新規事業の旅197 知識労働にもスマイルカーブ

2025年7月3日 木曜日

早嶋です(1600文字)。

かつて、製造業の世界では「スマイルカーブ」という概念が注目された。

1990年代、台湾Acerの創業者スタン・シーが提唱したこの考え方は、製品づくりにおける価値の偏りを一目で理解できる視覚モデルだった。製品のライフサイクルを工程ごとに並べてみると、研究開発や企画といった上流工程、そして販売・マーケティングなどの下流工程に高い付加価値が集中し、製造や組み立てといった中流工程は極端に価値が低くなる。その理由は明確で、中流工程は機械化・標準化・外注化が進み、一定の資本と技術があれば、どの企業でも同じようにこなせるようになったからだ。大量生産・効率化の波にのまれ、そこで働く人々の付加価値は下がりつづける。

この「スマイルカーブ」という視点、現在、知的労働の世界にも静かに広がってきている。

2000年以降、インターネットの普及はあらゆる情報へのアクセスを容易にした。かつては専門のリサーチャーやアシスタントが担っていた「調査」「統計分析」「資料の要約」は、検索エンジンとネット上のデータベースによって誰でも簡単にできるようになった。資料作成の外注も、クラウドソーシングやリモートワークの拡大によって加速する。リサーチャーやライターといった知的な中流工程が、国内の副業層や、さらには海外のフリーランスに安価で委託されるようになった。知的労働にも、コモディティ化の波が押し寄せたのだ。

さらにSNSの登場により、コンテンツの流通構造も激変した。何を言うかではなく、誰が言ったかがすべてになったのだ。フォロワー数や影響力をもつ「個」としてのブランドが、発信の価値を左右するようになった。編集者や分析者のような黒子的な役割よりも、顔のある発信者のほうが評価される時代に突入する。つまり、情報の中身をつくる作業そのものは、下請け化され、価値が薄まっていったのだ。

2020年以降、AIの民主化はこの構造にさらに大きな衝撃を与える。ChatGPTをはじめとする生成AIは、リサーチ・文章作成・要約・構成・仮説整理など、かつて知識労働者が時間とスキルをかけて担っていた仕事を、一瞬で、しかも安価にこなすようになった。しかもその品質は、いまや専門家レベルの壁打ちとして十分に成立する。中流工程、すなわち「調べる」「まとめる」「整える」といった仕事の多くが、機械化されてしまったのだ。これは、製造業において「組み立て工」が機械に置き換えられていった構図と、まったく同じだ。

ここで、あらためてスマイルカーブを知識労働に当てはめてみる。

上流工程は、インスピレーション、問いの発見、構想、方向性の設計。中流工程は、リサーチ、文章作成、分析、統合(→AIによって自動化)等。そして、下流工程は発信力、認知、ブランド、ファンコミュニティの形成等だ。

すでに明らかなように、「考えを整理する力」や「情報をまとめる力」は、もはや価値の中心ではない。必要なのは、「何を問うか」「なぜ問うか」という構想力と、「誰が問うか」という信頼と影響力だ。ここから見える21世紀の価値はシンプルだ。

それは3つあり、問い、構成、そして個人の認知だ。問いを立てる力(構想力)だが、AIは大量の答えを持つが、「何を問うか」は人間の仕事だ。編集、つまり統合して仕上げる力(編集・構成力)だが、バラバラのアイデアや断片を、一つの意味ある作品に仕立てることだ。この指示をしなければAIは勝手に組み立てない。そして、個として認知される力(パーソナルブランド)だ。誰がそれを言ったのか? 信頼される「名前」が、ポイントになる。

今後の仕事をイメージして、スマイルカーブの谷間に、自分の仕事を置かないほうが良い。その仕事は、AIやネット検索、外注で代替可能なので、その価値は今後薄まっていく。しかし逆に、インスピレーションや編集、そして信頼される「語り手」としての立場を築けるのであれば、その価値はどこまでも高まる。皮肉にも製造業が通ってきた道を、いま知識労働がなぞっているのだ。そして、そのカーブの先には、新しいプロフェッショナルの姿が待っている。

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