センチュリー:トヨタ5番目のラグジュアリーブランド

2025年11月21日 金曜日

早嶋です。約3400文字。

センチュリーというブランド名が、重要な意味を帯びる日は来るべくして来ている。世界のラグジュアリーは「日本の価値観」を求めているのだ。EVでもない、テクノロジーでもない、もっと深い価値。トヨタはセンチュリーというブランドで樹アパニーズ・ラグジュアリーという概念を一気に高いレベルに仕上げていくと思う。

これまで、世界の高級車市場は長らく欧州のブランドにより支配されてきた。ロールス・ロイス、マイバッハ、ベントレーだ。いずれも100年以上の歴史を持ち、貴族文化という物語の上に存在してきた。しかし、昨今の現実を直視すると違和感がある。それは、この欧州ブランドたちが、ブランドとしての純度を保てなくなっている点だ。

ロールス・ロイスは、英国文化の象徴でありながら、いまはBMW(ドイツ)の傘下だ。ベントレーも英国を名乗りながら、VW(ドイツ)のコングロマリットの一部になった。更に、マイバッハは一度ブランド消滅したが、メルセデスによって再構築された経緯がある。つまり、資本と文化が断絶しているのだ。ブランドは約束である以上、その物語が濁ることは致命的だと思う。欧州ラグジュアリーが長年積み上げてきた「貴族文化」「格式」「歴史」は、資本構造の揺れの中で薄まりつつあるのだ。これは、ラグジュアリーブランドにとって決して軽い変化ではない。文化資本の断絶は、ブランドの価値と大きく関係があるのだ。

さて、そこにトヨタだ。今のトヨタを理解するためには、数字を冷静に見ることをお勧めする。2024年、トヨタの販売台数は年間1,080万台で世界1位だ。売上は45.1兆円、営業利益は5.35兆円に達し、利益率は約12%という驚異的な水準を記録している。対して、世界を代表するメーカーの数字だ。フォルクスワーゲン・グループは販売台数で900万台、売上はトヨタと同規模にあるものの、営業利益率は約6%前後で、トヨタの半分だ。BMWは年間約245万台、メルセデスは約240万台とプレミアム領域に集中しているといえ、世界シェアでいえば2%から3%程度だ。このように俯瞰すると、トヨタとVWは世界の二強であり、BMWやメルセデスはそもそも生産規模も市場支配力も違う次元にあるのだ。つまり、トヨタは、量・質・収益力の三拍子が揃った唯一の企業という事実がわかる。トヨタが今後、超高級ブランドをポートフォリオに追加することは全く不自然ではなく、むしろ当然の流れとさえ思えてきただろう。

トヨタは、4つの明確なブランド階層があった。ダイハツ(大衆)、トヨタ(高品質)、レクサス(プレミアム)、日野(商用)だ。この4つのカテゴリーだけでも、世界の乗用車市場のほぼ全域をカバーしてきた。そこに、「センチュリー」という5つ目の最上位ブランドが加わる。トヨタの企業規模を考えれば、この階層追加は当然の判断だ。、

トヨタという巨大なピラミッドは、これまで長くレクサスを頂点として運営されてきた。1989年に北米でデビューしたこのブランドは、わずか40年弱という短い歴史でありながら、BMWやメルセデスと肩を並べる世界的なプレミアムブランドに育った。これは奇跡に近い成功だと思う。レクサス以前にプレミアムブランドを立ち上げた日本メーカーは他にもある。ホンダのアキュラは1986年に誕生し、日産のインフィニティもレクサスより早い。

だが、この二つが北米以外の市場で存在感を持てず、世界ブランドに育たなかったことを考えると、トヨタがレクサスをここまで押し上げたことの意味は大きい。単に高級車を売ろうとしたのではなく、ブランドを育てるという覚悟と長期戦略を持ち続けた唯一の日本メーカーだった。しかし、レクサスが大成功していく一方で、内部では別の課題が生まれていた。レクサスで開発した先端技術、静粛性、乗り心地、耐久性、品質管理の仕組み、素材の扱い方。これらをトヨタ車にも展開する。これは消費者から見れば歓迎される動きだ。ただでさえ品質の良いトヨタ車が、あり得ないくらいの品質向上で驚くばかりである。

だが、この戦略は、レクサスとトヨタの違いを徐々に曖昧にしたのも事実かしれない。顧客の中には「レクサスとトヨタの違いって何なのか?」と感じる層も出てきて、やがてBMWやベンツに流れていく層も出てきたと思う。

現場の技術者の間でも、「レクサスをより尖らせるべきか、それともトヨタへの水平展開を優先するべきか」という議論が繰り返されてきたのではないだろうか。つまり、レクサスの成功が大きければ大きいほど、その成功の影としてブランドの棲み分けが難しくなるという構造的な課題があったのだ。この状況の中で、トヨタがもう一段上のブランド階層を持つという決断は、自然な帰結だったと思う。レクサスをレクサスとして明確に尖らせるためにも、そしてトヨタ全体のブランドピラミッドをより立体的にするためにも、センチュリーという「超高級・ショーファーカー」ブランドを最上位に据えることは必然だったのだ。センチュリーが入ることで階層は5つになる。

大衆(ダイハツ)、高品質(トヨタ)、プレミアム(レクサス)、商用(日野)、超高級(センチュリー)だ。この構造は、トヨタの規模とブランド体力を考えれば、ようやく完成したと言えるかも知れない。レクサスの成功を押し上げ、同時にその負荷を軽減し、さらに上位の物語を創るための、きわめて合理的で戦略的な動きなのだ。

センチュリーの強さは、トヨタの技術力や品質といった次元では完成しない。それを超えるもう一つの価値が必要だ。早嶋は皇室文化との結びつきにこそあると思っている。日本の皇室は、世界の中で最も長く続く王朝だ。2600年以上の歴史を持ち、その連続性は欧州王室の比ではない。英国王室は1000年前後であり、フランスは革命で途絶え、ドイツに至っては19世紀の統一国家であり、王室の連続性は存在しない。この世界でも稀有な文化の連続性を背負うことができる唯一の車、それこそがセンチュリーなのだ。センチュリーはこれまで、官公庁の役人を乗せ、首相官邸の移動を担い、宮内庁の御料車として皇室の移動を支えてきた歴史を持つ。これは、ロールス・ロイスにも、マイバッハにも、ベントレーにも持ち得ない物語だ。

普通のブランドは、広告とマーケティングで「物語」をつくるだろう。しかし、センチュリーはすでに物語そのものの上に存在しているのだ。これは文化的にもブランド的にも圧倒的なアドバンテージになると思う。

世界の上位所得者たちの価値観は、この十年で大きく変わったのでは無いかと思う。以前は「見せる」ことが高級の前提だったかも知れない。豪華な装飾、大きなエンブレム、派手な内装。高級とは、目に見える誇示だった。しかし今は違う。世界の富裕層は静けさや控えめさ、内省的な上質に価値を移しつつある。茶室のような余白の美、光と影の陰影、素材の深み、手仕事の気配。欧州的な「豪奢」とは真逆の価値観だ。京都に世界のファッションメゾンが工房を構え、日本の工芸技術を内装に取り入れ、世界中から富裕層が日本旅館や茶文化に興味を示している現象は、この価値観の変化を裏付けていると思う。

そう近年、ジャパニーズ・ラグジュアリーが世界的に確実に注目されているのだ。そして、その日本独自の美学をそのまま体現した車がセンチュリーなのだ。誇示ではなく静謐、主張ではなく存在感、豪華さではなく品格。まさに日本の価値観そのものなのだ。

欧州のラグジュアリーが文化の濁りの中で揺れている今、トヨタは世界の王者として、まったく新しい頂点を作る準備を整えている。その頂点に立つセンチュリー。
トヨタの圧倒的な生産規模と技術力、世界トップクラスの収益性、そして日本という国の2600年の文化資本。そのすべてを背景に持つ超高級車ブランドは、世界でもセンチュリーしか存在しない。センチュリーはロールス・ロイスの後追いではない。マイバッハの対抗でもない。ベントレーの模倣でもない。センチュリーは完全に異なる軸、静謐のラグジュアリー、皇室文化のブランド、という唯一の位置で勝負ができる。

早嶋は、センチュリーが世界のラグジュアリー市場に新しい基準を生み出し、その意味で「世界の頂点」と呼ばれる存在になると確信している。



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