20代の自分に

2016年10月26日 水曜日

早嶋です。

若くて何かを成し遂げた人の共通の話に次のようなことがある。

若い時は、製作者側の意図を押し付けられる。映像でも文章でも、相手の目的がはじめにあり、その目的に合致した話を求められる。セミナーや研修でも同じだ。初めた当初は内容やファシリテーションの仕方にまで注文が入ることも多々あった。一方、10年もすぎる頃、そのような場合に相手から何かを求められることがなくなった。先方からの注文も無く、これまで通り、あなたらしくやってくれ。という注文に変わっていた。もちろん、そもそもの目的を共有した上での話だが、細かいディテールに指示が入ることがなくなった。

これは若いからということなのか、それともその人のスタイルが周囲から認められている証拠なのか。何れにせよ、そのスタイルは今はいいと思っているが、常に昨日の自分よりは良くしようと思いながら出来上がっている。したがって、少しまとまった時間が経てば過去のパフォーマンスが恥ずかしく感じる。

20代の後半に大企業を脱サラして起業。当時は背伸びをして、ひげを伸ばし少し年上に見られるようなファッションに身を包んだ。30代になると逆に周りとの違いを出したく、若いと言われることが嬉しかった。ひげを剃り見た目より若作りのファッションをしたこともある。40代に近づくにつれ、回りに合わせたり自分を自分以上にも以下にも見せることを意図的にしなくなった。完全ではないがありのままで入れるようになった。スタイルも自分が好きな格好が出来上がり周りの流行を追わなくなった。

今、10年前の自分がここにいたら、なんというだろう。きっと近道をしないで、自分のままで進めというだろう。自分のスタイルは試行錯誤を重ね遠回りをして失敗しなければ確立できないと思う。全てに意味があり苦労をしなければ相手の苦労を理解することができず厚みが生まれない。しかしだからと言って我武者羅ではいけない。遠くの自分を見つめながらも近くの自分と過去の自分を繰り返し反省して少しづつ前進する。

きっとそんな話をしていると思う。簡単な儲け話は続かない。時間をかけて成し得た仕事は経験と学習の繰り返しをしているためパフォーマンスは落ちない。金儲けだけの仕事に飛びつけば薄っぺらな経験と成果しか残らない。



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