は品質が高くて飲んでも問題ないのだ。ちょっと怪我をすると、すぐに責め立てる親がいる。学校の先生の威厳が下がり、一部の声の強い親の意見が正当化される。

観光地や生活エリアの中で、危ない場所が少しでもあれば、バリケードが張られ、パイロンを立てまくり、壁面はコンクリートで固める。自然の調和など無視して、アスファルト天国とコンクリート天国を作りまくるので、水の逃げ道がなくなり都市部では雨が降るたたびに水浸しを作っている。

危ないところで危ないことをすると怪我をする。当たり前だ。台風が来ている時に、外に出て傘をさすと風で飛ばされる。自分の住んでいるエリアが危ないのかどうなのか。不動産を買う際や、賃貸をする際に、自分の判断で選んでいるはずだ。なのに、政府や自治体の対応が悪いと言い、役人はその声に従う。

住宅地の公園でボール遊びをして、子供がはしゃぐと、近くの老人が文句をいう。「先に公園があり、後で住宅ができているでしょう?」「あなたが同じ年の頃、同じように遊んだでしょう?」記憶が無いのを言いことに、老害に目を向け、将来の子どもの可能性を潰す策に走る。

長いものに巻かれ、声の大きい人に従い、勝手に空気を読んで、行きにくい世界を作る。その中で出来た環境は心理的な安全性とは程遠い。

(変わらぬ教育制度)
日本の教育制度は10年ごとに見直しが行われているものの、戦後の基本的な枠組みが大きく変わっていない。基本は、詰め込み型の知識重視やテスト中心の評価システムに依存し、個々の創造性や批判的思考を育てる面では不十分だ。テストや試験で結果を重視し、プロセスよりも結果だけを評価する傾向。若者は結果だけを重視し、過程や努力が軽視される傾向をインプットされるのだ。社会に出ても同様の文化が続くことで、長期的な取り組みが敬遠されるようになるのだ。

ギブアップ症候群と誰かが名付けた。すぐに辞めるのだ。デジタルの即時性に慣れている若者は、長期的な目標に対しての忍耐力が不足している。目標達成までのプロセスが長いと感じた瞬間に諦めてしまうのだ。挑戦する以前に、そのプロセスを少しでも感じた瞬間に一歩目を踏み出さないのだ。日本は豊かで、外部との競争が少なかった。国内市場での成功だけで生活が成り立っていた。英語苦手意識が影響し、国際的な情報やトレンドにアクセスする機会が限られた結果、日本独自の文化やビジネス慣行が形成され、ガラパゴス化した。地理的・経済的に守られた空間として機能し、外に出なくても生活できる社会が長く続いた。過度な平等主義が広がることで、努力や挑戦をせずとも生活が成り立つ社会が形成され、挑戦意欲や競争力が低下した。30年。

(得意な分野と成長の一手)
アナログからデジタルへの移行、日本における過度な平等主義、グローバル化の影響、教育制度、ソーシャルメディアなどの多様な要因が組み合わさり、若い世代において「挑戦しなくても良い」という風潮が強まっている。日本の地理的・文化的背景が、外部との競争を避けつつも、経済的には一定の成功を収めてきたことで、さらに挑戦意欲が低下している。これらの要因が現代日本社会における挑戦不足の一因となっていると考えられる。

一方で、マイノリティ分野では日本人、特に若者の活躍が著しい。サッカー、野球、バスケットボール、テニス、ゴルフ、卓球、バトミントン、スケボー、ブレイキングダウン等々。皆が顔と名前をすぐに上げられる選手のオンパレードだ。建築や現代アートの世界も、料理やスイーツの世界でも著名な方々が次々に誕生し世の中にインパクトを与えている。アニメや漫画の世界だけではなく、様々な分野で世界レベルで活躍する若者も増えているのだ。

何が因果かわからないが、文科省が絡んでカリキュラムを作り、それを標準化し義務教育で提供した瞬間から得意な成果が出せない人材になるのではないかと思う(ただし、国民のレベルを平均に底上げする取組に関して文科省は大いに成果を出している)。スポーツや芸術などの、クリエイティブの領域では、ラッキーなことに関与が薄い。ゲームやアニメ、料理に至っても同じだ。これらを加味したら、いくつかの打ち手が見えて来る。

まずは、管理からの開放だ。能力の開発は自由の中から生まれるのではないか。という大胆な取組はどうだろうか。文部科学省が管理する教育制度から独立するのだ。私学でも、独学でも、吉田松陰の私塾でも良い。伸ばしたい分野があれば、より自由な環境で子供や若者の情熱を追求させるのだ。そこには他からの強制ではなく、自己主導的な学びや挑戦の場になる。ベンチマークは地域一番ではなく、常に世界のトップレベルをみていく。他者との競争や創造性をも自ら発揮することが可能な領域ができる。個人の才能や努力が伸びやすくなると思う。柔軟かつ個別化されたアプローチが、若者の成長に必要な要素だと思うのだ。

突出する人材を育てるのであれば実力と結果に重きを置くのだ。スポーツや芸術の世界では、なんだかんだ言っても結果が全てだ。そこには実力主義が厳しく適用される。これらの分野は、過度な平等主義よりも、個々の能力が重視されるため、挑戦や努力の価値が明確に評価される環境が整う。一定の分野で秀でた能力を開花させたいのであれば個人の能力や努力が正当に評価される仕組みを取り入れることも考えて良い。挑戦意欲を喚起できる可能性がある。

頂点の視点と柔軟な思考も鍵だと思う。日本人が活躍している分野はどれも世界レベルだ。だとすると、グローバルな競争が前提となる。若者が早い段階から国際的な視点を持ち取り組んでいるのだ。地域の大会で優勝とか眼中にはない。小さなステップとしては大切だが、早い時期からグローバルの環境に身を置き、そこで戦うこと切磋琢磨することを当たり前にするのだ。もちろん道具として、言語や文化の壁を越える力が必要になる。机上や本で学ぶ知識と違って、現場で実践することで役立つ技能になる。特にデジタル時代では、オンラインを通じて世界中に発信することも、世界中とやり取りすることも可能だ。柔軟な教育をカリキュラムで提供するのではなく、柔軟な仕組みを始めから取り入れることだ。

そして最後に、子供が将来を作る。若者が将来の鍵だというのであれば、徹底的に個別のキャリア形成と自由な環境を設計し提供すべきだと思う。1年生のカリキュラムはこれ、これは習っていないからばつなどの発想は終わっている。能力を始めから潰しているようなものだ。もちろん、人間関係や道徳心などの一定の知識に対しては横並びは良いと思うが、突出させたい分については、フルオーダーで組んでしまう。音楽やアート、アニメ、スポーツなどの分野は、固定されたキャリアパスがない。個々人が自分で道を切り開くことが求められる。この自由度の高い環境は、自己表現の場として非常に魅力的で、若者に挑戦の機会を与えていく。その鍵は個別対応なのだ。

なんだかんだ言ったが、日本の教育は全体的に平均的な成果をあげている。そして、個別には世界レベルで活躍する若者を多数輩出している。モラルの高さや品格、礼儀正しさは、This is 日本というべき世界に誇るべき特徴だ。このバランスが、日本の教育システムの一つの成功例だとすると、もっと出る釘が打たれないような、非迎合的な思想と実践のインストールを助長すべきだと思う。

全てにおいて道徳や社会的規範の教育は更に力を入れる。どんなに秀でていても常に上がいると謙虚に考えひたむきに努力する。この背景は、礼儀正しさや高いモラルであり、グローバルな舞台でも好意的に受け入れられる要因となっている。平均的な部分を維持しつつも、特定の分野においては教育制度含めてゼロベースで見直し、そこは個別にキャリアを構築する機会と支援を与えることが次の10年移行を開発する一助になるのではないかと思う。

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