早嶋です。
2025年5月25日。新暦ではもうすぐ初夏と呼ばれる頃だが、旧暦では4月29日。卯月の終わり、四月尽と呼ばれる日だ。公園では、草木が一斉に伸び、みるみるうちに地面を覆う。雨が降るたびに、その勢いは加速し、大地そのものが目覚めていくようだ。福岡城趾のお掘りに沿った水路も、数日前まで静かな流れだったのが、今は一変、草花が水面を覆い尽くしはじめている。その先には、蓮が芽を出し、葉を水に浮かる。命のひらきだ。四月尽は、旧暦四月の終わりを意味する言葉だ。「つきる」という響きには、どこか切なさや寂しさがある。反面、単なる終わりではなく、次の季節の始まりを告げる節目でもある。
この時期の水辺の植物は一斉に目覚める。蓮もその一つだ。泥の中から芽を出し、水面に大きな葉を広げる。葉は青々としていて、雨粒をはじく。その上に、白や桃色の花が咲くことを思うと、今の静けさが序章のように感じられる。蓮が葉を広げるこの季節、カエルたちもまた命の変化の只中にある。春先に孵ったオタマジャクシたちは、ちょうど今、足を生やし、尻尾を縮め、小さなカエルへと姿を変えていく。雨が降り、気温が上がると、カエルたちは鳴きはじめる。それは夏の訪れを告げる自然のサインだ。命が音と姿であふれる季節。旧暦でいえば、それはまさに卯月の終わりから皐月の始まりにかけての出来事である。
四月尽の日、我が家にもひとつの節目が訪れた。自治体のソフトボールチームに所属する次男が、チームとしてのはじめての体外戦だった。新チームは、6年生がひとりもいない5年生以下のチーム。キャッチャーの息子とピッチャーが5年生で、あとはみんな4年生以下。小さなチームが試合が出来るとは思っていなかった。ちびっこ達は、ボールを怖がり、逃げて取るだけで拍手が湧く状態。それでも繰り返し練習を重ねて、ようやくボールを取るようになる。そして、投げられるようになる。一歩ずつできることが増えてきたのだ。試合の勝敗はどうでもよく、チームが節目に立ち、次へ踏み出すその瞬間に立ち会えたことが嬉しかった。蓮の葉が水に浮かぶように、蛙が水面に顔を出すように、チームは自分たちの季節を切り開いた一日だった。
新暦で過ごす私たちは、月と自然とのつながりを見失いがちだ。旧暦で生きていた人々にとって、月の満ち欠けと自然のリズムは直結していた。田植えが始まる頃には蛙が鳴き、蓮の葉が水面を覆う頃には水路に涼が生まれる。梅雨入りと呼ばれる言葉すら、自然の動きに寄り添っていた。この時期は、麦の収穫期、麦秋でもあり、また田植えの準備に忙しい農繁期のピークでもある。自然の満ちる力と、人の働きが重なる、生命の高鳴りの季節だ。
四月尽。尽くとは、消えることではない。満ちて、溢れ、そして次の流れに移ること。次男率いる新チームの公式戦は6月1日。長男は中学校で別の試合。これまで兄弟揃っての試合応援が当たり前だったが、別々の場所で各々プレーをする。親としてはどちらも応援したいし声を掛けたい。我々夫婦にとっても新しいフェーズが始まったのだ。