早嶋です。3300文字。
2025年、アメリカで静かに進行している異変がある。
それは、「学歴のある若者が、仕事に就けない」という現象。大学を卒業しても就職できない。あっても自分の学位や期待する水準とはかけ離れた職場。しかもそれが一部の地域や業種の話ではなく、広範囲にわたって起きている。つまり、これは一過性の景気の波ではなく、構造が変化する兆し、或いはその現象が一気に表層化した証かもしれない。
米国のデータを見ると、22歳から27歳の新卒大学卒業者の失業率は2025年初頭の時点で5.8%に達している。これは、全体の失業率である約4.2%を大きく上回る数字だ。さらに深刻なのは、いわゆるアンダーエンプロイメント、つまり一応働いてはいるが、学位に見合った職についていない状態、の比率が41.2%に達しているという事実である。これらの数字は、過去10年以上で最悪水準で、「大学に行っても報われない」という漠然とした感覚が、いまや明確な現実として突きつけられているのだ。
特に就職が難しい分野は明確だ。会計、コーディング系IT、法務(パラリーガル含む)、コールセンター、バックオフィスなどのいわば「中間的知的労働」である。AIの進化と業務の自動化により、これらの領域は急速に代替可能なものとなってきた。一方で、レストランスタッフや水道・電気といったインフラを支える現場仕事、すなわち「オフショア化できない仕事」については、むしろ人手不足が続いている。皮肉なことに、ホワイトカラーの象徴だった知的労働が余剰となり、現場で汗を流す仕事が希少価値を持ち始めている。
この流れは、間違いなく日本にも、時間差を伴って波及する。いやすでに起きていると思う。
日本企業は1990年代までは、現場の猛烈な努力と、精緻な品質管理を武器に世界と戦っていた。特に製造業では、現場での工夫や改善が競争力の源泉となっており、ミドルマネジメントは現場の声を吸い上げ、経営に伝える潤滑油のような存在だった。AIやシステム化はあくまで現場を補助するものであり、機械はあくまで人間の努力の延長線にあった。
しかし2000年以降、IT革命とスマート革命が連続的に起こり、世界の構造が根底から変わった。知識やノウハウはネットワークを通じて瞬時に共有され、構想力と創造力が企業の競争優位の中心に躍り出た。にもかかわらず、日本の多くの企業では、ミドルマネジメント層がこの変化に追いつかず、現場任せの運営を惰性で続けてきた。日本は現場がとにかく優秀で我慢強く最強だったのだ。
本来であれば、ミドルマネジメントはオフショア化できる仕事と、そうでない仕事の見極めを行い、不要な業務を外に出す一方で、新たな付加価値を内部で創造するべきだった。だが実際には、多くの企業でそのような吐き出しは行われず、現場だけが疲弊していった。そのしょうこに、現場を抱える仕事であっても、昔と今で管理職の仕事の内容や評価基準が劇的に変わっている企業のほうが圧倒的に少ないのだ。現場だけが必死でスタッフ部門がゆるいのだ。経営や中間層が「考えること」「意味をつくること」から逃げ将来を構想したやり方をインストールすることなどを放棄し、1990年代と同じやり方で回すことを選んでしまったのだ。
この構造の限界を炙り出したのが、コロナだった。2020年からのパンデミックのなかで、企業は最低限の人数で業務を回さざるを得なくなった。そして気づいたのだ。「あれ?会議にいなくても、報告を受けなくても、意外と仕事は進む」と。Webで繋がれる少人数だけで、組織は機能してしまったのである。
この経験が浮き彫りにしたのは、「実は、何もしていなかった人」の存在だった。会議に参加しているだけ、報告を受けているだけ、KPIをチェックしているだけ。そういう人々が、組織には大量にいたのだ。しかし日本では解雇が難しい。そのため、コロナ後の現在においても、不要な人材が組織に居残り、風通しを悪くし続けている。
そして今、AIの登場によって、その状況はさらに加速する。ChatGPTをはじめとする生成AIは、既に多言語での指示理解、文書作成、KPI管理、情報の要約などを高精度かつ低コストでこなす。中間管理職が担っていた「指示伝達」「進捗確認」「定例報告」のような業務は、ほぼすべてAIで代替可能になった。しかも、速く、安く、間違わずに。つまり、構想力も共感力もない中間管理職は、いよいよ「ただの回路」として不要になりつつあるのだ。
では、これから残るホワイトカラーとは誰なのか。
トップ層には、未来を構想し、方向性を描き、そこへ向かって言葉と仕組みで組織を導く力が求められる。抽象的なビジョンを描き、それを実行可能な計画へと翻訳する能力こそが、AI時代のトップに求められる資質である。
一方、ミドル層には、大きく役割の転換が求められる。彼らに必要なのは、現場の心理的安全性を保ち、1on1などを通じて人の話を聞き、悩みを整理し、チームの空気を整える力だ。つまり、管理者から「ファシリテーター」や「コーチ」へと役割を進化させる必要があるのだ。
そして現場層は、単なる作業者から「意思を持った実行者」へと進化していく。AIをツールとして使いこなし、状況に応じて判断し、顧客に柔軟に対応できるインテリジェント現場が出てくる可能性があるのだ。
このような中で、組織のあり方も変わらざるを得ない。未来の組織再編のシナリオは、次の3つに大きく分かれるだろう。
第一は、「ハイブリッド型」だ。人とAIが役割を分担しながら共存するモデルだ。定型業務や報告系はAIが担い、人間は創造・共感・判断といった部分に集中する。中間層は心理的支援やコーチングに特化し、トップは構想力を研ぎ澄ませる。これは、日本企業にとって最も現実的な進化の道だと思う。
第二は、「トップダウンAI管理型」。AIがダッシュボードとアルゴリズムで意思決定を補助し、あるいは自ら意思決定を行うようなモデルだ。人間は異常事態の対応や倫理的判断に限られ、ほとんどの業務がAIに置き換わる。すでに中華系の一部テック企業や米国のスタートアップでは、この形が現実化し始めている。SFの世界では無いのだ。
第三は、「分散型・自律チーム型」。組織が極小のユニットに分かれ、それぞれが目標を持って独自に判断・運営していくモデルだ。DAO(Decentralized Autonomous Organization(分散型自律組織)の略で、簡単に言えば中央管理者がいないインターネット上の組織だ)やリモート企業など、クリエイティブ産業に近い構造で、ミドル層は「場をつくる役割」として再定義される。私はすでにこの組織形態を取り、上記の第一に近い組織と一緒に仕事をしているケースが多い。
いずれにしても、これまでの「会議室にいるだけで意味があった人」や「KPIを管理していた人」は、もう生き残れない。意味を生み出す人、感情に寄り添える人だけが、AI時代のホワイトカラーとして必要とされていくのだ。
では、そうでない人々は、どこへ向かうのか。選択肢は三つに絞られる。ひとつは、現場にシフトすること。もうひとつは、組織を離れること。そして最後が、自ら事業を創り出すことだ。
だが、日本では解雇という道が閉ざされている以上、多くの人は現場に戻るという形で組織に残ることになる。しかも、皮肉なことに、今の現場はかつてより価値を持っている。人が足りず、時給は高く、判断と実行が直結する。だから、現場の報酬は中間層を超えるかもしれない。
しかし、そこで問題になるのは金額ではない。かつて、自分が声を荒らげ、見下し、命令していた相手が、今や自分の先輩になるという構造に、人は耐えられるだろうか。20年、30年をかけて積み上げた自意識とプライドは、果たして現場の泥に触れることを許すのか。
それでも、構造は変わる。AIは止まらない。変化を受け入れるか、取り残されるか。問いは、ますます個人的なものになっていくのだ。
そしてこれは、もう始まっている。