
新規事業の旅184 植物カルチャーの進化と熱狂の正体
2025年5月22日
早嶋です。
この10年、日本の植物カルチャーは大きく様変わりしたと思う。かつて観葉植物は、パキラやポトスなどの「空間を彩る緑」として、インテリアの脇役だった。園芸は高齢者の趣味か、郊外の庭付き一戸建ての話であり、都市生活者にとって植物とは「管理すべき存在」にすぎなかった。
しかし今、その常識は覆りつつある。植物はただの装飾ではなく、「再現芸術」としての趣味の対象になった。アフリカや中南米に自生する多肉植物やサボテン、湿度を愛する熱帯雨林系のシダや着生植物、さらには水槽内でジャングルの生態系を構築するアクアテラリウムまで、育てる対象も方法も、驚くほど進化している。
この変化の背景にあるのは、明確にテクノロジーの進化だ。たとえばLEDライト。わずか数年前まで高価だった育成用ライトは、今では波長を調整でき、植物の光合成に最適なスペクトルを安価に再現できる。さらに湿度・温度・風・CO₂濃度といったパラメータを調整できる機材も揃い、もはや日本の四季とは無関係に、地球上の特異な環境を再現することが個人でも可能になったのだ。
この再現の文化は、水槽の中にも及ぶ。熱帯魚ファンから派生したネイチャーアクアリウムでは、自然の渓流やジャングルをそのまま切り取ったような光景が、都市の水槽内で静かに展開されている。もはや水を張ることすら必須ではない。苔や着生植物だけで構築された陸上の熱帯水槽の世界もある。つまり、植物カルチャーは「生育」から「再構築」へと進化したのだ。
そして、この「再構築」の美学が、いま水の中にも、土の上にも静かに広がっている。水槽を使って熱帯雨林の空間を再現するネイチャーアクアリウムやアクアテラリウムでは、水中だけでなく陸上に湿度を帯びたジャングルの一角を描き出すような構成が増えている。流木に着生する植物、ミストで湿る苔、下層に潜むエビや小魚たち。そこにあるのは単なる水槽ではなく、生きた風景なのだ。
この「生きた風景」を、より植生や地域性にこだわって表現しようとするスタイルが、近年静かに注目されている。それが「ハビタットスタイル」だ。ハビタットとは「生息環境」を意味する言葉だが、ここでは、植物が自生する地形や環境、他の植物との共生関係まで含めて再現する飾り方を指す。たとえばナミビアの乾燥地帯で風に削られた岩の裂け目に自生するハオルチアを、あえて同じような岩場風に配置して飾る。または、東南アジアの熱帯林で木にしがみつくように生きるビカクシダを、壁面に倒木を模した流木とともに飾る。
これは単なる見栄えの問題ではない。植物の姿や形、色彩を、なぜそのように進化させたのかという「意味」まで含めて表現するという、より知的なアプローチで、同時に深い没入感を得られる飾り方でもある。都市の室内に、ナミビアの岩場を再現し、インドネシアの熱帯林を壁に掛ける等々。そこには育てるという行為を超え、植物が育ってきた「物語」を空間に翻訳するという新しい愉しみがあるの。
このカルチャーの文脈を語る上で、欠かせない存在が雑誌『BRUTUS』だ。2015年、「珍奇植物(ビザールプランツ)」をテーマにした特集号が話題を呼び、それ以降も2016年、2018年、2019年と連続して特集を重ねた。そして2020年には、過去の内容をまとめた『合本・新・珍奇植物』がムック本として発行されるまでに至る。
『BRUTUS』は単なる園芸雑誌ではない。彼らの特集は「ファッション」と「自然」を接続するという独自の目線で編集されており、植物を美意識の対象として都市生活に再定義することに成功した。そして2025年には、6年ぶりに「珍奇植物」の特集を再掲。LEDの進化、栽培環境の進化、自生地探訪記などを通して、植物カルチャーが趣味やブームの域を超え、知的で情熱的なコミュニティに支えられた一つの文化になったことを証明した。
この文化の深化は、SNSと動画プラットフォームによって加速したと思う。Instagramでは「#コーデックス」「#塊根植物」などのタグが定着し、YouTubeには育成記録や自生地のVlogが次々とアップされている。かつては数少ない専門家が知っていた知識が、民主化され、体系化され、次の誰かの「育成物語」へと変換されていく。
やがて、熱心なマニアたちは自らの育てた植物を互いに交換・売買しはじめる。その過程で自然と目利きの感覚が醸成され、植物を見る目と語る言葉に文化が宿るのだ。同じ種であっても、幹のうねり方、葉のつき方、育ち方、あるいは根の張り具合といった風貌によって価値は大きく異なり、「個体差」というアート的な概念が重要視されるようになる。
こうして、一点ものとしての個体にプレミアムがつき、市場が自然発生的に立ち上がる。それは単なる金銭的な売買ではなく、背景にある育成技術や審美眼、そしてストーリーまでもが取引されているということなのだだ。この構造は、クラシックカーやヴィンテージの機械式腕時計、あるいはアート作品の世界と極めて似ていると思う。機能を超えた「意味」と「時間」が宿る対象物に、人は無意識に価値を感じるのだろう。しかも植物には、時間とともにその姿が変化するという成長がある。固定された物体ではなく、常に変化を続ける存在であるという点が、より一層この市場に奥行きを与えている。
面白い点もある。熱狂が大衆へと波及するきっかけだ。しばしば著名人のふとした所作だったりするのだ。テレビや雑誌、SNSの一枚に映り込んだ塊根植物やサボテン、あるいはリビングの隅に吊るされたエアプランツ。その一瞬の目撃が、熱狂の導火線になることがあるのだ。「◯◯さんの家にあったあれ、なんだろう?」そんな問いが検索され、名前を知り、育て方を知り、やがて市場が生まれるのだ。文化は熱狂だけでは成立しない。認知、共感、再現というプロセスを経て、はじめて人々の間に根を下ろすのだ。著名人の一言がそれを加速させるのは、カルチャーが成熟しつつある証でもあると思う。
現代の植物カルチャーは、単なる園芸の延長ではない。それは、技術と情報を手にした都市生活者が、「自然の一部を自分の部屋で再現する」という地球規模のミクロ表現であり、環境と美意識を自ら編集する創造的な行為なのだ。植物は生き物である。一方で、文化を体現する媒体でもある。このことに気づいた人々が、いま世界中で、静かに熱狂しているのだろう。
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新規事業の旅183 PMIの失敗要因
2025年5月20日
早嶋です。
M&Aを行うことは買い手にとって戦略を行使する選択肢の一つだ。以外にもPMIを丁寧に組織にインストール出来ている事業会社はまだ少ないと思う。PMIの失敗は2つあり、「戦略なき買収後にそのまま統合に突入するケース」「PMIのゴールと成果が曖昧なままPMIが進むケース」がある。大きな意味では戦略の不足だが、日本の事業会社を観察していると敢えて2つに分けると理解が進むと思う。
(戦略なき買収後にそのまま統合に突入するケース)
この場合、特に以下のような案件で顕著だ。たとえば、金融機関や取引先からの紹介、特定の役員人脈から持ち込まれた案件、スキーム主導(節税目的や一時的なBS/PL改善)で進む買収だ。この3つの共通項は、買収を中止する選択肢が最初から存在しないことだ。意思決定の段階で、すでに「買うこと」が前提化している。それにもかかわらず、統合後に事業を引っ張るべきリーダーは、買収時点では蚊帳の外に置かれている状況が非常に多いのだ。
この分断が致命的だと思う。本来は、「誰が責任を持って経営するのか」という問いを常に立てられるように、言い出しっぺの当事者を初期段階から巻き込み、PMIのチーム編成においても、以下の3者は必須メンバーとするべきだと思う。それは、全体戦略を理解する者(経営企画や新規事業責任者)、PMIの現場作業を実行する担当者(財務経理総務人事等の管理部門等)、そして統合後の数値責任を持つ事業リーダー(P/L責任者)だ。この3者が揃ってこそ、「やるべきこと」だけでなく「やる意味」「やる覚悟」が揃うのだ。
(PMIのゴールと成果が曖昧なままPMIが進むケース)
M&Aの目的や大義に対して、「シナジーを出す」「コストを共通化する」といったふわっとした目的だけが共有されているケースも非常に多い。ここは更に深掘りをして掘り下げるべきと思う。「どの分野でどれだけのコスト削減をするのか?」「売上シナジーはどのプロダクト・チャネルで生むのか?」「それはいつまでに、どのくらいの数値で可視化されるのか?」等々だ。
こうしたKGI(最終目標)やKPI(進捗指標)が不在のまま時間が経過し、「まあ少し赤字が減ったからいいか」とうやむやになる。結果的に、PMIプロジェクトは管理職の評価対象にもならず、次の買収で同じ過ちが繰り返されるのだ。
M&Aや統合の規模が例えば小さいときによくおこる。全体の売上が1000億程度で、M&Aや統合する事業の売上規模が10億程度であれば、役員は、そもそも細かな理解はない。一方で、その統合には将来の新規事業の投資金額100億の内、予算で20億とか使うのだ。規模感という勘違いも有耶無耶の原因かもしれない。
その他、補足として次のような項目もPMIには欠かせない。まずは組織文化の適応だ。システム統合や戦略は机上で描ける。しかし「文化」はそうはいかない。報告の頻度、会議体の運営、意思決定の速度、昇進のルールなど、目に見えない「組織OS」が異なる場合、現場は深刻な疲弊を招くからだ。
そして現場の「小さな違和感」を拾い上げる努力も必要だ。PMI初期段階では「スムーズです」と報告されるが、実際は多くの不満や違和感が潜在化している。特に、報告系統が変わる、評価制度が変わるといった「人間の不安」に直結する変更に関しては、ヒアリングや対話を意図的に設計する必要があるのだ。経験すると分かるのだが、経験しないときは、まさか「そんなことで!」と思うことが多々あるのだ。
(理論としての補足)
ちなみにPMIについては、様々に議論されている。現場での肌感や試行錯誤も重要だが、理論やフレームワークとして整理された考え方を押さえておくと、後で立ち返る指針になる。代表的な3つを紹介する。
1つ目は、Haspeslagh & Jemisonが提唱した統合アプローチだ。彼らは、買収企業と被買収企業のあいだにある「組織的な自律性」と「戦略的な相互依存性」という2つの軸から、PMIの進め方を類型化した。たとえば、完全に子会社化して組織ごと吸収してしまう方法もあれば、文化や組織を維持しながら財務的にグループ化する保持型、あるいはお互いのノウハウや資産を活かす対等統合型など、複数のスタイルが存在する。重要なのは、「全てを一律に統合すべき」という発想を捨て、企業の関係性や目的に応じて統合の深度を設計することだ。
2つ目は、マッキンゼーが主張する考えだ。こちらはより実務的な視点からPMIを段階的に捉えたもので、統合が決まる前の戦略整合から始まり、Day1までの具体的な計画作り、統合初日の実行、そして100日間の集中フェーズを経て、最終的に長期的な価値創出に至るという流れだ。重要案指摘は、PMIはDay1から始まるのではなく、むしろその前から準備すべきであると明示している点だ。多くの日本企業が見落としがちな重要ポイントだと思う。Day1にバタバタするのではなく、Day1までにどこまで設計できているかが、その後の成否を左右するということなのだ。
3つ目は、KPMGが示す8つの実務要素による整理だ。これは「統合チェックリスト」として現場で活用できるフレームで、ガバナンス体制の設計から始まり、戦略の再確認、人材と文化の融合、業務やITの統合、財務の整理、ブランドと顧客戦略の調整、さらには社内外のコミュニケーション戦略に至るまで、PMIに必要な観点を網羅的に提示している。とくに初期の段階で「早期の成功体験を作れ」としている点が現場感覚と合致しており、小さな勝ちを積み重ねることで全体の統合をスムーズに進める知恵が込められている。
(まとめ)
M&Aはあくまで手段だ。従い、買い手にとっては取得してからが本領を発揮すべき取組だ。各々のM&Aとその統合は、毎回一回限りの「非連続的な変化」だ。だからこそ、制度と戦略、作業と責任、仕組みと文化を意図的に構築して実務に落とし込む設計が必要なのだ。PMIは、買収を意識した瞬間から始まる。そしてそれを成功させるためには、未来を背負う当事者を巻き込むこと、曖昧な目標を数値と期限で縛り具体化すること。この2点を軽視してはならないのだ。
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【動画】25年度サクセッションプランC3
2025年5月19日
※本ページは、サクセッションプランC3に参加の関係者向けのページです。PW等は事務局に従ってください。
第1回:己と仲間と会社を知る
新規事業の基礎
事業責任者として、一連の事業内容を把握議論する際の考え方、そのヒントを整理しています。経営の知識や事業の立案等に対して、体系的に整理が出来ていないと感じる方は視聴ください。
(おまけ)
第1回は、仲間づくりがメインです。将来の経営陣が関係構築をする理由をポッドキャストで配信しています。ご興味がある方は視聴ください。
ポッドキャスト:経営陣のチームビルディング
第2回:組織長の職責と使命
マネジメントの基礎(不確実への対応)
組織長として、事業を回していく覚悟やマインドセットを行う目的で整理しています。新規や既存に関係なく、不確実性が増す中、事業を切り盛りする責任者に対しての覚悟を問う内容です。
マネジメントの基礎概要
マネジメントの役割(方向性)
マネジメントの役割(行動)
マネジメントの役割(能力)
リーダーシップの発揮
組織長に必要な基本的なマネジメントの考え方を整理しています。
第3回:問題解決(1)
問題解決の基礎(事例と概要)
問題解決の基礎(問題)
問題解決の基礎(課題)
問題解決の基礎(解決策)
問題解決の基本的な考え方を整理しています。
第4回:戦略
戦略思考
企業戦略と事業戦略
成長戦略
基本戦略
環境分析
戦略立案
戦略を議論する際の基本的な知識インプットを整理しています。
第5回:問題解決(2)
事業分析の基礎(概論)
前提条件
問題と課題
市場と顧客
代替と競合
自社分析
マクロ分析
解決策
問題解決思考をベースに、戦略を導き出す流れを整理しています。
第6回:マネジメント
経営計画のポイント
経営計画の詳細
経営計画書を作成する場合の考え方や項目を整理しています。必要な方は視聴ください。
提案書とは
提案書作成の流れ
準備
構想
作成
提案書やプレゼン資料等を作成するまでの流れや考え方を整理しています。必要な方は視聴ください。
第7回:事業提言リハ
プレゼンテーション概論
プレゼンテーションの3つのステップ
準備
コンテンツ
デリバリー
プレゼンテーションについて全体を整理しています。必要な方は視聴ください。
第8回:事業提言
※事前動画はありません。
新規事業の旅182 地方タクシー会社の未来
2025年5月16日
早嶋です。約2800文字。
地方のタクシー会社のM&Aに関与したとき、タクシー業界の未来を感じた。相談を受けるタクシー会社の像は、タクシーの台数が20台から30台程度で、ドライバーの数は台数よりも少なく、20人から25人程度だ。見た目は車の方が多くて余裕があるように見えるが、タクシーの稼働率で考えると5割程度だ。実際は余裕があるのではなく、動かせるドライバーが不足しているのだ。
全国の統計を見ると異なる数字がみえてくる。統計では、法人のタクシーは約18万台あり、ドライバーは23万人いる。ドライバーの方が多い。あれ、矛盾してると思うかもしれないけれど、これは都市部の構造が平均値を引き上げているからだ。東京や大阪などでは、1台の車を2人とか3人で回すシフト制が普通で、タクシーの稼働率も高い。逆に地方では、1人1台、昼間だけ、あるいは決まった時間だけ、という運行が多く、結果的に車が余っている。だから全国平均だけで議論すると、実態が見えなくなるのだ。
タクシー業界全体としては、最近プラットフォームの導入が進んでいる。Uber、GO、DiDiなんかがそうだ。これを入れると、流しの効率が向上する。街中でお客さんを捕まえるのが劇的に楽になるのだ。アプリが集客から、ナビ、そして決済も自動にこなす。何なら道を知らなくてもナビゲーション通りに運転できさえすれば一応タクシーの機能は提供できる。だから、タクシーの未経験でもドライバーとして仕事ができるようになったのだ。
例えば、1日4万円くらいの売上を作り、15日働いたとする。半分が手取りだとすれば、月に30万円くらいになる。地方でこの水準なら、まあまあいい。だが、実際には地方の売上はそこまでいかない。都市部なら4万円から5万円は可能かもしれないが、地方では日当2万から3万円程度が平均だと思う。月収にすると20万から25万円くらいだ。しかも、アプリがあっても、そもそも絶対的にお客さんが少ないエリアもあるだろう。それでもプラットフォームを導入することで、タクシーの運営は劇的に良くなるはずなのだ。
しかし問題がある。プラットフォームの活用は、短期的には稼げる。しかし、長期的には乗せているお客さんが、「自分たちのお客さん」じゃなくなることだ。昔のように、タクシー会社に直接予約の電話をかけるお客さんも減っていくだろう。お客さんのタクシーとの接点はプラットフォーム起点になり、顧客の情報も、移動履歴も、決済も、全部プラットフォーム側が持ってしまうのだ。
今、地元の人が「〇〇タクシーさんに頼もう」と思い、その会社に電話をしても予約が取れないこともある。自分も経験したことがあるが、2日後の朝5時半にタクシーを予約したくても、「出来ない」と言われることが増えてきた。朝の時間はドライバーがいないとか、アプリからの需要が効率がよいからという理由もあると思う。ただ、この状況が広がると、◯◯タクシーの配車係の仕事も、◯◯タクシーと地域の人との接点も、どんどん消えていくのだ。そして、気がつけば商売の根本である顧客との直接的な接点や関係性を完全に失うことになる。
地方の小さなタクシー会社が、今でも経営出来ている理由の一つに規制がある。タクシーは、需給調整規制があり、誰でも自由に参入できない。地域やエリアごとに車両台数が制限され、営業許可が必要だ。簡単に大手や新規プレイヤーが入れない仕組みになっているのだ。だから、車両10台とか50台以下の規模でも、地元では一定の経営を続けることが出来ている。
その規制に守られた小さな会社が、上流工程の営業の予約を自分たちから取らないで、プラットフォームに任せ始めている。守られた規制の中でこれまで培ってきた顧客リストを自ら手放しはじめているのだ。実に奇妙な構造だと思う。
タクシー業界は、ライドシェアのあり方に対して奇怪な動きを見せる。日本でも議論が進んでいて、実証実験も始まっている。ただ、制度の中身をよく見るとおかしな点がある。ライドシェアが解禁されるのは、需要が多い時期や特定のエリアだ。海外のように24時間どのエリアでもOKという訳ではない。更に、仮にライドシェアに参加しようとしても、タクシー会社が管理する車両を使わなければならない等、諸々ライドシェアに参加する運転手からは使い勝手が凄くわるい。結果、タクシーを利用する側の利便性の向上にもつながらないし普及も進んでいない。
こういった制度設計を見ると、誰のための議論なのか、わからなくなる。移動に困っている人や、公共交通が不便な地域の住民のためにこそ、ライドシェアはあるべきなのに、今の方向はタクシー業界の都合が優先されているようにしか見えない。
さらに未来を見据えると、問題はここで終わらない。自動運転、特にレベル4以上の技術が実用化され、同時にライドシェアが解禁される未来が訪れる可能性は十分にある。そのとき、タクシーは「人が運転する乗り物」ではなく、「ソフトウェアと連動した自律走行車」に変わる。人件費がゼロになるのだ。24時間365日、稼ぎ続ける機械が道路を走る。顧客情報をせっせとプラットフォーマーに流し、地元の顧客基盤と交換に目先の利益をあげて生き延びたタクシー会社の未来は暗い。プラットフォーマーはハードを持つことは選択しないだろう。大手のタクシー会社以外は、大型の投資はできない。そうなれば地域のタクシーのオーナーは、例えばソフトバンクやオリックスなど、ファイナンスに長けた企業や、地元の資本を抑えた一部のプレイヤーになると思う。プラットフォーマーと連携して、確実に利益が得られる場所で事業を行うのだ。
小さなタクシー会社は刃が立たない。今のビジネスモデルは、売上の半分を人件費に割り当てる構造だ。その根幹が崩れ、顧客基盤も無くなっている。仮に自動運転車が1台400万円で導入できるようになれば、その投資は数年で回収できる。もはや、人を雇って1日2万円の利益を出すより、機械に任せて5万円を自動で稼がせたほうがいい。小さなタクシー会社は終焉を迎えるのだ。これまで地域に根差し、地元の足として、信頼を蓄積してきた存在だったのにだ。この変化は突然ではない。プラットフォームの便利さに酔いしれ、顧客との接点を放棄し、自社のデータを失い、人を育てることを諦めた結果として、静かに、しかし確実にやってくる未来なのだ。
テクノロジーを否定するつもりはまったくない。しかし、「便利さ」と「支配されること」の違いを、今のうちに認識しておかなければいけないと思う。小さなタクシー会社が生き残る道があるとすれば、それは自社のデータ、自社の関係性、自社のストーリーを、いかに手放さずに持ち続けるかだ。そして、プラットフォームに巻き込まれながらも、飲み込まれない戦略を持つのだ。
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【動画】25年度SDGsリーダー育成コース
2025年5月15日
※本ページは、2025年度3期生SDGsリーダー育成コース参加者向けです。
25年度3期生のSDGsリーダーは、必要に応じて以下の動画を視聴の上、当日の研修に参加ください。
(リーダーシップ関連)
リーダーシップについての概論
リーダーシップの概論について理解を深めてください。こちらはマネジメントシリーズの一部です。SDGsリーダーとして、自分がどのように取り組むかを考えながら視聴すると効果的です。
新しい取組を始める際のマインドセット
新規事業担当者向けに作った動画ですが、新しい取組を始める際のマインドセットにも最適です。SDGsリーダーとして、これまでと異なる取組を行います。その際の考え方や心の持ち方の参考に視聴ください。
(問題解決関連)
事例と概論
問題解決の考え方を理解するための概論です。事例を通じて全体の流れを把握してください。
問題
問題の定義を理解してください。
課題
問題を細分化して、問題を引き起こす犯人を突き止める。その後に、因果関係を把握して課題を発見する考え方を理解します。
解決策
課題を解決するための解決策の立案の仕方について説明します。
新規事業の旅181 グーループ再編の現場のリアルと理想
2025年5月14日
早嶋です。
現在、日本の産業界では「グループ再編」が国家政策の後押しを受け加速している。経済産業省は、産業競争力強化法の枠組みを通じ、中堅・中小企業を中心に再編を促進しようとしている。背景には、いくつかの構造的な問題がある。
日本の中小企業は、その数が多い反面、1社あたりの規模は極めて小さく、生産性も国際比較で見劣りする。特に、同じ地域や業界内で似たような会社が乱立し、過当競争を招いているケースは多い。経産省は、これを「過少な規模」「過剰な数」「過当な競争」という三重苦と捉え、再編による統合と規模の最適化を通じ、生産性の向上と競争力の確保を狙っている。
再編による効果は多岐に渡る。経営資源の集中、重複業務の削減、財務基盤の強化、人材確保の容易化、そして次世代への事業承継の効率化などが挙げられる。とくに後継者不在が深刻な中小企業にとっては、グループ内再編が企業存続の鍵にもなりうる。
このような政策的な支援のもとで、多くの企業が再編に踏み出している。しかし、現場では、その実行には大きな温度差と課題が存在する。再編のスキームは、親会社が100%出資している完全子会社か、外部に少数株主がいるマジョリティ出資の子会社かで大きく異なる。
完全子会社であれば、親会社の意思でスピーディに再編が進む。社内でプロジェクトチームを立ち上げ、出向者や兼務役員を通じて対象会社に施策を落とし込み、合併や吸収、会社分割などのスキームを設計しながら、比較的円滑に進行することが多い。
しかし、少数株主がいる場合は話が違う。再編にあたっては特別決議や同意が必要であり、経済合理性だけでなく、株主間の利害調整、価格の妥当性、説明責任が生じる。そのため、制度設計よりも関係者調整が主戦場となる。
だが、もっと大きな課題は、実は再編の「中」ではなく「後」にある。たとえば、再編の対象となったグループ会社に、赤字を出している事業があるとしよう。その事業を吸収するか統合するかを決める際、本社の類似部門に統合する判断がされるケースが多い。このとき、本社でその事業を担当する責任者、もしくは再編後の統合会社でその事業を任される人材が必要になる。仮にその人物をA氏とする。
A氏は、本社で同事業を担当していた場合、吸収される側のグループ会社の社長である場合、もしくは外部から新たに登用される場合など、ケースは様々だが、多くの場合、A氏は再編の「後」にアサインされる。再編はすでに決まっており、事業の整理が一段落ついた段階で呼ばれるのだ。
問題はここからだ。再編を決めた段階では、「この事業は今後成長が期待できる」「本社主導で立て直す」という漠然とした意欲はある。だが、その意欲が「事業としての具体的な戦略」や「2〜3年の計画」として明文化されているケースは少ない。本来であれば、M&Aと同じくPMI(Post Merger Integration)フェーズにおいて、A氏を中心に経営企画部門と連携し、組織、業務、人事、財務などの統合計画を詰めるべきだ。しかし、多くの企業では、再編そのものを目的とし、その後の体制整備や戦略策定は「後から考える」ものとして後回しにされる。
その結果、A氏は、統合したが損益はマイナス。組織の風土も異なる。人員整理や設備再配置も済んでいない。という火中の栗を拾わされるような立場になる。しかも、本社の社長がその経緯を理解しているうちはまだ良い。だが、多くの大企業では、社長は2年から3年で交代する。新任の社長にとって、A氏が担っている事業は、「再編したが赤字の部門」でしかないのだ。
たとえA氏が地道に黒字化に向けて努力し、ある程度の成果を上げていたとしても、新体制下では「非中核」「収益性が低い」とされ、最悪の場合は更なる事業売却や縮小、そして人事責任の対象になる。A氏にしてみれば、「自分は会社の命令でやったのに、なぜ責任だけ押し付けられるのか」となる。こうした構造を目の当たりにしてきた事業部長や幹部たちは、再編という言葉に「希望」ではなく「恐怖」を感じ始めていると思う。
では、あるべき再編とPMIの姿とは何か。まず第一に、再編を決定する段階から、A氏のような現場の責任者をPMIチームに参画させることが重要だ。紙の上で戦略を描くのではなく、実行者が事前に全体像を共有し、合意を得ながら進めることで、後の責任の分断を防ぐ。
第二に、再編後のPMIには成果基準と耐性期間を明確に定めることだ。たとえば、「2年は損益を問わず、組織統合と業務の最適化に集中する」「評価指標は、KPIではなく組織融合度や制度整備の完了度」といった具合である。
第三に、トップマネジメントの交代リスクに備え、PMI方針の継続性を制度化しておくことが欠かせない。社長が変わってもPMIの基本方針は役員会で保持され、途中でぶれることがないという構造的な裏打ちが必要だ。
そして最後に、リスクを引き受ける人材への敬意と保障を明文化することだ。うまくいかなかったときに、個人の責任ではなく、組織として再編に取り組んだ結果だと認識し、次の挑戦を許容する文化がなければ、再編に本気で取り組む人材は出てこない。
再編とは、スキームや法務の話ではなく、「人の信頼」の話なのだ。そこに希望を描けるかどうか。いま、多くの企業がその本質を見つめ直すときに来ているのではないか。
TSMCがもたらした変化
2025年5月12日
早嶋です。約1600文字。
本日、「一般社団法人九州・台湾未来研究所の創設記念イベントに参加。基調講演のtsmc著者林宏文氏の講演を聞きながら整理した内容だ。設計と製造が分業する前の日本に戻る可能性は十分にあり、その勝ち筋を九州を中心に目指す方法があると感じた。
TSMCが熊本に拠点を構え、日本政府が1兆円を超える補助を決定したとき、多くのメディアは「製造回帰」や「経済安全保障」といったキーワードで報じた。だが、本日の講演を聴いて、この流れをもっと深く、戦略的に捉えるべきだと思った。TSMCの事例は、単なる工場誘致ではなく、台湾から日本への主導権の一部移転という構造的な変化と捉えることが出来るからだ。
TSMCはなぜ日本を選んだのか。その理由は単純ではない。米国アリゾナ、欧州ドイツ、そして日本熊本という三拠点への展開は、台湾という国家が生き残るための地政学的分散戦略に他ならない。台湾はTSMCという経済的中枢を国外に少しずつ共有することで、各国が台湾の存在に利害を持つ構造を築いている。まさに経済版NATOのようなものだ。熊本はその中で、日本の自動車産業や産業機器産業を支えるアジア側の安全装置として位置付けられているのだ。
TSMCが巨額を投じたアリゾナ工場は、建設遅延・コスト高騰・技術者不足といった問題に直面している。米国では責任ある精密作業に対する文化的乖離が大きく、TSMCが求める基準を再現することは容易ではなかった。工場の建設に対しても2年程度の期間が4年程度かかるなど、政治的な理由での投資の側面が大きい。一方で熊本は、政府・企業・地域が一定の調和のもとでTSMCの製造文化を受け入れている。日本は最先端製造の静かな受け皿として、アジアで最も安定した選択肢になりつつあるのだ。
ただ、日本の半導体戦略には決定的な空白がある。それがIC設計、つまり、何を作るかを定義する力が不足している点だ。製造・装置・材料・歩留まり、これらに強みを持ちながら、設計の分野ではAppleやNVIDIA、Armといった海外勢に完全に依存しているのが日本の現実だ。思想を持った回路設計、つまりIP(知的財産)を日本が生み出せなければ、製造を国内に持っていても最終的にはTSMCの黒子、もしくは下請けにとどまってしまう。
実際、日本国内には活かされていないIPの種が豊富に眠っている。センサー制御、車載電源、ミリ波レーダー、医療画像処理、MEMS、環境センシング。これらの技術は、大手企業や研究機関に蓄積されてきたものだ。しかし、それを再利用可能な部品、つまりはIPとして構成し直し、世界のEDA(Electronic Data Interchange/電子データ交換)環境で流通させる取り組みはほとんど行われてこなかった。これを変えるには、大学・研究機関とスタートアップを結ぶ、いわば翻訳装置が必要なのだ。
研究成果を社会実装へと変えるスピード感と視野を持つのがスタートアップだ。日本のアカデミアには世界レベルの成果があるが、それを事業化し、製品に昇華させる役割がこれまで決定的に不足していた。いま、熊本にTSMCという実体化のための手段がある。そこに、日本の研究者の構想力とと、スタートアップの翻訳する役割としての足を結びつければ、日本は「設計と製造の自立した国」として再生できる可能性が十分に生まれる。
ここで、今回の講演のスライドのまとめが思い出される。そこにはこう書かれていた。
「日本は基礎研究と長期視点、職人気質が強く、台湾はスピードと資本活用に優れる。この違いがあってこそ、電子産業は競争力を持つ」と。
これは単なる美辞麗句ではない。実際に、TSMCを日本に持ってきた構造そのものが、こうした補完関係によって成り立っているのだと思う。日本の研究と、台湾の実装力。日本の重厚な知見と、台湾の敏捷な組織力。これらが交差する地点に、世界と戦える設計思想が生まれるのだ。そしてその思想を回路に変えるのは、我々の意志と、起業家たちの挑戦なのかもしれない。
新規事業の旅180 昭和100年
2025年5月12日
早嶋です。約2800文字。
2026年、昭和が始まって100年の節目を迎える。昭和100年は単なる懐古的な記念ではないと思う。いま我々が生きる令和は、世界規模での分断と再構築が進むな、改めて昭和の思想・文化・経済構造を照らし返す必要に迫られているからだ。同時に、いま日本という国家がどこに立ち、どこへ向かうべきかも、重要な問いとして考える必要があるのだ。
若者のファッション界隈で流行しているY2K(2000年代前後)トレンドには、80年代から90年代の昭和的なモチーフが頻繁に引用されている。ダボっとしたデニム、ナイロン素材、レトロなロゴなど、一度は古くなったはずの要素が「逆に新しい」と再評価されている。また、テレビドラマや配信コンテンツも、昭和的な価値観を現代に持ち込む構造が目立つ。『不適切にもほどがある』のように昭和と令和をタイムスリップ的に対比させたり、『続・続・最後から二番目の恋』のように50代、60代以降の登場人物を中心に据えたものが視聴者の共感を呼んでいる。
昭和という時代は、社会としてのエネルギーに満ちていた。教師が絶対的存在だった部活動、会社での猛烈な労働と遊び、喫煙が許されていた新幹線、未来への希望、そして子どもたちが「夢」を語っていた風景。経済も拡大を続け、人々の努力には報酬が伴っていた。だが現在、多くの若者が「夢を語れない」。年上の我々も「夢を語らない」。未来は明るくなく、努力が報われる実感も乏しいのだ、少なくともそう勘違いしている。登校拒否、出社拒否、社会からのドロップアウトも、もはや特別な選択ではなくなっているのだ。我々の世代は週休2日でも休み過ぎなのに、週休3日を提唱して、働かない改革を推し進める謎の声も市民権を得つつあるのだ。
1980年代、日本はアジアの絶対的リーダーだった。中国は改革開放の入り口、韓国は日本の後追い、ASEAN諸国もまだ新興国で、日本は常に一歩先を走った。しかし現在、構図は大きく変わった。中国は法の緩やかさと巨大な国土、独裁政権という構造を最大に活かして、失敗を繰り返しながら社会実験を繰り返してきた。ITインフラと共に、現場の判断と即応性が進化を加速させた。結果、ITやAIなどの世界に対しては、誰も疑わずに世界のトップランナーである。
韓国は、国のスケールが小さいことを逆手に取り、1997年のアジア通貨危機を契機に外需依存型の経済にシフトした。K-POP、ドラマ、eスポーツ、ファッションなど、文化コンテンツを国家戦略として輸出し、補助金を通じてグローバルブランドを形成した。韓国の認知を高め、質を高める取組として、一部の選ばれた企業には徹底して資本と制度を集中させる設計が国家的になされたのだ。
対して日本はどうか。国内では大企業同士が市場を奪い合い、海外では同じ日本のメーカー同士がカニバリゼーションを起こして共倒れになる。そして他の国々に負けてしまうのだ。国家が方針を示して民間を引っ張る形は皆無で、「内向きな自立」が競争力をむしろ削いでしまっているのだ。
かつての情報収集は書籍や新聞、現地での対話が中心だった。しかし現在、若者を中心に情報取得は動画と音声、タイムラインでの受動的な摂取に変化した。自ら疑問を立てて調べ、答えを考える機会が減り、思考の浅さが社会全体を覆っている。全ては2次情報で済ませ、現地現物現実を感情を伴って感じながら判断する1次情報の重要性を体験として理解することも薄くなっている。
しかし、教育制度は一方で昭和のままだ。答えがある勉強、中央集権型の制度、間違いを避ける訓練、絶対的な権威が生徒や組織を抑圧する制度。いくら情報としてイノベーションを言葉で語ることはできても、リスクを取り挑戦する行動に変える土壌は絶対に育たない、或いは育ちにくいのだ。
一方で、希望はある。それは制度の中ではなく、制度の外に現れているのだ。スケボー、BMX、サーフィン、料理、ファッション、デザイン、YouTubeでの映像制作。このような分野では、子どもたちが自らの意思で世界と接続し、努力を積み重ねて成果を出している。誰かに指示されたわけではない。学校のカリキュラムの成果でもない。「好き」や「好奇心」が原動力になって、ネットに通じる世界をベースに始めから世界の頂点を目指して戦っているのだ。そして、その結果をSNS等を通じて表現できる世界が後押しして、結果的に注目を集める結果を構築している。
現在の日本は、超円安を背景に多くの外国人が訪れている。彼らが魅力を感じているのは、日本の正確さ、親切さ、自然、清潔さ、そして秩序だった社会の佇まいである。これは短期的な観光ブームではなく、むしろ日本が持つ「文化資本」が世界に発見されつつある兆しなのでないか。
それにもかかわらず、日本人自身はその価値を軽視している。古来の木造建築や地域景観を破壊し、東京都に象徴されるように、コンクリートと太陽光パネルによる環境対応プロパガンダに従い、都市の顔を無機質化している。そして、そのコピペを全国に拡張しようとしているのだ。
このような現状を受け、日本にはおおよそ次の二つの選択肢があると思う。それぞれAとBだ。
A:全国を一律にデジタル化・都市化し、均衡ある発展を追求する道。
B:成長可能性の高い都市に集中的に資源を投下し、それ以外のエリアは自然共生型として再設計する道。
A案は理想的である一方で、少子高齢化と財源制約のなかで実現困難である可能性が高い。私は、B案に軸足を置き、構想を展開することが合理だと考える。
これからの時代、日本は「すべての地域を平均的に成長させる」という幻想を捨てるべきだ。その代わりに、成長する都市と、自然と共生するエリアを明確に分け、国家としての構造設計を行うべきだと考える。
例えば、東京、大阪、名古屋、札幌、福岡などの都市部では、デジタル・AI・バイオなどの先端技術と国際人材を集約し、超高密度型都市として強化するのだ。駅直結のビル、タワーマンション、地下・高架の交通インフラ整備。競争と効率性のための都市化を徹底する。
そして、山間部や海岸部、温泉地などを有するそれ以外の過疎が進む偉いも独自の路線を打ち出すのだ。そう、最も人間にとって価値がある自然エリアだ。ここでは、江戸時代的な自然共生型の景観に回帰するのだ。アスファルトや護岸整備ではなく、地形を活かした暮らしを推進し、湯治、農泊、長期滞在の促進を図る。ダムの解体や護岸の自然化を進めることも視野に入れ、自然に戻す活動に注力するのだ。
昭和100年とは、過去を懐かしむだけの節目ではないと思う。むしろ、明治維新や戦後の復興と同じくらいの強度で、国家ビジョンを更新する好機だ。強く成長する都市、慎ましく美しい自然、そしてその両方を支える調和の設計。これを実現できたとき、日本は再び世界の希望たりうる国になるのではないだろうか。
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宗教改革から500年
2025年5月9日
早嶋です。
ロバート・プレヴォスト。教皇レオ14世が選ばれた。アメリカ出身。南米ペルーで長く活動したイエズス会の聖職者であり、史上初のアメリカ人教皇として、カトリックの歴史にその名を刻んだ。そして、同時に、これは教皇フランシスコの意志を引き継ぐ人物として選ばれたことを意味していると思う。
現在のカトリックは、世界で13億人以上の信者を抱える最大の宗教のひとつである。そしてその信者の多くは、欧州ではなく、南米、アフリカ、東南アジアの新興・発展途上国に広がっている。この教会が今、再び変わらなければならない。その予感を、レオ14世の登場は明らかに内包している。
教皇フランシスコは、2013年にアルゼンチンから選出された。南米出身者としては史上初。イエズス会からの教皇も初だった。選出の瞬間、「カトリックが歴史的な転換を試みる」というメッセージが込められていた。彼の10年以上の在任期間には、象徴的な言動と実務的な改革の両方が存在した。以下はその代表的な取り組みだ。
●清貧の実践
バチカンの伝統的な豪華な服装や生活を避け、質素な白衣と十字架、そして小型車での移動。教皇の姿そのものが「清貧」の象徴となった。
●バチカン銀行の透明化
過去に資金洗浄の温床とされていたバチカン銀行(宗教事業協会)の口座を精査。不要な数千の口座を閉鎖し、外部監査を導入するなど、金融機関としての信頼回復に動いた。
●性的虐待問題への正面からの対応
世界中で報道された聖職者による性虐待。これまで隠蔽と沈黙を続けてきた教会において、フランシスコは初めて被害者に謝罪し、ローマに各国の司教を集めて対策サミットを開催。制度改革の足掛かりを作った。
●LGBTや離婚者への包摂
「神はすべての人を愛している」と明言し、LGBTの人々や離婚・再婚者にも教会が開かれるべきだと説いた。伝統的な教義の解釈を再検討する柔軟な姿勢を示した。
●社会正義と環境への取組
回勅『ラウダート・シ』で、気候変動、経済格差、移民、難民問題に触れ、宗教指導者として国際社会に強い倫理的メッセージを放った。
これらの取り組みは偉業だったと思う。一方で、フランシスコの改革は、象徴的だったが、「制度そのものを根本から変える」には至っていない。むしろ、保守派との対立を避けるために、一定の妥協も必要だったのだろう。今なお、カトリックの制度は矛盾を内包していると感じる。
●ヒエラルキー構造の継続
教会の階層構造は変わっていない。信者は寄付をし、聖職者や司教団がピウラミッドの上に立つ。この構造の頂点に登った者が、自らの地位や制度を否定できるかが、構造的にあると思う。
●バチカン銀行
改革は進んだが、資産の内訳や運用先は依然として非公開が多い。宗教法人という特殊な免税構造が、巨大な資金の温床となっている可能性はまだ否めない。
●聖職者と性制度的な問題
独身制を維持したまま、性の抑圧と逸脱行為が構造的に続いている可能性がある。未成年者への虐待問題は、「個人の問題」ではなく、「制度が生んだ歪み」でもあると思う。
●協会と貧困のパラドックス
豊かな国よりも、むしろ途上国の方が信仰心が強く、寄付も多い。だが、その多くの人は、システィーナ礼拝堂を見ることもないし、バチカンに足を踏み入れることもないだろう。神に近づく手段が、経済的に遠いという矛盾を抱えているからだ。
こうした未解決の課題の中、選ばれたのが教皇レオ14世だ。彼は南米ペルーのチクラヨ教区で貧困層とともに暮らした経験を持つ。そしてアメリカ出身という点では、ヨーロッパ中心の教皇史に対する明確な変化でもある。「14世」という名を選んだ背景には、歴代の教皇レオが持ってきた象徴性がある。レオ1世(大教皇)は、カトリック教義の整備とローマの防衛で名高い。レオ13世は、近代社会と教会を結び直そうとし、労働者の権利や社会正義に言及した『レールム・ノヴァールム』を出した。この「レオ」の名には、信仰と社会、秩序と改革を両立しようとする強い意志が宿るのだろう。
レオ14世が、宗教改革2.0を進める人物か、あるいは中庸を守って終わる人物か、皆が注目をしていることだろう。バチカン銀行の全面開示と外部運営の導入、性的虐待への「法的責任」明記と聖職者の処分制度の明文化、女性・LGBTに関する教義の再定義、教会の寄付構造と貧困層への接続の再設計、教義を越えて、宗教と人間社会との「倫理的接点」を再び問う力等山積だ。
歴史を振り返ると、カトリックは、500年前と同じような問いの前に立たされているとも考えられる。「制度は誰のためにあるのか?」「神を信じるとはどういうことか?」「祈る人を、制度が苦しめていないか?」等々の問いだ。16世紀のルターやカルバンが声を上げたのは、教会が「神の言葉」よりも「お金や権威」に傾いていたからだ。当時の教会は、免罪符を売り、「これを買えば天国に行ける」と説いていた。それに対して、ルターはこう言った。「天国は金で買うものではない」これは宗教というより、制度や構造そのものに対する強い批判だった。
カトリックは、ただの内部改革に加えて、制度の外側にある世界へと、もう一度真剣に向き合うべき時かもしれない。トランプの再登場により、アメリカは再び混乱の渦にある。ロシアによるウクライナ侵攻は長期化し、和平の兆しすら見えない。中国は経済減速の中で世界との距離を測りかねている。国際秩序は緩み、不信が蔓延し、正義が見えづらくなっている。こうした世界の「制度疲労」のなかで、レオ14世が示す第一歩には、大きな意味があるのだと思う。
新規事業の旅179 生成AIが変える都市の機能とかたち
2025年5月8日
早嶋です。約1700文字。
アメリカのテック企業が、再び出勤を義務づけ始めた。Google、Apple、Amazon、Metaといった巨大企業が、コロナ禍で推進したリモートワークを後退させ、「週3日以上出社」を原則にし始めている。Amazonに至っては、2025年から週5日出社という方針だという。一見すれば、これはオフィスでの協働を重視し、企業文化や生産性を高めようとするまっとうな戦略に見える。が、本音はどうか。
生成AIが台頭する今、ホワイトカラーの仕事の多くは、そもそも「出社しなくてもできる」どころか、「AIがやった方が速くて正確」という時代だ。Metaのザッカーバーグは「プログラミングはもうAIでできる」と明言し、GoogleではAIチームに60時間出社せよという強いメッセージが投げかけられている。
だが、そうまでして出社を促すのは、もしかすると「出社の必要がある」と言い張らないと、保有している巨大オフィスビルが無価値になってしまうからではないだろうか。Apple ParkやAmazon HQ2のような、数千億円規模のモニュメント的オフィスは、その存在を正当化する理由が必要になるのだ。
真実はこうかもしれない。生成AIは、オフィスワークのほとんどを代替する。だから、出社しないといけない仕事そのものがなくなる。オフィスという建物自体が意味を失うのだ。だとすれば、「出勤が大切」という主張は、時間稼ぎで最後の抵抗に見えるのだ。
丸の内、六本木、シリコンバレー、そして世界の主要都市。これらの街に立ち並ぶ巨大ビル群には、人が集まり、顔を合わせ、仕事をしていた。今、その機能はクラウドとAIに取って代わられようとしている。オフィスは、そもそも「集まること」が価値だった。が、もし本当に顔を合わせることが重要なら、週に一度の社内飲み会の方が効果的かもしれない。そうなればオフィスは、社内バーやスタバと合体した「コミュニティ空間」に変わっていく。出社は労働ではなく交流になり、オフィスは職場ではなく共創空間になるのだ。
都市の価値は、これまで「オフィスに人が集まること」だった。しかし、生成AIが主役になる現在から未来は、都市の中心はデータセンターや発電所になるだろう。AIが働くには、膨大な電力とデータが必要になるからだ。つまり、人が集まる場所ではなく、電力とデータが集中する場所こそが、新たな都市の中核になるのだ。
日本でいえば、もはや丸の内が止まっても国は動くが、印西(データセンター群)が止まれば日本全体が麻痺してしまう。それほどに、都市のインフラは変質しているのだ。都市とは、人が集まり、情報が交錯する場だった。だけど、これからは、人の代わりにAIが集まり、情報が処理され、結果が分配される場所になる。
では、このような変化において、東京と福岡はどのように変化するだろう。結論から言えば、東京は儀式としての出勤が残る街になり、福岡は都市機能のサイズがちょうど良いまちになると思う。
東京のオフィスワーカーの多くは、「調整」「報告」「儀礼」といった、非効率でも人間関係を前提とした業務に従事している。生成AIがそれらを代替可能にしても、日本のビジネス文化はすぐには変わらないだろう。なぜなら、日本において会うことは、実務よりも信用や信頼を意味するからだ。そのため、東京では「出社=業務」ではなく、「出社=信頼構築」という象徴として、しばらくは出勤が残り続けるのだ。しかし、少子高齢化と労働人口の減少により、「無駄を減らす圧力」は確実に強まると思う。従い、徐々に東京もまた、物理的な出勤から解放される構造に移行せざるを得なくなるだろう。
一方で福岡は、東京のような巨大なオフィス集積地ではなく、生活と仕事と遊びがバランスよく混ざった都市構造を持つ。スタートアップや個人事業主、地場企業も多く、そもそも「巨大なオフィスに通勤する文化」自体が薄かった。だから福岡で起こるのは、「出勤の消失」ではなく「オフィスの再定義」だ。共創の場としてのオフィス。人と人がつながる空間。カフェや居酒屋やホテルラウンジと混ざり合う、新しい職場の形だ。福岡には、そんな未来を試す柔らかさがあると思う。
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