早嶋です。約5200文字。
アメリカのニュースは、日本人の感覚では理解できない出来事が多々ある。Netflixによるワーナー・ブラザース・ディスカバリーの買収劇も、その典型だ。
HBOマックスの利用者を代表する消費者団体が、「値上げが心配だ」として買収の差し止めを求めて集団訴訟を起こした。このニュースは日本の常識からすると事件に見えてしまう。しかし、アメリカではこうした訴訟は日常の風景だ。この一つの事象から、今回の買収劇がどういう構造で動いているのかを紐解くと、単なる企業間のM&Aでは終わらない、もっと複雑で興味深い物語が見えてくる。やっぱりNetflixが自らプロディースする作品よりも面白い。
まずは、軽く、この消費者団体による訴訟から話を始めてみよう。
(アメリカの「訴訟文化」とNetflixに向けられた怒りの正体)
HBO Max のユーザー代表が、「Netflixに買われたら値上げされる」「サービス品質が落ちるかもしれない」として、買収の差し止めを求めた。これを聞いて、「そんなこと理由に訴訟が起こるのか?」と驚くだろう。日本ではあり得ないからだ。しかし、アメリカでは極めて一般的だ。むしろ、訴訟を起こさないほうが不自然なくらいだ。
アメリカの集団訴訟(クラスアクション)は、建前としては「消費者保護」のためだが、実態としては弁護士ビジネスの巨大市場だ。クラスアクションを主導する法律事務所は成功報酬で動く。勝訴や示談になれば巨額の報酬が得られる。だから、世の中で注目を浴びている大型M&Aや巨大企業の問題には、ほぼ必ずと言っていいほど「訴訟」という形で弁護士が群がる。利用者の怒りが背景にあることもあるが、それ以上に、弁護士が事件性を嗅ぎつけて仕掛ける側面が強いと思う。
つまり、今回の訴訟は、アメリカの制度と文化を理解すれば、「想定内の騒ぎ」なのだ。Netflixはこれまで何度も値上げを重ね、2011年の月額8ドルから現在は18ドルまで上がった。その積み重なった値上げへの不満も、こうした訴訟の火種になっている。
だが、この訴訟は買収の本質にほとんど影響しない。これは単なるノイズなのだ。M&Aの本丸は、もっと別のところにある!
(パラマウントが仕掛けた「M&Aとしては極めて高度な一手」)
ここからが本番だ。Netflixはワーナーを720億ドルで買収することで合意したと報じられた。しかし、そこに対して、パラマウント(正確にはパラマウントとスカイダンスの連合)が「1084億ドルを提示する」という対抗案を持ち込んだ。Netflixよりも約5兆円以上高い価格で買収に名乗りを上げてきたのだ。
この構図だけ見ると、「パラマウントが勝つのでは?」と思うかもしれない。しかし現実はそんなに単純ではないと思う。なぜなら、この進行は 通常のM&Aプロセスでは起こり得ない動きと思ったからだ。
通常の大型M&Aの流れは以下になる。
●まず買収額について双方で大まかな合意(LOI:Letter of Intent)
●買収額がまとまれば「独占交渉権」を与える
●独占期間中は、売り手は他社と交渉できない(No-shop 条項)
●売り手が途中で他社に乗り換えるなら Break-up fee(違約金)が発生
●DD(デューデリジェンス)を経て最終契約を締結(DA)
これが世界共通の流れだ。
つまり、大型のM&Aというのは、最初の金額提示で勝負がつくわけではない。むしろ、そこからが本番なのだ。買い手と売り手は、まず「この条件であれば話を進めましょう」という大枠の合意を交わす。しかし、この段階ではまだ法的な拘束力は弱く、あくまでも話を始めるためのメモ書きのようなものだ。
そこから、買い手が本気で動く場合は「独占交渉権」を求める。これは、売り手が他の企業と並行して交渉しないように封じる制度だ。売り手の立場からすれば、他社との競争を断ったまま特定の相手と話を進めることになるので、リスクがある。そのため、独占期間に入るときは、「もし途中であなたが他社に乗り換えるなら違約金を払ってくださいね」というブレークアップフィーを設定するのが一般的だ。
この独占交渉が結ばれてはじめて、買い手は本格的なデューデリジェンスに入る。売り手の内部資料をすべて開示させて精査し、財務状態、法務リスク、事業の将来価値などを徹底的に分析する。DDは長いと数カ月かかり、その後に最終契約(DA)を結ぶという流れになる。ここまで進んではじめて、「買収が決まった」と言える。
こうしたプロセスを見ても、通常ならNetflixが買収額を提示してワーナーと合意したと報じられた時点で、普通は独占が走るはずだ。しかし今回は、それが無い。だからこそ、パラマウントが後から堂々と割り込んでくることができた。この構造こそが、今回の買収劇を理解するうえで最大の違和感で本質なのだ。
つまり、Netflixがワーナーと金額合意したにもかかわらず、独占交渉権が付いていないのだ。通常なら、720億ドルという巨額のディールで、独占を付けずに他社と競わせ続けるということはまずあり得ない。
独占交渉がなければ、破談になっても Break-up fee が発生しない。つまり、ワーナーはいつでもパラマウントに乗り換えていい。Netflixがリスクを一方的に負う、極めていびつな状態だ。これは合理的ではないし、通常のM&Aの常識からは外れていると思うのだ。
ではなぜ、ワーナーは独占交渉を結ばなかったのか?そしてパラマウントはなぜ、このタイミングで高額提案を持ち込めたのか?ここの深堀りが、今回の一連の動きの中でワクワクする(と早嶋が思う)部分だ。
(オラクル、スカイダンス、クシュナー、中東ファンド……政治と資本が絡む「地政学的M&A」)
今回のパラマウント連合による買収提案の背景には、「ただの企業再編」では説明できない構造があると思った。むしろ、政治、国家、財閥、巨大ファンドが絡み合った三位一体の動きに見えるのだ。
パラマウントを率いるデービッド・エリソンは、オラクル創業者ラリー・エリソンの息子だ。オラクルとトランプ陣営は近い関係にある。そして、今回の買収資金の中には、トランプの娘婿ジャレッド・クシュナーが運営する投資会社の資金が含まれている。さらに、サウジ、アブダビ、カタールという中東の政府系ファンドが揃って参加している。
デービッド・エリソンの存在を軽く見てはいけない。彼の父であるラリー・エリソンは、オラクルという巨大企業をつくり上げたアメリカ有数の富豪であり、政治的な影響力も非常に強い。トランプ政権のときには、デジタル政策や軍関連のIT案件をめぐり、オラクルがホワイトハウスに頻繁に出入りしていたことが知られている。
特に、TikTokをめぐる問題でオラクルが買い手候補として名前が挙がったとき、ラリー・エリソンのトランプ支持が背景にあったと多くのメディアが報じた。つまり、オラクルは政権との距離が近い企業の代表例だ。今回、スカイダンス(デービッド・エリソン)が前面に出ているとはいえ、その後ろにはオラクルの影がうっすら見えてくるのだ。
それだけではない。買収資金の一部には、トランプの娘婿であるジャレッド・クシュナーが運営する「Affinity Partners」が関与している。クシュナーは政権時代、中東外交で中心的な役割を果たした人物だ。サウジのムハンマド皇太子(MBS)とは特に親密で、退任後すぐにサウジから巨額の資金を託されたことはよく知られている。Affinity Partners そのものが、アメリカ国内では政権人脈の投資会社として見られている。つまり、純粋な金融投資というよりも、政治的なネットワークが資金調達の根幹にある会社だ。
そこに加えて、サウジのPIF、アブダビのADIA、カタールのQIAという三つの政府系ファンドが揃って参加している。これも異例だ。中東の政府系ファンドは、それぞれ国家戦略としての投資ポートフォリオを持っているため、通常は国ごとに狙いが違う。サウジは文化産業への長期投資に積極的だが、カタールはスポーツやエネルギー、アブダビはアセットマネジメントが中心といった具合に役割分担がある。それが今回は三者同時にハリウッドの案件に乗っている。これは偶然ではなく、クシュナーを中心にした政治ネットワークと、アメリカ右派に近い資本陣営が結節点になって動いていると考えたほうが自然なのだ。
映画やドラマというコンテンツ産業は、単なるビジネスではなく、国家の文化影響力そのものだ。中東諸国は、次の時代の文化輸出やコンテンツ支配を本気で狙っている。そこにアメリカ右派の政治家や財閥が手を結び、「ハリウッドの再編」という巨大なテーブルの上で資金を動かしている。今回の買収劇は、企業のM&Aというより、国家や政治勢力がコンテンツ産業の主導権を取りにいく地政学的な争奪戦に近いのだ。
どうだろう。これほど政治色の強い資本連合がハリウッド企業買収に動くというのは、非常に異例だと思わないか。しかも、ここには明らかな伏線があった。トランプは7日の時点で、Netflixによるワーナー買収について「市場シェアが問題だ」とわざわざコメントしているのだ。
要するに、Netflix とワーナーは、独占禁止法的に問題がある、と政権が言い出したのだ。一方、パラマウントとワーナーは再編として扱われやすく、政治的に通しやすいようにも見える。しかも、パラマウント案にはトランプ側近・中東ファンドが出資している。
トランプが「Netflix案は危ない」と発信することで、間接的にパラマウント案を後押しする構造になっている。とも言えるのだ。更に、こうも読める。クシュナーの案件を通したい!そこで、Netflix案を牽制する。加えて、中東ファンドも喜ぶ。オラクルとの関係も強まる。
邪だが、早嶋はこのように感じてしまった。
●息子(クシュナー)を応援したい!
●中東系ファンドも喜ぶ!
●Netflixのシェアに問題があるという名目も立つ!
という構造だ。
まさに、政治、財閥、国家ファンドの利害が一致した地政学案件として動いているように見えるのだ。
一方で、ワーナーの取締役会はパラマウント案の「資金調達ルート」を懸念していると報じられている。これは単に資金の確実性を疑っているだけではないと思う。国家ファンドが入ると、編集の自由や政治的中立性が問われる。ハリウッド企業としてのブランドリスクを考えれば、これは当然の懸念だ。
つまり、ワーナーの取締役会は、より高い価格を提示したパラマウント案に惹かれつつも、政治的リスクの高さに怯えているという状況だろう。ここまで来ると、今回の買収劇はもはや通常のM&Aではないといえると思う。
(この買収劇は「競争入札 → 独占 → 契約」という普通の流れではない)
最後に、M&Aの実務の観点から今回の流れを再び整理してみる。
通常なら、
●競争入札で勝者が決まる
●独占交渉へ進む
●Break-up fee を設定する
●最終契約へ進む
だ。
しかし今回は、
● Netflixが勝ったはずなのに独占交渉がない
● パラマウントが対抗案を出せている
● Break-up fee が存在する気配がない
● ワーナーは両者を比較検討中という立場を続けている
これはつまり、現時点のNetflix案は「非拘束型LOI(Non-binding LOI)」である可能性が高いということだ。だからこそ、パラマウントは自由に入札できたし、ワーナーは乗り換え可能なのだ。つまり、Netflixは勝ったのではなく最初に合意しただけなのだ。ここから先は、政治の風向き、ファンドの動き、中東マネーの意思、トランプ政権の独禁法判断、そして株主価値の最大化とドロドロしたドラマが生で展開されるだろう。これらが絡み合いながら決まっていくのだ。
そう、今回の買収劇は、企業間の戦いではなくなったのだ。アメリカ右派と中東政府ファンドとハリウッド再編という三位一体の巨大力学がぶつかり合う、稀に見るディールに発展しているように見えるのだ。
さぁ、Netflixがどう動くのか。パラマウントが本当に買い切るのか。政府がどこまで介入するのか。そしてワーナー取締役会はどちらを選ぶのか。
いずれにせよ、これは単なるM&Aではなく、国家と企業が垂直に交差する巨大な物語の序章なのだ。間違いなく、歴史に残るレベルのメディア再編をリアルタイムで見ているのかもしれない。このお話こそ、サブスクで視聴し続ける価値のあるプロダクトなのだ。









