ノート言える人は仕事が出来る。何かの本でドラッカーがこのような記述を書いていました。
闇雲に全ての仕事を引き受けることは、結果的にその人の可能性を潰すことになります。全てのプロジェクトが中途半端になり、本来の結果が発揮できなくなります。
断ったら悪いなと思う気持ちによって、本来は成功していたはずの仕事がうまく行かず、結果、クライアントに迷惑をかけ顧客価値を低下させてしまいます。
全てにおいてトレードオフがあり、何が大切なものなのかを常に考えて見極めることが大切です。
ノート言える人は仕事が出来る。何かの本でドラッカーがこのような記述を書いていました。
闇雲に全ての仕事を引き受けることは、結果的にその人の可能性を潰すことになります。全てのプロジェクトが中途半端になり、本来の結果が発揮できなくなります。
断ったら悪いなと思う気持ちによって、本来は成功していたはずの仕事がうまく行かず、結果、クライアントに迷惑をかけ顧客価値を低下させてしまいます。
全てにおいてトレードオフがあり、何が大切なものなのかを常に考えて見極めることが大切です。
後継者問題が後を絶たない。が、ことの本質は後継者がいないことではなく、起業した時、あるいは、その会社を引き継いだ時にトップがその会社の、あるいは自身の出口戦略を持っていなかったことだと思う。
会社はgoing concernということで永続的な機関です。従って、人の寿命よりも会社の寿命がはるかにながい、というのが理屈上の解釈です。ということは経営者の使命として必ず、その会社を継続させるのであればトップがその会社を離れた後に会社をどうするかを始めるときに決めておくことは大切です。
出口のオプションは驚くほど明確です。
1.親族に引き継ぐ
配偶者
子供
他の血縁
2.社内に引継
従業員に引き継ぐ
管理者に引き継ぐ
3.社外に引き継ぐ
4.会社をたたむ
どのオプションをとっても正解です。が、どのオプションを取るにせよ、予め準備をシて置かなければ急に実現できません。
1.親族に引き継ぐ場合、自分の配偶者や子供や他の血縁に対してそれなりの帝王教育をしておくことが重要です。
2.社内に引き継ぐ場合も、予め候補を決めて、それなりの教育や経験を積ませておくことが大切です。当然、他のステークホルダーに対してのネットワークを共有したり、新たな人脈を構築させることも大切です。
3.社外に対しても、どのような企業が理想なのか、予めリサーチをシておき、時間をかけて交渉しておく必要があります。そうしなければ足元を見られ良い条件は引き出せないでしょう。
4。会社をたたむ場合も、本人、社員、クライアント、地域に取ってインパクトが少なくなるように予め準備が必要です。起業よりも廃業や清算が圧倒的にコストが掛かります。
ということで、始めるときに出口のことを考えている、あるいはその準備をしている企業は後継者に悩むという必要がなくなるのです。が今の日本の経営者の平均年齢が61歳であることを考えると、結構、時既に遅し感はあります。
独立して食べるために行うことは、フィーを取ることを考える前に、自分が提供している何が価値があるかを考えることだと思います。その価値は万人受けする必要はなく、対象の方がお金を払ってでも欲しいサービスであることが大切です。
その時に、提供側としては、その商品に自分自身が自信を持つことが大切です。
コンサルという商売は資格がありません。コンサルの経験があるからと言って独立開業してすぐに儲かる商売ではありません。独立して稼ぐためには、マーケティングリスク、プロダクトリスク、ファイナンスリスクを追う必要があるからです。
例えば自分自身を商品として売り込んだ時に、誰に対して、どのように自分の価値を提供するかの販促はコンサルファームにいるときは学べないし経験できません。ので、先ずは販促活動や営業活動にもがき苦しみます。
例えば自分自身が価値だと思っているものを対象の顧客が欲するように商品化することも結構たいへんです。大手ファームにいれば、全てを自分で行っている気になっても実は様々なことを組織で分担して行っています。本当に自分が提供できることはなにか、それを絞込、かつ、顧客に取って有益なものを提供することは案外むずかしい作業です。
更に、独立開業した瞬間からコストが発生します。考える作業であれ、営業する作業であれ、時間を消費することは全てコストです。仮に1円も経費をかけないでも、本来は稼げるはずのお金を稼げていないのだからコストが発生しています。従って独立してすぐに食べられると考えるのではなく、最悪1円もお金が入ってこなくても半年は行きられる環境や資金を準備していることは大切なことだと思います。
コブラは猛毒を持つ蛇で知られていて、インドのある地域ではコブラの駆逐を進めるために報奨金をかけました。一匹殺したコブラを持って来た人に対してお金を払うという仕組みです。結果、コブラは減るどころか増えたのです。理由は、コブラを殺して儲かることを知った人が簡単にコブラを殺せるようにと養殖を始めたのです。
このように意図する目的と全く異なる効果を生むこと、逆に悪い方向に進むことをコブラ効果と呼びます。提供側が考えた思惑と全く異なる結果を生むのです。コブラ効果、日本の自治体でも観察できます。
例えばコブラと似た話にイノシシに懸賞金をかけた自治体の事例です。ある自治体では殺した写真を提出すると、その数に応じて報奨金を出すことでイノシシの撲滅に力を入れました。ある自治体では殺したイノシシのしっぽを持参することで報奨金を渡していました。蓋をあけると隣の自治体でイノシシを殺して写真を取って報奨金をもらい、今度はしっぽを切って別の自治体に提出してお金をもらう。このような方々が何人か出てきたのです。
今度はその行動を防ぐために、殺したイノシシを回収するということを進めましたが、そのうち報奨金が払えなくなり買い取る額を決めてしまいました。しかし、額は予算ありきで、果たしてそのことがイノシシ自体を減少させることにつながるのかという本来の目的を議論されることがなくなります。そして予算ありきで毎年決まったイノシシの予算を取るだけになるのです。
別の事例です。ゴミの減量を進める目的でごみ処理を無料から有料にしました。その結果、山間部でのゴミの不法投棄やゴミ屋敷の増加、そしてお店に対してのゴミの不法投棄が増えた事例もあります。
コブラ効果とは少し違いますが、住民からのクレームも同じような減少を観察できます。ある生活道路の側溝が整備されていなくて危険な状態だったので整備の要請が住民からありました。側溝を整備するときに道端にあった電信柱や障害物を邪魔だったので移設します。結果、道の見通しが良くなり、逆にスピードを出す車が増加したのです。そしてまた住民からのクレームが増えたのです。
大切なことは、行動を起こす前にどのような影響が起こるのかということを対象となる人以外にも思考を張り巡らせることです。我々はひとつのことにフォーカスして他が見えなくなります。そんな時、コブラ効果を意識することは、一度思考を発散させるおまじないになることでしょう。
アイデアを出す、課題を解決する、何かを考える。
ものの本で言われることはゼロベースということ。これに関して最も簡単なことは子どものように考えることです。我々は年を重ねることでいろいろな先入観や固定観念を持っていくようになります。そして、それが多くの場合、無意識に自分に定着しています。普段は何かを考えたり判断するときに、それらがベースで無意識に取捨選択を行っている。従って、多くの場合、考える前からある程度の方向性が決まっているのです。
子どものように考える。これはものごとのありのままを見ていこう。ということです。息子と遊んでいて常に思います。彼らは定説がありません。常識という色眼鏡を使わないため純粋に世の中の成り立ちについて、その仕組について、興味本位で観察しています。あたかも彼らの仕事は世の中の仕組みや日常を理解するかのごとく。
しかし、そこには普段から我々が当たり前だと思っていることに、限りなく何度となく質問をしてきます。そのことに本気で考えて見ると多くの気付きがでてくる。
我々が見ている方向と全く異なる方向から何かを観察して、そのことをストレートに表現する。ボキャブラリーが少ない分、単純明快。
1985年にマイクロソフトのウィンドーズバージョンゼロがリリースされ、10年後の1995年はウィンドーズ95が発売。パソコンが企業の中に普及し始め、全てのやりとりが徐々にPCになっていく。
2000年には企業の中では一人1台が基本になり、それまでの仕事の流れが大きく変わり始める。2007年ころよりスマフォンやスマートパッドなどのスマートデバイスが世の中に普及し始めデータはクラウドに置かれ、アプリやサービスも何もかもを意識せずに活用できるようになる。
今はクラウドの環境を活用してその世界で一流クラスの能力を持つ人員をパートタイムで切り出して仕事をすることも可能になっている。加えて、ソフトの作成もハードの作成もネット環境で指示ができる能力さえあれば自由にできる時代。
そんななかで組織構造の変化が追いついていないように感じる。これだけ自由に仕事を進めることができたら、これまでのようにいくつかの仕事を分業するよりも、一人の、あるいは数人の人間が全体を企画してあとは、それ専門のチームにお願いするような仕事のスタイルがもっと増えても良いのではと思う。
大企業は、専門のスタッフをそれぞれ持っていましたが、国内の仕事環境が成長からステイ、ダウンになると、その専門スタッフを賄う仕事ができません。だからと言って、そのスタッフは他の仕事をアウトソーズするわけにはいかず、適材適所が実現されずに、別の仕事をしぶしぶ行う。
一方、早くからその状況に気がついた企業は、自分たちのバリューチェーンを見直し、得意なところにフォーカスして、苦手な部分や収益を上げにくい部分は一部あるいは全部を切り出してアウトソーズするようになる。昔は通信や物流のコストが高く自由にコミュニケーションが取れませんでしたが今はある程度自由にできるため一つの組織で全てを完結させる理由もさほどなくなる。
結果、専門的な仕事を国内外から集めて行うようになるため、より専門的な人材があつまり、効率も質も高まる。大きな組織が自前で全てを行うよりも安く質が高くそして早く外注できるようになってきました。
従って規模の大きな組織や資本の大きな組織で、自社のバリューチェーンにメスを早い段階で入れたか入れないかは現在の明暗を大きく分けています。成長スピードでは、一桁も二桁も違うくらいの差が付いているのです。
はじめから小さな組織は、そのようなスタッフがいなかったが、クラウドやネットの仕組みを活用して優秀な人材を都度都度確保できることを知っているので、企画や一部の得意な部分に仕事をフォーカスして収益をあげられる仕組みができてくる。規模が小さい、あるいは新規的な取り組み、テストマーケティングなど、これまで費用がかかりすぎて躊躇していた分野の仕事が比較的現実的な範囲で可能になりました。
そうなると大企業が継続的にイノベーションを行うためにはより専門的な人材が分業するのではなく、全体の構造を捉えて、大きな視点を持った取り組みが必要になります。そして従来の大企業でこれらの仕事ができなくなれば、大量生産といった規模の経済に徹していかないと価値を見いだせなくなります。
また、優秀な個人や組織はスピンアウトして、ここの強みのみを商品として提供する役割に徹することでイノベーションを継続的にリードし続けることが可能になります。
実際、上記のような変化は身近で観察できます。従来通り大企業は安定しているという思想のもと何も努力しない方の時給はどんどん下がって行くでしょう。
楽観が良いか悲観が良いか。私は超悲観的な考えを持つ、理由は超楽観的になるために。
理屈はこうだ。超悲観的になった場合、考えられる最悪のシナリオを常に見る。従って、どの程度最悪でひどい状況になるかを理解する。が、次にそのような状態になった場合のリカバリの策などを徹底的に考える。その時点で足りない部分があれば、今のうちに備えることを考え行動に移す。
となると、現状は常に悪い状態ではなくなる。仮に悪い状態が来た場合でも、それを乗りきれる何らかの根拠と自信と行動を伴っている。従って、怖くない。ってことで超楽観的なものの考えと言動と行動が取れるようになるのだ。
これは結構いい考えと行動だと思っている。
先日、仲の良い友人と語った時、経営者はかくあるべきという点で一致した。徹底的なリスクを考え常にヘッジしている状況になった上で積極的に果敢に攻める。まさに超悲観的発想の超楽観的主義者である。
ビズナビ&カンパニーのカンパニーは仲間という意味。会社を設立して依頼、沢山の仲間に支えられてきている。その仲間な内部に限らず、外部にもいる。
親しくさせて頂いている友人。尊敬する人生の先輩でもあり大学の同期でもあり勝手にメンターだと思っている友人。頻度は少ないが自分の節目に必ずお会いする。年齢も職業も全く違えど、食事をしながらお話をさせて頂くことで、もっと頑張ろう!となる。
ボンドを卒業して10年以上。会社もまもなく10期目に突入。20代のコンサルペーペーもだいぶ脂が乗って、今年で38に。仕事を通じて、様々な経営者との出会いがあり毎回本気で取り組むことで互いに成長させて頂いている。というか私のほうが成長する機会を余計に頂いていると思う。
経営の理屈や理論は毎回新しい概念が出てきている。が基本的なことや原理原則は変わらないと思う。売上よりも費用を抑えて利益を残す。これを短期的な取り組みではなく長期的な取り組みで継続する。カネに追われるのではなく、そのカネはツールであり、そもそもの会社の存在意義でもある大義名分があるから皆の方向性が一致する。大義名分は個人とその周りの組織をチームに変える。共通のミッションがあれば自ずと組織が方向を揃え始める。が、それは自然現象ではなく経営者が意図的に継続的に続けなければならない行動。
全体の取り組みが組織として継続できるようにするためには仕組みをつくる必要がある。が、その仕組も時代の変化とともに変わっていくので定期的にゼロベースで見なおして、場合によっては過去を捨てる必要がある。組織は規模に応じて管理の仕方がことなるのでやはり変化に対応する考えが必要になる。が、人間は変化を基本的に好まないいきもの。そのじっととどまる物体に力を入れなければならないのでエネルギーが必要。
しかし人間は他の経営資源と異なり、命令しても、その命令を解釈した人間の納得度が高くなければ動かない。資源としての人ではなく、人としての資源であることを理解しなければならない。すると必然的に人の考えや心についても考察や視点を高くしなければならない。そのような考えはいろいろあるだろうが、基本的な家庭や日常の生活にも見いだせる。逆に言えば、そのような当たり前の考え方がベースになければ、大きな経営は難しくなる。
昨日の友人との会話の中で数百億のM&Aの選択と今日の晩御飯の選択は基本的に同じだということ。意図的に考えずに、こんなのがあるけどどうか?という問いになんでも良いよと答えるのではなく、都度、どちらがベターか。双方のことを考えながら選択肢を見出す。場合によって、選択肢を新しくしなおして新たな会を見出す。そのような取り組みを日々行うことが大切。経営の知識は確かに必要だが、それだけではうまい経営ができない、続かないということ。
妙に合点がいった。
皆さんはどのくらいの感覚でレスポンスしますか?
SNS等でのメッセージ。
メールのメッセージ。
手紙や葉書などのメッセージ。
おそらく、上記にいくほどレスポンスの時間が短くなると思います。
SNSは最低でも12時間以内。
メールは最低でも24時間以内。
手紙や葉書は1周間以内。
くらいでしょうか?
仕事でのSNSの活用が増えてきました、基本、見ているときは即レス。後に気がついて時でも、見た、後で連絡する、などのレスをするようにしています。
メールでも添付があって、内容が沢山書いている場合でも取り急ぎ、見た、後で連絡する、いついつまでに連絡する、などは即レスを返すようにしています。
自分がこの感覚で行っているのが遅いのか、早いのかは別に、相手の状況を鑑みて、どのように対象するのが一番ベターか?を常に考えてレスをすることが大切ですよね。
経営者とお話をしながら、あるいは対話しながら、あるいは様々な視点からの質問をしながら、私のコンサルティングはしばらく続く。時折、経営者が話されている抽象度の高い内容は紙にメモを書きながら図や単語レベルに落とし具象化する。経営者が考えているその先には何があるのかが明確ではない場合は、目的や役割について話をしてもらう。今話していることがなんとなくハッピーでなければやめた時の気分を話してもらう。楽しそうでもそれが大きな根本解決につながらなければ逃げているのでは?と少し厳し目のツッコミを入れる。ごちゃごちゃしている場合は、とにかくゼロから素人に説明していただく程度のレベルまで掘り下げて話をしてもらう。こちらの質問をベースにお話をして頂くことで、自然と頭のなかが整理される。時間にして60分くらい。多くの経営者が言ってくれる。モヤモヤしていることがスッキリしたと。
経営者は常に悩みをもち大きな壁のようなものを感じているというが、私はそれはモヤがかかっている状況ではないかと思う。今日の天気のように雨が強く少し風がない場合は全体がぼやけてしまう。そのような中に立てば方向すら見失う。モヤモヤしている状況の多くは目的がはっきりしていない場合だ。頭でわかっていても孤独な経営者からすると、それを探すのが最も難しい作業のようにも思う。私は対話を通じてそのことをクリアにする役割に徹する。たまにコンサル的にアドバイスをすることもあるが、多くの場合、そのアドバイスは経営者の話を総括した時に導き出される。つまり帰納的な結論に過ぎない。もちろんその時点ではファクトベースと仮設ベースが混ざっているのであとで確かめることは必要だ。
終わったあとに良く聞かれる質問に、なぜそのようなことが出来るのか?とある。が、正直何をしてこうなったのかがわからない。とにかく独立して、経営者の悩みにフォーカスして自分が経営者だったらどうするか?と考えながら沢山の方々の話を聞いては自分なりに、何が一番いい形で喜んでもらえるかを試して来た。結果、10年経つとモヤモヤをスッキリすると抽象度が高い表現でお話したほう相手にわかりやすく伝わることがわかった。そして営業もしないで、とにかく出来ることをその方に全力で提供して、できない場合は、その代替を提供して紹介するところまで徹することをしてきた。その結果が今にある。
しかしひとつ言えることは今行っていること。一番評価頂くことが最も仕事の中で楽しい。対価をいただこうが頂くまいが、どっぷりと集中して相手のことを考える。時間にして60分だがかなり集中している。好きでも無いことに時間をかけて好きになるより、自然と取り組んでいることを継続して没頭して深めていき結果好きになっていればハッピーだ。これは後付理論で結果それが天性だったと言ってしまえば簡単だ。
というわけで、なぜ?と聞かれてもわからない部分は結構多い。