
スクイーズアウトという制度
2025年11月27日
早嶋です。約2300文字。
大きな資本の動きよりも、むしろ小さな持分の存在が決定的な影響を及ぼすことがある。ある会社が9割以上の株式を持っているにもかかわらず、残り数%の株主が「反対」を示し、合併や組織再編そのものが動かなくなる場合だ。これは実務では珍しくなかった。少数の意見が悪いわけではないが、再編全体が人質のように扱われるケースが続けば、企業の意思決定はいつまでも前に進まない。
この状況を解きほぐすために用意された制度が「スクイーズアウト」だ。日本語では「株式等売渡請求」と呼ばれる。簡単に言えば、9割以上の株式を持つ支配株主が、残りの株主に対して「あなたの株式を買い取ります」と請求できる制度だ。少数株主の同意は不要で、対価は裁判所の制度によって公正が担保される。企業側は速やかに再編を進められ、少数株主側は適正な価値での買取が保証される。いわば、双方が秩序を失わずに出口へ向かうための仕組みだ。
スクイーズアウトが日本で制度化された背景には、古い企業統治の仕組みと、新しい市場の動きが正面衝突するような事件が続いたことがある。企業側がどれだけ多数の株式を持っていても、少数株主が反対すれば再編が動かず、合併も買収も前に進まないという制度的な弱さが目立ち始めていた。九割を持つ親会社がいても、残り一割弱の声で企業統治が止まる。そんな状況をいつまでも続けるわけにはいかない。これがまず、制度設計の根底に流れる考え方だった。
さらに、当時の日本では、企業支配のルールそのものが曖昧だった。誰が支配権を持つのか。何をもって支配権を握ったと言えるのか。その判断基準が国際的な標準とずれていた。そこに「市場で株式を買い進め、新しいルールで企業支配を取りに行く」ようなプレイヤーが現れたとき、旧来型の企業統治は対応しきれなかったのだ。
象徴的だったのは、ライブドアとニッポン放送を巡る一連の買収劇である。ライブドアは何も法を破ったわけではなく、むしろ市場の仕組みを正面から使って株式を買い進めた。大量保有を前提とした海外では当たり前の企業買収の手法であり、経済合理性だけを見れば、極めて標準的な動きだった。海外の投資ファンドであれば、ごく自然に行われる行動である。
しかし、当時の日本ではこの動きを受け止める制度が整っていなかった。持株構造をきちんと整理してこなかった側にも問題があったし、買収防衛策も不十分だった。その結果、市場と裁判所が同時に巻き込まれ、企業支配の問題が長期化してしまった。ライブドアが悪者だったわけではない。むしろ、日本放送とフジテレビ側のガバナンスが旧来型のままで、制度の穴を突かれたことによって混乱が生まれたという方が正しいだろう。
結局のところ、この事件は「誰が悪いか」という単純な話ではない。制度が整っていない国で企業買収が起きると、全員が混乱し、現場は迷走するという典型例だった。市場のルールで動く新しいプレイヤーと、慣行で動く旧来型企業が衝突したとき、日本の制度がその衝突に耐えられなかった。それだけのことだ。
こうした経験が積み重なり、ようやく2006年の会社法改正でスクイーズアウトが整備された。少数株主の権利を守りつつも、企業再編が止まらないようにする。国際標準のM&Aの手続きに合わせ、企業が前に進めるよう制度を整えた。その結果、日本でも支配株主が適正なプロセスで100%子会社化し、再編を高速に進める道が開けた。
スクイーズアウトの仕組みを理解するには、具体的な状況を思い浮かべると分かりやすい。たとえば、ある企業が9割以上の株式を保有する関連会社があったとする。その会社は長らく赤字が続き、債務超過も膨らみ、将来のキャッシュフローも見通せない。経営合理化のために完全子会社化し、最終的には吸収合併したいと親会社は考えている。しかし、残り数%を持つ少数株主が反対しているため、合併に向けた手続きが進められない。
このとき、スクイーズアウトが有効に働く。親会社が9割以上を持っているなら、少数株主の株式を「公正な価格」で買い取ることを請求できる。少数株主は合併そのものを止めることはできず、争えるのは価格だけになる。そして、仮にその会社が債務超過で、将来の収益も期待できない状態であれば、株式の経済的価値はほぼゼロだと判断される。それが第三者との実際の取引によって裏付けられている場合、公正価値として「1円」という評価も十分に成り立つ。
スクイーズアウトが完了すると、親会社は100%の株主となる。ここから先は再編が一気に進む。完全子会社であれば、吸収合併もスムーズに行える。株主総会の手続きも軽くなり、反対株主も存在しない。企業再編のスピードが格段に上がる。制度はまさに、再編の最終段階で会社が立ち止まらずに済むよう設計されている。
仕組みそのものを見れば、スクイーズアウトは強い制度に見えるかもしれない。ただ、導入の背景を辿ると、その本質は「秩序を取り戻すための制度」であることが分かる。少数株主の権利を保護しつつ、それが会社全体の未来を妨げるほど大きな力になってしまうことを防ぐ。企業が責任を持って前に進むための道筋を確保する。その意味では、スクイーズアウトは企業統治の成熟を象徴する制度と言えるかもしれない。
企業再編は、外から見ればドラマのようだが、中に入ると泥臭さや複雑さがどうしても残る。そのなかで、少しずつ整理を重ねながら未来の構造を描いていく。その過程を支える最後の仕組みとして、スクイーズアウトは存在している。制度の文面だけを見るより、歴史や理由を踏まえて眺めてみると、その設計思想がすっと理解できるはずだ。
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最近の若者はすぐに辞めるは「嘘?」
2025年11月26日
早嶋です。約2100文字。
「最近の若者はすぐ辞める」「3年で3割が離職」という言説は、一見、最近の現象のように語られるが、実際は誤りだ。大卒の3年以内3割離職は、1995年以降ほぼ30年間ずっと続いている構造的傾向で、直近だけが特別に離職率が高いわけではない。むしろ高卒では、2000年前後は3年以内に5割が離職というより厳しい時期があり、現在(約38〜40%)は改善しているのだ。そのため「最近の若者は〜」という議論は、データを見る限りミスリードであり、早期離職は昔から一貫して存在する労働市場の特性と捉えるべきなのだ。
厚労省「新規学卒就職者の在職期間別離職状況」および同内容を引用した統計記事より数字を引っ張ってきた。
■ 大卒「就職後3年以内離職率(%)」(主要年のみ抜粋、1990年代〜2020年代)1995年から2025の約30年間、ずっと「3年で3割前後」でほぼ固定している。直近だけが特別高いわけではなく、むしろ2000年前後の方が高かったことが分かる。
卒業年 離職率
1992年 23.7%(突出して低い)
1994年 27.9%
1995年以降:30%台が定着
1996年 33.6%
1999年 34.3%
2000年 36.5%
2001〜2004年 35〜37%(山の時期)
2007年 31.1%
2009年 28.8%(リーマン後の低さ)
2013〜2019年 31〜33%
2021年 34.9%
2022年 33.8%
■ 高卒「就職後3年以内離職率(%)」(主要年のみ抜粋、1990年代〜2020年代)
2000年前後は「3年で半分が辞める」という極めて高い水準だった。現在(約38〜40%)は当時より明確に低く改善していることが分かる。
卒業年 離職率
1995年 46.6%
1996〜2004年 47〜50%(ピーク帯、最大50.3%)
2006年 44.4%
2007年 40.4%
2008年 37.6%
2010〜2016年 39〜41%
2018年 36.9%
2021年 38.4%
2022年 37.9%
厚生労働省の統計を30年スパンで確認すると、離職率は構造的な数値でむしろ高卒の離職率は改善していることがわかる。
大卒に関しては、就職後3年以内に約3割が離職するという構図は、1995年以降ほぼ一貫して続く。むしろ2000年前後には35%から37%と、現在より高い時期もあった。言い換えれば、現在の離職率は例外的に高いどころか、過去30年間の延長線上にある安定したトレンドなのだ。
一方で高卒については、2000年前後は3年以内に5割が離職するという極めて高い水準だった。しかしその後は改善が進み、現在は約38%から40%程度まで低下している。つまり、高卒の早期離職率は長期的にはむしろ良くなっているのだ。
これらを総合すると、「最近の若者はすぐ辞める」という言説は、統計的には支持されない。若者の離職率はこの30年間で大きく増えていないどころか、部分的には改善すらしている。早期離職は現代特有ではなく、日本の労働市場に長く根付いた構造的な現象であり、若者の気質変化ではなく、職場環境・労働条件・キャリア観・産業構造などの要因に左右され続けてきた結果なのだ。
ここに一つ、補足の議論を加えたい。それは、高卒離職率の高さを説明する要因として、しばしば挙げられる「女性の結婚退職(いわゆる寿退社)」についてである。確かに1990年代前半までは、女性が20代前半で結婚を機に離職することが一般的で、高卒女性の離職率を押し上げていた側面は否定できない。これは統計の年齢帯とも重なっており、一定の影響を与えていたことは確かだろう。
しかし、結婚退職は高卒離職率のピーク(1996年から2004年、離職率47%から50%)を生み出した主因ではない。理由は明確だ。
まず、女性の結婚後の就業継続が本格的に増加したのは2005年以降で、離職率ピークの時期と一致しない。次に、同時期の高卒男性の3年以内離職率も40%から45%と極めて高く、女性だけに起因した現象とは言えない。更に、企業側要因、バブル崩壊後の雇用悪化、非正規化の進行、労働負荷の高い業種構造、小売・飲食・製造などにおける労働環境の厳しさが高卒離職の主因として強く作用していたことが分かっている。加えて、2010年代に離職率が低下した背景も、女性の継続就業が増えたからだけでは説明できない。むしろ、人手不足の深刻化に伴う企業の離職防止施策、労働条件の改善、若年層に対する研修整備、働き方改革に伴う時間外労働の抑制など、企業側の努力による部分が大きい。結果として、かつてよりマッチングが改善し、辞めにくい職場が増えたことの方が説明力を持つ。
以上の事実を踏まえると、「最近の若者はすぐ辞める」という言説は、データにも歴史的推移にも支えられていないのだ。むしろ、1990年代後半から2000年代初頭にかけての方が、離職率は高卒・大卒ともに高かった。早期離職は新しい現象ではなく、労働市場の構造変化、景気循環、業種ごとの労働環境、企業側の受け皿の質といった要因の中で長く続いてきたものである。若者の気質の変化よりも、労働環境や採用構造の側に目を向けた方が、実態に即した理解につながるだろう。
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映画アニメファンド
2025年11月25日
早嶋です。約5500文字です。
日本のアニメ産業がまた面白くなる。みずほフィナンシャルグループが立ち上げた、アニメ映画向けの投資ファンド「Talent of Talents(タレント・オブ・タレンツ)」だ。
●アニメ業界の資金調達課題で、製作委員会方式が中心で、金融機関からの出資スキームが定着していない。
●海外(例として韓国)では映画製作にファンドが深く入り込み、資金規模や作品機会の差につながっている。
●ファンドの設計・仕組みは、50作品候補から2から3作品に絞り出資する。
●目安として1作品あたり製作費7億円、うち5億円をファンドで賄う。
ファンド規模の表記はないが、5億円程度を3作品からなので、規模は15億から20億をベースにスタートさせるのだろう。直近の目標として 国内外の個人・機関投資家を巻き込み、アニメ産業を支援し、制作現場・クリエイターに還元できる仕組みを構築することをビジョンに掲げている。
みずほが指摘するように、日本では「製作委員会方式」という独自の仕組みがアニメ映画の制作を支えてきた。しかし、近年、この構造が限界に近づいている。クリエイターへ利益が戻らない問題は本ブログでも指摘してきたが、それ以上に深刻なのは、IP(知的財産)の長期的育成が阻害され、作品が持つ本来の経済価値を十分に活かせていない点にある。
みずほのアニメ映画ファンドは、こうした日本アニメ産業の構造疲労に対して、金融サイドから新しい血を入れる試みだ。しかし、みずほのサイトを読むだけでは、なぜファンドが必要なのか、どこに本質的な課題があるのかの表面的な部分にしか触れていないと感じた。そこで本ブログでは、みずほファンドの背景を整理しつつ、韓国、中国、ハリウッドの映画ファイナンスと比較しながら整理した。最後に、もし日本のアニメ制作スタートアップが100%IPを保持したまま、みずほファンドから出資を受けた場合、収益はどのように分配されるのかを、数値に基づいてシミュレーションした。
(製作委員会方式の限界)
みずほがファンドを立ち上げた背景に触れるためには、日本特有の「製作委員会方式」の特徴を理解する必要がある。この仕組みは、テレビ局や出版社、広告代理店、玩具メーカー、音楽レーベルなど複数の企業が出資し、共同で作品のリスクを取りながら、出資比率に応じて収益を分け合うというものだ。
一見すると健全な分散投資の仕組みに見える。しかし現実は違うのだ。製作委員会方式は、制作会社やクリエイターが作品の成功から十分な利益を得られない構造になっているからだ。委員会を構成する企業は、自社の利益回収を最優先に考え、制作会社の取り分はごくわずかだ。さらに意思決定は合議制で、スピードが求められる現代のIPビジネスには不向きだ。
さらには、制作会社がIP(著作権)そのものを持てないケースが多い。制作会社は命を削るように作品を作っても、IPのオーナーシップは出版社やテレビ局が握り、続編・グッズ・ゲーム・海外ライセンスといった本丸の利益にアクセスできない。結果として、制作会社には次の挑戦のための資金も、クリエイターに還元する余力も生まれず、業界全体としての発展が阻害されている。
これらの解決が、みずほが立ち上げたファンドの背景だ。つまり製作委員会方式の外側に、より合理的な資本スキームを作ろうとしている。金融の仕組みを使ってIPを持つ側に力を戻す。その構造転換こそが、今回のファンドの本質だ。
なお、アニメ業界の現状と課題については、早嶋の別のブログを参照して欲しい。
(日本以外の映画ファンド)
「アニメ映画ファイナンス」と聞くと複雑に感じるが、世界を見渡すとむしろ日本のほうが特殊だ。資金がどのように集まり、どのように回収されるか。これがその国の映画産業の育ち方を決める。だからこそ、海外との比較は避けて通れない。みずほのファンドを理解するためにも、海外の映画ファイナンスの特徴を外観することでより、みずほの課題認識を理解できるようになる思う。
韓国では、アニメや映画は国家的産業として育成され、映画ファンドの仕組みが驚くほど整っている。特に重要なのが、韓国映画振興委員会(KOFIC)が運営する「母胎ファンド(Motae Fund)」だ。これは公的資金を核にしつつ、民間の投資マネーを呼び込み、制作会社へ直接投資するための仕組みだ。韓国の映画ファンドは、制作会社がIPを保持することを前提に作られている。投資家はあくまで映画単体の収益から回収する。つまり、映画は広告塔であり、IP全体の価値は制作会社に残るという構造だ。そして、ウォーターフォール(収益分配の順番)も合理的だ。劇場収入から配給やマーケ費用を回収し、その後、投資家の元本・優先利益を回収する。そのうえで残った利益を制作会社とクリエイターが分け合う。透明で、公平で、制作会社が成長できる設計になっている。韓国映画が世界的に存在感を増している理由の一端は、この合理的な金融設計にあると思う。
中国は興行市場が巨大だが、映画ファンドの構造は制作側に厳しい。ハリウッド作品が中国で稼いでも、スタジオ側には興行収入の25%しか戻らない。劇場や配給、税金が非常に強く、プロデューサーの取り分は総興行収入の38〜39%が限界だと言われている。つまり、中国市場は売上は大きいが、制作側に残る利益は小さい。映画を収益源として見る場合、この国の構造はあまり魅力的ではない。逆に言うと、中国では映画そのものより、グッズ、ゲーム、モバイルアプリなど、IP派生ビジネスが本丸になる。映画はきっかけに過ぎないのだ。
ハリウッドでは、投資回収の仕組みが精緻に体系化されている。「Recoupment Waterfall(レクープメント・ウォーターフォール)」という概念が一般的で、投資家がどの順番で回収されるかが厳密に決められている。最優先はデット(銀行やプライベートクレジット)。その次にエクイティ投資家が元本と優先リターンを回収し、最後に制作会社やプロデューサー、監督やキャストが残余利益を受け取る。ハリウッドが強い理由は単純だ。仕組みが透明で、資金が集まりやすく、制作会社にも利益が残る設計になっているからだ。その構造がIPの継続的な拡大につながっているのだ。
世界を見れば明らかだが、映画の構造が変われば、IPの価値の育ち方も変わる。日本の製作委員会方式は閉じた設計だったが、韓国やハリウッドはIPオーナーが育つ仕組みになっている。そして、みずほのファンドが挑んでいるのは、この日本の古い設計の外側に、新しい資本スキームをつくることだろう。
(みずほファンドの不明点)
みずほのファンドは、アニメ制作会社やクリエイターに光を当てようとする試みであり、その方向性は評価できる。しかし、記事には収益の具体的な分配方法、いわゆるウォーターフォールが書かれていない。早嶋はここを最も重要な部分だと考える。
海外のスタンダードでは、映画ファンドは 映画に直接紐づく収益(興行、配信、海外rights、BD/DVD、劇場物販)にのみ関与する というルールがある。そして、IPそのものの長期的な収益(グッズ、ゲーム、アプリ、出版、テーマパーク、海外ローカライズなど)には一切関与しない。これが世界標準だ。したがって、もし日本のアニメ制作会社がIPを100%保有したまま映画化を行う場合、ファンドはあくまで映画P/Lの中だけに入る構造になる。これは制作会社にとって極めて有利だ。なぜなら、映画によって上がるIP価値の果実はすべて自社に残るからだ。映画はあくまで広告塔であり、真の利益は映画の外側にあるのだ。これが、国際水準でのIPビジネスの考え方だ。
みずほがここを明確にしないのは出資案件ごとに、細かく出資契約等を結び条件を交渉する考えがある。或いは、何らかの理由で明かしていないと思う。
(ケーススタディ)
みずほアニメ映画ファンドが示すように、映画の制作費7億円に対して5億をファンドが出資する場合、収益の流れが、どのようになるか整理した。ここでは、その「ウォーターフォール(収益の流れる順番)」を示してみよう。
前提として、日本のアニメスタートアップが100%IPを保有し、制作費7億円の映画をつくる。みずほファンドは5億円を出資し、その見返りとして「優先リターン(年15%)」を要求する。興行収入はロー・ミドル・ハイの3つのケースで試算し、日本の業界慣行である劇場50%、配給10%、制作側40%のシェアを前提にした。
映画による総収入は、観客が劇場で支払ったチケット代の総額だ。売上が100とした場合、50が映画館、10が配給会社に支払われ、残りの40が制作側の取り分になる。この40をファンドと制作会社で配分する原資となる。その際の40の分配の順番を示したのがウォーターフォールだ。順番はシンプルだ。
1:ファンドの元本5億を最優先で回収する
2:次に、ファンドが出資した元本に対する優先リターンとして、元本の15%を回収する
3:そのうえで、残った利益をファンドと制作会社で分け合う(配分はファンド40%、制作会社60%が一般的。制作会社が強い、IPが協力な場合は配分はファンド30%、制作会社70%になる場合もある。ここは交渉だ。)
この優先リターンは、利益の15%ではない。ファンドが出資した元本に対して年間15%の利回りを約束するという意味だ。つまり5億円を1年間運用した見返りとして15%の7500万円をファンドは先に回収する権利を持つ。映画ファンドは通常のファンドと比較して投資期間が短い。制作から公開まで1.5年から2年程度だ。通常の10年ファンドの利回りを考えたら、年15%は妥当な数字だ。短期高リスク故のプレミアムと捉えることができる(参照:ベンチャーキャピタルの実態)。
では、実際、映画の総収入が6億の場合(ローケース)、12億の場合(ミドルケース)、20億の場合(ハイケース)で実際のお金の動きをみてみよう。
■ ローケース(興行6億)
興行収入6億の場合、劇場は50%の3億、配給会社は10%の0.6億を取る。残る40%の2.4億が制作側の取り分だ。ローケースの場合、ファンドは元本の5億を回収することはできない。そのため2.4億は全てファンドの元本返済に回り、制作会社の取り分はゼロだ。ただし、制作会社は現金を受け取らないが「損はしない」とも考えることができる。映画が完成し、劇場公開されることでIPの知名度は確実に向上する。映画は広告塔で、収益の本丸はその外側にあるからだ。制作会社(スタートアップ)にとっては、ダウンサイドが限定されるのだ。
■ ミドルケース(興行12億)
興行収入12億の場合、劇場は50%の6億、配給は10%の1.2億をとる。残る40%の4.8億が制作側の取り分だ。ミドルケースでもファンドの元本5億には届かないため、制作会社の取り分はゼロだ。しかし映画公開前後から動き始める収益があるだろう。グッズ、YouTube、IP関連の売上や、海外展開など、映画外の売上だ。IPは確実に動きがあるので、制作会社にとって、この状況は悪くないのだ。
■ ハイケース(興行20億)
興行収入20億の場合、制作側の取り分は8億円だ(劇場が10億、配給が2億の残り)。ようやく映画プロダクションの損益計算書として意味のある数字になる。まず、ファンドが元本5億を回収する。残りは3億だ。次に、優先リターンとして 0.75億円 をファンドが受け取る。残る 2.25億円 をファンド40%、制作会社60%で分け合う。従い、ファンドは0.9億、制作会社は1.35億を得る。
整理すると、ファンドは、元本5億+優先リターン0.75億+残余利益0.9億円=6.65億円を回収する。制作会社は映画プロダクションの売上として1.35億円を得る。しかし、もっと重要なのはこれ以降だ。映画がヒットすると、指名検索は跳ね上がり、グッズは売れ、海外での評価も高まる。IPの価値は爆発的に伸びるだろう。映画は単体で儲けるものではなく、IPを世界に知らしめる媒体だ。映画で得た利益は 1 億円かもしれないが、その後ろに続くIPの外側で立ち上がる数億規模の収益こそが本丸になるのだ。
(映画を認知媒体として活用)
映画で儲けるの発想ではなく、映画でIPを世界に認知する媒体として活用するのだ。これまで、日本のアニメ制作会社が抱えてきたジレンマは、制作委員会方式の中に閉じ込められ、IPを持てなかったことだ。しかし、IPを自社で持ち、ファンドから資金を得て映画を制作することで、構造は一変する。映画の収益はファンドと分け合えばいい。しかし、映画によって増幅されたIP価値、そこから生まれる長期収益の全ては、自社に残るのだ。映画をゴールにするのではなく、起点と考えるのだ。IPが持つ世界観を、映画という最高峰の表現で一度爆発させ、その後の10年、20年の収益を目指すのだ。
みずほのアニメ映画ファンドは、こうした国際標準のIPビジネスモデルを、日本のエンタメ産業にもたらす可能性がある。製作委員会方式という古い器から、制作会社がIPを保持し、金融がリスクを取り、作品が世界市場へと飛び出していく。日本でIPを育てる企業、特にスタートアップにとって、この変化は大チャンスだ。映画を作ることはゴールではない。映画をきっかけに、世界の子どもたちに知られたIPへと成長させる。そのための仕組みが、ようやく日本にも生まれつつあるのだ。
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ジョブ型社員の解雇に見る今後の組織戦略
2025年11月24日
早嶋です。約2000文字です。
「ジョブ型社員・解雇は容易か?(2025年11月24日・日経朝刊)」をベースに、
日本企業の低迷と今後の提言について考えた。
記事の概要はこうだ。三菱UFJ銀行が、年収3,000万円の専門職人材を、業務廃止を理由に解雇した。その有効性を東京高裁が認め、判決が確定した。大きなポイントは、職務(ジョブ)を契約上限定した高度専門人材は、職務そのものが消滅した場合、整理解雇の4要素を満たせば解雇が可能になる、と司法が明確に示したことだ。
「整理解雇の4要素」とは、1975年の判例以来、日本の労働法で基準となっている判断枠組みだ。人員削減の必要性、解雇回避努力、人選の合理性、手続きの妥当性
の4つだ。この条件を満たすか否かで解雇の正当性が判断される。
人員削減の必要性は、会社が事業撤退や部門縮小など、合理的な理由で人員整理を行う必要があるかだ。解雇回避努力は、配転・教育・再配置・希望退職募集など、解雇以外の手段を尽くしたかだ。3つ目の人選の合理性は、解雇される人の選定基準が客観的で、公正かだ。そして最後は、手続きの妥当性だ。説明や協議を適切な手順で行い、透明性があったかだ。
今回の判決では、三菱UFJ銀行が業務移管先への受入れ打診、別職種の提案、再就職支援金提示(4600万円)など、解雇回避努力を尽くした点が重要だった。裁判所は、年収3,000万円という専門性と市場流動性の高さを考慮し、「同水準の職務を新しく作る義務まではない」と判断した。もちろん、いきなり解雇ができるわけではない。しかし、今回の判決は「市場価値に応じた人材の流動化」を示唆する強いメッセージだ。
今後、ジョブ型採用を前提に、専門性の高い人材を外部から積極的に採用する企業は、より挑戦的で、大胆な経営判断ができるようになると思う。新規事業を立ち上げ、失敗したら解散し、専門人材を次へ送る。この循環が、産業や組織の新陳代謝を生み、競争力を高める。一方で、従来型のメンバーシップ雇用の企業は、労働組合との関係や、社内の「公平感」に縛られ、大胆なジョブ型採用を実行できない。
例えば、新規IT化で1000人分の事務を数人の高度専門職で代替できるとしても、
「平均700万円の会社で、年収2000万円を払うことは不公平だ」という理由で止まるだろう。結果として、変化を恐れて現状維持を選択する企業と、変化を前提に市場と向き合う企業の間に、決定的な差 が生まれるのだ。
たとえば、自動車産業は象徴的だ。世界は、自動運転レベル4・レベル5に向けて熾烈な競争を続けている。テスラ、Waymo、BYDは、膨大な走行データを機械学習し、アルゴリズムを強化し続けている。本質は「データを蓄積した者が勝つ」構造だ。一方、日本はどうか。安全性や法規制、社会受容性を理由に、議論は「慎重」ではなく、ほとんど「停止」していた。そして、労働組合は運転手の雇用維持を理由に、自動運転の本格導入に消極的だった。しかし、反対し続けることで守れるのは数年の猶予だけで、最終的には、変化を受け入れた国と企業が全て奪っていくことになるのだ。
地方公共交通はさらに深刻だ。人口減少、運転手不足、採算悪化。本来なら、AIによるダイヤ編成、自動運転バス、オンデマンド交通が必須になるはずだ。しかし多くの自治体は、「既存雇用の保護」を理由に新しい仕組みを拒んできた。結果として、利用者は更に減り路線は縮小している。サービスの質も落ち、最終的には撤退し、地域ごと交通網が消えるのだ。守ることが目的化する組織は、最後に自らの存在を失う。その典型だと思う。
メディア産業も同じ構造に見える。テレビ局や新聞社は、デジタルへの本格転換を「既存モデルの保護」を理由に遅らせてきた。結果、若者の接触率は激減し、広告はGAFAに吸い取られた。にもかかわらず、彼らが主張するのは日本の文化の危機だ。デジタルは質が低いとか、既存メディアの維持が必要だとか、導入しない前提を軸に議論すら進めていない。しかし市場は既に別次元に移動している。変わるべきは世界ではなく、自分たちなのだ。
短期的に雇用を守ろうとする力は、長期的に雇用を破壊する。自動運転を反対してバス会社全体が衰退する構造と、何も変わらない。雇用の流動性の低さ、労働組合の硬直化、内部の公平性の呪縛。これらは、日本企業が30年停滞した本質的原因のひとつだ、と私は考える。
未来の企業は、二つに分かれるだろう。
① 高度専門人材を市場価値で採用し、新陳代謝を前提に挑戦する企業。
② 内部公平性を守るために挑戦できず、緩やかに衰退する企業。
今回の判決は、日本がどちらの道を選ぶかを問うメッセージだ。未来は、挑戦する者だけに開かれている。皆さんはどちらを選びたいだろうか?
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センチュリー:トヨタ5番目のラグジュアリーブランド
2025年11月21日
早嶋です。約3400文字。
センチュリーというブランド名が、重要な意味を帯びる日は来るべくして来ている。世界のラグジュアリーは「日本の価値観」を求めているのだ。EVでもない、テクノロジーでもない、もっと深い価値。トヨタはセンチュリーというブランドで樹アパニーズ・ラグジュアリーという概念を一気に高いレベルに仕上げていくと思う。
これまで、世界の高級車市場は長らく欧州のブランドにより支配されてきた。ロールス・ロイス、マイバッハ、ベントレーだ。いずれも100年以上の歴史を持ち、貴族文化という物語の上に存在してきた。しかし、昨今の現実を直視すると違和感がある。それは、この欧州ブランドたちが、ブランドとしての純度を保てなくなっている点だ。
ロールス・ロイスは、英国文化の象徴でありながら、いまはBMW(ドイツ)の傘下だ。ベントレーも英国を名乗りながら、VW(ドイツ)のコングロマリットの一部になった。更に、マイバッハは一度ブランド消滅したが、メルセデスによって再構築された経緯がある。つまり、資本と文化が断絶しているのだ。ブランドは約束である以上、その物語が濁ることは致命的だと思う。欧州ラグジュアリーが長年積み上げてきた「貴族文化」「格式」「歴史」は、資本構造の揺れの中で薄まりつつあるのだ。これは、ラグジュアリーブランドにとって決して軽い変化ではない。文化資本の断絶は、ブランドの価値と大きく関係があるのだ。
さて、そこにトヨタだ。今のトヨタを理解するためには、数字を冷静に見ることをお勧めする。2024年、トヨタの販売台数は年間1,080万台で世界1位だ。売上は45.1兆円、営業利益は5.35兆円に達し、利益率は約12%という驚異的な水準を記録している。対して、世界を代表するメーカーの数字だ。フォルクスワーゲン・グループは販売台数で900万台、売上はトヨタと同規模にあるものの、営業利益率は約6%前後で、トヨタの半分だ。BMWは年間約245万台、メルセデスは約240万台とプレミアム領域に集中しているといえ、世界シェアでいえば2%から3%程度だ。このように俯瞰すると、トヨタとVWは世界の二強であり、BMWやメルセデスはそもそも生産規模も市場支配力も違う次元にあるのだ。つまり、トヨタは、量・質・収益力の三拍子が揃った唯一の企業という事実がわかる。トヨタが今後、超高級ブランドをポートフォリオに追加することは全く不自然ではなく、むしろ当然の流れとさえ思えてきただろう。
トヨタは、4つの明確なブランド階層があった。ダイハツ(大衆)、トヨタ(高品質)、レクサス(プレミアム)、日野(商用)だ。この4つのカテゴリーだけでも、世界の乗用車市場のほぼ全域をカバーしてきた。そこに、「センチュリー」という5つ目の最上位ブランドが加わる。トヨタの企業規模を考えれば、この階層追加は当然の判断だ。、
トヨタという巨大なピラミッドは、これまで長くレクサスを頂点として運営されてきた。1989年に北米でデビューしたこのブランドは、わずか40年弱という短い歴史でありながら、BMWやメルセデスと肩を並べる世界的なプレミアムブランドに育った。これは奇跡に近い成功だと思う。レクサス以前にプレミアムブランドを立ち上げた日本メーカーは他にもある。ホンダのアキュラは1986年に誕生し、日産のインフィニティもレクサスより早い。
だが、この二つが北米以外の市場で存在感を持てず、世界ブランドに育たなかったことを考えると、トヨタがレクサスをここまで押し上げたことの意味は大きい。単に高級車を売ろうとしたのではなく、ブランドを育てるという覚悟と長期戦略を持ち続けた唯一の日本メーカーだった。しかし、レクサスが大成功していく一方で、内部では別の課題が生まれていた。レクサスで開発した先端技術、静粛性、乗り心地、耐久性、品質管理の仕組み、素材の扱い方。これらをトヨタ車にも展開する。これは消費者から見れば歓迎される動きだ。ただでさえ品質の良いトヨタ車が、あり得ないくらいの品質向上で驚くばかりである。
だが、この戦略は、レクサスとトヨタの違いを徐々に曖昧にしたのも事実かしれない。顧客の中には「レクサスとトヨタの違いって何なのか?」と感じる層も出てきて、やがてBMWやベンツに流れていく層も出てきたと思う。
現場の技術者の間でも、「レクサスをより尖らせるべきか、それともトヨタへの水平展開を優先するべきか」という議論が繰り返されてきたのではないだろうか。つまり、レクサスの成功が大きければ大きいほど、その成功の影としてブランドの棲み分けが難しくなるという構造的な課題があったのだ。この状況の中で、トヨタがもう一段上のブランド階層を持つという決断は、自然な帰結だったと思う。レクサスをレクサスとして明確に尖らせるためにも、そしてトヨタ全体のブランドピラミッドをより立体的にするためにも、センチュリーという「超高級・ショーファーカー」ブランドを最上位に据えることは必然だったのだ。センチュリーが入ることで階層は5つになる。
大衆(ダイハツ)、高品質(トヨタ)、プレミアム(レクサス)、商用(日野)、超高級(センチュリー)だ。この構造は、トヨタの規模とブランド体力を考えれば、ようやく完成したと言えるかも知れない。レクサスの成功を押し上げ、同時にその負荷を軽減し、さらに上位の物語を創るための、きわめて合理的で戦略的な動きなのだ。
センチュリーの強さは、トヨタの技術力や品質といった次元では完成しない。それを超えるもう一つの価値が必要だ。早嶋は皇室文化との結びつきにこそあると思っている。日本の皇室は、世界の中で最も長く続く王朝だ。2600年以上の歴史を持ち、その連続性は欧州王室の比ではない。英国王室は1000年前後であり、フランスは革命で途絶え、ドイツに至っては19世紀の統一国家であり、王室の連続性は存在しない。この世界でも稀有な文化の連続性を背負うことができる唯一の車、それこそがセンチュリーなのだ。センチュリーはこれまで、官公庁の役人を乗せ、首相官邸の移動を担い、宮内庁の御料車として皇室の移動を支えてきた歴史を持つ。これは、ロールス・ロイスにも、マイバッハにも、ベントレーにも持ち得ない物語だ。
普通のブランドは、広告とマーケティングで「物語」をつくるだろう。しかし、センチュリーはすでに物語そのものの上に存在しているのだ。これは文化的にもブランド的にも圧倒的なアドバンテージになると思う。
世界の上位所得者たちの価値観は、この十年で大きく変わったのでは無いかと思う。以前は「見せる」ことが高級の前提だったかも知れない。豪華な装飾、大きなエンブレム、派手な内装。高級とは、目に見える誇示だった。しかし今は違う。世界の富裕層は静けさや控えめさ、内省的な上質に価値を移しつつある。茶室のような余白の美、光と影の陰影、素材の深み、手仕事の気配。欧州的な「豪奢」とは真逆の価値観だ。京都に世界のファッションメゾンが工房を構え、日本の工芸技術を内装に取り入れ、世界中から富裕層が日本旅館や茶文化に興味を示している現象は、この価値観の変化を裏付けていると思う。
そう近年、ジャパニーズ・ラグジュアリーが世界的に確実に注目されているのだ。そして、その日本独自の美学をそのまま体現した車がセンチュリーなのだ。誇示ではなく静謐、主張ではなく存在感、豪華さではなく品格。まさに日本の価値観そのものなのだ。
欧州のラグジュアリーが文化の濁りの中で揺れている今、トヨタは世界の王者として、まったく新しい頂点を作る準備を整えている。その頂点に立つセンチュリー。
トヨタの圧倒的な生産規模と技術力、世界トップクラスの収益性、そして日本という国の2600年の文化資本。そのすべてを背景に持つ超高級車ブランドは、世界でもセンチュリーしか存在しない。センチュリーはロールス・ロイスの後追いではない。マイバッハの対抗でもない。ベントレーの模倣でもない。センチュリーは完全に異なる軸、静謐のラグジュアリー、皇室文化のブランド、という唯一の位置で勝負ができる。
早嶋は、センチュリーが世界のラグジュアリー市場に新しい基準を生み出し、その意味で「世界の頂点」と呼ばれる存在になると確信している。
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労働時間と一人あたりGDPの関係
2025年11月14日
早嶋です。約6400文字です。
日本の「失われた30年」と呼ばれる時代の正体は何か。日本だけが停滞した理由、一人あたりGDPが他の先進国に比べて伸びなかった理由。現時点での早嶋の仮説だが、ある程度体系立てて整理できていると思う。今日は、その中でも「労働時間」と「一人あたりGDP」の関係について、少し詳しく書いてみる。
(高度成長期の労働時間)
日本の高度経済成長期、そしてバブル前夜までの1980年代を思い返すと、当時の日本人は長く労働した。実際、データを見ると、1970年代半ばで全年齢平均の年間労働時間は2000時間を軽く超えていたし、企業によっては2200時間から2300時間くらいが普通だった。もちろん当時の残業の実態は今より遥かに曖昧で、企業文化として残業前提で設計されている部署も少なくなかった。つまり、公式統計で2000時間前後という数字が出ていても、実感ベースでは明らかにもっと働いていたと考えられる。
この頃の日本は、世界が驚嘆するほどの勢いで経済的な力をつけた。1975年、一人あたり名目GDP(ドル換算)は4,674ドルだったが、その後の20年間で44,000ドルへと急伸した。約10倍だ。もちろん、これは円高ドル安の影響もあるし、ドル換算の数字は為替に大きく左右されてしまう。しかし、それを差し引いても当時の日本が質と量の両面で圧倒的に強かったことは、確かな事実だ。産業構造で言えば、自動車、電機、半導体、鉄鋼、造船、繊維機械、どれをとっても高い競争力があった。大企業が設備投資を重ね、生産計画がうまく回り、熟練技能が蓄積されていくという、日本型経営の強さが最も輝いていた時期だ。
(75年から95年:「時間は減り、生産性は跳ねた」時期)
ここでポイントになるのは、1975年から1995年の日本では、すでに労働時間が減り始めていたにもかかわらず、一人あたりGDPは伸び続けていたということだ。実際、OECDのデータを参照すると、就業者1人あたりの年間実労働時間は1975年の約2000時間台から1995年には1880時間前後に減っている。約9%の減少だ。それでも経済は伸びた。理由は、1時間あたりの付加価値が飛躍的に伸びたからだ。
米国連銀(FRB)がまとめている実質GDP/労働時間のデータでは、1970年に約13ドルだった日本の1時間あたりの生産額が、1989年には約26ドル近くまで跳ね上がっている。名目のドル換算で見るとさらに差は大きい。当時の日本企業は、自動車、電機、半導体、鉄鋼など世界のトップクラスで競いながら、設備投資も積極化し、工場の自動化、品質管理、研究開発、熟練技能の蓄積という生産の仕組みそのものを強化し続けていた。働く時間は減ったが、その減少を上回る速度で、1時間あたりで生み出す価値が増えたのだ。この20年間で起きたことは、単なる景気の良さではなく、日本経済そのものの質的な進化だったのだ。日本は、量ではなく質で成長するモデルを、この時期、75年から95年頃に確立していたのだ。
ところが、1995年を境に状況は大きく変わる。1995年の日本は世界経済の勝ち組だった。円は94円前後の超円高で、ドル換算のGDPは世界最高レベル。ソニーやトヨタは世界の象徴であり、日本の生活用品や電子機器が世界を席巻していた。しかし、この年をピークに、日本の成長エンジンは止まり始めた。
(95年以降:時間だけが先に減っていく)
1995年から2023年までの間に、年間労働時間はさらに15%減少する。これは1975年から1995年までの9%減と比較しても、かなり大きい。働き方改革が本格化する前からも、既に日本は働く時間を減らす方向へ動いていた。さらに、2000年代以降の少子高齢化で働き手そのものも減少している。総労働時間という意味で見れば、日本はこの30年で相当量の労働投入を失っている。
その相当量の労働投入はどのくらいか。少し粗いが計算してみた。まず、就業者数は実はほとんど変わっていない。1995年が約6700万人、2023年が約6800万人だ。表面上の差はないが、働き方の中身は変化している。
1995年の就業者一人あたりの年間労働時間は1884時間とされている。一方、2023年の年間労働時間は1611時間ほどだ。この差は273時間。率にして15%の減少だ。では、この「一人あたり△273時間」の変化が、国全体の総労働量に換算するとどれほどの影響になるのか。単純に「就業者数 × 年間労働時間」で総労働量を推計できる。荒い計算だが、この方法でおおまかな全体像がつかめる。
1995年は、就業者6700万人に対して1人が1884時間働く。だから、
6700万人 × 1884時間 = 約1.26兆時間。
これが1995年の日本の「総労働時間」だ。
次に2023年。就業者はほぼ同じ6800万人前後だが、一人あたりの労働時間は1611時間に落ちている。同じ方法で計算すると、
6800万人 × 1611時間 = 約1.10兆時間
となる。
つまり、日本全体で見ると、1995年の1.26兆時間から、2023年には1.10兆時間へと、およそ1600億時間の労働が消えたことになる。率にすると13%ほどの減少だ。1600億時間という数字は、日常感覚では大きく掴みにくい。たとえばフルタイム換算すると、フルタイム労働者が年間およそ1850時間働くと仮定すれば、1600億時間は、
1600億時間 ÷ 1850時間 = 約800万人。
つまり、この30年の間に、日本全体ではフルタイムの働き手が800万人いなくなったのと同じだけの労働量が失われた計算になる。就業者数はほとんど変わらない。にもかかわらず、労働量は800万人分も消えているのだ。この構造が、日本のここ30年の経済を理解するうえで重要なポイントだと思う。人数が減ったのではなく、労働時間と働き方が変わった。しかも、人口の高齢化とともに、働く時間が短い層(高齢者、女性、パートタイム)が全体の比率を引き上げている。その結果、見た目の「就業者数」は横ばいだが、実際の「総労働量」は大きく減るという現象が起きているのだ。
数字を追うと、この構造はとてもシンプルだ。労働時間が273時間減り、それが6800万人分積み重なるから、1600億時間という巨大な差になっている。日本がこの30年でどれほどの労働の総量を失ってきたかが、より明確に見えてくる。
(95年以降の「時間あたり生産性」をどう見るか)
では、1995年以降の日本の時間あたり生産性はどうだろう。ここも丁寧に整理すると、状況がさらに明確になる。1995年から2023年までのおよそ30年間で、日本の時間あたり名目GDPは1.3倍ほどになっている。数字としては悪くはない。OECDの労働生産性統計を見ても、日本の「GDP per hour worked」は主要国の中で中位に位置し、決して極端に低いわけではない。だが問題は、その伸び率だ。
1975年から1995年の20年間では、同じ時間あたりGDPが3倍近くに伸びていた。これはFRBの「Real GDP per hour worked」のデータでも、1970年の約13ドルから1989年に26ドル超と、実質ベースでも倍増していることから裏付けられる。
しかし1995年以降は、伸びが止まっている。OECDの時間あたりGDP(PPPベース)で比較すると、1995年から2023年の日本の伸びは約20〜25%にとどまる一方、同時期の米国は約60%、ドイツも50%前後で伸びている。つまり、日本は絶対値が低いのではなく、相対的に成長していない、と言えるのだ。これは経済学で言えば、全要素生産性(TFP)の伸びが弱い状態が長期化していた、ということになる。
(TFPの概説)
TFPは、経済学の概念で少しとっつきにくいが、実はとても素朴な概念だ。端的に言えば、TFPとは「同じ人数と同じ設備を使って、どれだけうまく生産できているか」を表す指標だ。つまり、人とモノという分かりやすい要素では説明しきれない、目に見えない力を数字にしているにすぎない。
企業でも国でも、生産というのは大きく三つの要素で決まる。ひとつは働く人の数や時間、もうひとつは機械や設備の量、そして最後に、仕組みや技術、現場の工夫といった要素だ。TFPはこの三つ目、つまり労働と資本では説明できない「残り」を測る指標だと言える。
生活の例で考えると分かりやすい。同じ材料、同じ人数で料理をしても、段取りの良い人が作れば早くできるし、工夫のある人が作れば味が良くなる。キッチンの動線が整っていれば作業は格段に速くなる。材料も人も同じなのに、成果が違う。この違いこそTFPだ。段取り、工夫、レシピの質、組織の賢さ。こうした見えない改善の総体が、TFPという数字に姿を変えて表れている。
経済の長期的な成長を支えているのも、実はこのTFPだ。人口が増えなくても、設備投資が頭打ちになっても、技術が進み、働き方が工夫され、組織が賢くなることで、生産性は伸び続ける。アメリカの経済が粘り強い理由も、TFPの底堅さにある。逆にいくら人を増やしても、設備にお金をかけても、働き方や仕組みが変わらなければ生産性は上がらない。1995年以降の日本がこの状態だ。人と設備の投入は一定あるのに、やり方が変わらず、TFPが伸びていない。
だからTFPとは、単なる統計用語ではなく、「工夫」「技術」「仕組み」「組織文化」「マネジメントの質」など、企業や社会の総合力の象徴だと言える。目に見えるものではないが、国や企業を長期的に豊かにする根本の力がどこにあるのかを示してくれる指標だ。
(TFPが伸びなかった三つの理由)
では、なぜTFPが伸びなかったのか。わたしは、要因を三つに分けて見ている。
1つめは、産業ミックスの変化だ。1990年代後半から2000年代にかけて、日本は製造業の海外シフトを大幅に進めた。これは円高下での最適化としては合理的だったが、問題は「どの工程を海外に出したか」だ。本来国内に残すべき高付加価値の工程、たとえば研究開発、設計、工程設計、品質保証、試作などのコア技術までも同時に外へ持っていってしまった。経済学の生産関数で言えば、「技能資本」「知識資本」「組織資本」といったストックが国内で積み上がらず、TFPを押し上げる内生的なメカニズムが弱まったということだ。
その結果、国内にはサービス産業が比率として大きく残った。だが日本のサービス業は、国際比較で見ても価格が低く、値付けの文化が30年間ほとんど変わっていない。飲食、理美容、小売、介護、宿泊、交通など、生活サービスはアメリカや欧州の3分の1から5分の1の価格帯で提供されている分野がいくつもある。こうした「低価格・低マージン」の構造は、資本装備率やIT投資を押し上げる余力を企業にもたらさず、結果として時間あたり生産性を押し上げる力を失わせたのだ。
2つめは、設備投資とICT投資の弱さだ。OECDデータで確認すると、1995年以降の日本のICT投資比率(ICT investment over GDP)は主要国の中で最も低いグループにある。米国は1995年以降、ICT投資を毎年強力に積み上げ、TFPの上昇を牽引した。日本は逆で、設備投資は横ばい、ICT投資も欧米の半分から3割程度にとどまった。結果として、装置産業が縮小し、労働生産性を押し上げる資本装備効果(capital deepening)が働きにくくなった。これは経済学的には非常に重要で、TFPが上がらないときに生産性を押し上げる唯一の道は資本装備率の上昇だが、それが起きなかったということなのだ。
3つめは、労働投入そのものの減少だ。日本の総労働量は、1995年の約1.26兆時間から2023年の1.10兆時間へと落ち込んでいる。差し引き1600億時間、13%の減少で、これはフルタイム労働者に換算すれば800万人分の労働が消えた計算になる。「就業者数はほぼ横ばいで変わらないのに、総労働量は大きく減っている」という構造が日本特有で、これは生産関数で言えばL(労働投入)が減っている状態だ。しかし、本来はここでTFPが相応に伸びればGDPは維持される。実際、1995年以前の日本は、労働時間が9%減ってもTFPが強く伸びたため問題にならなかったのだ。それが1995年以降は、労働投入が減り、TFPも伸びず、資本装備率も伸びずという三重の停滞が重なったのだ。
こうした背景から、1995年以降に「生産性のジャンプ」が起きなくなった理由が見えてくる。産業構造が変わらず、TFPを押し上げる要素が弱まり、価格を上げず、資本投資もしない。労働時間だけが減り、労働投入も減る。すると一人あたりGDPはどうなるか。横ばいになる。極めてシンプルな経済の話だ。表面的には「日本は生産性が低い」と言われるが、より正確に言えば「生産性の伸びが小さい」。そして、その背後には、30年間動かなかった産業構造と投資の不足、そして値付け文化の問題が横たわっている。つまり、日本は生産性が低い国ではない。生産性を上げられなくなった国なのだ。
(為替というもう一つのレンズ)
もうひとつ忘れてはいけないのは為替の存在だ。一人あたりGDPを国際比較するとき、ほとんどの指標はドルベースで見られる。これが日本の見栄えをさらに悪くする。
1995年は1ドル=94円という円高。2023年は1ドル=140円台の円安。つまり、同じ国内の付加価値でも、ドルに換算した瞬間に3〜4割も目減りしてしまう。だから、「日本の一人あたりGDPは世界的に低い」という見方は、半分は事実だが、半分はドルという物差しのせいで矮小化されている。
こう整理してみると、日本の30年間が「本当に停滞していたのか?」という問いそのものが揺らいでくる。しかし、より正直に言えば、日本は停滞していたのではなく「他国が急激に伸び、かつ日本は価格と産業構造を変えなかった」ために低く見えるだけなのだ。日本の一人あたりGDPが減ったのではない。他国が高くなり、日本は値付けを変えられなかった。それに円安が乗っかって、国際比較では小さく見えるようになったということなのだ。
(時間を増やす議論と、本当に変えるべきところ)
現在、国会では、働き方改革や36協定を見直して、労働時間を増やす議論をしている。つまり、労働時間を増やしてGDPを増やそうという魂胆だ。早嶋はこの問いに対して、「部分的にYES、しかし本質はそこではない」と考える。
確かに短期的には労働時間の総量を増やすことでGDPの底上げは可能だ。しかし、1995年以降の停滞の本質は、時間ではなく「付加価値単価が上がらなかったこと」にある。つまり、日本の企業が30年間「値段を上げる覚悟」を持てなかったということだ。産業再編を進め、規模の経済を働かせ、投資余力を作り、生産性を本当の意味で高めていく。そのうえで、サービス産業を中心に「値付けの文化」を変えていく。わたしはここが最重要だと思っている。
こうした議論をしていくと、結局のところわたしたちの経済の問題は「働き方改革のせいで停滞した」のではなく、「働き方改革より前に、産業が変わらなかった」というところに行き着く。1975年から1995年までは、時間を減らしても産業が進化した。しかし1995年から2023年までは、産業が進化しないまま、時間だけが減り続けた。その違いだ。
時間を増やすかどうかではなく、付加価値を高められる産業構造に変えていくかどうか。その方向性こそが、本当の意味での成長戦略だと考える。
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旧暦コラム 霜月の入りにて
2025年11月12日
早嶋です。
この一週間で、空気が一気に冷え込んだ。子どものソフトボールの応援も、夏の装いから冬の防寒へ。秋がなくなったように感じるほどだが、ふと見渡せば、木々は確かに紅葉している。秋は、まだそこにいる。
プラットフォームから、今年も新米が届いた。BBTからも同じく、長野の秋の恵みが届く。袋を開けた瞬間に広がる、あの香り。新米を研ぐ水の冷たさに、季節の深まりを感じる。熊本からは、旬のれんこんを使ったからし蓮根。地の辛味が鼻を抜ける。近くの和食屋では、銀杏の焼きと揚げ。独特の苦みが舌に残り、心にスイッチを入れる。台所では、妻が栗の皮を剥き、渋皮煮を仕込んでいる。その姿は、我が家の秋の風物詩だ。
ベランダの紅葉は風に吹かれながら衣替えを始め、葉の先から少しずつ赤く染まり出した。並木道のけやきと銀杏も、まるで合図を交わすように、いっせいに秋の色へと変わっていく。
旧暦では、今は霜月のはじめ。霜が降りるほどに空気が澄み、しかし自然はまだ、秋の光を惜しむように柔らかい。冬の入口で、秋が最後の輝きを見せている。
ネーミングライツの落とし穴
2025年11月11日
早嶋です。約1500文字。
多くの企業が地域貢献の一環として、地元のスポーツ大会や文化イベントに協賛していると思う。そこには、地域との絆を深めたい、社会に還元したい、という善意がある。更には、地元の親御さんに会社の名前を知ってもらい、将来的に自社に入社してもらったら嬉しい、と考える企業もいるだろう。だが、実際のところ、その「善意」が逆効果になる場面が増えているように思う。
たとえば、10年間で気候が大幅に変わっている。猛暑の中での大会運営や天候判断の難しさなど、スポーツイベントや文化イベントの運営にも多様な経験が必要になっている。本来、このようなマネジメントは運営側の責任だ。しかしそのようなイベントに協賛し、イベント名の冠に企業名を出している場合は、参加者や保護者は確実に、その企業に責任を求めると思う。
たとえば、「第15回・早嶋コンサルソフトボールカップ」とかであれば、「なんでコンサル会社なのに、現場が混乱しているのだ?」とか。「第20回・早嶋弁当サッカー大会」とかであれば、「何で弁当を扱う企業なのに、弁当の到着が遅いんだ?」とか。だ。実態として運営に関与していないので、大会名に冠があれば「主催者的な責任」を負っているように現場の利害関係者からは思われるのだ。
企業にとっては、「お金を出して名前を貸しているだけ」でも、社会的には「大会の一部を担っている」と認識される。ここにネーミングライツの盲点があるのだ。名前を出すということは、運営責任の一部を世間的に背負うということなのだ。特に、SNSでリアルタイムに情報や不満が拡散される時代では、「関係がない」と言い切るのは難しい。「第20回・早嶋ガスホールディングス親子スポーツイベント」は、大雨の中、強行開催をして、何を考えている!的なコメントを、企業名を関して発信されるのだ。
しかも、実際の地域大会の多くはボランティアや地域の有志が中心で、プロのイベント運営者ではない。スケジュールの乱れ、連絡の遅延、対応の不統一などは、ほぼ避けられない。だが、そうしたトラブルの矛先が「冠企業」に向くという構造は、意外と多くの企業が想定していない。更に、支社単位での協賛の場合は危うい。地元では「○○株式会社の大会」として広まっているが、本社はその存在すら知らないだろう。ところがクレームや苦情は「企業全体」への印象を損ねる。これはブランドリスクそのものだ。
もし、協賛企業がB2C型であれば、たとえば小売、金融、住宅、教育など、大会運営の不満や不手際の印象が直接的に冠企業へのマイナスの感情へ発展する。大会の不手際と商品サービスの印象が結びつき、「あの会社は対応が悪い」となる可能性も十分に考えられる。企業は「地域のため」と思って協賛しても、消費者は「企業の責任」と受け止めるのだ。ここに大きな乖離がある。
わたしは、これからの地域協賛は「名前を出す」より「共に運営する」時代に変わるべきだと思う。たとえば、協賛企業が大会の情報発信をサポートしたり、暑さ対策として給水ステーションを提供したり、あるいは大会中止や変更の際の連絡網づくりをデジタルで支援する等だ。そうした参加型協賛ができれば、単なる冠スポンサーではなく、運営の信頼を支えるパートナーになれるのだ。ネーミングライツは「宣伝」ではなく「共責任」だと認識しなければならない。その覚悟がないまま名前を貸すことは、思わぬリスクを招く。地域に根ざす企業ほど、この構造的なリスクを一度整理しておいた方がいいと思う。
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イデオロギーがマイルド保守に向かう理由
2025年11月7日
早嶋です。2700文字。
戦後の日本政治を理解するとき、押さえるべきは「1955年体制」が成立するまでの流れだと思う。敗戦直後、日本はGHQ(連合国軍総司令部)の占領下に置かれ、急速な民主化政策が進められた。財閥解体、農地改革、労働組合の育成等。そのどれもが、戦前の国家主義体制を否定する試みだ。この時期、政治は右も左も混乱していた。旧来の保守勢力は国体の維持を模索し、左派は労働運動や平和主義を掲げて急進化する。冷戦構造のもと、アメリカは日本を反共の砦として位置づける一方で、国内では「資本主義 vs 社会主義」という二項対立がそのまま政治の対立軸になっていった。こうして1955年、自民党と日本社会党がそれぞれ保守・革新の代表として結集し、「55年体制」が成立する。以後、約40年にわたって自民党が政権を維持し、社会党が常に負ける野党として機能する安定構造が続いた。
日本でいう「リベラル」は、欧米型の自由主義というよりも、「弱者を保護し、再配分を重視する左派的立場」に近い。社会党は労働組合(総評)を母体とし、福祉国家、護憲、反核、平等を掲げていた。一方の自民党は経済成長と安定を重視する「開発型保守」であり、戦後の奇跡的な高度成長を支えた。つまり、リベラル=理想と平等を語る野党、保守=成長と秩序を担う与党、という役割分担が成立していた。
しかし1980年代末、冷戦が終わり、グローバル資本主義の波が押し寄せる。国際競争が激化し、国家よりも企業、企業よりも個人が生き残りを競う時代が到来する。この瞬間、国家単位で「再配分」や「護憲」を唱える社会党の言語は、現実の経済システムと乖離していった。もはや「左」と「右」ではなく、「グローバルに適応するか否か」が政治的分断の軸に変わったのだ。この転換によって、55年体制の対立構造は意味を失っていった。
日本のピークは1996年前後だ。経済的にはバブル崩壊のダメージが顕在化し、日経平均は1989年の38,915円から1996年には半値の約2万円台まで下がった。企業の倒産が相次ぎ、非正規雇用が増加、終身雇用神話が崩れた。政治では1994年、社会党の村山富市が自民党と連立を組んで首相に就任。「保守と革新の対立」という構図は完全に瓦解したのだ。その後、社会党は自らの存在理由を失い、1996年には民主党や社民党に分裂。ここで戦後政治の「リベラルの軸」は事実上、消滅する。国民は初めて、「保守かリベラルか」ではなく、「現実に対応できるかどうか」で政治を選ぶようになったのだ。
同じ頃、若者たちは氷の中に放り込まれた。1993年から2005年ごろまで続いた「就職氷河期」では、新卒内定率が60%台にまで低下した。大学を卒業しても就職できず、派遣やアルバイトに流れる人が急増した。1999年時点でフリーターは約417万人、ニート(働かず学ばず)の数も増え続けた。彼らは「努力すれば報われる」と信じて受験戦争を戦い抜いた世代だった。真面目に大学に進み、就職活動に全力を尽くしても、景気のせいで門前払い。一方でバブル期に入社した少し上の世代は安定したポジションを維持している。この不公平感が、深い構造的裏切りの感情を生んだのだ。そして、「国の言う通りにしても報われない」という実感が、政治への不信を決定的にしたのだ。
努力しても報われない現実を前に、彼らは政治的な理想や運動に関心を失ってしまう。「どうせ何も変わらない」という諦めが社会全体を覆い始める。2000年代初頭、IT革命が始まるが、当時のネットはまだ限られた層のもので、議論は一部の掲示板(2ちゃんねるなど)にとどまっていた。しかし、2007年以降、iPhoneの登場とSNS(Twitter、Facebook、mixi)の普及によって状況が一変した。匿名のまま意見を発信でき、同じ不満を抱えた人々と瞬時につながれる。現実社会では口にできない怒りや差別的感情を、ネットの中では自由に表現できるようになったのだ。これが「表では沈黙、ネットでは過激」という日本独特の分裂的コミュニケーションを生み出すきっかけになった。そう、マイルド保守の感情的インフラが整い始めるのだ。
ここでいうマイルド保守とは、強いナショナリズムや排外主義ではなく、「日本を守りたい」「今の生活を壊したくない」という穏やかな保守感情を指す。造語ではあるが、思想ではなく気分としての保守を意味する。国家の方向性やイデオロギーではなく、「子どもが安全に育ち、仕事があり、生活が続く」という極めて日常的な安心を求める態度だ。それは右傾化ではなく、防衛反応なのだ。混乱する世界の中で、せめて自分の周囲だけは守りたいという願いがマイルド保守の根底にあるのだ。
一方、2000年以降に成人した若者たちは、成長のない国を前提に生きている。努力しても賃金が上がらず、住宅も買えず、将来の年金も不安。それでも彼らは氷河期世代のように政治を恨まない。むしろ、最初から国家や組織に期待していないのだ。彼らの生き方は、「変える」ではなく「適応する」だ。企業に忠誠を誓うより、転職や副業で自分のポジションを最適化する。社会に合わせて生きるというより、環境に合わせて自分をチューニングする感覚に近い。彼らにとって政治は、理念ではなくサービス。「どの政党が自分の生活を少しでもマシにしてくれるか」という待遇主義的政治観が主流になっているのだ。
現代日本には、次の二つの心理が共存している。
氷河期世代:努力を信じて裏切られた。政治に失望し、諦めを抱く。
若者世代:最初から努力神話を信じず、環境に適応して生きる。
前者は「政治に裏切られた」と感じ、後者は「政治に期待していない」と信じている。両者に共通したのは、政治を遠いものとして扱うことだった。そこに政治家が「日本を守る」「生活を安定させる」と語れば、左右を超えて共感が生まれたのだ。これがマイルド保守の感情構造で、今の日本政治を支える多数派だと思うのだ。
1955年体制の崩壊後、日本はリベラルを失い、保守もまた理念を失った。代わりに登場したのが、安定を信仰する社会だ。右でも左でもなく、「普通でいたい」「波風を立てたくない」という感情が国を支配している。マイルド保守とは、政治の右傾化ではなく、むしろ、希望を失った社会が選んだ穏やかな防衛反応なのだ。誰も革命を望まず、ただ「平和な日常を守りたい」と願っている。そしてその願いこそが、現代日本における最大のイデオロギーなのだ。
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ポルシェは、いまどこにいるのか
2025年11月4日
早嶋です。約2700文字。
ポルシェブランドは、独特の存在感がある。マカン3を新車で2年ほど所有した、その間、通勤や旅行のたびに感じたのは「走ることそのものが心地いい」という感覚だ。踏み込んだ瞬間に伝わるレスポンスの良さ、高速でのハンドリングの安定性、道の凸凹を繊細に感じる設計、車と人がつながったような感覚。単なるSUVではなく、どこか職人気質の「機械の誇り」を感じさせるものだった。おそらく、ポルシェを愛する人たちは、こうした車の感覚に惹かれているのだと思う。そのポルシェ、今、ブランド哲学の転換点に立っていると思う。
コロナ禍とウクライナ危機による部品供給の滞りをきっかけに、投資目的で車を買う層が増え、911を中心とした人気モデルは新車待ちが当たり前になる。市場は過熱し、ブランド価値は一時的に高騰。だが、その裏で、ポルシェという企業自体の体力は、少しずつ削られていったように思う。
2024年の決算では、売上はほぼ横ばいにもかかわらず、営業利益は約2割減少。営業利益率も18%から14%へと落ち込み、販売台数も約6%減少した。しかも、販売の落ち込みの最大要因は、中国と香港市場の冷え込みだ。世界のポルシェ販売の約3割を占めるこの地域が、景気の減速と政治的不安定を背景に大きく沈んだのだ。ここに、ポルシェが直面する三つの圧力があると思う。
第一に、中国依存のリスク。
第二に、電気自動車(BEV)時代における収益性とブランドらしさの両立という課題。
そして第三に、ソフトウェア競争力の底上げだ。
(中国依存のリスク)
2000年代に入り、中国ではフォルクスワーゲンが早期に築いた販売・整備のネットワークが国中に広がっていた。ポルシェは、そのグループの一員として、自然にこの基盤の恩恵を受ける形で参入した。販売は独立運営だったが、物流や部品供給などの土台はVWグループの構造に支えられていた。その結果、アウディが公用車として定着し、BMWやベンツが富裕層に浸透する中で、ポルシェはそのさらに上を象徴するブランドとして地位を築いた。だが、その強みは同時に、VWグループの中国依存というリスクでもあった。経済の減速と国産EVメーカーの台頭により、グループ全体の販売が鈍る今、その影響を最も強く受けているのがポルシェなのかもしれない。
これまでのポルシェは、アジア戦略を「中国一極集中」と言ってもいいほどに頼ってきた。その構造が、いま大きなリスクとして跳ね返ってきている。短期的に売上を回復させるには、アメリカや中東、欧州での販売を厚くするしかない。だが、これらの地域にはすでに多くのプレミアムブランドが密集しており、容易ではない。
(BEVの収益性とブランドらしさの両立)
ポルシェが直面している第二の圧力は、「電気化の壁」だ。911以外の主力モデル、718、マカン、カイエンなどは、いま電気自動車への移行を進めている。だが、この戦略は必ずしも順調ではない。電動化に巨額の投資を行った結果、開発費が膨張し、ガソリンモデルへの再投資余力が薄まったのだ。
しかも、電気自動車では、従来の「ポルシェらしさ」を表現するのが難しい。エンジン音も振動もない中で、どのようにドライビングの愉しさを再現するか。テスラやBYD、メルセデス、BMWなど、多くのメーカーが同じ舞台で競い合う世界では、ポルシェのアイデンティティが埋没しかねない。
この状況を受けて、ポルシェは2025年秋に電動SUVの開発計画を一部見直し、「ガソリンとハイブリッドを含む複線的な戦略」に切り替えた。電動化一本足では採算が合わず、ブランドらしさを維持できないと判断したのだろう。だが、それは同時に、これまで積み上げてきた電動化投資の一部を「損失」として飲み込む決断でもある。
(ソフトウェア競争力の遅れ0
第三の問題は、ソフトウェアだ。これは、多くのポルシェオーナーが実感していると思うが、インフォテインメントやアプリ連携の品質は、他社と比べて明らかに劣る。車体の設計や走行性能は世界屈指でも、ソフトの出来が悪い。アプリで車を管理する仕組みも不安定で、バグや接続不良が多く、「こんなものか」と諦めなければならないこともある。
この遅れの背景には、VWグループ全体のソフト戦略の失敗がある。グループ子会社「CARIAD」がソフト開発を一手に担っているが、開発の遅延とコスト超過で知られている。結果、ポルシェはGoogle系の外部OSを採用するなど、方針転換を余儀なくされた。だが、ソフトの力が問われる時代に、ここでの遅れは致命的だ。かつて「エンジンの美学」で世界を魅了したブランドが、いまや「ソフトの不具合」で不満を抱かれる。これほどの皮肉はない。
この三つの圧力を俯瞰すると、ポルシェはいま、ブランドの根幹が揺らいでいる状態だ。ハードでは世界最高の水準を維持しながら、ソフトや戦略の面での歪みが、じわじわと企業全体を蝕んでいる。電気化の波に乗り遅れたのではなく、「電気化の意味づけ」に失敗しかけているのだ。
ポルシェというブランドは、単なる移動の手段ではなく、「走ることの哲学」そのものだった。だからこそ、エンジンを失っても、哲学を失ってはならない。EVでもガソリンでもいい。大事なのは、ドライバーがステアリングを握った瞬間に「これがポルシェだ」と感じられるかどうかだ。
ポルシェは、いま大きな試練の中にある。しかし、この企業には、かつて何度も危機を乗り越え、再び頂点に戻ってきた歴史がある。911が何度も絶滅の危機に立たされながらも、常に進化し、時代に合わせて蘇ってきたように、ポルシェもまた「復活のDNA」を持っている。
いまのポルシェがすべきことは、二つだと思う。ひとつは、「電動化をポルシェ流に再定義すること」だ。EVを未来の義務として作るのではなく、ポルシェの快楽を再構築する挑戦として位置づけることだ。加速性能や航続距離ではなく、「走る歓び」をどう設計するか。その視点が戻れば、電動化の意味が生まれる。
もうひとつは、「ソフトウェアをエンジンと同じレベルの文化にすること」だ。ポルシェの車は、もはや動くコンピューターだ。ならば、その頭脳にあたるソフトの完成度を、かつてのメカニカルエンジニアリングのように磨く必要がある。ここを外部依存のままにしていては、ブランドの未来はないと思う。
ポルシェは、いまも世界中のドライバーにとって憧れであり続けている。ただ、その憧れが、過去の延長線上にあるだけでは意味がない。これからの10年、ポルシェが「走る哲学」を再構築できるかどうか。それが、ブランドの未来を決めると思う。
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