
新規事業の旅176 民主主義が絶対主義になる時
2025年5月1日
早嶋です。3300字です。
民主主義という制度にこれまで疑問を呈したことはなかった。良いものだと思っている。しかし、それは複数の前提が満たされなければ機能しない仕組みだ。
例えば、昔のように100人とか300人くらいの組織であれば、同じような経験を積んだ人たちの間で、議論が成立していた。議論する内容に対して参加者の全員に共通認識があり、言葉も噛み合う。だからこそ、合議制は理想的で現実的だった。徐々に、組織の規模が1,000人を超え、あるいは国全体が数千万人規模になると、全員が同じ土俵で議論するのは難しくなる。そこで、代表者を選び、その代表が議論して物事を決める、いわば代議制民主主義という制度が整いはじめた。
ただ、ここでも問題が起こった。代表として選ばれた人たちが、「自分たちこそが物事を決める存在だ」と錯覚し始めるのだ。ただこれは選んだ側も悪い。どこかで、「あいつに任せておけば大丈夫だろう」と思考停止するからだ。代表制はいつしか形骸化し、議論のない合意だけが進んでいく。
そして気がつけば、「選ばれた少数者の発言は素晴らしい」「彼らの言うことに従っておけばいい」という空気が支配するし、異を唱えるものも、不平はいうが自ら手を上げて政治の世界に参加する動機にまでは至らない。そして全体主義の入り口に突入する可能性が高くなる。
この構造、今の日本にも見える気がする。
かつての自民党は、一強ではあっても、党内で複数の派閥があり活発な議論が行われ、さまざまな立場からの政策提案があったように思う。当時は、保守の中にすら多様性があり、利害を調整する機能が働いていた。ところが今は、自民党の中で議論が表に出ることが少なくなった。多くの議員は、自分が次の選挙に当選することが主眼になっており、国策を議論する国士はほんのわずかしか見えないと思う。
一方で野党はといえば、与党の失策を指摘するばかりで、現実的な対案を示すことが少ない、或いは無い。国民の多くも「どうせ変わらない」という前提になり、投票に行かない。行く人ですら、直前の雰囲気やなんとなくのイメージで候補者を選んでしまっている。
米国では、民主党と共和党の二大政党が激しく対立し、政策も定期的に揺り戻される。けれど、今やその争いもエンタメ化し、「どっちが正しいか」ではなく「どっちが共感できるか」「どっちが好きか」といった次元の争いになってきているように見える。金持ち側と一般・貧困層との戦いにすら見えてしまう。
韓国もまた、民主主義が一見機能しているようでいて、実は極端な揺れを繰り返している国だと思う。政権が保守と革新で交互に入れ替わるが、そのたびに前政権のスキャンダルや腐敗を徹底的に断罪し、逮捕や弾劾にまで至るケースが目立つ。朴槿恵(パク・クネ)政権しかり、李明博(イ・ミョンバク)政権しかり、過去の大統領の多くが退任後に何らかの責任を問われている。
一見すれば「政治の透明性が高い」と見ることもできるが、その一方で、政治の対立が司法にまで及び、感情的な報復合戦のような構造ができてしまっている。政策よりもスキャンダルの応酬が目立ち、結果として国民の分断が深まっている。韓国の民主主義は、「参加意識が高く、熱量もある」のに、そのエネルギーが健全な議論よりも対立の拡大再生産に向かいやすい土壌を持っているように思える。SNSでの政治的発言も非常に活発で、選挙も接戦になりやすいが、その一方で「勝った側が徹底的に負けた側を否定する」構図が常態化しているのだ。
これらもまた、民主主義のもう一つの落とし穴かもしれない。制度としての民主主義が整っていても、議論と対話が不在なまま感情で政治が動きすぎると、結果的に民主主義が破壊的に使われるのだ。
そんな中でも、僕が注目しているのはスイスの政治制度だ。スイスでは、年に何度も国民投票が行われ、地方単位での自治や議論の文化が根付いている。少数民族国家で、言語も宗教も違う人々が共存するこの国では、最初から「違いを前提とした議論」が不可欠だったのだと思う。山に囲まれた地形や、中央集権が育たなかった歴史背景もあるだろう。小さな共同体ごとに意見を出し合い、合意を探るしかなかったのだ。それが熟議民主主義として定着したのだろう。つまりスイスは、「違いを超えるために議論せざるを得なかった国」なのだ。
一方で日本は、島国で周囲を海に囲まれた地理的特性のお陰で、比較的同質的な文化と価値観を背景にしてきた。明治維新以降は中央集権型に突き進み、「上が決め、下が従う」仕組みが当たり前になったと思う。空気を読む文化、忖度、周囲と同じ意見を表明することの安心感。これらは民主主義にとって決してマイナスばかりではないが、議論を必要としない社会を温存する構造にもなっている。
結局のところ、民主主義の制度それ自体が悪いのではなく、そこに関わる人間の態度が問われているのだ。特に、過去の過ちを正面から見つめて、修正しようとする姿勢が失われたとき、民主主義は一気に堕落する。「間違いがあった」と言えなくなる。「修正すべき」と言う人を排除するようになる。歴史や失敗をなかったことにして、都合のいい物語だけが語られるようになるからだ。全体主義が生まれる最も大きな条件はここにあるのでは無いだろうか。
もちろん、他にもある。たとえば、「数が正義だ」という誤解が広がったときだ。民主主義は多数決のルールで動くが、それはあくまで最後の手段に過ぎない。少数意見を丁寧に扱い、納得解を探していくプロセスこそが本来の民主主義だ。でもそれが軽視され、数だけで押し切るようになると、暴民政治になりかねない。
また、国民が思考を手放して「誰かに任せればいい」と思い始めると、独裁の土壌ができあがる。カリスマ性のある人物が現れて、「この人が言うなら間違いない」と信じてしまう。そこに異論を唱えると、「反日だ」「反国家的だ」とレッテルを貼られるようになる。これはすでに、民主主義とは呼べない。
さらに最近では、SNSやAIを使った情報操作、偽情報の蔓延も問題になっている。リテラシーがない人はすぐに騙されてしまうし、信じたい情報しか信じない人が増えてしまうと、社会全体の分断が加速する。ファクトチェックも重要だが、それを「誰がやるのか」が難しい。アメリカでは裁判官を大統領が任命する。その裁判官が判断する「真実」に偏りはないのか、という疑問もある。つまり、「正しさ」を決める権力自体が、いつしか危ういものになるのだ。
結局のところ、完璧な制度は存在しない。だからこそ、その都度、状況に応じて柔軟に運用し直すことが大切なのだと思う。でもそれを忘れて、「これが絶対に正しい」と思い込んだ瞬間に、人は制度ではなく「正義」を信じるようになり、そこから絶対主義が始まるのではないだろうか。
ところで、こうした民主主義の劣化や絶対主義への滑落の構造は、国家レベルの話だけではないと思う。むしろ、そのミニチュア版は日本企業の組織の中にも、あちこちに潜んでいるのと。
たとえば現場で若手が議論を重ね、新しい提案を出しても、上層部は「はいはい」と聞き流すだけで、実際には何も動かない。声を出す人が損をする。形式だけの会議、聞くふりをする上司、そして疲弊して沈黙していく若手。極端に書きすぎている面もあるが、そんな構図を想像することが容易に出来た読者は、一定数いると思う。
最初は議論があったかもしれない。けれど、それが無視され続けると、次第に誰も意見を言わなくなる。やがて上の意向だけが通るようになり、それに従わない者は排除される。こうした流れは、組織の中でも立派な「小さな全体主義」だと思う。何より怖いのは、若い人のエネルギーが音を立てて失われていくことだ。「言っても無駄」「どうせ変わらない」――そう思わせた時点で、その組織はゆっくりと、けれど確実に衰退の道を歩み始める。
民主主義とは、大声を出すことではない。正解を知っているふりをすることでもない。違う意見を受け止め、過去を修正し、議論を通じて何度も立ち返る力のことだ。それは国家でも、会社でも、同じことだと思う。
一度だけで終わらせない、リピーターが増える営業の習慣
2025年4月30日
高橋です。
私がコンサルティングをしている『営業プロセス研修』のエッセンスを、毎回お伝えしています。
今月のテーマは「一度だけで終わらせない、リピーターが増える営業の習慣」です。前回まで契約後のフォローについてお伝えしました。今回は何度もお客様になっていただけるリピーターを増やすことにフォーカスしてお送りします。
「一度ご契約いただいたけれど、次にはつながらなかった…」そのような経験は、営業をしていれば誰でもあります。
でも実は、「営業力の差」が出るのは“契約まで”よりも“契約後”でしたね。お客様がリピーターになってくれるかどうかは、営業の「その後の行動」に大きく左右されます。
トップ営業ともなると、生命保険ですら追加追加でご契約をいただけるケースが多いです。法人契約はもちろん、個人のお客様でもです。今回はリピーターを増やすために効果的な3つのポイントをご紹介します。
1.「小さな接点」を意識的につくる
リピートしてもらうには、お客様の“記憶に残り続ける”ことが必要です。
しかし多くの営業マンが、「何かあればご連絡くださいね」と言って放置しています。次の新規顧客を探すことに一生懸命になってしまうからです。
しかしトップ営業ほど、“小さな接点”を意図的につくっています。たとえば、
・商品納品後のフォローメール(簡単なお礼や不明点はないかだけでもOK)
・誕生日や季節の変わり目の「近況伺い」
・お客様の業界に関連するお役立ち情報の提供(ニュース・コラムなど)
「売り込み」ではなく、「気にかけてくれている」と思ってもらえる行動が、お客様の心に残ります。
2.購入後の“安心感”が、次の相談を呼ぶ
どんなに優れた商談であっても、初めての契約のあと、お客様はこんな不安を感じるものです。
「本当にこれでよかったのかな?」
「この選択で失敗してないよな?」
この不安を放っておくと、次回の相談を避けるようになります。
逆に、購入後に安心感を与える営業には、こんな変化が起きます。
・次のタイミングで真っ先に声をかけてくれる
・「○○さん(営業マン)に相談したい」と思ってくれる
・ご紹介してくださる可能性も高まる
不安を安心に変えるには、納品後や施工後に「一度で終わらないフォロー」が必要です。
3.「お客様の未来」を一緒に考える
リピーターが生まれる営業マンは、“今”だけを見ていません。
たとえばリフォーム営業なら、
「今回の工事が終わったあと、2~3年後に気になるのはどんな部分ですか?」
というように、“未来の困りごと”に先回りして話をします。
つまり、目先の売上ではなく、お客様の「これから」に寄り添う姿勢が、次の相談へとつながっていくのです。
このようにリピーターを増やす営業は、決して“派手なテクニック”を使っているわけでも特殊な能力が必要なわけでもありません。小さな気配り、フォロー、未来視点——この3つを習慣にしているだけです。
一度だけで終わらせないための小さな積み重ねが、紹介やリピートにつながる“強い営業基盤”をつくっていきます。
今日からできる、小さな一歩をぜひ実践してみてください。
営業プロセス、営業研修、人材育成、セールスコーチなどをご検討の経営者・経営幹部・リーダー・士業の方はお気軽に弊社にご相談ください。
新規事業の旅175 ガソリン価格の高騰の本質
2025年4月29日
早嶋です。約3000字です。
2025年4月、日本のガソリン小売価格は1リットル186円に達している。世の中はGWの最中だが、スタンドの表示価格はハイオクであれば200円も間近だ。やはり「高い」と感じることだろう。ところで、本当にガソリン価格は異常に高いのだろうか。少しファクトを含めて調べてみた。結論はガソリン価格は、世の中比較では相応か、寧ろ安く、問うべきは税金に関する議論だった。
ファクトチェックをした。2015年、日本のガソリン小売価格は平均で約130円だ。このとき、WTI原油価格は約50ドル。ドル円レートは約120円。1バレルあたりの円換算価格はおよそ6000円になる。そして、2025年現在。ガソリン小売価格は約185円。WTI原油価格は63ドル。ドル円レートは150円なので円建て原油価格は約9450円となる。
つまり10年間で、ガソリン価格は約1.4倍に上昇しているが、原油の円建てコストは約1.6倍に上昇している。ここからガソリン価格の上昇は、原油コストの上昇幅よりも小さいということが分かる。そのため、「ガソリンが高い」という直感は、正しくないとも言えるのだ。
そこでガソリン価格の内訳を因数分解した。店頭価格の42%以上が税金だ。ガソリン税として、本則28.7円、暫定25.1円、合計53.8円が課される。そして、地方揮発油税が5.2円。さらに、石油石炭税・地球温暖化対策税が合わせて2.8円。極めつけは、それらを合算した金額に対して消費税10%が更に乗るのだ。その結果、ガソリン1リットルあたり、約78.7円が純粋な税金として組み込まれている。
ちなみに、ガソリン税には本則と暫定がある。本則税率の28.7円は、もともと道路整備を目的として1954年に導入されている。戦後の日本には、国土開発、高度成長期のインフラ整備等を支える財源に作られたものだ。ガソリンを使う車が主に、利用者負担で道路を作り、今でもメンテナンスに充てる発送は理屈にかなっていると思う。
しかし、暫定は意味不だ。本来は1974年のオイルショック後の財政危機対策として。時限的に上乗せした税金だ。当時の理由は、燃料消費が減ると道路財源が減る。それを補うために税率を臨時で上げるというものだった。そこで5年間の時限措置が取られたのだ。が、政府は5年毎に延長を繰り返す。そして事実上、恒久税化したのだ。実際、2008年の福田内閣の時に、暫定と言いながら半永久的な税とする法改正が行われているのだ。
日本の直近のガソリン年間消費量は約446億リットルだ。これにより生まれる税収は、
– ガソリン税だけで約2兆4000億円、
– 地方揮発油税で約2300億円、
– 石油石炭税・温暖化対策税で約1250億円、
– さらに消費税で約7500億円程度、
となり、合計すると4.5兆円以上が、ガソリン関連だけで国と地方に流れ込むことになる。国の大きな収入の柱とも言ってよい額だ。(2024年のガソリン税による税収は、国税で約1.5兆、地方税で約5千億となっていた。若干、からくりが不明だが大きな単位はあっているので、ここの理論はこれ以上詰めないでおく)
財務省の建前は、健全な国家財政運営だ。しかし、税収を最大化し、国家支配を維持することのように振る舞っているように感じる。同様に、経済産業省の建前は、産業振興と国民経済の発展だ。しかし現実は、特定産業との関係強化を通じて自らの存在意義を確保をしているかのようだ。燃料油価格激変緩和措置にしても、国民に寄り添う顔をしながら、元売り企業に補助金を与え、その間に行政と産業が利益を確保する構造にみえる。
なぜ、税を下げる選択肢をしないのか不思議だ。確かに、財務省は税収を減らしたくないだろう。そして、経産省は補助金配分の仕組みを手放したくないと思う。更に、地方自治体も地方税収を失いたくないし、元売り企業も補助金で価格維持できるから反対しないと思ってしまう。誰一人として、国民負担を本気で減らそうとはしていない。この事実に、私たちはまず気づかなければならないのだ。
このような状況に対しての合理的な打開策は、財務省の絶対的な予算支配の縮小し、経産省と大企業のつながりの解消(つまり自由化や既得権益の剥奪、そして規制緩和だ)、地方自治体が自律的に動き始め、国民が自分たちで社会を作る主体に戻ることだ。税金は明確な対価として支払われるようになり、補助金での誤魔化しを終えることだ。中央集権ではなく、分散型で自立した社会に生まれ変えることだ。まぁ、とても日本のしくみを考えたとて難しシナリオだが、希望を持てるシナリオだと思う。
しかし、現実は財務省は増税に動き、経済産業省はその財源を元にばら撒きに動き、政治も社会も、本気で「仕組みのスリム化」に取り組まないのだ。理由はなんだろうか?
1つは、官僚組織そのものに縮小するインセンティブが無いことだ。財務省も経産省も、自分たちの組織が大きく、予算が多く、権限が強いほど、将来のポストが増え、人事権が強くなり、天下り先が確保できると思うかもしれない。これが組織の生存本能というものだ。組織にとっては、「合理化=組織の弱体化」になるのだ。だから、合理化を自分からは絶対にやろうとしない。仮にやるときも、ポーズに留まるのは歴史から学んでいる。官僚にとって、国家予算とは国民のために使うものではなく、自分たちの支配力を拡大するために使うものになってしまうのかもしれない。
更には、政治家は本気で仕組みを破壊する気持ちが無いとおもう。本来、官僚を制御するのは政治家の仕事だ。しかし、日本は政治家も選挙に勝つために予算ばらまきを求めるし、官僚に政策立案を依存しているし、逆に官僚組織に取り込まれているという絵も確認できる。特に地方では、国の補助金がないと自治体が回らないため、中央からの財源確保を訴える政治家が重宝されるのだ。結果、政治家自身も、国民に痛みを強いる「合理的改革」には及び腰になり、票を失うリスクを避けて現状維持を選ぶのだ。
そして、極めつけは我々国民自体も痛みを伴う改革を望んでいないのだ。ここが最も根深くて、仕組みのスリム化は、今受け取っている補助金やサービスが減るかもしれない、公務員の数が減るかもしれない、地域の利便性が一時的に下がるかもしれない、ということを想起する。そのため痛みを受け入れう覚悟が後手に回ってしまうのだ。皆誰しも、今の生活水準を下げたくない、目先の安心を失いたくない、他人の権利は削っても、自分の権利は守りたい、という心理が働いているのだ。結局、国民自身が「痛みなき改革」を求めた結果、政治も官僚も、スリム化を真剣に進めないとなっている。
そう、現実は過酷なのだ。財務省の増税は常態化するだろう。経産省は補助金と規制で結果的に既得権益を守り続けると思う。そして地方は2極化し多くは衰退するだろう。若者は未来を失い、社会は静かに沈んでいく。実際、その動きは表面的な秩序を保ちながら、本質的にはゆっくりと沈む船のようになるのだ。
新規事業の本質と構造は同じだ。重要だけど直ぐに結果がでない。やり方が分からない。これまでのぬくぬく生活を捨て、気合を入れて取組む必要がある。その結果、一部の人は頑張るが、それでも1年、2年で状況が変わり、トップが変わり、熱が冷めてしまう。するとズブズブと過去の遺産でごはんを食べていたほうが今は楽なので手を付けなくなるのだ。
(過去の記事)
過去の「新規事業の旅」はこちらをクリックして参照ください。
(著書の購入)
「コンサルの思考技術」
「実践『ジョブ理論』」
「M&A実務のプロセスとポイント」
新規事業の旅 全集
2025年4月28日
こちらは現在連載している「新規事業の旅」の全部のリンクです。
新規事業の旅(1) 旅のはじまり
新規事業の旅(2) 既存と新規は別の生き物
新規事業の旅(3) よし!M&Aだ
新規事業の旅(4) M&Aの成功
新規事業の旅(5) M&Aの活用の落とし穴
新規事業の旅(6) 若手の教育
新規事業の旅(7) ビジネスモデルをトランスフォーメーションする
新規事業の旅(8) 自分ごとか他人ごとか
新規事業の旅(9) 採用
新規事業の旅(10) NBとPB
新規事業の旅(11) 未だメーカーと称す危険性
新規事業の旅(12) 山の登り方
新規事業の旅(13) ポジションに考える
新規事業の旅(14) 経営陣のチームビルディング
新規事業の旅(15) 偶然と必然
新規事業の旅(16) キャズムを超える
新規事業の旅(17) 既存事業の市場進出の場合
新規事業の旅(18) アンゾフ再び
新規事業の旅(19) モノからコトへ転身できない企業
新規事業の旅(20) 自前主義の呪縛とイデオロギー
新規事業の旅(21) 現場とトップのギャップ
新規事業の旅(22) 売ってから始まる事業
新規事業の旅(23) 道具の使い方
新規事業の旅(24) 敵のコトを知りつくそう
新規事業の旅(25) キャズムを超えるまでのKPI
新規事業の旅(26) M&Aの勘所を押さえる
新規事業の旅(27) 仲介会社のビジネスモデルと買い手の事情
新規事業の旅(28) 動画サブスクの落とし穴と処方箋
新規事業の旅(29) 売り手のトラブルは売り手の無知から
新規事業の旅(30) OEは最早役に立たたない
新規事業の旅(31) ジョブと障害とキャズム
新規事業の旅(32) 需要と供給
新規事業の旅(33) ストレッチ目標
新規事業の旅(34) 複利の効果
新規事業の旅(35) 人間は機械の一部になる
新規事業の旅(36) デジタルの弊害を受け入れる
新規事業の旅(37) 会社を居場所に置き換える
新規事業の旅(38) システム化された社会
新規事業の旅(39) 金融リターンではなく事業リターン
新規事業の旅(40) サービス業の苦悩
新規事業の旅(41) 3つの財布
新規事業の旅(42) グループ企業の試練
新規事業の旅(43) 思考と行動
新規事業の旅(44) デジタルバッジ
新規事業の旅(45) デジタル化とOC
新規事業の旅(46) ジョブ発見のコツ
新規事業の旅(47) 器と魂
新規事業の旅(48) Z世代の高級品
新規事業の旅(49) アニメ界のSPA企業が覇者になる日
新規事業の旅(50) PBR1割れの衝撃
新規事業の旅(51) 新規事業の創造3つの方向性
新規事業の旅(52) 別の視点で見るイノベーションのジレンマ
新規事業の旅(53) 新規事業のベストミックス
新規事業の旅(54) サーキュラーエコノミー
新規事業の旅(55) PBR1割れを考える
新規事業の旅(56) 情報の民主化と経済格差
新規事業の旅(57) セキュリティの今後
新規事業の旅(58) サステイナブル経営
新規事業の旅(59) Z世代のアプローチ
新規事業の旅(60) ドローン事業
新規事業の旅(61) ノンカスタマー
新規事業の旅(62) プランB
新規事業の旅(63) Z世代
新規事業の旅(64) 小売とマーケティング
新規事業の旅(65) 高齢者をターゲットにした事業
新規事業の旅(66) ベンチャーキャピタルの実態
新規事業の旅(67) 新規開発の落とし穴
新規事業の旅(68) 覚悟を持って取り組む
新規事業の旅(69) 売れるモノが良いもの
新規事業の旅(70) 性善説と性悪説
新規事業の旅(71) 保身に走らない
新規事業の旅(72) 中国リスク
新規事業の旅(73) サステナビリティ経営
新規事業の旅(74) ストックオプション
新規事業の旅(75) ゼロイチとM&A
新規事業の旅(76) TAM/SAM/SOM
新規事業の旅(77) 近くと遠く/全体と細部
新規事業の旅(78) 逆境を乗り越えるリーダー
新規事業の旅(79) ラストイチマイルの柔軟思考
新規事業の旅(80) 業務提携と資本提携
新規事業の旅(81) 部下の視点と視野の狭さはあなたの鏡
新規事業の旅(82) バックキャスティング
新規事業の旅(83) ペット保険にAmazon参入
新規事業の旅(84) ベンチャー企業
新規事業の旅(85) 生成AI1年目の誕生日
新規事業の旅(86) スケールする前後の組織
新規事業の旅(87) 無線給電
新規事業の旅(88) よく見る風景
新規事業の旅(89) ダイナミックプライシング
新規事業の旅(90) 提携と出資
新規事業の旅(91) アパホテルのプライシング
新規事業の旅(92) コカ・コーラのダイナミックプライシング
新規事業の旅(93) アップルのゴーグル型端末
新規事業の旅(94) 通年採用のススメ
新規事業の旅(95) 情シス事情
新規事業の旅(96) オープンイノベーションの打ち手としてのCVC
新規事業の旅(97) 今後のマーケティング
新規事業の旅(98) エフェクチュエーション
新規事業の旅(99) 2世と3世
新規事業の旅(100)自分事と他人事
新規事業の旅(101)最近の経営企画
新規事業の旅(102)ドーミーイン
新規事業の旅(103)誰もわからない
新規事業の旅(104)運とリスク
新規事業の旅(105)経済的なインセンティブの大切さ
新規事業の旅(106)スタートアップと採用
新規事業の旅(107)エクイティにおけるインセンティブ
新規事業の旅(108)イノベーションとCVC
新規事業の旅(109)ファイナンス関連の書籍
新規事業の旅(110)30年の停滞
新規事業の旅(111)30年停滞の要因
新規事業の旅(112)30年停滞からの学び
新規事業の旅(113)ワイガヤ再び
新規事業の旅(114)地域を盛り上げる前の分析の視点
新規事業の旅(115)足るを知る
新規事業の旅(116)継続は力なり
新規事業の旅(117)実践の妨げとなる心の豊かさ
新規事業の旅(118)学習性無力感
新規事業の旅(119)学習性無力感を克服するアプローチ
新規事業の旅(120)実践は時間と努力の変数
新規事業の旅(121)必要は発明の母
新規事業の旅(122)アントレプレナーとイントレプレナー
新規事業の旅(123)人事異動の落とし穴
新規事業の旅 (124)マネジメントの共通認識
新規事業の旅(125)高尚なパーパスの落とし穴
新規事業の旅(126)トレランスと遊び
新規事業の旅(127)行動しないことの考察
新規事業の旅(128)先延ばし
新規事業の旅(129)ベンチャー企業と中小企業
新規事業の旅130 設立から上場までの物語
新規事業の旅131 台湾事情2024その1物価
新規事業の旅132 台湾事情2024その2背景
新規事業の旅133 台湾事情2024その3再び物価
新規事業の旅134 北海道事情2024
新規事業の旅135 不祥事の元祖と原因と対策
新規事業の旅136 スタートアップと大企業
新規事業の旅137 提携や資本業務提携の契約
新規事業の旅138 LLCとKK
新規事業の旅139 やり抜けない人材排出の背景と打ち手
新規事業の旅140 創発する組織の会議
新規事業の旅141 高級時計ブランドのはじめ方
書店の敵は私立進学志向(アマゾンじゃなかった!)
新規事業の旅142 グリーンファンド
エアラインの業界構造
新規事業の旅143 アニメ産業の現状と課題
新規事業の旅144 勘違いをぶっ壊せ
新規事業の旅145 テーマパーク
新規事業の旅146 自分と部下の育成方法
新規事業の旅147 ハルメクに学ぶ新規事業の初め方
新規事業の旅148 観光公害と言わないで正面から向き合う
中東情勢の理解
新規事業の旅149 世代ごとの消費の特徴
新規事業の旅150 リユースマーケット
新規事業の旅151 価格と向き合う
新規事業の旅152 人的資本経営
新規事業の旅153 脱東京で成長を加速する
新規事業の旅154 オールドメディアの終焉
新規事業の旅155 マーケティング(2Cと2B)の基礎理解
新規事業の旅156 若手とベテランの壁
新規事業の旅157 NDAを結ばない時
新規事業の旅158 小規模農業者向けの流通プラットフォーム
学びの意味
新規事業の旅159 車社会
新規事業の旅160 消費と浪費
新規事業の旅161 ストア派哲学
新規事業の旅162 単一と統合の生態系
新規事業の旅163 問題設定の大切さ
新規事業の旅164 脇毛とマーケティング
新規事業の旅165 アメリカの終焉
新規事業の旅166 新しいことのはじめ方
新規事業の旅167 支援と投資のスタンス
新規事業の旅168 中国は金融戦争を仕掛けるか
新規事業の旅169 重要な取組が出来ない構造
新規事業の旅170 AとBのジレンマの処方箋
新規事業の旅171 増加する組織再編
新規事業の旅172 青を焼くか、重ねるか。文化と技術の対話の先。
新規事業の旅173 次の時代の生存戦略
新規事業の旅174 コメ価格高騰の裏側と、これからの日本の米市場
新規事業の旅175 ガソリン価格の高騰の本質
新規事業の旅176
新規事業の旅177
新規事業の旅178
新規事業の旅179
新規事業の旅174 コメ価格高騰の裏側と、これからの日本の米市場
2025年4月28日
早嶋です。約2400文字。
(コメ高騰の現状)
2024年から2025年にかけて、コメの小売価格が約2倍に跳ね上がった。ニュースでも話題になったが、その背景には単純な需給バランスでは片付けられない、もっと深い構造問題が横たわっている。この問題を理解するには、まず日本のコメ市場の仕組みを押さえる必要がある。
過去、日本はウルグアイ・ラウンドにおける日米合意で、米国産のコメを毎年最低30万トン輸入することを義務付けられた。関税は当初試算で700%とも言われたが、現在は実効で200〜400%程度だ。それでも高関税に変わりはなく、国内農家を守るための政策だった。ところが、その輸入米は品質が高いにもかかわらず、ほとんどが人間の食用市場には出回らず、飼料用などに回されている。これは、米農家の経営を守るため、そしてその背後にある農村票を守りたいという政治的思惑が絡んでいる。
一方で、日本の米農家は長年、JA(農協)に集荷と販売を頼り、どれだけ品質の良い米を作っても価格は一定の枠内に抑えられていた。努力しても報われにくい仕組み、安定した補助金。この環境が、農家を骨抜きにしてしまった側面もあると思う。しかし近年、その構造に変化が起き始めている。インターネットの普及、直販型流通の広がりにより、農家が企業や消費者と直接契約する動きが加速したのだ。つまり、JAを通さない流通が増え、JAの集荷量は年々減少してきたのだ。
そのような背景の中、2022年ごろから「コメが不足するかもしれない」という不安がSNSを通じて広まり、一部の流通業者や消費者がコメを過剰に備蓄する動きが広がった。これによって市場に流れるコメが減り、需給バランスがさらに悪化したと考える。結果的にコメの価格は、1年で約2倍に跳ね上がったのである。
政府は備蓄米を放出して対応を試みた。しかし放出されたコメは主にJA全農など大口組織が落札し、小売りや一般流通にはあまり出回らなかった。さらに、備蓄米を落札した業者には「1年以内に同量を買い戻す」義務が課され、リスクを取ってまで流通させる動きが鈍った。つまり、価格抑制策は名ばかりで、現場ではほとんど効果がなかったのである。
(コメの今後)
さて、このような現状を受けて、これから日本の米市場はどうなるのか。未来には、大きく3つのシナリオが考えられる。正常シナリオ、構造化固定シナリオ、改革シナリオだ。
まず、正常化シナリオだ。7月以降に新米が順調に出回り、流通が正常化することで価格も徐々に落ち着くというシナリオだ。ただし、かつての安い水準には戻らず、少し高い価格帯が新常態となると推測する。
次は、構造固定化シナリオだ。高価格帯のブランド米市場と、大量供給型の低価格米市場が二極化し、農家も流通も消費者も分断される推測だ。高級志向と節約志向が、よりくっきりと色分けされる未来だ。
最後は、改革シナリオだ。コメ価格高騰をきっかけに、農業政策の大転換が進み、補助金構造の見直し、JAの市場支配の緩和、流通インフラの再設計が本格化する未来だ。これが実現すれば、農業が再び生産性の高い産業に生まれ変わり、コメの輸出も拡大する可能性が出てくる。
(利害関係者の影響)
これらの未来に対して、関係者にはどのような影響が及ぶのだろうか。まず農家だ。JA依存のままでは生き残れない時代が本格化するだろう。直販やブランド構築ができる農家は大きなチャンスを得る一方、旧来型に留まる農家は淘汰されるリスクが高い。JAにとっては、独占的な集荷・販売モデルが揺らぎ、組織改革や再編を迫られるだろう。単なる守旧派でいる限り、存在感は確実に低下すると思う。
流通業者は、単に安く仕入れて売るだけでは生き残れない。高付加価値型、ストーリー型の販売手法を磨き、消費者との接点を深める必要が出てくるのだ。
そして、消費者もまた、変化を求められる。安く大量に買うだけの時代は終わり、品質、ブランド、生産者との関係性を意識して米を選ぶ時代がやってくるのだ。
最後に政府は、これまでのように場当たり的な対応では済まされない。農政改革を本気で進めなければ、農業そのものが国内外の競争に取り残され、食料安全保障という国家の根幹を揺るがしかねないのだ。
(でも、結局は元の鞘)
ここまで、日本のコメ市場をめぐる現状と未来を整理してきたが、率直に言えば、今回の価格高騰をきっかけに、劇的な変革が起きる可能性は高くないと見る。未来のシナリオとしては、大規模な農政改革や流通構造の大転換ではなく、「正常化」シナリオに落ち着く可能性が高いと思う。
つまり、新米が出回る7月以降、コメの流通量は徐々に回復し、価格も次第に落ち着く。ただし、かつてのような安い水準には戻らず、5kgあたり3000円前後、従来の1.2倍から1.5倍程度の価格帯で定着するだろう。
国は、根本的な改革には動かない。その理由ははっきりしている。今でも日本には、農業に従事する世帯が約100万戸存在し、この票は政治的に無視できない重みを持っているからだ。自民党を中心とする政権にとって、農業票を失うリスクを冒してまで、農政に大ナタを振るうインセンティブはない。
JAもまた、内部に葛藤を抱えているはずだ。中央のJAと地方JAの間で、方向性について温度差がある。しかし、いざ方針を決めるとなれば、多数決や組織防衛本能が働き、地方JAを守る方向へ動くことになるだろう。結果的に、農家を守るという名目のもと、現状維持が優先され、市場の構造的な歪みは温存されることになる。
つまり、「少しだけ変わったように見えて、本質は何も変わらなかった」そんな未来が、静かに、しかし確実に訪れる可能性が高い。これがThis is NIPPONなのだ。
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旧暦コラム 視察がてら季節を楽しむ
2025年4月26日
早嶋です。今回は、福岡から唐津、伊万里、有田、佐世保と視察を済ませ、外海方面に長崎に。途中の寄り道を表現しました。
唐津、伊万里を抜け、峠道を越えていく。眼下に広がる棚田は、まだ水を張る前の硬い黒い土だった。いまは旧暦でいう「穀雨」の頃。春の雨が田畑を潤し、種まきや田植えの支度を促す季節だ。これから田んぼに水が満ち、初夏へ向かう支度が静かに始まる。
この日は、ある商業施設の視察を兼ねた道中だった。日常の延長にありながら、国道沿いや住宅街など、人の暮らしに欠かせない場所だ。そんな現場をいくつか見て回る合間に、思うがままに車を止めた。
佐世保へ向かい、石岳に登る。九十九島の眺めは、春霞にやわらかく包まれていた。晴れ渡った輪郭もいいが、ぼんやりと滲む島影もまた、静かに心に染みてくる。旧暦の季語でいえば、「霞深し」とでも言いたくなる光景だった。
西海橋を渡り、外海へ。海は、穏やかだった。遠藤周作が「沈黙」で描いた、あの舞台。波も音も最小限にとどまり、ただ黙ってそこにある。そんな海だ。遠藤周作記念館にも足を運んだ。館内はさらりと見て回り、海を眺めながら著書に触れられる空間に腰を下ろす。窓の外に浮かぶのは、大角力(おおずもう)、小角力(こずもう)と呼ばれる島々。潮の香りと静かな光のなかで、言葉にならない時間がゆっくりと流れていた。
その夜は実家に泊まる。両親の顔を見て、いつものように庭に出る。これからぐんぐん伸びる草木を、少しだけ剪定する。無心でハサミを入れるうちに、心も静まっていく。西に沈む夕陽が、じんわりと肌を焼き付ける。夕暮れの光も、旧暦でいえば「春の名残」。一日一日が、確かに、夏へと歩みを進めている。
田んぼには、間もなく水が張られるだろう。棚田も、九十九島も、外海も。春から初夏への歩みを、静かに、しかし確かに進めている。
新規事業の旅173 次の時代の生存戦略
2025年4月24日
早嶋です。5200文字です。
ユヴァル・ノア・ハラリの著書、「NEXUS」を読んだ。これまでの著書、「サピエンス全史」「ホモ・デウス」「21 lessons」を私の解釈で整理した。
「NEXUS」は、情報の本質と人間のつながりを整理した内容だ。人間は、今、膨大な量と種類の「情報」に囲まれ生きている。かつて人間は、見たこと・聞いたこと・触れたことのある範囲の中で世界を理解していた。しかし、技術が進化し、AIが情報を生成する時代に突入した今、人間は自らの目で全てを確かめることも、正しさを保証することも困難な状況に陥っている。
ハラリのこれまでの著書と、今回の「NEXUS」を読んで、私なりに人間がどのようにして情報とつながり、どのようにして虚構と現実を切り分けてきたのか、そしてこれからの時代において人間はどのように情報と向き合っていくべきかを整理する。虚構を信じて発展してきた人間は、AIとともにどこへ向かうのか。そのヒントを、ハラリの「ネクサス=つながり」は紐解いている。
(情報は「事実」ではなく、「解釈」である)
人間は日々、膨大な「情報」に囲まれて生きている。しかし、その情報の本質は何かと問われると、多くの人が「事実」や「真実」と混同する。だが本来、情報とは「誰かがある出来事や状況をどう見たか」という解釈にすぎない。
たとえば、「今日、雨が降った」という一文も、それが「どれくらいの雨だったのか」「いつ、どこで」「誰にとって都合が悪かったのか」などによって、まったく違う意味を持つ。同じ出来事でも、伝える人や受け取る人の視点によって「情報の意味」は変わるのだ。
このような情報の相対性は、インターネットやSNSの登場によって加速した。個人がメディア化し、情報が個人から個人へ、瞬時に拡散されるようになり、もはや「正しいこと」よりも、「共感できること」や情報の受け手が「聞きたいこと」「知りたいこと」が求められるようになり、真実の境目が薄れていった。
たとえば、SNSでバズる投稿の多くは、専門的な正確性よりも、「ウケること」や「共感されること」に重点が置かれている。「これってあるあるだよね」「その気持ち、わかる」と感じる情報こそが拡散され、多くの人の目に触れる。そこには事実の厳密さよりも、感情の共有が根底にある。
たとえば、選挙演説でも、政策の中身より「わかりやすい言葉」や「敵をつくって味方を鼓舞する構図」が好まれる。そのような情報を拡散したほうが、同じような共感する人間に知れ渡ることを政治家が理解しているのだ。そのため、正しいかどうかではなく、納得できるか、心が動かされるか、が重視されている。
つまり、現代において情報とは、「人と人とをつなぐための道具」として機能しているのだ。「これってわかる」「自分もそう思う」という感情の共有や、仲間との共鳴を生み出すこと。それが、情報の最も大きな役割になってきた。もはや情報の正確性や真偽よりも、「どれだけ人とつながれるか」「どれだけ共感を呼べるか」が重視される時代なのだ。
(小集団から広域社会へ:理解の限界と統治の発明)
人類の歴史の大半において、私たちは小さな集団の中で暮らしてきた。顔が見える距離にいて、日々の生活や経験を共有し、誰かが話す内容は他の人も体験していた。だから、情報の内容に対して全員がある程度の共通理解を持ち、対話や合意が成立していた。
しかし、農耕の拡大、人口の増加、都市の誕生によって、集団の規模が飛躍的に大きくなると、全員がすべての事象を体験することが不可能になる。地理的に離れた場所で起きていることや、専門性の高い事象について、共有された経験を前提とした対話はできなくなったのだ。
この時、人間はある課題に直面する。「自分が理解していない情報について、どうやって意思決定に関わるのか」という問題だ。ここから、人類は統治の形を発明する。ひとつが民主主義であり、もうひとつが全体主義だ。
民主主義は、個々の自由を尊重しつつ、重要な意思決定を「話し合い=合議」によって行う。しかし、合議の前提には「合議する参加者の議題に対する一定の理解」が必要である。情報の複雑性が高まり、誰もが内容を深く理解することが難しくなると、投票や選挙の判断は「正しさ」ではなく、「印象」や「好感」「共感」でなされるようになる。
一方で、全体主義は「すべてを理解するのは無理だから、誰かに任せる」という構造だ。統治者が解釈し、決定を下す。大多数は従うだけで済む。その分、効率は良いが、統治者が誤った判断をしても、訂正する仕組みが働きにくい。
このようにして、情報を「共有できる範囲」を超えたとき、人類は「どう意思決定をするか」という課題に対し、民主主義と全体主義という対照的な仕組みを生み出したのだ。
(物語と文字:情報伝達の進化)
人間が「情報」を他者に伝える手段として、もっとも古くから行ってきたのは話すことであり、そこには「物語」があった。単に出来事を列挙するのではなく、登場人物、因果関係、感情を交えながら語られるストーリーは、聞き手の記憶に残りやすく、理解もされやすい。
たとえば、「昨日、北の谷で獣が出た」というだけでは、聞いた人がその情報をどう受け止めるかはまちまちだ。具体性も乏しく、注意喚起としては弱い。一方で、「昨日、狩りに出た仲間が北の谷で巨大な牙を持つ獣に遭遇し、あと一歩で命を落としかけた。逃げ延びたものの、恐怖で声も出せず、今も震えている」と語れば、場所・状況・感情を含めて立体的に相手に伝わる。
このように、人は「出来事そのもの」よりも「物語として語られた出来事」の方に強く反応し、情報を理解する。だからこそ、人類は太古からストーリーテリングによって情報を伝えてきたのだ。
しかし、物語には欠点もある。語る人によって内容が少しずつ変わり、やがて事実と異なるストーリーへと膨らんでいくことだ。人から人へ伝わるうちに尾ひれがつき、全く別の話になってしまうこともあるのだ。
この限界を補うために、人間は言葉を記録する手段を発明した。最初は粘土板や刻印、やがて羊皮紙、そして紙へと発展し、最終的に活版印刷が登場することで、「記録された情報」が広範囲に、そして安定して伝達されるようになった。そして、「何が書かれているか」が「誰が語ったか」よりも重視されるようになり、次第に情報の民主化が始まった。
人間は、ストーリーで伝える柔軟さと、文字で残す確実性、そして情報の公開性という三つの武器を手に入れた。それは情報の進化であり、人間の思考と社会構造を変える大きな転機となったのだ。
(解釈者の権威化と全体主義への転換)
情報が開かれると、再び過去に起きた、新たらしく古い課題に直面する。それは「情報をどう解釈するか」だ。同じ文章を読んでも、解釈は人によって異なる。そこで人々は、情報の意味を「教えてくれる」存在を求めた。宗教のラビ、政治思想のイデオローグ、企業のカリスマ経営者など、「解釈者」が生まれた。現在は、文章を理解出来なくても音声や動画では理解できる人が多く、紙媒体はデジタル媒体になり動画や音声での理解が一定の割合で加速する。
しかしやはり、情報そのものよりも、「誰が語ったか」が重視されはじめるのだ。こうして特定の人間に対して「正しい解釈者」とされる人物が現れ、情報の解釈に関する疑問は排除される。しかし、その解釈が正しいかどうかは重要ではない。そのため、仮に解釈が誤っていても訂正そのものがされない状態が続くのだ。
結果として、情報の民主化が進んだ先で、解釈の独占と支配、しいては全体主義が生まれやすくなるのだ。ただし、すべてがそうなったわけではない。情報を開いたまま多様な解釈を認める、民主主義的な社会も当然に残る。そこでは、議論と訂正が可能であり、変化を受け入れる柔軟性がある。この両者の違いは、情報や判断に対して修正できる構造かどうかにある。
ただ、人間は自ら問いを立て疑問をもつよりも、受け身になって自分が信じる解釈社の言う事を聴いていたほうが楽なことを知っている。そのため、全体主義的な状況に身を置く人間が増え、民主化で互いに議論と訂正をする行動をとる人間がマイノリティになるのだ。
そしてAIが登場する。何が正しいか、誤っているかが不明瞭な時代のAIの登場は痺れるくらい危険もはらむのだ。
(AIと情報の氾濫:判断不能の時代へ)
「正しさとは何か?」という問いに対して、人間は長い間、経験や対話によって答えを模索してきた。一方で、多くの人間はその問いすら考えることもなく過ごしていた。しかし、いよいよ、その問いを考え続けた人間にとっても、根本的に構造が変わる時がきたのだ。
SNSの普及によって、人は「正しい情報」ではなく、「誰とつながれるか」を重視するようになった。情報の内容は重要ではなく、「それ」によって得られる共感や仲間意識が優先されるのだ。そのような環境では、たとえフェイクニュースであっても、信じたい物語に近ければ簡単に受け入れてしまう。或いは、既に多くの人間はフェイクかリアルかの意識を持たないまま、感情や自分が属する場、つまり所属によって関係構築をする道具そのものが情報になっているのだ。
そしてAIが加わった。AIは意図や倫理をまだ持っていない。目的の達成のために、大量の情報を瞬時に生成し発信することができる。その気になれば、発信した情報に対して、あたかも人間が対話しているように場の雰囲気を作り、その情報を活用した場を深め拡散することも可能だ。そしてその精度と速度は人間の認知能力を遥かに超えている。
結果、世界には「事実かどうか」がわからない情報が今に比較にならないほど溢れ、人々は何を信じてよいか分からなくなっていくのだ。それは情報社会の進化の行く末に、判断不能な社会の到来が始まるのだ。
(分断される人間社会:理解できる者と、流される者と)
このような情報環境では、人々の間に新たな分断が生まれる。或いは、既に生まれていたがその境が明確になる。情報を批判的に扱い、AIを理解して活用できる人々と、情報に流され、何も考えずにこれまで通り過ごす人だ。
前者の理解できる者は問い、調べ、判断し、テクノロジーを使いこなす力を持つ。他方、後者の流される者は、情報に流され、何が正しいかを考えることもしなくなる。もちろん出来ない。情報の量と複雑さに圧倒され、感情や関係性で無意識に受け入れるのだ。
この分断は、AIによる情報量の爆発に人間の処理能力が追いつかないこと、そして情報リテラシーや教育環境の格差に起因していると思う。「情報を構造的に理解し、活用できる人々」と「感情で反応し、情報に依存する人々」このような対立が生まれるのだ。そして、これが格差そのものの因果になり、社会に大きな影響力を及ぼすだろう。一部の人々はAIを駆使し、他者を支配しうる。しかし、同じ技術で救うこともできる。理解できる者のモラルは非常に重要だ。
人類は今、分断の渦中にいる。どちらに進むかは、人間の選択、それも理解できるもののモラルににかかっているのだ。
(情報とともに生きる:私たちはどこへ向かうか)
AIが無限に情報を生成し、真偽の境界が曖昧になる今、人間は情報とどう向き合えばよいのか。鍵は、「自ら問う力」だ。与えられた情報を鵜呑みにせず、その背景や意図を問い、自分にとっての意味を考えることだ。また、情報を他者と共有し、対話を重ねる姿勢も必要だ。異なる意見に耳を傾け、多様な視点と接することで、偏りから自由になれる。
AIやSNSをただ恐れるのではなく、正確な情報の見極め方と使い方を学び、つながりを育みながらも、誤った情報に流されない判断力を持つこと。それが、これからの時代の知性である。
人間は、進化の過程で「虚構を信じる力」を手にした。それこそが、他のホモ属との決定的な違いだった。神、国家、貨幣、制度。いずれも目に見えないが、人類はそれらを信じることで、大規模な協力と社会制度を築いてきた。
しかし今、その「虚構を信じる力」が新たな危機を生んでいる。AIが作り出す無限の物語と、人々の信じたい気持ちが重なり、現実との境界が曖昧になっているからだ。虚構を信じて発展してきた人間が、今度はその虚構によって崩壊しかねない状況にあるのだ。
だからこそ、これからは「虚構に耐性のある人間」が生き延びるかもしれない。目の前の現象に向き合い、検証し、問い続ける力。それこそが、次の時代の生存戦略なのかもしれない。虚構を活かすも、囚われるも、人間次第なのだ。
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新規事業の旅172 青を焼くか、重ねるか。文化と技術の対話の先。
2025年4月23日
早嶋です。
パリスダコスタハヤシマの時計づくりは、ある一つの懐中時計から始まった。それは、創業者の一人、トムのもとに代々受け継がれてきたロンジン製の懐中時計。6時位置に小さなスモールセコンドを備え、美しいブルースチールの針が、静かに時間を刻んでいた。その深く落ち着いた青の輝きに、私たちは心を動かされた。この「青」を、自分たちの時計に宿したいと考えたのは、ごく自然な流れだった。
しかし、私たちの時計にはマイクロローターを採用しているという背景がある。これはムーブメントの薄さや軽さを追求した結果であり、ドレスウォッチとしての機能性を高める選択だ。一方で、青焼きに使われるスチールは、帯磁のリスクを完全には排除できない。ムーブメントの近くに磁性を持つパーツを配置することに、私たちは慎重だった。
さらに、私たちの時計では針だけでなく、インデックスやブランドロゴ、さらにはムーブメントの一部パーツに至るまで、「紺碧(こんぺき)」という色をテーマとして統一したいという意志があった。つまり、針だけが「青焼き」で他の部位と色調がズレると、時計全体の調和が失われてしまう。
こうして私たちは、青焼きのもつ美しさと歴史性に敬意を払いながらも、PVD(物理蒸着)によって青を再現するチャレンジを始めた。
だがそれは、簡単な道ではなかった。青焼きのような「深く、光の角度で表情を変える青」をPVDで再現するには、素材と膜厚、蒸着温度や下地処理のすべてを調整する必要があった。均一すぎると冷たく見え、濃すぎると黒く沈む。薄すぎればグレーになり、表情を失う。
何度も試作を繰り返し、ようやく私たちは「これだ」と思える紺碧の青にたどり着いた。それは、火によって焼かれた青とは異なるが、同じく時を重ね、深まる色だった。
この選択は、「伝統を捨てた」ことではない。むしろ、私たちが伝統と誠実に向き合ったからこそ、たどり着いた技術であり、そこに文化と技術が対話する瞬間があったと、今は思っている。
青を焼くか、重ねるか。その問いの先に、私たちは「なぜ青にこだわるのか」という答えを見出した。それは、日常にこそエレガンスを──というパリスダコスタハヤシマの哲学そのものなのだ。
ーー
To Burn or to Layer — A Dialogue Between Culture and Technology
The story of Parris DaCosta Hayashima begins with a single pocket watch.
An heirloom Longines piece, with a small seconds subdial at six o’clock and elegant heat-blued hands that had quietly measured time for generations.
We were drawn to that deep, dignified blue.
It wasn’t just color—it was a feeling. A memory of craftsmanship.
Naturally, we wanted to bring this shade into our own timepieces.
But our watches feature a micro-rotor movement, chosen for its thinness, lightness, and everyday comfort.
This design decision also made us cautious—traditional blued steel carries a risk of magnetism, which could subtly affect movement performance over time.
More than that, our vision was to express a unified tone—Konpeki blue—not just on the hands, but also on the indexes, logo, and even certain components inside the movement.
We wanted the watch to feel complete, harmonious.
But with heat-blued steel, each part would age differently, and color consistency would be hard to maintain.
We realized: traditional bluing wouldn’t serve our purpose of elegant daily wear.
That’s when we began our challenge:
Could PVD (Physical Vapor Deposition) achieve the same emotional depth as heat-bluing—without its limitations?
The answer was not immediate.
Reproducing that soft, shifting blue was anything but simple.
We tuned the substrate, adjusted vapor pressure, played with film thickness, and watched countless samples under natural light.
Too dark? It turned black.
Too pale? It lost its voice.
Too smooth? It felt lifeless.
But eventually, we arrived at something that moved us.
A blue that held depth, warmth, and subtle change.
It wasn’t fire-forged. But it felt alive.
Choosing PVD wasn’t a rejection of tradition.
It was, instead, a conversation with it.
An attempt to carry its values forward—with precision, durability, and quiet beauty for modern life.
So in the end, it’s not about burning or layering.
It’s about why we choose blue at all.
And for us, that reason is clear:
To bring a sense of elegance into the everyday.
To craft something timeless—not only in form, but in spirit.
This is the blue of Parris DaCosta Hayashima.
Rooted in history. Realized through technology.
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新規事業の旅171 増加する組織再編
2025年4月21日
早嶋です。
最近、非上場を含めた中堅・大企業の中で、グループ会社を再編・統合する動きが目立つようになってきた。これは一部の業界に限った現象ではなく、製造業、建設業、物流業、食品業など、多様な業種で進んでいるように感じる。実際に、私の関与する案件の中でも、10年前にはほとんど話題に上がらなかった組織統合や会社再編が、今では年に複数件あるのが当たり前になってきた。
その背景には、いくつかの大きな構造的な理由があると思う。まず、人材不足だ。特に、管理部門やバックオフィス業務に従事する人材の確保が難しくなっている。人が足りないのであれば、各子会社で経理、人事、総務を個別に持つ意味が薄れてくる。むしろ一元管理し、スリムに運営する方が合理的なのだ。
次に、DX(デジタルトランスフォーメーション)対応の圧力がある。複数の子会社がバラバラのシステムを使っていると、IT投資は無駄が多く、データも統一できない。グループ会社を統合し、同一のERPやクラウドツールを使えば、コストも下がり、業務スピードも上がる。特に、最近のERPはグループ連結でのKPI管理やモニタリングが容易になってきているので、経営としての意思決定が加速するのだ。
資本効率という観点も大きい。100%子会社であれば、再編は比較的スムーズにいく。しかし、少数株主がいる場合には、交渉や価格評価が必要になる。資本の集中や、遊休資産の見直しを行うためには、子会社を統合してガバナンスを強化し、資本政策を見直すという流れが不可避なのだと思う。
また、最近はM&AやIPOを視野に入れている企業が増えている。グループ会社がバラバラのままでは、評価が分散してしまうし、投資家からの印象も良くない。事前に事業再編を済ませておくことで、バリュエーションが明確になり、外部資本を導入しやすくなるのだ。
一方で、組織再編は簡単ではない。100%子会社であれば、法務手続きと税務整理を進めれば良いが、マイノリティ株主がいる場合はそうはいかない。特に未上場会社では、株式価値をどう評価するかが大きな論点になる。DCF法、類似会社法、簿価純資産法などが使われるが、結局は「いくらであれば納得するのか」という実務交渉が中心になる。
実際の現場では、まず経営陣や親会社が第三者評価を取得し、交渉のたたき台をつくる。その後、少数株主に対して説明し、場合によっては買い取りオプションやExitボーナスなどを設けることで納得を引き出す。フェアネス・オピニオン(第三者の公正意見書)を取得することも増えている。
さらに、統合後のPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)も重要だ。人事制度、給与体系、評価制度、システム、ブランド統合が終わってからが本番である。お飾りの統合ではなく、実際に効率化やシナジーが出るように設計していなければ、従業員の不満や退職を招くだけで、逆効果になる。
一方で、再編を行う上で実務家として気をつけておきたいのは、株主間契約やExit条項の設計だ。スタートアップ投資などで使われるタグアロング(マイノリティが、親会社と同じ条件で売却に参加できる)、ドラッグアロング(親会社が合併・売却を決めた際、マイノリティも強制的に同条件で売却させることができる)条項や、プット・コール(将来の一定条件のもとで株式を売る権利(プット)または買う権利(コール)を定める契約条項)オプションをあらかじめ設定しておくことで、再編時の対立を防ぐことができる。
特に、外部ファンドやベンチャーキャピタルが株主になっている場合、合併や株式交換による価値変動に対する期待値とリスクのコントロールは最も重要な交渉項目になる。そのためには、段階的に持分を引き上げておく戦略や、持株会社化して株式の希薄化を避けるなど、複数の再編スキームを組み合わせて検討する必要がある。
つまり、グループ会社の統合は、単なる「コスト削減」の話ではなく、人材の最適化、IT資産の効率運用、資本構造の見直し、そしてガバナンス強化という、極めて戦略的な取り組みなのだと思う。目先の合理化だけではなく、数年先を見据えて、統合後の価値創出まで含めたストーリーを描けるかどうか。これが再編の成否を分けるのだと私は考えている。
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旧暦コラム そうだ、明日山に行こう!
2025年4月18日
早嶋です。
今週は月曜日から鹿児島でした。昨日の夜、福岡に戻ると僅か3日の時差なのに春が近づいている気がした。鹿児島に行く前の週末の朝、筍を掘りに近くの野山へ出かけた。目立って出ている筍はなく、ようやく土から頭を出した二本を見つけたに過ぎない。あれから一週間。明日は穀雨。
たしかに今日は湿度が高く、雨が降って地面を潤すほどでもない。けれど、山の匂いが少しずつ変わってきている。あの空気の底に、土が膨らみはじめる気配がある。明日はもう一度、筍を掘りに行ってみようと思う。今度は、地面の下から一気に伸びてくる気がする。探すことなく、破竹の勢いを感じられるだろう。そういう季節の気配だ。
筍というのは、まるで生き物のようだと思う。掘る人の気配を感じているかのように、ある時はひょっこりと顔を出し、ある時は黙って地中で待っている。油断していると、一晩で手の届かない高さまで伸びてしまう。そして、最近はイノシシとの奪い合いだ。幸いなことに近くの野山は市が管理しており、住宅地の中にポツリと残された自然なので競合相手がいないのだ。それでも、「今しかない」という、あの感覚は今の季節を感じる。
春という季節は、どこか焦らせてくる。花は咲くけれど、すぐに散る。若葉は芽吹くけれど、気づけば初夏の色に変わっている。筍もそう。掘れる時はほんのわずか。しかも、良い筍ほど見つけにくい。けれど、そんな一瞬を追いかける暮らしが、なんとも贅沢だと思うようになった。
スーパーに行けば、一年中たけのこ水煮が手に入る。でも、朝の山に入り、湿った土を手でかき分けて、「あ、いた」と静かに興奮する。そのひとときが、筍をもっと美味しくしてくれるのだ。実際に美味しく変えるのは妻の腕なのだが。
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