華麗なる小さな国 ルクセンブルグ

2011年1月2日 日曜日

ルクセンブルグ。きっと、国の名前だと知っている日本人は少ないでしょう。ドイツのどの地方?と聞こえてきそうです。ルクセンブルグは、ドイツ、フランス、ベルギーに囲まれた小さな国です。面積は佐賀や神奈川と同じくらい。

首都はルクセンブルグ。四方を切り立った谷に囲まれた独特の地形は、その地を見なければ想像がつかないほどユニークです。訪問した季節は12月だったので渓谷の新緑をみることができませんでしたが、谷に掛る橋を渡った旧市街はタイムスリップしたような中世の街並みが広がっていました。

ルクセンブルグ、世界最高水準の豊かな国でもあります。これは1人あたりの国内総生産において世界トップの座を維持しつづけていることからわかります。国内総生産が高い国はカタールなどの産油国がありますが、ルクセンブルグは先進工業国であり金融で栄えています。

ルクセンブルグの経済は毎年4%から5%の範囲で推移しており先進国としては例外的な高成長を遂げている国の一つです。また、フィンランドのように福祉国家ではないにも関わらず、失業率も良好に推移しています。また国内の所得差が北欧の国々並みに小さいという特徴を持っています。

かつてルクセンブルグは鉄鋼で栄えていました、アルベット製鉄会社。この名前を聞いたことがなくともアルセロール社はご存じだと思います。歴史的には第一次世界大戦でのドイツの敗北により、ドイツがそれまで所有していた製鉄業がフランス、ベルギー系に渡ります。このタイミングでルクセンブルグの工場にも大きな資本が投入され、アルベット社は、当時としては世界的にも有数の製鉄会社でした。

アルベット社(現アルセロール社)の成長が経済大国の基礎を築いていきますがオイルショックを契機に低成長に突入します。この頃より、ルクセンブルグは産業構造の変換を行います。金融サービスをはじめとする第三次産業にシフトしたのです。実際、現在のGDPに占めるサービス業の割合は8割程度あります。

2006年、インドに本拠地を置くミタルスチール社のアルセロール社買収は鉄鋼衰退の象徴的な出来事でした。ただし、現在でも合弁後のアルセロール・ミタル社の本社機能は、ルクセンブルグにおいています。アルベット製鉄社の前で写真を撮りましたが、アルセロール・ミタル社の本社とは知らずに、帰ってから知ったのでした。もっと調べておけばよかったと思います。

他の製造業としては、科学や繊維、自動車部品、プラスチック、ゴムと言った分野でも実績があるようですがかつての鉄鋼ほどの影響力はないようです。また、隣の国のベルギーはダイヤモンド取引が中心とあって、ダイヤモンドの加工などの産業もちらほらあるようです。

そして工業製品として忘れてはいけないのが陶磁器です。ビレロイ&ボッホ社。ルクセンブルグに工場を置き、ハプスブルグ家の御用達となったことから世界的に名声が広がりました。メード・イン・ルクセンブルグ。名前を聞いたことがない人でも、器を見たら、ああーと思うでしょう。日本では百貨店を中心に取扱があるようです。それから、結婚式の引き出物として好んで選ばれています。ビレロイ&ボッホ社、陶磁器として世界最大規模を誇る売上高です。

ルクセンブルグ市の旧市街を取り巻くように走るロワイヤル通りにモダンなビルが立ち並んでいます。これらの全てが銀行の建物で、ルクセンブルグには140以上の世界中の銀行が集まっています。鉄鋼が陰りを見せ始めること、国策として金融センターを目指したのです。1960年代以降です。

金融間系の人から聞いた話ですが、ルクセンブルグ市の昼間人口は500万人で、夜間は100万人まで減るそうです。フランス、ベルギー、ドイツなどの隣国からルクセンブルグにやってきて仕事をこなしてはまた帰る。ルクセンブルグの外国人比率が40%であることを考えると納得できます。ルクセンブルグの金融業は、特にユーロ圏におけるプライベート・バンキングの中心地で、世界的に見てもスイスに匹敵する規模があるそうです。金正日氏の隠し財産の半分もルクセンブルグの銀行に預けられているとか。銀行の秘密保持は法によって保証され、欧州地域内での資本も自由に移動できるのです。

ルクセンブルグの金融ビジネスは、国全体として30万人の労働人口に対して、7万人近い雇用を生み出しているので、労働人口全体の2割をカバーしていることになります。

ルクセンブルグ市が世界有数の金融都市に発展した理由に国民が外国語を自由に話せることが考えられます。母国語の他にドイツ語とフランス語を殆どの国民が話します。小学校1年生でドイツ語、2年生でフランス語を習います。英語は日本の中学校に相当する課程で学びます。従って、殆どの人はルクセンブルグ語、ドイツ語、フランス語、そして英語を話すという流暢な国民なのです。

金融国ルクセンブルグに発展した理由に、地理的な要因もあるでしょう。ヨーロッパの心臓のような地理に位置し立地条件も最高に良いところのような感じをうけました。アジアで言う香港やシンガポールのようなロケーションでしょう。また、ヨーロッパ連合の強力な推進国であったことも影響しているでしょう。ルクセンブルグは、1921年にベルギーと経済同盟を結び、1944年にはベルギー、オランダ、ルクセンブルグの三ヵ国でベネルクス関税同盟を創設します。後の欧州共同体の第一歩となった同盟です。1970年に欧州通貨統合の概念を具体的に提案したのも当時のベネルクスの首相です。

ベネルクス市の郊外には欧州共同体裁判所、会計監査院、統計局など、数多くのEU機関があります。1986年には単一欧州議定書がルクセンブルグで調印されています。

小さな国なのに、豊かな国。それを国策として形成しています。小さいゆえに官僚主義がはびこらず、煩わしい手続きがいらないのでしょう。ルクセンブルグは先進国の中でも税率が低い国です。更に銀行の利子税もありません。金融取引上の規制の緩さも企業やリッチな個人には魅力的でしょう。実際に数多くの国外企業の誘致に成功しています。スカイプ、eBay、アップルなどのネット関連企業。日本では帝人、ファナック、楽天などが欧州本社を置いています。

これまた金融機関の人から聞いた話ですが、上記のような上から本社機能があるといっても実際は事務所と電話とスタッフが数人。という企業も珍しくないといいます。この点、他国からは事実上のタックス・ヘブンだ!と非難されたこともあるみたいです。実際、ロンドンから毎日飛行機でかようビジネスパーソンもいるとか。そんなことをしてもルクセンブルグに会社をおくことがメリットになるのですね。

ルクセンブルグは最近まで大学を持っていませんでした。ルクセンブルグ大学が設立されたのは2003年。それまでは、大学に行く人は、小学校から高校まで徹底的に語学も学び、国外の大学(ベルギー、フランス、ドイツ、オーストリア、イギリスなど)に行ったのです。理由は、自前でインフラを整えるよりも大学に行く学生に奨学金を出した方が効率よくかつ経済性が優れていたからです。大学の考え方も実に合理的な国だったのです。

ルクセンブルグ。小国な国なのにリッチ。これはルクセンブルグ市の旧市街を少し歩けばすぐに納得します。通りの隅々に世界中の超高級ブランド品のブティックが軒を連ねています。日本ではめったにお目にすることが出来ない食器、時計、衣類、アクセサリー。ちょっとした路地裏のお店に専門店があったり。ウィンドウショッピングをしているだけで飽きません。ルクセンブルグはミシュランガイドにおいて国民1人あたりの星の数が世界一という実績も、豊かな国であることが理解できるとおもいます。実際、ミシュランガイドのステッカーを貼ったお店を何気なく目にする機会が多数ありました。

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