早嶋です。約6400文字です。
日本の「失われた30年」と呼ばれる時代の正体は何か。日本だけが停滞した理由、一人あたりGDPが他の先進国に比べて伸びなかった理由。現時点での早嶋の仮説だが、ある程度体系立てて整理できていると思う。今日は、その中でも「労働時間」と「一人あたりGDP」の関係について、少し詳しく書いてみる。
(高度成長期の労働時間)
日本の高度経済成長期、そしてバブル前夜までの1980年代を思い返すと、当時の日本人は長く労働した。実際、データを見ると、1970年代半ばで全年齢平均の年間労働時間は2000時間を軽く超えていたし、企業によっては2200時間から2300時間くらいが普通だった。もちろん当時の残業の実態は今より遥かに曖昧で、企業文化として残業前提で設計されている部署も少なくなかった。つまり、公式統計で2000時間前後という数字が出ていても、実感ベースでは明らかにもっと働いていたと考えられる。
この頃の日本は、世界が驚嘆するほどの勢いで経済的な力をつけた。1975年、一人あたり名目GDP(ドル換算)は4,674ドルだったが、その後の20年間で44,000ドルへと急伸した。約10倍だ。もちろん、これは円高ドル安の影響もあるし、ドル換算の数字は為替に大きく左右されてしまう。しかし、それを差し引いても当時の日本が質と量の両面で圧倒的に強かったことは、確かな事実だ。産業構造で言えば、自動車、電機、半導体、鉄鋼、造船、繊維機械、どれをとっても高い競争力があった。大企業が設備投資を重ね、生産計画がうまく回り、熟練技能が蓄積されていくという、日本型経営の強さが最も輝いていた時期だ。
(75年から95年:「時間は減り、生産性は跳ねた」時期)
ここでポイントになるのは、1975年から1995年の日本では、すでに労働時間が減り始めていたにもかかわらず、一人あたりGDPは伸び続けていたということだ。実際、OECDのデータを参照すると、就業者1人あたりの年間実労働時間は1975年の約2000時間台から1995年には1880時間前後に減っている。約9%の減少だ。それでも経済は伸びた。理由は、1時間あたりの付加価値が飛躍的に伸びたからだ。
米国連銀(FRB)がまとめている実質GDP/労働時間のデータでは、1970年に約13ドルだった日本の1時間あたりの生産額が、1989年には約26ドル近くまで跳ね上がっている。名目のドル換算で見るとさらに差は大きい。当時の日本企業は、自動車、電機、半導体、鉄鋼など世界のトップクラスで競いながら、設備投資も積極化し、工場の自動化、品質管理、研究開発、熟練技能の蓄積という生産の仕組みそのものを強化し続けていた。働く時間は減ったが、その減少を上回る速度で、1時間あたりで生み出す価値が増えたのだ。この20年間で起きたことは、単なる景気の良さではなく、日本経済そのものの質的な進化だったのだ。日本は、量ではなく質で成長するモデルを、この時期、75年から95年頃に確立していたのだ。
ところが、1995年を境に状況は大きく変わる。1995年の日本は世界経済の勝ち組だった。円は94円前後の超円高で、ドル換算のGDPは世界最高レベル。ソニーやトヨタは世界の象徴であり、日本の生活用品や電子機器が世界を席巻していた。しかし、この年をピークに、日本の成長エンジンは止まり始めた。
(95年以降:時間だけが先に減っていく)
1995年から2023年までの間に、年間労働時間はさらに15%減少する。これは1975年から1995年までの9%減と比較しても、かなり大きい。働き方改革が本格化する前からも、既に日本は働く時間を減らす方向へ動いていた。さらに、2000年代以降の少子高齢化で働き手そのものも減少している。総労働時間という意味で見れば、日本はこの30年で相当量の労働投入を失っている。
その相当量の労働投入はどのくらいか。少し粗いが計算してみた。まず、就業者数は実はほとんど変わっていない。1995年が約6700万人、2023年が約6800万人だ。表面上の差はないが、働き方の中身は変化している。
1995年の就業者一人あたりの年間労働時間は1884時間とされている。一方、2023年の年間労働時間は1611時間ほどだ。この差は273時間。率にして15%の減少だ。では、この「一人あたり△273時間」の変化が、国全体の総労働量に換算するとどれほどの影響になるのか。単純に「就業者数 × 年間労働時間」で総労働量を推計できる。荒い計算だが、この方法でおおまかな全体像がつかめる。
1995年は、就業者6700万人に対して1人が1884時間働く。だから、
6700万人 × 1884時間 = 約1.26兆時間。
これが1995年の日本の「総労働時間」だ。
次に2023年。就業者はほぼ同じ6800万人前後だが、一人あたりの労働時間は1611時間に落ちている。同じ方法で計算すると、
6800万人 × 1611時間 = 約1.10兆時間
となる。
つまり、日本全体で見ると、1995年の1.26兆時間から、2023年には1.10兆時間へと、およそ1600億時間の労働が消えたことになる。率にすると13%ほどの減少だ。1600億時間という数字は、日常感覚では大きく掴みにくい。たとえばフルタイム換算すると、フルタイム労働者が年間およそ1850時間働くと仮定すれば、1600億時間は、
1600億時間 ÷ 1850時間 = 約800万人。
つまり、この30年の間に、日本全体ではフルタイムの働き手が800万人いなくなったのと同じだけの労働量が失われた計算になる。就業者数はほとんど変わらない。にもかかわらず、労働量は800万人分も消えているのだ。この構造が、日本のここ30年の経済を理解するうえで重要なポイントだと思う。人数が減ったのではなく、労働時間と働き方が変わった。しかも、人口の高齢化とともに、働く時間が短い層(高齢者、女性、パートタイム)が全体の比率を引き上げている。その結果、見た目の「就業者数」は横ばいだが、実際の「総労働量」は大きく減るという現象が起きているのだ。
数字を追うと、この構造はとてもシンプルだ。労働時間が273時間減り、それが6800万人分積み重なるから、1600億時間という巨大な差になっている。日本がこの30年でどれほどの労働の総量を失ってきたかが、より明確に見えてくる。
(95年以降の「時間あたり生産性」をどう見るか)
では、1995年以降の日本の時間あたり生産性はどうだろう。ここも丁寧に整理すると、状況がさらに明確になる。1995年から2023年までのおよそ30年間で、日本の時間あたり名目GDPは1.3倍ほどになっている。数字としては悪くはない。OECDの労働生産性統計を見ても、日本の「GDP per hour worked」は主要国の中で中位に位置し、決して極端に低いわけではない。だが問題は、その伸び率だ。
1975年から1995年の20年間では、同じ時間あたりGDPが3倍近くに伸びていた。これはFRBの「Real GDP per hour worked」のデータでも、1970年の約13ドルから1989年に26ドル超と、実質ベースでも倍増していることから裏付けられる。
しかし1995年以降は、伸びが止まっている。OECDの時間あたりGDP(PPPベース)で比較すると、1995年から2023年の日本の伸びは約20〜25%にとどまる一方、同時期の米国は約60%、ドイツも50%前後で伸びている。つまり、日本は絶対値が低いのではなく、相対的に成長していない、と言えるのだ。これは経済学で言えば、全要素生産性(TFP)の伸びが弱い状態が長期化していた、ということになる。
(TFPの概説)
TFPは、経済学の概念で少しとっつきにくいが、実はとても素朴な概念だ。端的に言えば、TFPとは「同じ人数と同じ設備を使って、どれだけうまく生産できているか」を表す指標だ。つまり、人とモノという分かりやすい要素では説明しきれない、目に見えない力を数字にしているにすぎない。
企業でも国でも、生産というのは大きく三つの要素で決まる。ひとつは働く人の数や時間、もうひとつは機械や設備の量、そして最後に、仕組みや技術、現場の工夫といった要素だ。TFPはこの三つ目、つまり労働と資本では説明できない「残り」を測る指標だと言える。
生活の例で考えると分かりやすい。同じ材料、同じ人数で料理をしても、段取りの良い人が作れば早くできるし、工夫のある人が作れば味が良くなる。キッチンの動線が整っていれば作業は格段に速くなる。材料も人も同じなのに、成果が違う。この違いこそTFPだ。段取り、工夫、レシピの質、組織の賢さ。こうした見えない改善の総体が、TFPという数字に姿を変えて表れている。
経済の長期的な成長を支えているのも、実はこのTFPだ。人口が増えなくても、設備投資が頭打ちになっても、技術が進み、働き方が工夫され、組織が賢くなることで、生産性は伸び続ける。アメリカの経済が粘り強い理由も、TFPの底堅さにある。逆にいくら人を増やしても、設備にお金をかけても、働き方や仕組みが変わらなければ生産性は上がらない。1995年以降の日本がこの状態だ。人と設備の投入は一定あるのに、やり方が変わらず、TFPが伸びていない。
だからTFPとは、単なる統計用語ではなく、「工夫」「技術」「仕組み」「組織文化」「マネジメントの質」など、企業や社会の総合力の象徴だと言える。目に見えるものではないが、国や企業を長期的に豊かにする根本の力がどこにあるのかを示してくれる指標だ。
(TFPが伸びなかった三つの理由)
では、なぜTFPが伸びなかったのか。わたしは、要因を三つに分けて見ている。
1つめは、産業ミックスの変化だ。1990年代後半から2000年代にかけて、日本は製造業の海外シフトを大幅に進めた。これは円高下での最適化としては合理的だったが、問題は「どの工程を海外に出したか」だ。本来国内に残すべき高付加価値の工程、たとえば研究開発、設計、工程設計、品質保証、試作などのコア技術までも同時に外へ持っていってしまった。経済学の生産関数で言えば、「技能資本」「知識資本」「組織資本」といったストックが国内で積み上がらず、TFPを押し上げる内生的なメカニズムが弱まったということだ。
その結果、国内にはサービス産業が比率として大きく残った。だが日本のサービス業は、国際比較で見ても価格が低く、値付けの文化が30年間ほとんど変わっていない。飲食、理美容、小売、介護、宿泊、交通など、生活サービスはアメリカや欧州の3分の1から5分の1の価格帯で提供されている分野がいくつもある。こうした「低価格・低マージン」の構造は、資本装備率やIT投資を押し上げる余力を企業にもたらさず、結果として時間あたり生産性を押し上げる力を失わせたのだ。
2つめは、設備投資とICT投資の弱さだ。OECDデータで確認すると、1995年以降の日本のICT投資比率(ICT investment over GDP)は主要国の中で最も低いグループにある。米国は1995年以降、ICT投資を毎年強力に積み上げ、TFPの上昇を牽引した。日本は逆で、設備投資は横ばい、ICT投資も欧米の半分から3割程度にとどまった。結果として、装置産業が縮小し、労働生産性を押し上げる資本装備効果(capital deepening)が働きにくくなった。これは経済学的には非常に重要で、TFPが上がらないときに生産性を押し上げる唯一の道は資本装備率の上昇だが、それが起きなかったということなのだ。
3つめは、労働投入そのものの減少だ。日本の総労働量は、1995年の約1.26兆時間から2023年の1.10兆時間へと落ち込んでいる。差し引き1600億時間、13%の減少で、これはフルタイム労働者に換算すれば800万人分の労働が消えた計算になる。「就業者数はほぼ横ばいで変わらないのに、総労働量は大きく減っている」という構造が日本特有で、これは生産関数で言えばL(労働投入)が減っている状態だ。しかし、本来はここでTFPが相応に伸びればGDPは維持される。実際、1995年以前の日本は、労働時間が9%減ってもTFPが強く伸びたため問題にならなかったのだ。それが1995年以降は、労働投入が減り、TFPも伸びず、資本装備率も伸びずという三重の停滞が重なったのだ。
こうした背景から、1995年以降に「生産性のジャンプ」が起きなくなった理由が見えてくる。産業構造が変わらず、TFPを押し上げる要素が弱まり、価格を上げず、資本投資もしない。労働時間だけが減り、労働投入も減る。すると一人あたりGDPはどうなるか。横ばいになる。極めてシンプルな経済の話だ。表面的には「日本は生産性が低い」と言われるが、より正確に言えば「生産性の伸びが小さい」。そして、その背後には、30年間動かなかった産業構造と投資の不足、そして値付け文化の問題が横たわっている。つまり、日本は生産性が低い国ではない。生産性を上げられなくなった国なのだ。
(為替というもう一つのレンズ)
もうひとつ忘れてはいけないのは為替の存在だ。一人あたりGDPを国際比較するとき、ほとんどの指標はドルベースで見られる。これが日本の見栄えをさらに悪くする。
1995年は1ドル=94円という円高。2023年は1ドル=140円台の円安。つまり、同じ国内の付加価値でも、ドルに換算した瞬間に3〜4割も目減りしてしまう。だから、「日本の一人あたりGDPは世界的に低い」という見方は、半分は事実だが、半分はドルという物差しのせいで矮小化されている。
こう整理してみると、日本の30年間が「本当に停滞していたのか?」という問いそのものが揺らいでくる。しかし、より正直に言えば、日本は停滞していたのではなく「他国が急激に伸び、かつ日本は価格と産業構造を変えなかった」ために低く見えるだけなのだ。日本の一人あたりGDPが減ったのではない。他国が高くなり、日本は値付けを変えられなかった。それに円安が乗っかって、国際比較では小さく見えるようになったということなのだ。
(時間を増やす議論と、本当に変えるべきところ)
現在、国会では、働き方改革や36協定を見直して、労働時間を増やす議論をしている。つまり、労働時間を増やしてGDPを増やそうという魂胆だ。早嶋はこの問いに対して、「部分的にYES、しかし本質はそこではない」と考える。
確かに短期的には労働時間の総量を増やすことでGDPの底上げは可能だ。しかし、1995年以降の停滞の本質は、時間ではなく「付加価値単価が上がらなかったこと」にある。つまり、日本の企業が30年間「値段を上げる覚悟」を持てなかったということだ。産業再編を進め、規模の経済を働かせ、投資余力を作り、生産性を本当の意味で高めていく。そのうえで、サービス産業を中心に「値付けの文化」を変えていく。わたしはここが最重要だと思っている。
こうした議論をしていくと、結局のところわたしたちの経済の問題は「働き方改革のせいで停滞した」のではなく、「働き方改革より前に、産業が変わらなかった」というところに行き着く。1975年から1995年までは、時間を減らしても産業が進化した。しかし1995年から2023年までは、産業が進化しないまま、時間だけが減り続けた。その違いだ。
時間を増やすかどうかではなく、付加価値を高められる産業構造に変えていくかどうか。その方向性こそが、本当の意味での成長戦略だと考える。









