
センチュリー:トヨタ5番目のラグジュアリーブランド
2025年11月21日
早嶋です。約3400文字。
センチュリーというブランド名が、重要な意味を帯びる日は来るべくして来ている。世界のラグジュアリーは「日本の価値観」を求めているのだ。EVでもない、テクノロジーでもない、もっと深い価値。トヨタはセンチュリーというブランドで樹アパニーズ・ラグジュアリーという概念を一気に高いレベルに仕上げていくと思う。
これまで、世界の高級車市場は長らく欧州のブランドにより支配されてきた。ロールス・ロイス、マイバッハ、ベントレーだ。いずれも100年以上の歴史を持ち、貴族文化という物語の上に存在してきた。しかし、昨今の現実を直視すると違和感がある。それは、この欧州ブランドたちが、ブランドとしての純度を保てなくなっている点だ。
ロールス・ロイスは、英国文化の象徴でありながら、いまはBMW(ドイツ)の傘下だ。ベントレーも英国を名乗りながら、VW(ドイツ)のコングロマリットの一部になった。更に、マイバッハは一度ブランド消滅したが、メルセデスによって再構築された経緯がある。つまり、資本と文化が断絶しているのだ。ブランドは約束である以上、その物語が濁ることは致命的だと思う。欧州ラグジュアリーが長年積み上げてきた「貴族文化」「格式」「歴史」は、資本構造の揺れの中で薄まりつつあるのだ。これは、ラグジュアリーブランドにとって決して軽い変化ではない。文化資本の断絶は、ブランドの価値と大きく関係があるのだ。
さて、そこにトヨタだ。今のトヨタを理解するためには、数字を冷静に見ることをお勧めする。2024年、トヨタの販売台数は年間1,080万台で世界1位だ。売上は45.1兆円、営業利益は5.35兆円に達し、利益率は約12%という驚異的な水準を記録している。対して、世界を代表するメーカーの数字だ。フォルクスワーゲン・グループは販売台数で900万台、売上はトヨタと同規模にあるものの、営業利益率は約6%前後で、トヨタの半分だ。BMWは年間約245万台、メルセデスは約240万台とプレミアム領域に集中しているといえ、世界シェアでいえば2%から3%程度だ。このように俯瞰すると、トヨタとVWは世界の二強であり、BMWやメルセデスはそもそも生産規模も市場支配力も違う次元にあるのだ。つまり、トヨタは、量・質・収益力の三拍子が揃った唯一の企業という事実がわかる。トヨタが今後、超高級ブランドをポートフォリオに追加することは全く不自然ではなく、むしろ当然の流れとさえ思えてきただろう。
トヨタは、4つの明確なブランド階層があった。ダイハツ(大衆)、トヨタ(高品質)、レクサス(プレミアム)、日野(商用)だ。この4つのカテゴリーだけでも、世界の乗用車市場のほぼ全域をカバーしてきた。そこに、「センチュリー」という5つ目の最上位ブランドが加わる。トヨタの企業規模を考えれば、この階層追加は当然の判断だ。、
トヨタという巨大なピラミッドは、これまで長くレクサスを頂点として運営されてきた。1989年に北米でデビューしたこのブランドは、わずか40年弱という短い歴史でありながら、BMWやメルセデスと肩を並べる世界的なプレミアムブランドに育った。これは奇跡に近い成功だと思う。レクサス以前にプレミアムブランドを立ち上げた日本メーカーは他にもある。ホンダのアキュラは1986年に誕生し、日産のインフィニティもレクサスより早い。
だが、この二つが北米以外の市場で存在感を持てず、世界ブランドに育たなかったことを考えると、トヨタがレクサスをここまで押し上げたことの意味は大きい。単に高級車を売ろうとしたのではなく、ブランドを育てるという覚悟と長期戦略を持ち続けた唯一の日本メーカーだった。しかし、レクサスが大成功していく一方で、内部では別の課題が生まれていた。レクサスで開発した先端技術、静粛性、乗り心地、耐久性、品質管理の仕組み、素材の扱い方。これらをトヨタ車にも展開する。これは消費者から見れば歓迎される動きだ。ただでさえ品質の良いトヨタ車が、あり得ないくらいの品質向上で驚くばかりである。
だが、この戦略は、レクサスとトヨタの違いを徐々に曖昧にしたのも事実かしれない。顧客の中には「レクサスとトヨタの違いって何なのか?」と感じる層も出てきて、やがてBMWやベンツに流れていく層も出てきたと思う。
現場の技術者の間でも、「レクサスをより尖らせるべきか、それともトヨタへの水平展開を優先するべきか」という議論が繰り返されてきたのではないだろうか。つまり、レクサスの成功が大きければ大きいほど、その成功の影としてブランドの棲み分けが難しくなるという構造的な課題があったのだ。この状況の中で、トヨタがもう一段上のブランド階層を持つという決断は、自然な帰結だったと思う。レクサスをレクサスとして明確に尖らせるためにも、そしてトヨタ全体のブランドピラミッドをより立体的にするためにも、センチュリーという「超高級・ショーファーカー」ブランドを最上位に据えることは必然だったのだ。センチュリーが入ることで階層は5つになる。
大衆(ダイハツ)、高品質(トヨタ)、プレミアム(レクサス)、商用(日野)、超高級(センチュリー)だ。この構造は、トヨタの規模とブランド体力を考えれば、ようやく完成したと言えるかも知れない。レクサスの成功を押し上げ、同時にその負荷を軽減し、さらに上位の物語を創るための、きわめて合理的で戦略的な動きなのだ。
センチュリーの強さは、トヨタの技術力や品質といった次元では完成しない。それを超えるもう一つの価値が必要だ。早嶋は皇室文化との結びつきにこそあると思っている。日本の皇室は、世界の中で最も長く続く王朝だ。2600年以上の歴史を持ち、その連続性は欧州王室の比ではない。英国王室は1000年前後であり、フランスは革命で途絶え、ドイツに至っては19世紀の統一国家であり、王室の連続性は存在しない。この世界でも稀有な文化の連続性を背負うことができる唯一の車、それこそがセンチュリーなのだ。センチュリーはこれまで、官公庁の役人を乗せ、首相官邸の移動を担い、宮内庁の御料車として皇室の移動を支えてきた歴史を持つ。これは、ロールス・ロイスにも、マイバッハにも、ベントレーにも持ち得ない物語だ。
普通のブランドは、広告とマーケティングで「物語」をつくるだろう。しかし、センチュリーはすでに物語そのものの上に存在しているのだ。これは文化的にもブランド的にも圧倒的なアドバンテージになると思う。
世界の上位所得者たちの価値観は、この十年で大きく変わったのでは無いかと思う。以前は「見せる」ことが高級の前提だったかも知れない。豪華な装飾、大きなエンブレム、派手な内装。高級とは、目に見える誇示だった。しかし今は違う。世界の富裕層は静けさや控えめさ、内省的な上質に価値を移しつつある。茶室のような余白の美、光と影の陰影、素材の深み、手仕事の気配。欧州的な「豪奢」とは真逆の価値観だ。京都に世界のファッションメゾンが工房を構え、日本の工芸技術を内装に取り入れ、世界中から富裕層が日本旅館や茶文化に興味を示している現象は、この価値観の変化を裏付けていると思う。
そう近年、ジャパニーズ・ラグジュアリーが世界的に確実に注目されているのだ。そして、その日本独自の美学をそのまま体現した車がセンチュリーなのだ。誇示ではなく静謐、主張ではなく存在感、豪華さではなく品格。まさに日本の価値観そのものなのだ。
欧州のラグジュアリーが文化の濁りの中で揺れている今、トヨタは世界の王者として、まったく新しい頂点を作る準備を整えている。その頂点に立つセンチュリー。
トヨタの圧倒的な生産規模と技術力、世界トップクラスの収益性、そして日本という国の2600年の文化資本。そのすべてを背景に持つ超高級車ブランドは、世界でもセンチュリーしか存在しない。センチュリーはロールス・ロイスの後追いではない。マイバッハの対抗でもない。ベントレーの模倣でもない。センチュリーは完全に異なる軸、静謐のラグジュアリー、皇室文化のブランド、という唯一の位置で勝負ができる。
早嶋は、センチュリーが世界のラグジュアリー市場に新しい基準を生み出し、その意味で「世界の頂点」と呼ばれる存在になると確信している。
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労働時間と一人あたりGDPの関係
2025年11月14日
早嶋です。約6400文字です。
日本の「失われた30年」と呼ばれる時代の正体は何か。日本だけが停滞した理由、一人あたりGDPが他の先進国に比べて伸びなかった理由。現時点での早嶋の仮説だが、ある程度体系立てて整理できていると思う。今日は、その中でも「労働時間」と「一人あたりGDP」の関係について、少し詳しく書いてみる。
(高度成長期の労働時間)
日本の高度経済成長期、そしてバブル前夜までの1980年代を思い返すと、当時の日本人は長く労働した。実際、データを見ると、1970年代半ばで全年齢平均の年間労働時間は2000時間を軽く超えていたし、企業によっては2200時間から2300時間くらいが普通だった。もちろん当時の残業の実態は今より遥かに曖昧で、企業文化として残業前提で設計されている部署も少なくなかった。つまり、公式統計で2000時間前後という数字が出ていても、実感ベースでは明らかにもっと働いていたと考えられる。
この頃の日本は、世界が驚嘆するほどの勢いで経済的な力をつけた。1975年、一人あたり名目GDP(ドル換算)は4,674ドルだったが、その後の20年間で44,000ドルへと急伸した。約10倍だ。もちろん、これは円高ドル安の影響もあるし、ドル換算の数字は為替に大きく左右されてしまう。しかし、それを差し引いても当時の日本が質と量の両面で圧倒的に強かったことは、確かな事実だ。産業構造で言えば、自動車、電機、半導体、鉄鋼、造船、繊維機械、どれをとっても高い競争力があった。大企業が設備投資を重ね、生産計画がうまく回り、熟練技能が蓄積されていくという、日本型経営の強さが最も輝いていた時期だ。
(75年から95年:「時間は減り、生産性は跳ねた」時期)
ここでポイントになるのは、1975年から1995年の日本では、すでに労働時間が減り始めていたにもかかわらず、一人あたりGDPは伸び続けていたということだ。実際、OECDのデータを参照すると、就業者1人あたりの年間実労働時間は1975年の約2000時間台から1995年には1880時間前後に減っている。約9%の減少だ。それでも経済は伸びた。理由は、1時間あたりの付加価値が飛躍的に伸びたからだ。
米国連銀(FRB)がまとめている実質GDP/労働時間のデータでは、1970年に約13ドルだった日本の1時間あたりの生産額が、1989年には約26ドル近くまで跳ね上がっている。名目のドル換算で見るとさらに差は大きい。当時の日本企業は、自動車、電機、半導体、鉄鋼など世界のトップクラスで競いながら、設備投資も積極化し、工場の自動化、品質管理、研究開発、熟練技能の蓄積という生産の仕組みそのものを強化し続けていた。働く時間は減ったが、その減少を上回る速度で、1時間あたりで生み出す価値が増えたのだ。この20年間で起きたことは、単なる景気の良さではなく、日本経済そのものの質的な進化だったのだ。日本は、量ではなく質で成長するモデルを、この時期、75年から95年頃に確立していたのだ。
ところが、1995年を境に状況は大きく変わる。1995年の日本は世界経済の勝ち組だった。円は94円前後の超円高で、ドル換算のGDPは世界最高レベル。ソニーやトヨタは世界の象徴であり、日本の生活用品や電子機器が世界を席巻していた。しかし、この年をピークに、日本の成長エンジンは止まり始めた。
(95年以降:時間だけが先に減っていく)
1995年から2023年までの間に、年間労働時間はさらに15%減少する。これは1975年から1995年までの9%減と比較しても、かなり大きい。働き方改革が本格化する前からも、既に日本は働く時間を減らす方向へ動いていた。さらに、2000年代以降の少子高齢化で働き手そのものも減少している。総労働時間という意味で見れば、日本はこの30年で相当量の労働投入を失っている。
その相当量の労働投入はどのくらいか。少し粗いが計算してみた。まず、就業者数は実はほとんど変わっていない。1995年が約6700万人、2023年が約6800万人だ。表面上の差はないが、働き方の中身は変化している。
1995年の就業者一人あたりの年間労働時間は1884時間とされている。一方、2023年の年間労働時間は1611時間ほどだ。この差は273時間。率にして15%の減少だ。では、この「一人あたり△273時間」の変化が、国全体の総労働量に換算するとどれほどの影響になるのか。単純に「就業者数 × 年間労働時間」で総労働量を推計できる。荒い計算だが、この方法でおおまかな全体像がつかめる。
1995年は、就業者6700万人に対して1人が1884時間働く。だから、
6700万人 × 1884時間 = 約1.26兆時間。
これが1995年の日本の「総労働時間」だ。
次に2023年。就業者はほぼ同じ6800万人前後だが、一人あたりの労働時間は1611時間に落ちている。同じ方法で計算すると、
6800万人 × 1611時間 = 約1.10兆時間
となる。
つまり、日本全体で見ると、1995年の1.26兆時間から、2023年には1.10兆時間へと、およそ1600億時間の労働が消えたことになる。率にすると13%ほどの減少だ。1600億時間という数字は、日常感覚では大きく掴みにくい。たとえばフルタイム換算すると、フルタイム労働者が年間およそ1850時間働くと仮定すれば、1600億時間は、
1600億時間 ÷ 1850時間 = 約800万人。
つまり、この30年の間に、日本全体ではフルタイムの働き手が800万人いなくなったのと同じだけの労働量が失われた計算になる。就業者数はほとんど変わらない。にもかかわらず、労働量は800万人分も消えているのだ。この構造が、日本のここ30年の経済を理解するうえで重要なポイントだと思う。人数が減ったのではなく、労働時間と働き方が変わった。しかも、人口の高齢化とともに、働く時間が短い層(高齢者、女性、パートタイム)が全体の比率を引き上げている。その結果、見た目の「就業者数」は横ばいだが、実際の「総労働量」は大きく減るという現象が起きているのだ。
数字を追うと、この構造はとてもシンプルだ。労働時間が273時間減り、それが6800万人分積み重なるから、1600億時間という巨大な差になっている。日本がこの30年でどれほどの労働の総量を失ってきたかが、より明確に見えてくる。
(95年以降の「時間あたり生産性」をどう見るか)
では、1995年以降の日本の時間あたり生産性はどうだろう。ここも丁寧に整理すると、状況がさらに明確になる。1995年から2023年までのおよそ30年間で、日本の時間あたり名目GDPは1.3倍ほどになっている。数字としては悪くはない。OECDの労働生産性統計を見ても、日本の「GDP per hour worked」は主要国の中で中位に位置し、決して極端に低いわけではない。だが問題は、その伸び率だ。
1975年から1995年の20年間では、同じ時間あたりGDPが3倍近くに伸びていた。これはFRBの「Real GDP per hour worked」のデータでも、1970年の約13ドルから1989年に26ドル超と、実質ベースでも倍増していることから裏付けられる。
しかし1995年以降は、伸びが止まっている。OECDの時間あたりGDP(PPPベース)で比較すると、1995年から2023年の日本の伸びは約20〜25%にとどまる一方、同時期の米国は約60%、ドイツも50%前後で伸びている。つまり、日本は絶対値が低いのではなく、相対的に成長していない、と言えるのだ。これは経済学で言えば、全要素生産性(TFP)の伸びが弱い状態が長期化していた、ということになる。
(TFPの概説)
TFPは、経済学の概念で少しとっつきにくいが、実はとても素朴な概念だ。端的に言えば、TFPとは「同じ人数と同じ設備を使って、どれだけうまく生産できているか」を表す指標だ。つまり、人とモノという分かりやすい要素では説明しきれない、目に見えない力を数字にしているにすぎない。
企業でも国でも、生産というのは大きく三つの要素で決まる。ひとつは働く人の数や時間、もうひとつは機械や設備の量、そして最後に、仕組みや技術、現場の工夫といった要素だ。TFPはこの三つ目、つまり労働と資本では説明できない「残り」を測る指標だと言える。
生活の例で考えると分かりやすい。同じ材料、同じ人数で料理をしても、段取りの良い人が作れば早くできるし、工夫のある人が作れば味が良くなる。キッチンの動線が整っていれば作業は格段に速くなる。材料も人も同じなのに、成果が違う。この違いこそTFPだ。段取り、工夫、レシピの質、組織の賢さ。こうした見えない改善の総体が、TFPという数字に姿を変えて表れている。
経済の長期的な成長を支えているのも、実はこのTFPだ。人口が増えなくても、設備投資が頭打ちになっても、技術が進み、働き方が工夫され、組織が賢くなることで、生産性は伸び続ける。アメリカの経済が粘り強い理由も、TFPの底堅さにある。逆にいくら人を増やしても、設備にお金をかけても、働き方や仕組みが変わらなければ生産性は上がらない。1995年以降の日本がこの状態だ。人と設備の投入は一定あるのに、やり方が変わらず、TFPが伸びていない。
だからTFPとは、単なる統計用語ではなく、「工夫」「技術」「仕組み」「組織文化」「マネジメントの質」など、企業や社会の総合力の象徴だと言える。目に見えるものではないが、国や企業を長期的に豊かにする根本の力がどこにあるのかを示してくれる指標だ。
(TFPが伸びなかった三つの理由)
では、なぜTFPが伸びなかったのか。わたしは、要因を三つに分けて見ている。
1つめは、産業ミックスの変化だ。1990年代後半から2000年代にかけて、日本は製造業の海外シフトを大幅に進めた。これは円高下での最適化としては合理的だったが、問題は「どの工程を海外に出したか」だ。本来国内に残すべき高付加価値の工程、たとえば研究開発、設計、工程設計、品質保証、試作などのコア技術までも同時に外へ持っていってしまった。経済学の生産関数で言えば、「技能資本」「知識資本」「組織資本」といったストックが国内で積み上がらず、TFPを押し上げる内生的なメカニズムが弱まったということだ。
その結果、国内にはサービス産業が比率として大きく残った。だが日本のサービス業は、国際比較で見ても価格が低く、値付けの文化が30年間ほとんど変わっていない。飲食、理美容、小売、介護、宿泊、交通など、生活サービスはアメリカや欧州の3分の1から5分の1の価格帯で提供されている分野がいくつもある。こうした「低価格・低マージン」の構造は、資本装備率やIT投資を押し上げる余力を企業にもたらさず、結果として時間あたり生産性を押し上げる力を失わせたのだ。
2つめは、設備投資とICT投資の弱さだ。OECDデータで確認すると、1995年以降の日本のICT投資比率(ICT investment over GDP)は主要国の中で最も低いグループにある。米国は1995年以降、ICT投資を毎年強力に積み上げ、TFPの上昇を牽引した。日本は逆で、設備投資は横ばい、ICT投資も欧米の半分から3割程度にとどまった。結果として、装置産業が縮小し、労働生産性を押し上げる資本装備効果(capital deepening)が働きにくくなった。これは経済学的には非常に重要で、TFPが上がらないときに生産性を押し上げる唯一の道は資本装備率の上昇だが、それが起きなかったということなのだ。
3つめは、労働投入そのものの減少だ。日本の総労働量は、1995年の約1.26兆時間から2023年の1.10兆時間へと落ち込んでいる。差し引き1600億時間、13%の減少で、これはフルタイム労働者に換算すれば800万人分の労働が消えた計算になる。「就業者数はほぼ横ばいで変わらないのに、総労働量は大きく減っている」という構造が日本特有で、これは生産関数で言えばL(労働投入)が減っている状態だ。しかし、本来はここでTFPが相応に伸びればGDPは維持される。実際、1995年以前の日本は、労働時間が9%減ってもTFPが強く伸びたため問題にならなかったのだ。それが1995年以降は、労働投入が減り、TFPも伸びず、資本装備率も伸びずという三重の停滞が重なったのだ。
こうした背景から、1995年以降に「生産性のジャンプ」が起きなくなった理由が見えてくる。産業構造が変わらず、TFPを押し上げる要素が弱まり、価格を上げず、資本投資もしない。労働時間だけが減り、労働投入も減る。すると一人あたりGDPはどうなるか。横ばいになる。極めてシンプルな経済の話だ。表面的には「日本は生産性が低い」と言われるが、より正確に言えば「生産性の伸びが小さい」。そして、その背後には、30年間動かなかった産業構造と投資の不足、そして値付け文化の問題が横たわっている。つまり、日本は生産性が低い国ではない。生産性を上げられなくなった国なのだ。
(為替というもう一つのレンズ)
もうひとつ忘れてはいけないのは為替の存在だ。一人あたりGDPを国際比較するとき、ほとんどの指標はドルベースで見られる。これが日本の見栄えをさらに悪くする。
1995年は1ドル=94円という円高。2023年は1ドル=140円台の円安。つまり、同じ国内の付加価値でも、ドルに換算した瞬間に3〜4割も目減りしてしまう。だから、「日本の一人あたりGDPは世界的に低い」という見方は、半分は事実だが、半分はドルという物差しのせいで矮小化されている。
こう整理してみると、日本の30年間が「本当に停滞していたのか?」という問いそのものが揺らいでくる。しかし、より正直に言えば、日本は停滞していたのではなく「他国が急激に伸び、かつ日本は価格と産業構造を変えなかった」ために低く見えるだけなのだ。日本の一人あたりGDPが減ったのではない。他国が高くなり、日本は値付けを変えられなかった。それに円安が乗っかって、国際比較では小さく見えるようになったということなのだ。
(時間を増やす議論と、本当に変えるべきところ)
現在、国会では、働き方改革や36協定を見直して、労働時間を増やす議論をしている。つまり、労働時間を増やしてGDPを増やそうという魂胆だ。早嶋はこの問いに対して、「部分的にYES、しかし本質はそこではない」と考える。
確かに短期的には労働時間の総量を増やすことでGDPの底上げは可能だ。しかし、1995年以降の停滞の本質は、時間ではなく「付加価値単価が上がらなかったこと」にある。つまり、日本の企業が30年間「値段を上げる覚悟」を持てなかったということだ。産業再編を進め、規模の経済を働かせ、投資余力を作り、生産性を本当の意味で高めていく。そのうえで、サービス産業を中心に「値付けの文化」を変えていく。わたしはここが最重要だと思っている。
こうした議論をしていくと、結局のところわたしたちの経済の問題は「働き方改革のせいで停滞した」のではなく、「働き方改革より前に、産業が変わらなかった」というところに行き着く。1975年から1995年までは、時間を減らしても産業が進化した。しかし1995年から2023年までは、産業が進化しないまま、時間だけが減り続けた。その違いだ。
時間を増やすかどうかではなく、付加価値を高められる産業構造に変えていくかどうか。その方向性こそが、本当の意味での成長戦略だと考える。
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旧暦コラム 霜月の入りにて
2025年11月12日
早嶋です。
この一週間で、空気が一気に冷え込んだ。子どものソフトボールの応援も、夏の装いから冬の防寒へ。秋がなくなったように感じるほどだが、ふと見渡せば、木々は確かに紅葉している。秋は、まだそこにいる。
プラットフォームから、今年も新米が届いた。BBTからも同じく、長野の秋の恵みが届く。袋を開けた瞬間に広がる、あの香り。新米を研ぐ水の冷たさに、季節の深まりを感じる。熊本からは、旬のれんこんを使ったからし蓮根。地の辛味が鼻を抜ける。近くの和食屋では、銀杏の焼きと揚げ。独特の苦みが舌に残り、心にスイッチを入れる。台所では、妻が栗の皮を剥き、渋皮煮を仕込んでいる。その姿は、我が家の秋の風物詩だ。
ベランダの紅葉は風に吹かれながら衣替えを始め、葉の先から少しずつ赤く染まり出した。並木道のけやきと銀杏も、まるで合図を交わすように、いっせいに秋の色へと変わっていく。
旧暦では、今は霜月のはじめ。霜が降りるほどに空気が澄み、しかし自然はまだ、秋の光を惜しむように柔らかい。冬の入口で、秋が最後の輝きを見せている。
ネーミングライツの落とし穴
2025年11月11日
早嶋です。約1500文字。
多くの企業が地域貢献の一環として、地元のスポーツ大会や文化イベントに協賛していると思う。そこには、地域との絆を深めたい、社会に還元したい、という善意がある。更には、地元の親御さんに会社の名前を知ってもらい、将来的に自社に入社してもらったら嬉しい、と考える企業もいるだろう。だが、実際のところ、その「善意」が逆効果になる場面が増えているように思う。
たとえば、10年間で気候が大幅に変わっている。猛暑の中での大会運営や天候判断の難しさなど、スポーツイベントや文化イベントの運営にも多様な経験が必要になっている。本来、このようなマネジメントは運営側の責任だ。しかしそのようなイベントに協賛し、イベント名の冠に企業名を出している場合は、参加者や保護者は確実に、その企業に責任を求めると思う。
たとえば、「第15回・早嶋コンサルソフトボールカップ」とかであれば、「なんでコンサル会社なのに、現場が混乱しているのだ?」とか。「第20回・早嶋弁当サッカー大会」とかであれば、「何で弁当を扱う企業なのに、弁当の到着が遅いんだ?」とか。だ。実態として運営に関与していないので、大会名に冠があれば「主催者的な責任」を負っているように現場の利害関係者からは思われるのだ。
企業にとっては、「お金を出して名前を貸しているだけ」でも、社会的には「大会の一部を担っている」と認識される。ここにネーミングライツの盲点があるのだ。名前を出すということは、運営責任の一部を世間的に背負うということなのだ。特に、SNSでリアルタイムに情報や不満が拡散される時代では、「関係がない」と言い切るのは難しい。「第20回・早嶋ガスホールディングス親子スポーツイベント」は、大雨の中、強行開催をして、何を考えている!的なコメントを、企業名を関して発信されるのだ。
しかも、実際の地域大会の多くはボランティアや地域の有志が中心で、プロのイベント運営者ではない。スケジュールの乱れ、連絡の遅延、対応の不統一などは、ほぼ避けられない。だが、そうしたトラブルの矛先が「冠企業」に向くという構造は、意外と多くの企業が想定していない。更に、支社単位での協賛の場合は危うい。地元では「○○株式会社の大会」として広まっているが、本社はその存在すら知らないだろう。ところがクレームや苦情は「企業全体」への印象を損ねる。これはブランドリスクそのものだ。
もし、協賛企業がB2C型であれば、たとえば小売、金融、住宅、教育など、大会運営の不満や不手際の印象が直接的に冠企業へのマイナスの感情へ発展する。大会の不手際と商品サービスの印象が結びつき、「あの会社は対応が悪い」となる可能性も十分に考えられる。企業は「地域のため」と思って協賛しても、消費者は「企業の責任」と受け止めるのだ。ここに大きな乖離がある。
わたしは、これからの地域協賛は「名前を出す」より「共に運営する」時代に変わるべきだと思う。たとえば、協賛企業が大会の情報発信をサポートしたり、暑さ対策として給水ステーションを提供したり、あるいは大会中止や変更の際の連絡網づくりをデジタルで支援する等だ。そうした参加型協賛ができれば、単なる冠スポンサーではなく、運営の信頼を支えるパートナーになれるのだ。ネーミングライツは「宣伝」ではなく「共責任」だと認識しなければならない。その覚悟がないまま名前を貸すことは、思わぬリスクを招く。地域に根ざす企業ほど、この構造的なリスクを一度整理しておいた方がいいと思う。
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イデオロギーがマイルド保守に向かう理由
2025年11月7日
早嶋です。2700文字。
戦後の日本政治を理解するとき、押さえるべきは「1955年体制」が成立するまでの流れだと思う。敗戦直後、日本はGHQ(連合国軍総司令部)の占領下に置かれ、急速な民主化政策が進められた。財閥解体、農地改革、労働組合の育成等。そのどれもが、戦前の国家主義体制を否定する試みだ。この時期、政治は右も左も混乱していた。旧来の保守勢力は国体の維持を模索し、左派は労働運動や平和主義を掲げて急進化する。冷戦構造のもと、アメリカは日本を反共の砦として位置づける一方で、国内では「資本主義 vs 社会主義」という二項対立がそのまま政治の対立軸になっていった。こうして1955年、自民党と日本社会党がそれぞれ保守・革新の代表として結集し、「55年体制」が成立する。以後、約40年にわたって自民党が政権を維持し、社会党が常に負ける野党として機能する安定構造が続いた。
日本でいう「リベラル」は、欧米型の自由主義というよりも、「弱者を保護し、再配分を重視する左派的立場」に近い。社会党は労働組合(総評)を母体とし、福祉国家、護憲、反核、平等を掲げていた。一方の自民党は経済成長と安定を重視する「開発型保守」であり、戦後の奇跡的な高度成長を支えた。つまり、リベラル=理想と平等を語る野党、保守=成長と秩序を担う与党、という役割分担が成立していた。
しかし1980年代末、冷戦が終わり、グローバル資本主義の波が押し寄せる。国際競争が激化し、国家よりも企業、企業よりも個人が生き残りを競う時代が到来する。この瞬間、国家単位で「再配分」や「護憲」を唱える社会党の言語は、現実の経済システムと乖離していった。もはや「左」と「右」ではなく、「グローバルに適応するか否か」が政治的分断の軸に変わったのだ。この転換によって、55年体制の対立構造は意味を失っていった。
日本のピークは1996年前後だ。経済的にはバブル崩壊のダメージが顕在化し、日経平均は1989年の38,915円から1996年には半値の約2万円台まで下がった。企業の倒産が相次ぎ、非正規雇用が増加、終身雇用神話が崩れた。政治では1994年、社会党の村山富市が自民党と連立を組んで首相に就任。「保守と革新の対立」という構図は完全に瓦解したのだ。その後、社会党は自らの存在理由を失い、1996年には民主党や社民党に分裂。ここで戦後政治の「リベラルの軸」は事実上、消滅する。国民は初めて、「保守かリベラルか」ではなく、「現実に対応できるかどうか」で政治を選ぶようになったのだ。
同じ頃、若者たちは氷の中に放り込まれた。1993年から2005年ごろまで続いた「就職氷河期」では、新卒内定率が60%台にまで低下した。大学を卒業しても就職できず、派遣やアルバイトに流れる人が急増した。1999年時点でフリーターは約417万人、ニート(働かず学ばず)の数も増え続けた。彼らは「努力すれば報われる」と信じて受験戦争を戦い抜いた世代だった。真面目に大学に進み、就職活動に全力を尽くしても、景気のせいで門前払い。一方でバブル期に入社した少し上の世代は安定したポジションを維持している。この不公平感が、深い構造的裏切りの感情を生んだのだ。そして、「国の言う通りにしても報われない」という実感が、政治への不信を決定的にしたのだ。
努力しても報われない現実を前に、彼らは政治的な理想や運動に関心を失ってしまう。「どうせ何も変わらない」という諦めが社会全体を覆い始める。2000年代初頭、IT革命が始まるが、当時のネットはまだ限られた層のもので、議論は一部の掲示板(2ちゃんねるなど)にとどまっていた。しかし、2007年以降、iPhoneの登場とSNS(Twitter、Facebook、mixi)の普及によって状況が一変した。匿名のまま意見を発信でき、同じ不満を抱えた人々と瞬時につながれる。現実社会では口にできない怒りや差別的感情を、ネットの中では自由に表現できるようになったのだ。これが「表では沈黙、ネットでは過激」という日本独特の分裂的コミュニケーションを生み出すきっかけになった。そう、マイルド保守の感情的インフラが整い始めるのだ。
ここでいうマイルド保守とは、強いナショナリズムや排外主義ではなく、「日本を守りたい」「今の生活を壊したくない」という穏やかな保守感情を指す。造語ではあるが、思想ではなく気分としての保守を意味する。国家の方向性やイデオロギーではなく、「子どもが安全に育ち、仕事があり、生活が続く」という極めて日常的な安心を求める態度だ。それは右傾化ではなく、防衛反応なのだ。混乱する世界の中で、せめて自分の周囲だけは守りたいという願いがマイルド保守の根底にあるのだ。
一方、2000年以降に成人した若者たちは、成長のない国を前提に生きている。努力しても賃金が上がらず、住宅も買えず、将来の年金も不安。それでも彼らは氷河期世代のように政治を恨まない。むしろ、最初から国家や組織に期待していないのだ。彼らの生き方は、「変える」ではなく「適応する」だ。企業に忠誠を誓うより、転職や副業で自分のポジションを最適化する。社会に合わせて生きるというより、環境に合わせて自分をチューニングする感覚に近い。彼らにとって政治は、理念ではなくサービス。「どの政党が自分の生活を少しでもマシにしてくれるか」という待遇主義的政治観が主流になっているのだ。
現代日本には、次の二つの心理が共存している。
氷河期世代:努力を信じて裏切られた。政治に失望し、諦めを抱く。
若者世代:最初から努力神話を信じず、環境に適応して生きる。
前者は「政治に裏切られた」と感じ、後者は「政治に期待していない」と信じている。両者に共通したのは、政治を遠いものとして扱うことだった。そこに政治家が「日本を守る」「生活を安定させる」と語れば、左右を超えて共感が生まれたのだ。これがマイルド保守の感情構造で、今の日本政治を支える多数派だと思うのだ。
1955年体制の崩壊後、日本はリベラルを失い、保守もまた理念を失った。代わりに登場したのが、安定を信仰する社会だ。右でも左でもなく、「普通でいたい」「波風を立てたくない」という感情が国を支配している。マイルド保守とは、政治の右傾化ではなく、むしろ、希望を失った社会が選んだ穏やかな防衛反応なのだ。誰も革命を望まず、ただ「平和な日常を守りたい」と願っている。そしてその願いこそが、現代日本における最大のイデオロギーなのだ。
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ポルシェは、いまどこにいるのか
2025年11月4日
早嶋です。約2700文字。
ポルシェブランドは、独特の存在感がある。マカン3を新車で2年ほど所有した、その間、通勤や旅行のたびに感じたのは「走ることそのものが心地いい」という感覚だ。踏み込んだ瞬間に伝わるレスポンスの良さ、高速でのハンドリングの安定性、道の凸凹を繊細に感じる設計、車と人がつながったような感覚。単なるSUVではなく、どこか職人気質の「機械の誇り」を感じさせるものだった。おそらく、ポルシェを愛する人たちは、こうした車の感覚に惹かれているのだと思う。そのポルシェ、今、ブランド哲学の転換点に立っていると思う。
コロナ禍とウクライナ危機による部品供給の滞りをきっかけに、投資目的で車を買う層が増え、911を中心とした人気モデルは新車待ちが当たり前になる。市場は過熱し、ブランド価値は一時的に高騰。だが、その裏で、ポルシェという企業自体の体力は、少しずつ削られていったように思う。
2024年の決算では、売上はほぼ横ばいにもかかわらず、営業利益は約2割減少。営業利益率も18%から14%へと落ち込み、販売台数も約6%減少した。しかも、販売の落ち込みの最大要因は、中国と香港市場の冷え込みだ。世界のポルシェ販売の約3割を占めるこの地域が、景気の減速と政治的不安定を背景に大きく沈んだのだ。ここに、ポルシェが直面する三つの圧力があると思う。
第一に、中国依存のリスク。
第二に、電気自動車(BEV)時代における収益性とブランドらしさの両立という課題。
そして第三に、ソフトウェア競争力の底上げだ。
(中国依存のリスク)
2000年代に入り、中国ではフォルクスワーゲンが早期に築いた販売・整備のネットワークが国中に広がっていた。ポルシェは、そのグループの一員として、自然にこの基盤の恩恵を受ける形で参入した。販売は独立運営だったが、物流や部品供給などの土台はVWグループの構造に支えられていた。その結果、アウディが公用車として定着し、BMWやベンツが富裕層に浸透する中で、ポルシェはそのさらに上を象徴するブランドとして地位を築いた。だが、その強みは同時に、VWグループの中国依存というリスクでもあった。経済の減速と国産EVメーカーの台頭により、グループ全体の販売が鈍る今、その影響を最も強く受けているのがポルシェなのかもしれない。
これまでのポルシェは、アジア戦略を「中国一極集中」と言ってもいいほどに頼ってきた。その構造が、いま大きなリスクとして跳ね返ってきている。短期的に売上を回復させるには、アメリカや中東、欧州での販売を厚くするしかない。だが、これらの地域にはすでに多くのプレミアムブランドが密集しており、容易ではない。
(BEVの収益性とブランドらしさの両立)
ポルシェが直面している第二の圧力は、「電気化の壁」だ。911以外の主力モデル、718、マカン、カイエンなどは、いま電気自動車への移行を進めている。だが、この戦略は必ずしも順調ではない。電動化に巨額の投資を行った結果、開発費が膨張し、ガソリンモデルへの再投資余力が薄まったのだ。
しかも、電気自動車では、従来の「ポルシェらしさ」を表現するのが難しい。エンジン音も振動もない中で、どのようにドライビングの愉しさを再現するか。テスラやBYD、メルセデス、BMWなど、多くのメーカーが同じ舞台で競い合う世界では、ポルシェのアイデンティティが埋没しかねない。
この状況を受けて、ポルシェは2025年秋に電動SUVの開発計画を一部見直し、「ガソリンとハイブリッドを含む複線的な戦略」に切り替えた。電動化一本足では採算が合わず、ブランドらしさを維持できないと判断したのだろう。だが、それは同時に、これまで積み上げてきた電動化投資の一部を「損失」として飲み込む決断でもある。
(ソフトウェア競争力の遅れ0
第三の問題は、ソフトウェアだ。これは、多くのポルシェオーナーが実感していると思うが、インフォテインメントやアプリ連携の品質は、他社と比べて明らかに劣る。車体の設計や走行性能は世界屈指でも、ソフトの出来が悪い。アプリで車を管理する仕組みも不安定で、バグや接続不良が多く、「こんなものか」と諦めなければならないこともある。
この遅れの背景には、VWグループ全体のソフト戦略の失敗がある。グループ子会社「CARIAD」がソフト開発を一手に担っているが、開発の遅延とコスト超過で知られている。結果、ポルシェはGoogle系の外部OSを採用するなど、方針転換を余儀なくされた。だが、ソフトの力が問われる時代に、ここでの遅れは致命的だ。かつて「エンジンの美学」で世界を魅了したブランドが、いまや「ソフトの不具合」で不満を抱かれる。これほどの皮肉はない。
この三つの圧力を俯瞰すると、ポルシェはいま、ブランドの根幹が揺らいでいる状態だ。ハードでは世界最高の水準を維持しながら、ソフトや戦略の面での歪みが、じわじわと企業全体を蝕んでいる。電気化の波に乗り遅れたのではなく、「電気化の意味づけ」に失敗しかけているのだ。
ポルシェというブランドは、単なる移動の手段ではなく、「走ることの哲学」そのものだった。だからこそ、エンジンを失っても、哲学を失ってはならない。EVでもガソリンでもいい。大事なのは、ドライバーがステアリングを握った瞬間に「これがポルシェだ」と感じられるかどうかだ。
ポルシェは、いま大きな試練の中にある。しかし、この企業には、かつて何度も危機を乗り越え、再び頂点に戻ってきた歴史がある。911が何度も絶滅の危機に立たされながらも、常に進化し、時代に合わせて蘇ってきたように、ポルシェもまた「復活のDNA」を持っている。
いまのポルシェがすべきことは、二つだと思う。ひとつは、「電動化をポルシェ流に再定義すること」だ。EVを未来の義務として作るのではなく、ポルシェの快楽を再構築する挑戦として位置づけることだ。加速性能や航続距離ではなく、「走る歓び」をどう設計するか。その視点が戻れば、電動化の意味が生まれる。
もうひとつは、「ソフトウェアをエンジンと同じレベルの文化にすること」だ。ポルシェの車は、もはや動くコンピューターだ。ならば、その頭脳にあたるソフトの完成度を、かつてのメカニカルエンジニアリングのように磨く必要がある。ここを外部依存のままにしていては、ブランドの未来はないと思う。
ポルシェは、いまも世界中のドライバーにとって憧れであり続けている。ただ、その憧れが、過去の延長線上にあるだけでは意味がない。これからの10年、ポルシェが「走る哲学」を再構築できるかどうか。それが、ブランドの未来を決めると思う。
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ブランド価値と株価 比例しそうで、しない関係
2025年11月2日
早嶋です。約3000文字。
ブランドというものは、目に見えないが確かに存在する。ショップでの威圧感や堂々とした店構え、広告の語り口、SNSでの露出、そのすべてが積み重なって「このブランドなら間違いない」という信頼をつくり出す。だが、その信頼が株価にどう関わるかとなると、話は一気に難しくなる。
インターブランドのような機関が毎年「世界ブランド価値ランキング」を発表している。S&P500を対象にした分析では、ブランド評価が上がった企業は株価にも一定の好影響を与えているという。ブランドを資産として扱い、組織的に管理している企業ほど、株主価値が高まりやすいという主張だ。数字としては整っている。だが、それだけで世界のブランドの動きが説明できるわけではない。
マンチェスター大学の研究者らは、もう少し冷静な視点を提示している。ブランドランキングに載ること自体よりも、「前年から評価が上がった」「ブランドの健全性が改善された」というニュースの方が株価に反応をもたらすというのだ。つまり、市場は状態よりも変化を見る。静止画よりも、動いている姿に価値を見出す。
この傾向は新興国でも確認されている。トルコの研究では、ブランド価値が前年より改善した企業の株価は、発表後数ヶ月にわたりプラスの異常収益を記録した。反対に、ランキングの順位が上がっただけの企業には、それほど反応がなかった。ブランドが改善されたこと、つまり「このブランドには伸びしろがある」と市場が感じたとき、初めて投資家の期待が価格に織り込まれる。
一方で、ブランド価値と株価が必ずしも比例しない理由も明快だ。株価はあくまで将来生まれるキャッシュフローの現在価値であり、ブランド価値はその一部に過ぎない。ブランドがいくら輝いていても、それが将来の収益や利益率の向上につながらなければ、株価には反映されにくい。しかも、人気ブランドほど市場で「割高」に評価されがちで、過大な期待が先行し、後に修正が入ることもある。この構造を理解すると、近年のブランド運営の方向性が少し見えてくる。
たとえば、ゴディバである。かつてゴディバは、贈答品の中でも特別な位置にあった。百貨店の最上階に構えたブティックの前で、人々は少し緊張した面持ちでリボンを選び、特別な日のために箱を抱えて帰った。
ところが今では、アウトレットモール、ショッピングモールの中、あるいはイオンの一角、さらにはコンビニエンスストアの棚にまで並んでいる。もはや「高級チョコレート」というより、「ちょっと高いチョコレート」だ。多くの人がそう感じていると思う。
この変化は、単なる戦略転換ではない。背後には資本構造の変化がある。ゴディバはもともとベルギーの老舗ブランドだったが、2007年にトルコの食品大手ユルドゥズ・ホールディング(Yıldız Holding)に買収された。その後、2019年には日本・韓国・オーストラリア・ニュージーランドなどの流通事業が、アジア系のプライベート・エクイティであるMBKパートナーズに売却された。つまり、所有者が変わり、経営の目的が変わったのだ。
創業家やオーナー企業のもとにあるブランドは、長期的な価値維持を優先する。流通を絞り、敢えて稀少性を演出する。しかし、株主がファンドに代わると、物語は変わる。ファンドは5年から10年で投資回収を行う必要がある。したがって、短期的に企業価値を引き上げるために、売上と市場占有率を拡大するのが最も合理的な戦略となる。ブランドがまだ希少と見なされているうちにチャネルを拡げ、認知を最大化し、出口戦略としての企業価値を押し上げる。
実際、ゴディバは価格を下げたわけではない。9粒入りや12粒入りといった定番商品は、10年前も今もおおよそ3,000円から5,000円台のままだ。価格帯を維持しながら、販売数量を拡大している。つまり「値下げによる大衆化」ではなく、「裾野の拡張」である。コンビニ向けの小包装やアウトレット限定商品、スーパーのギフト棚など、新しい販路で新しい客層を取り込むことで、全体のキャッシュフローを増やしている。
これこそが、ブランド経営の撹拌だ。ブランドの上澄みはそのまま残しながら、底の層を動かす。希少性を完全に手放したわけではないが、ブランドの空気感は確実に変わる。その結果として、かつてのような「高嶺の花」としてのオーラは薄れ、代わりによく見るブランドとしての親近感が広がるのだ。
そして、ここに資本とブランドの微妙な関係が現れる。ブランド価値が多少低下しても、売上規模が拡大し、キャッシュフローが改善すれば、企業価値(つまり株価)は上がる可能性がある。ファンドにとっては、ブランドを希少な美術品としてではなく、流動性のある金融資産として扱う方が都合が良い。ブランドの精神は少し揺らぐが、DCFモデルの上では数字が立つ。
つまり、価値を守りながら撹拌するという絶妙なバランスを探しているのだ。問題は、その先だ。短期的に企業価値を上げることはできても、ブランドの意味が薄れてしまえば、次の買い手にとっての魅力は落ちる。売上拡大と希少性維持の両立は、常にトレードオフだ。ゴディバのようなブランドは、いままさにその狭間で揺れている。
ブランドが直面する本質的な課題は、まさにこの希少性と流通の両立にある。市場に出回らなければ経済的価値は生まれない。しかし、広く出回れば出回るほど、ブランドは日常に溶け込み、特別さを失っていく。つまり、ブランドは常に「希少であること」と「存在を広めること」の狭間で生きている。
この構造は、芸術作品や宗教的な象徴とも似ている。モナリザが世界中の複製によって知られるようになっても、ルーヴルに飾られた一点の本物が失われることはない。むしろ、複製が広まるほど、本物の存在感は強まる。ブランドにも同じ原理がある。流通を拡げながらも、どこかに「触れられない核」を持ち続けること。それがブランドが生き延びるための条件だ。経営の言葉で言えば、これは「スケールとスピリットの両立」である。
規模を追えば効率が上がり、利益が安定する。だが、規模の拡大は同時に、ブランドがもっていた文脈や象徴性を薄めていく危険を孕む。逆に、希少性を守ろうとすれば、スケールの機会を逃す。この綱引きを、どの地点で止め、どの範囲で制御するか。それがブランドマネジメントの核心であり、経営の美学が問われる場所でもある。
だからこそ、ブランドは「均衡の芸術」なのだと思う。拡大しながらも崩れず、普及しながらも安っぽくならない。ゴディバのように裾野を広げつつも、どこかで手に届かない一点を演出できるかどうか。そこに、長期的なブランドの生命線がある。
ファンドが描く短期的なキャッシュフローの最大化と、ブランドが求める長期的な意味の維持。この二つのベクトルをどう整合させるか。
その試みの成否が、これからの時代のブランド価値を決めるだろう。なぜなら、ブランドとは単なる記号ではなく、「信じるに値する物語」だからだ。それがどれだけ多くの人に届いたとしても、最後の一滴の純度を失わないこと。そこに、希少性と流通の両立という永遠のテーマの答えがある。
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新聞のトランスフォーメーション
2025年10月31日
早嶋です。約3000文字。
新聞は、出来事を伝える紙媒体だ。かつて、新聞は情報の中心にあった。社会の出来事は新聞社が取材し、編集部が判断し、紙面を通じて人々に届けられた。つまり、新聞社一社が数十万、時には数百万の読者に情報を発信する、一対多数(1:n)の情報媒体の仕組みだった。そこでは、誰もが同じ紙面を同じように読み、同じ出来事を共有した。社会の共通理解は、紙面のレイアウトと見出しによって形づくられていたのだ。
しかし時代は変わった。いまや、政治家でさえテレビではなく自らSNSで語るようになった。たとえば高市総理は、生放送以外のテレビ出演を控える方針を取っている。理由は明快で、情報が編集されて本来の意図と異なって伝わる可能性を避けたいからだ。彼女は代わりに、自身のアカウントで直接メッセージを発信している。フォロワー数を見れば、それがいかに現代のメディア構造を変えているかが分かるだろう。もはや、既存メディアが「偏向報道だ」と言われても、その主張は成り立ちにくい。なぜなら、発信者が自分の声で直接、多くの人々に届く時代になったからである。
この変化の本質は、情報の「流れ方」が変わったことだ。かつて情報は新聞社から読者へと一方向に流れていた。だが今は、発信者と受信者の間に境界がなくなり、誰もが送り手にも受け手にもなる。だからこそ、新聞の役割も再定義されねばならない。私が構想する新しい新聞は、まさにその転換の先にある。
新しい新聞のあり方を一言で言えば、「一方通行から相互対話」への転換だ。従来の新聞は、一社が同一の紙面をすべての読者に配布する構造だった。そこには「受動的な便利さ」がある。何も考えなくても朝には新聞が届き、主要な出来事や社会の動きが俯瞰できる。これは今も失われるべき価値ではない。しかし、読者のニーズは均質ではないのだ。
ある人は、ただ事実だけを淡々と知りたいと思っている。別の人は、賛成と反対の両方の立場を比較して判断したい。さらにある人は、出来事の背景や制度、歴史的経緯まで掘り下げて理解したいと考える。一方で、全体像をざっと把握したい人もいる。つまり、ニュースに対して求める「深さ」も「立場」も「形式」も、人によって異なるのだ。
デジタル技術とAI、そして過去の膨大な記事データベースを組み合わせることで、こうした多様な期待に応えることが可能になる。たとえば、ある読者が「子育て支援」や「地方財政」に関心を示したとしよう。その読者には、関連する議会の議題、過去の審議記録、地域のNPOや企業の動向などが、整理された形で提示される。そして、読者が意見を投稿すれば、それが議会や行政に中立的な形で届けられるように設計することもできる。新聞が媒介となり、市民と政治が直接つながる仕組みを実現できるのだ。
このように考えると、新聞は「1:nの発信装置」から、「1:1の対話の場」へと変わる。しかもそれは単なる配信プラットフォームではない。読者の意見や関心が新たな情報の生成につながる双方向の関係性であり、メディアの形そのものが変わることを意味している。
ここでは、これを「動的なプラットフォーム」と呼ぶことにする。少し抽象的に聞こえるかもしれないが、要は「情報が一度きりで終わらず、常に更新され続ける仕組み」のことだ。新聞社はまず、行政文書や企業の発表、議事録、地元のニュース、取材メモ、さらには観光や文化、災害、医療など地域に関するあらゆる事実を、一つの大きなデータベースに集約する。それぞれの情報には、発信者、発生場所、関係する人物や制度、金額や時期などの属性を整理して記録していく。
その上で、AIがこれらの情報を組み合わせ、時系列や関係性を可視化する。すると、個別の記事が単なる点として存在するのではなく、線や面として理解できるようになる。読者は過去と現在のつながりを一望し、背景を含めて出来事を読み解ける。さらに、読者の意見や現場からの投稿が新しいデータとして加えられ、再びAIによって整理・統合される。この循環によって、地域の知識が少しずつ磨かれ、アップデートされていく。まさに「知が回り続けるメディア」になるのだ。
この仕組みの基盤には「地域の文脈」を理解する力がある。地域の文脈とは、その土地に積み重なってきた時間の層だ。たとえば、ある政策の背景には、過去の出来事や災害の経験、あるいはその地域の地形や産業構造が関係していることが多い。制度や条例は一朝一夕にできたものではなく、長年の議論や折衝の結果である。そこに暮らす人々の文化、価値観、慣習もまた意思決定に影響を与える。つまり地域とは、単なる行政単位ではなく、歴史、経済、文化、地理、人の関係が織り重なった複合体なのだ。
新聞社が持つアーカイブには、この地域の文脈を読み解く鍵がすべて詰まっている。これをデータとして整理し、AIの助けを借りて関連性を見える化すれば、地域の出来事を断片ではなく全体の流れとして理解できるようになる。地方新聞が長年蓄積してきた財産こそ、地域の集合知を再構築するための土台なのだ。
従来の、新聞の「受け身で読める」価値は維持する。何もしなくても毎朝、社会の全体像を知ることができる。それは人間の生活のリズムに寄り添った文化でもあると思っている。しかし、そこにもう一段階の柔軟さを重ねて欲しい。たとえば、読者が詳しく知りたいと思えば、一次資料や専門家の解説にすぐアクセスできるようにする。一方で、忙しい人には要約と主要論点だけを短時間で把握できるようにする。ある出来事を理解する際には、賛成と反対、二つの立場を対比させて示す。ニュースを読むという行為を、読者自身がその時々の状態や関心に合わせて選べるようにする、或いはその時の状況を新聞が読み解き適切な内容を適切な情報量とレベルで提供する媒体になるのだ。これが「受動と能動の共存」だ。
このイノベーションは、記者の仕事を根本から変える。従来の記者は、出来事を取材し、それを記事にして届ける「伝達者」だった。今後は、偏りなく事実を拾い続け、それを検証してデータベースにアップデートしていく「知のセンサー」としての役割が中心になる。そこには、記者自身の感情や主観を混ぜてはならない。記者は個人的な価値判断を排し、徹底して中立的に事実を収集することに専念する必要がある。
ただし、記者は単なる機械的な情報収集装置ではない。もう一つの役割が発生するからだ。それは社会記憶の設計だ。出来事同士の関係、制度や人のつながり、背景にある地理や文化を理解し、それらを後から辿れるように体系化するのだ。この作業があるからこそ、社会の出来事は意味を持つ。記者は、事実を拾うセンサーでありながら、社会の構造を描く設計者でもあるのだ。
新聞は、出来事を伝える紙媒体だった。しかしこれからは、事実を正確に拾い上げながら、地域に眠る知を再構成し、人と社会のあいだに新しい回路をつくる存在になる。読者と記者が双方向に関わり、AIがその橋渡しを担うことで、地域の情報は生きた知として更新され続けるだろう。紙の文化を残しつつ、デジタルとAIで拡張する。
地方の新聞こそ、もう一度社会を動かすことができると思う。そのためには、新聞社自身が情報の送り手ではなく、地域の知の循環を設計する存在へと変わる必要がある。新聞はこれから、「伝える」ではなく、「響き合う」時代に入る。どうだろう?
新規事業の旅222 日本の世界における立ち位置と為替
2025年10月30日
早嶋です。4400文字。
最近、日本がGDPでドイツやインドに抜かれたというニュースを目にする。確かにそうで、日本はかつて世界第2位だったが、いまや5位前後を行き来する。そう聞くと、反射的に「日本は衰えた」「国力が落ちた」と感じてしまう。しかし、その「弱くなった」という印象は、実態を表しているのだろうか。私は、そう単純には言い切れないと思う。なぜなら、GDPという指標は、そもそも国内だけの話だからだ。
GDP、つまり国内総生産は、その名の通り「国内で生み出された付加価値の総額」だ。日本の工場で作った車や機械、国内の店舗で売った商品など、国の中で発生した経済活動をすべて足したものがGDPだ。従い、トヨタがアメリカで販売した車の利益、ユニクロがベトナムで作った衣服の付加価値は、日本のGDPには入らない。逆に、アップルが日本の工場に発注した部品の付加価値は、日本のGDPに入る。つまり、GDPは「どこで作ったか」の指標であり、「誰が稼いだか」ではない。
ここに一つ目の落とし穴がある。日本企業は長年、海外での生産や販売を拡大してきた。世界中で稼いでいるのに、その成果は日本のGDPには反映されない。だから、表面的には数字が伸びないように見えるのだ。実際には稼いでいるのに、国内で作っていないから数字に出ない。これが、GDPで見ると日本が「弱くなった」ように映る理由のひとつだと思う。
そこで出てくるもう一つの物差しが、GNI(国民総所得)だ。GNIは「誰が稼いだか」で測る。つまり、日本人や日本企業が世界のどこで利益を得ても、それを日本の所得として数える。トヨタがアメリカで稼いだ利益も、ソニーがヨーロッパで得たロイヤリティも、GNIには含まれる。GNIはGDPに海外からの受取所得を足し、海外への支払を引いたものだ。要するに、国民や企業の「稼ぐ力」そのものを示す指標といえる。日本のように海外投資からの収益が大きい国では、GDPよりGNIのほうが実力を映しやすい。だから、もし国の「力」を測りたいなら、本来はGNIのほうが適している、と思うのだ。
しかし、ここにも第二の落とし穴がある。GNIもGDPも、いずれも総額で見ると、どうしても人口の多い国に軍配が上る。中国やインドが典型だ。人口が10倍もある国と単純に総額を比べると、日本が下に見えるのは当然だ。だから、国の「豊かさ」や「成熟度」を比べたいなら、一人あたりに換算しなければ意味がない。この「一人あたり」に落とした瞬間に、数字と肌感覚がようやく一致してくる。
一人あたりで見ると、世界は驚くほどわかりやすく整理できる。人口と所得、この二つの軸でマトリクスを描けば、各国の立ち位置が自然と浮かび上がる。
まず、人口が多く一人あたりの所得も高い国。これはアメリカが典型だ。アメリカの人口は約3億4千万人。GDPはおよそ27兆ドル、そして一人あたりGDP(もしくはGNI)は約8万ドルに達する。圧倒的なのだ。テクノロジー、金融、軍事、資本市場のすべてでリーダーシップを握り、国のスケールと生産性の両方を同時に備えているのだ。
日本もこのグループに近い。人口は約1億2,500万人、GDPはおよそ4.2兆ドル。一人あたりにすると3万3千〜3万8千ドル前後(為替によって変動する)。円安が進むとドル換算では見栄えが悪くなるが、円建てでの生活水準や社会インフラの整備度を考えれば、依然として豊かな国の一つであることは間違いない。見かけの順位が落ちても、国の質そのものが急に変わったわけではない。むしろ、長い時間をかけて積み上げた安定と成熟が、日本の大きな特徴だと思う。
次に、人口が多く一人あたりの所得がまだ低い国だ。中国やインド、バングラデシュ、ナイジェリアなどがこの層に入る。中国は人口14億人を超え、GDPは18兆ドル規模。一人あたりGDPはおよそ1万2千ドルほどで、急速に中進国水準へ近づいている。インドは人口14億人を超え、GDPは3兆6千億ドル前後だが、一人あたりではおよそ2,500ドルにとどまる。バングラデシュは約1億7千万人で一人あたり2,700ドル前後、ナイジェリアは2億2千万人でおよそ2,000ドル強だ。総額で見ればこれらの国々はすでに巨大な経済圏を形成しており、世界の生産と消費の中心がアジアとアフリカに移っているようにも見える。しかし一人あたりで見ると、まだ伸びしろの大きな段階にあるのだ。
ただし、中国やインドの都市部に限れば、すでに中進国から高所得国に迫る層が厚くなってきている。北京やバンガロール、ムンバイの街を歩くと、生活水準や物価が東京やソウルとそう変わらない場所も増えている。中間層が拡大し、住宅・教育・医療・レジャーへの支出が急速に増えている。この変化が、世界経済の構造を大きく動かしている。私たちがアジアを訪れて感じる街の勢い、物価の上昇、そして若い世代の購買意欲の高さ。それらはすべて、統計と整合している。
次に、三つ目のグループだ。人口が少ないのに一人あたりの所得が非常に高い国々だ。ノルウェー、スイス、ルクセンブルク、アイスランド、シンガポール、カタールなどがその代表格だ。
ノルウェーの人口はわずか540万人ほどだが、一人あたりGNIはおよそ9万8千ドル。カタールも300万人に満たない規模ながら、一人あたり7万6千ドルを超える。彼らは典型的な資源国家型で、石油や天然ガスの輸出で得た富を国家基金に積み上げ、その利子や投資収益を社会保障や教育、インフラ整備に回している。資源を単に掘るのではなく、資源そのものを「金融資産」に変換する発想だ。ノルウェー政府年金基金は世界最大の主権ファンドとして知られ、国内の未来世代のために運用されている。
もうひとつの型は金融・知識集約型だ。スイスやルクセンブルク、シンガポールがこのタイプだ。スイスは人口約900万人ながら、一人あたり9万5千ドル近い水準だ。ルクセンブルクは人口63万人で9万1千ドル。シンガポールも約600万人で7万5千ドル前後を誇る。これらの国々は、法制度の安定性、教育水準、そして厳格で信頼される金融システムを武器に、世界中の資本や人材、知識を吸い寄せている。彼らはモノではなく仕組みで稼ぐ国だ。現地を歩くと、街の整備、医療や教育、公共サービスの質に驚く。少人数でも、制度の成熟と知識の密度で豊かさを支えている。
つまり「人が少ない=国力が小さい」ではなく、「少ない人でも高い生産性を維持する構造を持つ」ことが、欧州小国やシンガポールの共通点だ。
そして、ドイツやフランス、英国、カナダ、オーストラリアといった中規模の国々は、その中間に位置している。ドイツは人口8千万人でGDP約4.5兆ドル、一人あたり5万6千ドル前後だ。フランスは人口6,700万人で4.4万ドルほど、英国は6,800万人で5万2千ドル。カナダは3,900万人で5万3千ドル、オーストラリアは2,700万人で6万2千ドルに達する。
これらの国々は、製造業の競争力や技術力、資源、移民政策、資本市場の整備など、複数の要素を巧みに組み合わせ、それぞれの形で高所得を維持している。特にドイツは、輸出と製造の強さに加えて社会制度の安定があり、派手さはないが底堅い。最近のドイツの成長が目立つのは、まさにこの構造的な強さゆえだと思う。国の規模に対して、一人あたりの生産力が極めて高い。そうした国こそ「地味だが強い」と呼ばれるにふさわしい。
こうして見ると、GDPだけを見て「日本が抜かれた」と言うことがいかに単線的かわかる。GDPは国内の生産力の物差しであり、GNIは国民が世界で稼ぐ力の物差しだ。そして、どちらも人口というスケールを無視すれば、誤った印象を生む。一国の実力を知るには、この二つを併せて見たうえで、さらに一人あたりに直す必要があるのだ。そして、ようやくそこで、国の「生活水準」や「成熟度」が見えてくるのだ。
ただ、ここで見逃せないもう一つの要素がある。それが為替だ。近年、円は120円から160円の間で大きく揺れ動いてきた。ドル建てで見れば、日本のGDPは円安のときに小さく見える。たとえば1ドル120円のときと150円のときでは、同じ国内生産でもドル換算のGDPは20%から30%も縮む。だから、国際比較で日本が「順位を下げた」と見えるのは、為替の影響を受けている部分が大きい。国内の実体は変わっていないのに、外から見ると小さく映る。それが見かけの衰退の正体なのだ。
もちろん、円安は輸出企業にとっては一時的に追い風になる。海外売上を円に直すと利益が増えるからだ。しかし、それは生産性が上がったわけではなく、単に為替レートが変わっただけの話だ。むしろ、エネルギーや食料、原材料を輸入に頼る日本では、円安は生活コストの上昇をもたらす。実質的な購買力が下がり、家計が細る。私たちが「最近、海外が高く感じる」と言うとき、それは為替が私たちの暮らしを通して可視化している瞬間でもある。
だからこそ、私は中期的には円を120円から130円前後に戻すべきだと思っている。そのほうが、日本全体にとって健全だからだ。円高方向に安定すれば、エネルギーや食料の輸入価格が落ち着き、実質賃金が戻る。企業も為替頼みの収益構造から脱し、設備投資や人への投資に向かいやすくなる。円が安定して強ければ、海外の技術や教育、研究資材にもアクセスしやすくなり、日本の学ぶ力が戻るのだ。為替の安定は、国の信頼の裏返しでもある。極端な円安は「安い日本」という印象を世界に与えかねない。逆に、安定した強めの円は、制度や技術、社会の成熟を象徴するのだ。
もちろん、為替は金利差や物価、経常収支、財政など多くの要因で決まる。通貨だけを操作して強くすることはできない。だが、エネルギーの自給力を高め、人的資本や研究開発に投資し、産業構造を整えていけば、円は自然に信頼を取り戻す。通貨は結果であって原因ではない。けれども、その結果を整える力を国が持っているかどうかが、長期的な豊かさを決めるのだと思う。
結局のところ、「日本は弱くなったのか?」という問いに答えるには、まず物差しを正す必要がある。GDPは国内の生産を映し、GNIは国民の稼ぎを映す。総額の順位は人口の大きさに引っ張られる。だから一人あたりで見なければ、生活水準も成熟度も分からない。そして為替がその見え方を歪める。円安は日本を小さく見せる。中期的に円を120円から130円で安定させることは、家計にも企業にも、そして国家としての信頼にもつながる。
数字は便利だが、数字だけを見ていると本質を見誤ることがある。何を測り、何のために比べるのか。その視点が定まれば、悲観や焦りは静かに整理されていく。物差しを替えれば、景色が変わる。日本はまだ豊かで、可能性も残しているのだ。
新規事業の旅221 ガチャガチャの事業構造
2025年10月28日
早嶋です。2800文字。
僕が小学生だった頃だ。街角の駄菓子屋やショッピングセンターの片隅に、無造作に並んでいたカプセルトイの自販機、通称「ガチャガチャ」だ。50円玉や100円玉も高いと思っていた子供時代は、色々なガチャガチャの中を覗いては想像していた。買うことには至らずに、買ったつもりで楽しんでいたのだ。
そのガチャガチャだが、今では市場規模1,000億円に迫る一大産業になっている。しかも、それを牽引しているのは子供ではなく、むしろ大人たちだ。今回は「ガチャガチャの構造」と「市場の仕組み」を、自分の理解も交えつつ、整理してみた。
ガチャガチャのルーツは、1930年代のアメリカに遡る。もともとはガムを売るための自販機で、透明なカプセルにガムを入れて販売していた。それがいつしか、「ガムの代わりに小さなおもちゃを入れたらどうか?」というアイデアが生まれたのだろ。その頃のカプセルに入っていたのは、なんと日本製の小さな玩具だったという。
その仕組みが日本に入ってきたのが1960年代。やがて日本国内でも自販機の製造が始まり、1970年代から80年代にかけて独自の文化として根付いていく。中でもエポックだったのは、「キン肉マン消しゴム」、通称キン消しの大ヒットだ。
そこからは、スーパーカー消しゴム、ミニ怪獣、海洋生物フィギュア、そしてキャラクターものへと、ラインナップの幅は広がっていった。価格も当初の50円から100円、200円へと徐々に高くなっていく。が、それでも人は「何が出るか分からない小さな運試し」に惹かれ続けた。
近年、空港や映画館、ショッピングモールの一角に、ずらりと並ぶガチャガチャ専門コーナーを目にすることが多くなった。それだけではない。SNSでは「大人ガチャ」「推しガチャ」「○○限定」といったタグが並び、インフルエンサーが開封動画を投稿し、観光客は“日本の思い出”として回していく。この再ブームの背景には、いくつかの構造的な理由があるだろう。
1つは、価格が手頃なことだ。数百円で楽しめるエンタメは、物価高の時代においても心理的ハードルが低い。そして、「中身が分からない」偶然性の設計だ。これはビックリマンカードや野球カード、さらには米国で言う“ブラインドボックス”と同じ構造だ。運に任せる楽しさが、人間の本能をくすぐるのだ。そして、SNS映えもある。小さくて精巧、そしてシュール。そんなガチャ景品は、思わず投稿したくなる被写体になっているのだ。
今度は、ガチャガチャの市場規模について調べてみた。調査機関によって若干のばらつきがあるが、信頼できる複数のソースを総合すると、国内市場は2023年度で1,000億円弱まで拡大している。これは10年前の約3倍だ。しかも、いまもなお右肩上がりの成長が続いている。海外では「Gashapon」や「Capsule Toy」と呼ばれ、特にアジア圏の観光客に人気だ。日本のキャラクター文化、サブカルチャー、精巧な造形といった魅力が結びついて、インバウンド市場の一部として取り込まれているのだ。
成田空港や関空に設置されたガチャ機は、実際に1日数十万円の売上を記録することもあるという。売上の半分以上が外国人旅行客というケースもあるのだ。はじめは、日本円で余った小銭を消費する目的で購入していたようだが、いつしか敢えて小銭を両界してガチャガチャを楽しむ観光客も増えているのだ。
今度は、今回のテーマの本丸である事業構造をみていこう。この小さなカプセルの裏側には、実に多くのプレイヤーが関わっている。構造は大きく分けて4層だ。しかも、それぞれの役割がきちんと分かれていながら、見事に噛み合って一つの経済圏を形づくっている。順を追って紹介していこう。
まずは、玩具メーカーだ。ここがカプセルの中身を企画・製造している。IPを取得し、キャラクターや世界観をもとに、数センチの空間にどれだけの遊び心を詰め込むかを真剣に考える。代表格はバンダイの「ガシャポン」シリーズや、タカラトミーアーツ、そしてリアルな造形に定評のある海洋堂などだ。単価は数十円から数百円と決して高くないが、ヒットすれば累計で数十万個が売れる世界だ。コレクターを生む商品も多く、SNSの拡散で火がつくこともある。
次に、機械メーカーの存在がある。ここでは、ガチャガチャマシン自体の製造・設計・販売が行われている。たとえばペニイやアミューズなどが知られており、彼らは全国の商業施設に数千から数万台規模でマシンを供給している。マシンの提供方法は、販売、リース、レンタルなど様々だが、見た目のデザインや安定した機構、設置のしやすさといった要素が競争力を左右する。
さらに重要なのが、設置運営会社の役割だ。ここでは、実際にガチャマシンをどこに置き、どう運用するかが問われる。モールや空港、映画館といった高トラフィックの場所に機械を設置し、定期的に商品を補充し、回収し、メンテナンスを行う。設置先との契約は柔軟で、売上の一部をロケーションフィーとして支払うモデルも多い。最近では“ガチャ専門店”として200台、300台のマシンを集めて設置するケースも増えており、ここにオペレーション力の差が出る。
そして最後に、この構造を回しているのが、消費者=購入者である。価格帯は1回100円から500円程度。偶然性、中身への期待、コレクション性、そしてSNSへの投稿欲求など、動機は様々だ。一人で回して楽しむ人もいれば、友達同士で競い合うように回す人、子どもと一緒に親がハマるケースもある。消費行動は単純だが、その動機と感情はとても豊かだ。
このようにガチャガチャという仕組みは、玩具の「企画」、機械の「設計・設置」、そして日々の「運用」がそれぞれ分業されつつ、しっかりと連携して動いている。いわば、小さなカプセルの背後に、精密な事業構造が隠れている。これが、**“少額課金の高回転モデル”**として非常に秀逸なビジネスになっている理由だ。
ここまで読んだ方なら、ガチャガチャの世界はさらに広がっていくと考えたことだろう。デジタル決済、QRコード連携、限定販売、サブスクガチャ、地域限定コラボ、そして海外展開。すでに「回す」という物理的行為がなくなった「ガチャアプリ」も出てきている。
一方で、「中身が見えないから面白い」「安いから気軽にできる」「偶然性があるから語れる」という本質が失われない限り、この文化は生き続けると思う。むしろ、AIや自動化が進む時代にこそ、人は偶然や運に意味を見出したがるのではないか。そんな気さえしている。神社のおみくじ。トレーディングカード。ブラインドボックス。そしてガチャガチャ。
すべては、「自分に訪れる運命を、一度だけ確かめてみたい」という人間の深い衝動なのかもしれない。
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