人のやる気を「What・How・Why」で整理する

2025年12月22日 月曜日

早嶋です。約6900文字

人のやる気。モチベーションをどう高めるか?

この問いは、経営、教育、育成、家庭、あらゆる場面で語られているだろう。それにもかかわらず、いまだに「これと言った正解」はない。あるのは、無数の理論と、現場での試行錯誤、そして「人は難しい」という半ば諦めに近いぼやきだけだ。

だが、本当にそうだろうか。モチベーションは確かに単純ではない。しかし、整理できないほど混沌としているわけでもない。むしろ、これまで提示されてきた多くの理論を丁寧に並べ直してみると、そこにははっきりとした構造が浮かび上がってくると思う。

早嶋は、モチベーションを考える視点は大きく二つに分かれると思っていた。1つは、「人は何によって動くのか」という問い。そして「人をどのように動かすのか」という問いだ。前者は What(何によって?)で、後者は How(いかに?) と言い換えてもいい。そして、この2つの軸で整理すると、これまでのモチベーション研究の多くが、驚くほどきれいに収まる。まずは、その整理と解説をしてみる。

(WHATの理論:人は「何によって」動くのか)
モチベーション研究のは、「人は何を求めて行動するのか」という問いに強く関心が向けられてきた。欲求の中身を理解すれば、人の行動は説明できるのではないか、という発想だ。

その代表が、マズローの欲求段階説だ。生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求。人は低次の欲求が満たされてはじめて、高次の欲求へと向かう。このモデルはあまりにも有名で、今さら説明は不要かもしれない。重要なのは、マズローが示したのは「正解の順番」ではなく、「欲求には種類がある」という事実だという点だ。生活が不安定な人に、自己実現を語っても響かない。一方で、衣食住が満たされた人に、安定だけを提示しても、心は動かない。人は、今どの欲求が前面に出ているかによって、行動のスイッチが変わるのだ。

ハーズバーグの二要因理論(衛生要因と動機づけ要因)も、この流れに位置づけられる。「衛生要因」とは、仕事をする上で最低限整っていないと不満が生じる条件のことだ。給与、労働時間、職場環境、人間関係などがそれに当たる。これらが欠けていると人は強い不満を感じるが、十分に整えたからといって、必ずしもやる気が湧くわけではない。一方で「動機づけ要因」とは、仕事そのものに内在する要素だ。達成感や成長実感、裁量の大きさ、自分の仕事が役に立っているという感覚。これらは、不満を消すための条件ではなく、人を前向きに動かす源泉になる。

この理論が示唆するのは、「不満がない状態」と「意欲的な状態」はまったく別物だということだ。不満を取り除けば人は静かになるだけだ。それだけでは前に進まない。前進を生むのは、仕事の中に意味や手応えを感じられるかどうかなのだ。

さらに、マクレガーのX理論・Y理論も、Whatの整理として重要だ。この理論が問いかけたのは、「人間をどんな存在だと見ているか」という、極めて根本的な前提だ。X理論が前提にするのは、人は放っておくと怠け、指示や管理がなければ動かない存在だ、という人間観だ。仕事は本来やりたくないものであり、報酬や罰によって統制する必要がある、という考え方である。

一方、Y理論が前提にするのは、人は条件さえ整えば、自ら考え、責任を引き受け、仕事に意味を見出して動く存在だ、という人間観だ。管理されることで動くのではなく、任されることで力を発揮する、という見方である。

どちらが正しいという話ではない。重要なのは、リーダーが無意識のうちに、どちらの人間観を前提に組織を設計しているかだ。同じ制度、同じ評価、同じ言葉でも、人を「管理すべき存在」と見ているか、「主体的に動く存在」と見ているかで、
組織の空気も、メンバーの行動も、大きく変わる。

ここまで見ると、Whatの理論が扱うのは、「人の内側にある動機の種類」だということが分かる。人は、安定を求めることもあれば、承認を求めることもある。成長を求めることもあれば、意味を求めることもある。モチベーションの出発点は、この「何を求めているのか」という違いにある。

(Howの理論:人は「どのように」動き出すのか)
Whatの理論では、欲求の中身にフォーカスしてきた。しかし、それを知っただけで人が動くかというと、現実はそう簡単ではない。「なるほど、そういう欲求があるのか」と理解したところで、行動が自動的に始まるわけではないからだ。

そこで登場するのが、「どうすれば人は実際に行動するのか」という問いだ。これが How(いかに?) の理論群である。

たとえば、強化理論だ。行動の直後に報酬が与えられれば、その行動は繰り返されやすくなる。逆に、無視される、あるいは不利益が生じれば、その行動は減っていく。たとえば、会議で意見を出した若手が、その場で「いい視点だね」と一言フィードバックをもらった場合と、何も反応がなかった場合とでは、次回の会議での発言量はまるで違う。内容の良し悪し以前に、「反応が返ってくるかどうか」が行動を決めているのだ。非常にシンプルだが、現場では今も強力に機能している。

期待理論も重要だ。人は「頑張れば成果が出る」「成果が出れば報われる」と信じられたときに動く。たとえば、どれだけ努力しても評価基準が曖昧で、成果が正しく認識されない職場では、人は次第に力を抜き始める。一方で、「ここまでできれば、次の役割に進める」と道筋が見えている場合、人は自然と踏ん張る。努力と結果、結果と報酬がつながっていないと感じた瞬間、モチベーションは急速に萎むのだ。

目標設定理論はさらに具体的だ。曖昧な目標よりも、具体的で、達成可能で、適度に難しい目標のほうが、人の行動を引き出す。「頑張れ」「成長しろ」と言われるよりも、「今月はここまでやってみよう」「まずはこの数字を目指そう」と区切られた方が、人は動きやすい。進捗が見えるだけで、自分が前に進んでいる感覚が生まれるからだ。

公平理論も見逃せない。人は絶対的な報酬額よりも、他者との比較に敏感だ。自分より成果を出していない同僚が、同じ評価を受けていると知った瞬間、「もうこれ以上頑張る意味はあるのか」という疑問が生まれる。やる気が音を立てて崩れるのは、能力の問題ではなく、納得感の問題だ。

これらの理論が扱っているのは、「行動が生まれるプロセス」である。どれだけ価値ある目標があっても、どれだけ立派な欲求があっても、行動に変換される仕組みがなければ、人は動かない。

ただし、ここで一つ、決定的な違和感が残る。強化も、期待も、目標も、公平性も、すべて外側からの設計だという点だ。行動を促すことはできる。続けさせることもできる。しかし、これらはあくまで「動かす仕組み」であって、「自ら動き出す理由」そのものではない。

では、人が自ら進んで、誰に言われるでもなく、評価がなくても、時間を忘れて没頭するような状態は、どう説明すればいいのか?実は、WhatとHowの先に、もう一
つ見落とされがちな領域が存在する。それが、次に扱う Why(なぜ?) の領域だ。

(Whyの視点:3つ目の領域)
WhatとHowだけでは説明しきれない現象がある。それは、人が「やらされている感覚」を超えて、自分ごととして行動する瞬間だ。たとえば、上司に言われたわけでも、評価が約束されているわけでもないのに、気がつけば夜遅くまで資料を直していた、趣味の作業に没頭して時間を忘れていた、そんな経験はないだろうか。この領域を早嶋は Why(なぜ?) と呼ぶ。

自己決定理論は、このWhyを正面から扱う。人が内発的に動くためには、自律性、有能感、関係性の3つが満たされている必要がある。たとえば、上司から「これをやれ」と細かく指示される仕事と、「このテーマで自由に考えてみて」と任される仕事では、同じ内容でも向き合い方がまったく変わる。

自分で選んだという感覚があるだけで、人は驚くほど粘り強くなる。取り組む内容に対して自分で選んでいる感覚があり、かつその取組を出来ている実感があり、関連する仲間とつながっている感覚だ。この条件が揃うと、人は外部からの報酬がなくても動き続けるという。

フロー理論も同じ文脈にある。自分の能力と課題の難易度が釣り合ったとき、人は時間を忘れて没頭する。ゲームをしていて「あと5分」と思ったのに、気づけば1時間経っていた。スポーツや創作活動で、周囲の音が消えたように感じた。あの感覚を思い出してほしい。この状態では、モチベーションを「上げる」という発想自体が意味がない。すでに内側から溢れているからだ。

自己効力感は、「自分にはできる」という感覚が、行動をどれほど左右するかを示した。新しい仕事を任されたとき、「たぶん自分ならできる」と思えた場合と、「自分には無理だ」と思った場合とでは、最初の一歩の重さがまるで違う。同じ能力でも、出てくる行動量は別人のようになる。同じ仕事でも、できると思っている人と、無理だと思っている人とでは、行動量も質もまったく違う。

さらに深いところには、アイデンティティがある。「自分はどういう人間か」「何者として生きたいのか」。「自分はこの分野のプロだ」「自分は現場を支える人間だ」と思っている人は、誰に言われなくても、その振る舞いを選ぶ。逆に、その自己像とズレた仕事は、どれだけ条件が良くても長続きしない。この自己像と一致する行動は、驚くほど自然に選び取られる。

また、意味づけも重要だ。人は、意味を感じたときに動く。同じ作業でも、「ただの事務処理」だと思えば苦行になるが、「誰かの判断を支える仕事」だと理解した瞬間、見える景色が変わる。意味は指示書には書いていない。文脈の中で立ち上がる。意味は与えられるものではなく、文脈や物語の中で立ち上がるのだ。

心理学では、学習性無力感が語られてきた。失敗を重ねると、人は「どうせ何をしても無駄だ」と学習してしまう。何度提案しても却下され続けた人が、ある日から一切意見を言わなくなる。能力が落ちたのではない。期待をやめただけだ。逆に言えば、小さな成功体験の積み重ねが、Whyを回復させるのだ。

行動経済学は、人の非合理性を明らかにした。人は得よりも損に敏感で、選択肢の見せ方一つで行動が変わる。「成功すれば評価される」より、「失敗すると機会を失う」と言われた方が、人が動く場面は多い。理屈よりも、感じ方が行動を左右する。

社会学の視点に立てば、役割期待理論やナラティブ理論が見えてくる。人は「あなたにはこうあってほしい」と期待されると、その役割に沿って行動する。新人に「君は将来のエースだ」と声をかけ続けると、本人もいつの間にかその振る舞いを選ぶようになる。人は、与えられた役を演じながら、自分を理解していく。また、人は物語の中で自分の行動を理解する。

脳科学もまた、同じ方向を指している。ドーパミンは報酬そのものより、「意味のある予測」が裏切られたときに強く出る。単にお金をもらうより、「分かってもらえた」「期待された」と感じた瞬間の方が、強く記憶に残るのだ。承認や共感といった社会的報酬は、金銭以上に脳を活性化させる。

こうして見てくると、Whyとは、「なぜその人はそれをやるのか」という問いであり、同時に「どんな自分でありたいのか」という問いでもある。

(モチベーションはWhat・How・Whyで体系化できる)
ここまでの議論を一度、整理してみよう。人のモチベーションは、3つの層で成り立っていると考えると、驚くほど見通しがよくなる。

まず Whatだ。それは「その人が何を求めているのか」という動機の中身だ。安定を求めているのか、承認を求めているのか、成長を求めているのか。同じ会社、同じ部署にいても、このWhatは人によって大きく異なる。

次に Howだ。それは、動機を行動に変えるための仕組みだ。目標の置き方、フィードバックの頻度、評価の仕方、仕事の分解の仕方。やれば届きそうだと思えるか、努力と成果が結びついていると感じられるか。ここが曖昧だと、どれほど立派な目標も机上の空論になる。

そして 3つ目のWhy。なぜ、その人はそれをやるのか。どんな自分でありたいのか。どんな物語の中で、この仕事を位置づけているのか。ここに触れたとき、人は「やらされている」状態から抜け出す。

この3つの層は、どれか1つでも欠けると不安定になる。Whatだけを満たしても、Howがなければ行動に変わらない。Howだけを整えても、Whyが育たなければ長続きしない。Whyだけを語っても、WhatやHowが噛み合わなければ空回りする。

(リーダーの介入ポイント)
ここで、実践に役立つ議論を行ってみよう。それは、「どこまで踏み込めばいいのか」とか、「どこから先は本人に任せるべきか」などだ。早嶋は、Whatを操作しすぎてもいけないし、Whyに踏み込みすぎてもいけないと考えている。Whatは、個人差があまりにも大きい。報酬に強く反応する人もいれば、成長機会にしか興味を示さない人もいる。それを一律にコントロールしようとすると、必ず歪みが生じる。「これが正しい動機だ」と押しつけた瞬間、本人の納得感は失われる。

Whyはさらに繊細だ。Whyはその人の内面であり、人生観や自己像と結びついている。上司が「君の仕事の意味はこれだ」と定義してしまうと、一見、分かりやすくなるようで、実は主体性を奪ってしまう。だから、リーダーが最も力を発揮できるのは、Howの設計と、Whyが育つ環境づくりなのだ。その際のポイントは以下の通りだ。

●小さな成功体験を積ませること。
●達成可能な目標を設定し、できたことをきちんと認識させること。
●裁量を持たせ、選択の余地を残すこと。
●仲間と取り組む関係性をつくること。
●そして、物語を共有しても、その解釈を強制しないこと。

具体的に見てみよう。まずは、小さな成功体験が、Whyの入口になる。たとえば、新しい仕事を任された若手を想像してほしい。最初から高い目標だけを渡され、「期待しているぞ」と言われた場合、多くの人は内心でこう思う。「失敗したらどうしよう」。一方で、仕事を小さく分解し、「まずはここまでやってみよう」「ここができたら次に進もう」と段階を刻んだ場合どうだろう。1つできる。次もできる。気づけば、「自分は案外やれるかもしれない」という感覚が生まれる。この小さな成功体験こそが、自己効力感を育て、Whyの扉を開くきっかけになるのだ。

次に達成可能な目標と、認識される経験だ。目標を設定すること自体が重要なのではない。重要なのは、「達成したと本人が実感できるかどうか」だ。よくある失敗は、目標は立派だが、達成しても何も起きないケースだ。上司は「当たり前だろ」と思っている。しかし本人にとっては、「頑張っても何も変わらない」という学習になってしまう。逆に、「ここまで来たのは事実だ」「前回より確実に良くなっている」
と、具体的に言語化して認識されると、行動は次につながる。

裁量と選択肢が、主体性を生むことについても見てみよう。同じ仕事でも、「このやり方でやれ」と言われる場合と、「どのやり方がいいと思う?」と問われる場合では、取り組み方がまるで違う。選択肢があるだけで、人は「自分で決めた」と感じる。その感覚が、自律性を生み、Whyの芽になるのだ。完璧な答えでなくていい。
選んだという経験そのものが重要なのだ。

仲間との関係も大切で、それが行動を持続させる。人は一人では続かない。同じテーマに向き合う仲間がいるだけで、行動は驚くほど持続する。「自分だけが遅れているわけではない」「誰かも同じ壁にぶつかっている」そう感じられるだけで、踏みとどまれる。関係性は、モチベーションの燃料ではない。持続装置なのだだ。

最後は物語の重要性だ。リーダーは、物語を語ることはできる。なぜこの仕事をしているのか。会社がどこを目指しているのか。過去に何があり、今ここに至っているのか。だが、その物語の「意味」を決めてしまってはいけない。意味は、押しつけた瞬間に失われるからだ。人は、自分で意味を見出したときにしか、本気では動かない。同じ話を聞いても、「だから自分はここで挑戦したい」と思う人もいれば、
「自分は裏方として支えよう」と思う人もいる。それでいいのだ。解釈の余地を残すことが、Whyを育てる最後の条件なのだ。

モチベーションは、気合でも根性でもない。構造だ。人は、何を求めているのか。
どうすれば動き出せるのか。なぜそれをやりたいと思うのか。この3つを丁寧に見極め、整えていくことで、人は自然と動き始める。モチベーションを「上げよう」とするのをやめ、モチベーションが立ち上がる条件を整えるのだ。

その視点を持つことを、これからのリーダーには、求められているのだと思う。

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