
新規事業の旅120 実践は時間と努力の変数
2024年6月29日
早嶋です。
自分たちの状況が不安定なときと安定した時、どちらの方が創発が優れているのだろうか。私は、圧倒的に豊かな時にこそ、人類の思考、哲学、宗教の発展があったと思う。
(豊かさと思考、哲学、宗教の誕生)
古代ギリシャ哲学。特にアテナイ(アテネ)の時代、経済的な豊かさが、多くの哲学者を誕生させたと思う。ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった哲学者たちが活躍した。アテナイは民主制が発展し、公共の議論や教育が重要視される社会、経済的な豊かさと市民の自由な時間が哲学的な思索を促進したと考える。
古代インドでも、マウリヤ朝などの繁栄期に仏教やジャイナ教といった宗教が発展した。仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は、王族として生まれ、物質的に恵まれた環境で育つ。彼が苦行と瞑想を通じて悟りを開いたのは、豊かな環境の中で精神的な探求に時間とエネルギーを割けたのがきっかけだとも考えられる。
中国では、春秋戦国時代という戦乱の時代が続いた後、秦の統一によって安定がもたらされた。その後の漢の時代に儒教や道教といった思想が発展。特に漢の時代には、国家が儒教を官学とする政策をとり、儒教の思想が広まった。経済的な安定と国家の後押しがあったのは事実だ。
イスラム教の黄金時代(8世紀から13世紀)は、科学、哲学、医学、文学の分野で多くの成果が生まれた。アッバース朝の時代にバグダッドが文化と知識の中心地となり、経済的に豊かであったため、哲学や科学が発展した。アル・ファラビ、イブン・シーナー(アヴィセンナ)、イブン・ルシュド(アヴェロエス)といった哲学者や科学者がこの時代に活躍している。
やや乱暴かもしれないが、経済的な豊かさと社会的な安定がベースとなり、人々は哲学や宗教に対してより多くの時間とリソースを割くことができた。結果、これらの分野が発展したのだ。豊かな心の形成は、基本的な生活の安定が必要で、その上で精神的な探求が行われることが多いのだ。
(思考と実践のギャップ)
一方で、豊かな心の状態では、思考は強化されるが、その結果を実践するかと言えば疑問が残る。例えば、将来の事業ポートフォリを安定させる目的で、多くの事業会社が新規事業の取り組みを促進している。今の状態が決して潤沢ではないが、従来からのビジネスモデルによって一定のキャシュが安定的に稼げている。このような状態では、一定の余裕があるので新規のアイデアは多数でるのだが机上で終わる組織が多い。一方で、後先が無いベンチャーなどは大したアイデアでも無くても実際に実践しながらその筋を研ぎ澄ませ、結果的にキャッシュがついてくる事業にまで発展させている。考えを実行に移して初めて価値がでるのだが、アイデアに重きを置く事業会社があまりにも多いと思う。思考と行動あるいは、実践は別なのだろうか。いくつかの視点に分けて考察してみよう。
私は、理論やアイデアを持つことは比較的難しく無いと考える。しかし実際に行動に移すことに対しては容易ではない。例えば、新たな取組は必ず一定のリスクが伴うと考えてしまう。特に既存の事業が安定していれば、新たにリスクを取りたいとも思わない。また、思考を実現するにはそれなりの資源が必要だ。事業会社に置き換えるとヒト、モノ、カネだ。カネが在っても、該当するヒトが不足しているし、また実現していない概念(アイデア)に対しても事業会社は投資を渋る傾向が強い。これが助長してヒト、つまり実行する人材が不足する。そして、上記が根底に組織の反対が起こるのだ。物事を俯瞰して考えることができる人材は一定数しかいない。皆眼の前にことに必死で、既存事業の組織関しては、新規事業が遊んでキャッシュを燃やしていると勘違いしている。しかし根底は変化への抵抗と利益保護がベースにあるのだ。
時間軸の視点も需要だ。短期的な取り組みと長期的な取り組み。いかに重要だと理解しても、短期的な取り組みを優先してしまう。考えたアイデアは実現するためには一定の労力と時間がかかるものだ。そしてその結果に対しての保証は何らない。すると既存事業や過去に発生した問題解決に資源を注いでしまうのだ。既存事業の取り組みで日々の運営や管理に追われた人材が、長期的な視点に基づいて、試行錯誤で行動すること事態が超難しいのだ。
(豊かさと行動のギャップ)
豊かさはアイデアや哲学や宗教など、多数の創造物を生む。その一方で、行動に結びつけるにはいくつかの要素が必要になる。
まずは、達成したいという意思と強烈な動機だ。思考が豊かで在ってもこれらが欠如したら行動しない。そして、アイデアの実行にはパトロンや役割の高いヒトからの手厚いサポートが必要になる。組織では適切な資源を配分してもらわないと動こうにも動けない。そして、失敗や時間に対する許容も大切だ。それがなければ誰も怖くて動けないのだ。
どれも聴いたことがあることだと思うのだ、真実は皆わかっているのだ。従い、事業会社で既存事業と新規事業をうまく成果を出せている組織は多くの場合、以下の打ち手を実現している。パイロットプロジェクト、外部資源の活用、一定のインセンティブだ。小さく初めて、小規模なテストを繰り返す中で試行錯誤を続ける。結果手にリスクを最低限に抑えながらも失敗から学び経験値をえていくのだ。当然、自社リソースだけでは時間がかかるので、ここはノウハウと時間を買う目的で一定の外部パートナーも有効に活用する。自社に専門部隊や知識がないのであればプロを活用して、そこに既存の人材をつけながら数年かけてノウハウを吸収するのだ。
失敗が多い組織は、とにかく自分たちで何でもかんでも行い、先に時間とお金という資源を消費する。時間をかけて学んだ人たちは一定の経験値がつくのだが、インセンティブが少ないのと、門のプレッシャーばかりが与えられ、やがて経験値がつく頃から外部から引き抜かれてノウハウが残らない状態が続く。結局、自分たちで内省化しようとするもコミットが少なくて、何も残らないで時間ばかりが浪費してしまうのだ。
既存の取り組みと異なり、時間軸も違う。成果も出にくい。むしろ失敗ばかりする環境にいる。明らかに事業の取り組みや性質が異なるのに、その組織に対しても既存の取り組みと同様の評価やインセンティブを当て得ては行動や意思を引き出せないのだ。相応のインセンティブを研究して動機レベルを高めることが必要だ。
やはり、思考と実践は別だ。組織で取り組む場合、ここのつなぎをトップやかなり役割の高い人間が3年、5年のスパンで伴走しなければいけない。思考を行動に結びつける意志、環境、サポート、具体的な計画。これを社員に丸投げしても何も生まれない。苦しい社員が増産され離職が増えるだけだ。経済的な豊かさや社会的な安定があれば思考は発展するが、行動に移すためにはさらに多くの関与が必要なのだ。新規は従い、トップの本気度で決まると思うのだ。
では、冒頭に事例にしめした思考、哲学、宗教をクリエイトするなかで、どのような実践があったのか議論してみよう。
(古代ギリシャからの学び)
古代ギリシャでは、特にアテナイにおいて、哲学が実践的な政治に大きな影響を与えているまずはソクラテスだ。ソクラテスは対話を通じ、人々に自己反省を促し、倫理的な生活を追求するよう説いた。しかし、彼の哲学的思考は当時の権力者にとって脅威だった。その結果、彼は死刑を宣告される。ソクラテスの例は、哲学の実践と既存権力者の抵抗を示す事例だ。
中世のヨーロッパでは、宗教的な哲学が社会全体に大きな影響を及ぼした。トマス・アクィナスは、キリスト教の教義とアリストテレスの哲学を統合した。信仰と理性の調和を目指したのだ。彼の思想はカトリック教会の教義として広く受け入れられ、社会全体の倫理観や法律にも影響を与えている。
マルティン・ルターの宗教改革は、カトリック教会の腐敗を批判し、個々人の信仰の自由を強調した。当初、信仰のバイブルは一部の権力者しか手に入れることができなかったが、印刷技術の発展が後押ししてバイブルを一般のヒトも広く読めるようになった背景がある。結果、彼の思想は広く支持を得て、プロテスタント運動が広がり、ヨーロッパ全体の宗教と政治に大きな変革をもたらした。
近代においても、哲学的な思想が社会変革に結びつく例が見られる。ジョン・ロックの思想は、個人の権利と政府の正当性についての基本的な考え方を提供した。彼の「市民政府二論」は、アメリカ独立革命やフランス革命の理論的基盤となり、具体的な政治体制の変革に結びついた。
カール・マルクスの共産主義思想は、資本主義社会の矛盾を批判し、労働者階級の解放を目指した。彼の思想は、後にソビエト連邦や中国などの社会主義国家の建設に直接影響を与えている。
このように哲学的な実践では、ソクラテスやルターのように、強い意志とリーダーシップを持つ個人が必要で、プラトンやロックの思想が広く受け入れられたように、広範な社会的支持も必要になる。更に、マルクスの思想が具体的な革命運動に結びついたように、思想を具体的な行動に移す計画も必要要素だ。そして、中世ヨーロッパのように、既存の制度や環境が変革を必要とする状況があれば、哲学的思考が実践されやすくなる。整理すると、以下の要素が抽出される。
– 意思とリーダーシップ
– 社会的な指示
– 具体的な計画
– 適切な環境
(古代インドからの学び)
インドにおける哲学や宗教の普及も見てみよう。やはり思考とその実践には結構なギャップがあったことがわかる。まずは大御所のブッタ(釈迦)だ。釈迦は王族として裕福な環境で育ったが、人生の苦しみについて深く考えるようになり、出家して瞑想と修行を重ねた。悟りを開いた後、彼の教えは多くの弟子を集め、仏教として広がった。しかし、彼の教えが広く受け入れられ、実践されるには結構な苦難が存在している。
それらは、釈迦自身が各地を巡り教えを説くことで、仏教の思想を広めることに加え、釈迦の弟子たちが彼の教えを記録し、体系化することで、後世に伝わる基盤が構築されたのだ。更に、アショーカ王のような権力者が仏教を支持し、国家規模での普及が進んだことも大きな要因と考えることができる。思考の結果を実践に移すには相応の努力と時間が必要なのだ。
次にヒンドゥ教の発展をみてみる。ヒンドゥー教の思想はヴェーダとウパニシャッドの哲学に根ざしている。ヴェーダの儀式中心の信仰から、ウパニシャッドの内省的な哲学的思索が発展した。ヴェーダの時代は主に儀式や祭祀に重点が置かれ、ウパニシャッドの時代に入り、内省的な哲学が発展した。もちろんこの移行にも、宗教的リーダーや哲学者が長い時間をかけて議論し、教えを広める努力が必要だった。そして中世にはバクティ(献身)運動が広がり、個人の神への献身を強調した。これもまた、思想の実践への転換で、聖者や詩人たちが教えを広める役割を果たしたのだ。
ジャイナ教についても見てみよう。ジャイナ教の創始者であるマハーヴィーラもまた、裕福な環境に生まれながらも苦行を通じて悟りを開いている。彼の教えは徹底した非暴力(アヒンサー)を重視し、厳しい倫理的実践を求めた。マハーヴィーラの教えを受け入れた信者たちが、厳格な生活規範を守り、教えを実践することで教えが広まっている。そして彼の教えが口伝で伝えられ、後に記録されることで、思想が体系化され、実践が維持されたのだ。
インドの宗教と哲学が発展する過程でも、思考から実践への移行には時間と努力が必要だったことがわかる。釈迦やマハーヴィーラのようなカリスマ的なリーダーが思想を広める役割を果たし、思想を受け入れ、広めるための弟子や支持者の存在が不可欠だった。そして、アショーカ王のような権力者の支援が、思想の普及を助けている。更に、思想が実際に広まり、実践されるには長い時間と継続的な努力を要しているのだ。これらを整理すると、以下の要素が抽出される。
リーダシップ
支持者と弟子
権力者の指示
時間と継続的な努力
(中国からの学び)
今度は、中国の思想、特に儒教や道教が秦の統一以降に普及する過程においてみてみよう。思考と実践の間にはやはりギャップが存在している。
孔子は春秋戦国時代に活躍した思想家だ。彼の教えは倫理と政治を中心としたものだ。しかし、彼の生涯中、実はその教えが広く受け入れられることは無かったのだ。孔子の思想は当初、諸侯に受け入れられない。そこで、彼自身も多くの国を巡り教えを広めたが、大きな成功は収められなかった。孔子の死後、弟子たちが彼の教えを記録し、『論語』としてまとめたことが、思想の継続と普及に大きな役割を果たしたのだ。
漢の武帝(紀元前141-87年)は、董仲舒の進言により儒教を国家のイデオロギーとして採用した。儒教が国家の公式イデオロギーとして採用されたことで、教育制度や官僚制度の基盤が確立した。また、科挙制度の導入で、儒教の経典の学習が官僚になるための必須条件となった。結果、儒教の普及が進んだのだ。
道教は老子と荘子の思想に基づいている。それでも初期には主に哲学的な思索にとどまっている。老子の『道徳経』や荘子の『荘子』は、自然と調和し無為自然の生活を説いたが、初期の段階では主に知識人や隠者の間でのみ受け入れられた。
道教も同じだ。道教が宗教として確立されるのは後漢時代以降で、はじめは民間信仰やシャーマニズム的な要素が取り入れた。張道陵が創始した五斗米道は、道教を組織化し、教団としての形を整えた。唐代に皇帝が道教を保護したのを皮切りに、自らを老子の後継者として、道教の権威が高まった。
儒教や道教が普及する過程におい、思考と実践の間にはやはりギャップがある。孔子の思想は当初受け入れられず、彼の教えが広く実践されるには弟子たちの努力と後世の支持が必要だった。道教も初期には哲学的な思想としてのみ留まり、宗教としての実践には時間を要している。後に、国家が儒教を公式に採用したことですることで、その普及と実践が進んだが、これは政治的な意図や制度的な支援があったからこそ実現したと考えることができる。道教もまた、国家の支持と結びつくことで広く受け入れられている。儒教も科挙制度の導入と関係が深い。道教は組織化されて、その教えが広まりやすくなった
やはり、中国の儒教や道教の普及も同じだ。思考と実践の間には多くのギャップがあり、いくつかの要素を絡めて克服している。孔子の弟子や道教の指導者たちの努力が思想の継続と普及に寄与しているし、儒教や道教が国家に支持されたことで、その思想が広く実践されるようになった。そして教育制度や試験制度を通じて、思想が広範に浸透し、実践される基盤が築かれている。ここにも時間と努力が必要だったのだ。これらを整理すると、以下の要素が抽出される。
リーダーシップと支持者
国家の支援
教育と制度
(イスラムからの学び)
最後に、イスラムでの歴史を通じて思考と実践のギャップをみてみよう。同じように時間と努力を要している。
イスラム教の黄金時代(8世紀から13世紀)は、科学、哲学、医学、文学の分野で多くの成果が生まれた。この時代にも、思考とその実践にはギャップがある。そして特定の要因によってそのギャップを埋めることができている。イスラム帝国は広大な領域を支配し、交易路を確立していた。これにより、経済的な繁栄がもたらされ、さまざまな文化や知識が交流した。商業と公益における経済的な繁栄は、学問や思想に対する投資を可能にした。ペルシア、ギリシャ、インドなどの知識がイスラム世界に取り入れられ、思想の実践を促進している。
アッバース朝のカリフたちは、学問を奨励し、バグダッドに知識の中心地である「知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)」を設立した。カリフたちが学者を支援し、学問研究のための資金を提供した。これがベースとなり、で多くの書物が翻訳され、学問が発展している。
アル・ハワリズミは数学者として著名だ。アルゴリズムの語源にもなった偉人だ。彼の著作『アル=ジャブル』は代数学の基礎を築いている。彼の理論は、計算や天文学などの実践的な分野で応用された。そして彼の著作が広く読まれ、教育機関で教えられることで、その思考が実践されるようになる。
イブン・シーナーは医学者として『医学典範』を著し、ヨーロッパでも長く教科書として使用された。始めは彼の医学理論は、実際の医療機関での治療に応用され、医学の教育機関で彼の理論が教えられ、そえrが広く実践に結びつくようになっている。
アル・ファラビは哲学者で、アリストテレスの著作を研究し、解説した。彼の思想はイスラム哲学の発展に大きく寄与した。彼の哲学的思想は、学問の場で討論され、後世の学者たちに影響を与え、彼の政治哲学は、理想的な国家についての議論に応用された。
イブン・ルシュドはアリストテレスの解釈を通じて哲学と宗教の調和を試みた。彼の思想は、イスラム法学と哲学の統合に寄与し、法学の実践に影響を与えた。著作はラテン語に翻訳され、ヨーロッパのスコラ哲学に大きな影響を与えたと言われる。
イスラム世界でも一部の宗教指導者や保守派からは、新しい思想や科学に対する抵抗があっている。保守的な圧力だ。新しい考え方や科学的発見は、伝統的な宗教観と対立することがあり。一部の学者は異端とされ、迫害を受けることが多かった。
そこに対して、知識や思想を広めるために、教育や翻訳活動が役立っている。概念は、ギリシャ語、ペルシア語、サンスクリット語の著作をアラビア語に翻訳する活動が盛んに行われ、マドラサ(イスラム教育機関)の設立により、知識が広範に普及している。
イスラム教の黄金時代においても、思考と実践の間にはギャップがあり、やはり時間と努力の結果、今を構築していた。振り返ると、広範な交易と文化の融合が、学問の実践を促進した。カリフや政府の支援が、学問の発展と普及を支えた。そして教育機関の設立と翻訳活動が、思想や知識の広範な普及に寄与した。更に、学者たちの努力と実践への応用が、思考を具体的な行動に結びつけたのだ。これらを整理すると、以下の要素が抽出される。
– 経済的繁栄と文化交流
– 政治的な支援
– 教育と翻訳(通訳)活動
– 者と実践者の努力
ギリシャ、インド、中国、イスラム。それぞれの国やエリアで発展した思考や哲学や宗教。それらの背景は豊かな要素があった一方、普及活動には相応の時間と努力があってようやく実践されはじめている。これらの学びから大企業や中堅企業が次の5年、10年を見据えた際の事業のポートフォリをを新たに作る際、新規事業を創造する際の学びと整理していきたい。
ポイントは、次の6つの項目だ。
– ビジョンとリーダシップ
– 社会的支持と組織的サポート
– 継続的な学習と適応
– 実践と試行錯誤
– 外部の知識と文化の取り入れ
– 長期的視野と短期的視野のバランス
まずは、ビジョンとリーダーシップの重要性だ。歴史的な事例では、孔子や釈迦、マハーヴィーラをあげた。これらの思想家は強いビジョンを持ち、そのビジョンを広めるためのリーダーシップを発揮している。新規事業を創造する際に、企業が明確なビジョンを持ち、それを全社的に共有することが重要だ。そして、そのビジョンを推進するリーダーが必要で、リーダーは変革を恐れず、困難な状況でもビジョンを追求する姿勢を持つべきなのだ。
次に社会的な支持と組織的なサポートだ。アショーカ王の仏教支援やアッバース朝の知恵の館は、思想や宗教が広がるための、社会的支持や組織的なサポートが重要だった。新規事業の成功には、組織全体の支持が必要だ。経営陣だけでなく、従業員全体が新しいビジョンに共感し、支援する体制を築くことが重要なのだ。一部の新規事業のメンバばかりが頑張っても行動が理解されないし、そもそも厄介者扱いされるのが関の山だからだ。そして、必要な資源(カネ、ヒト、ジカン)を適切に配分し、組織的に新規事業をサポートする体制こそが必要なのだ。
3つ目は継続的な学習と適応だ。イスラム黄金時代における翻訳活動や、儒教の普及における科挙制度など、継続的な学習と教育の重要性を確認した。事業では、市場や技術の変化に対応するために継続的な学習とトレーニングを文化として構築することが重要だ。そして、維持適用するためにも環境や市場の変化に柔軟に対応し、適応する能力を継続トレーニングしていくのだ。
4つ目は実験と試行錯誤だ。これまで列挙した多くの思想家たちは、理論と実践を繰り返しながら、思想を発展させている。一瞬の思いつきではない。時間と動力を積み重ねている。新規事業においては、小規模な実験を繰り返し、失敗から学びつつ改善を重ねるアプローチといえる。仮説検証を繰り返し、柔軟に戦略を修正する姿勢が大切だ。
そして、5つ目は外部の知識と文化の取り入れだ。イスラム黄金時代で見たとおり、ギリシャやインドの知識が取り入れられ、学問の発展に大きく寄与した。外部の知識や技術を積極的に取り入れることは、オープンイノベーションとして知られている。積極的に取り入れ、異なる文化や背景を持つ人材を採用し、多様な視点を取り入れることで、新しいアイデアや視点が生まれやすくなるのだ。
最後に、長期的視野と短期的成果のバランスだ。歴史からも学びは時間だ。多くの思想が広がるために、長い時間が必要だった。従い、短期的な成果に加えて同時に、長期的なビジョンを持つことが重要なのだ。新規事業の成功にもあてはまる。長期的なビジョンを持ち、それに向けた計画を立てることが本来の道筋だ。しかし、そればかりでは商売にならないので、一定の短期的な成果も欲しい。それにより組織内外の支持を得やすくなるのだ。
歴史的な哲学や思想や宗教の普及と実践のプロセスから得られる共通点を新規事業の創造に適用すると、以下のような戦略が有効だとわかる。
– 明確なビジョンと強力なリーダーシップ
– 組織全体の支持と十分なリソースの確保
– 継続的な学習と適応力を持つ文化育成
– 実験と試行錯誤を重ねた、柔軟な戦略修正
– 外部の知識や多様な視点の導入と活用
– 長期的ビジョンと短期的成果のバランス
これらの実践こそ、新規事業の成功確率を高めることにつながるのだ。
新規事業の旅119 学習性無力感を克服するアプローチ
2024年6月28日
早嶋です。
学習性無力感。要は始めはやる気まんまんで取り組むものの、徐々に上からのオーダーが正直厳しくなり、途中で思考停止になる現象だ。新規の取り組みでも既存の取り組みでも、このような体験を自分自身、あるは部下や同僚が経験しているのを観察したことがあると思う。
このような状態に陥った部下や仲間がいる時に、上司や先輩はどのようなアプローチをとるとよいか、整理してみた。今回は3ヶ月間のリトリートプログラムを提案する。チームで試しても良いし、自分自身で行ってもよい。
1ヶ月目:基礎の構築
2ヶ月目:行動の変革
3ヶ月目:継続と強化
の流れで実践すると良い。
1ヶ月目:基礎の構築
まずは、自己認識を高める取り組みから始める。その取組として、地味だが効果的なのが日記だ。と言っても、長々と書いても続かないので、その日の感情や考えを記録する程度で良い。できれば、仕事として管理下における状態で行ったほうがよいので、定時前に時間を決めて、ノートや共有ツール等に書き込んでもらう。
日記の重要性は、日々アタマの中で自分自身と対話している概念を自分の言葉で整理して記録することだ。そして、一定期間続けると自分の思考のパターンや癖を客観的に分析することができる。日記を書く目的はまさにここにある。
1週間から2週間程度立った時点で、自分の日記を一気に振り返る時間を設ける。その中から、著者(日記を書いた人)の傾向を分析する。おそらく否定的なワードが多く、出来なり理由や感情が繰り返し綴られるなど著者によって一定の方向性が確認できるだろう。
日記を書き続ける日々と同時に環境も整備する。本来は、家族や友人などの社会的なつながりのある人からフィードバックを受ける。しかし、今のように無気力になっている理由はそのフィードバックが無い、もしくは適切では無いからだ。社内で担当者や役割を決めて著者をカバーする環境を整備するのだ。理想は、その役割の方も同様に過去一定の苦労や苦しみから立ち上がった経験がある方が良い。理屈や理論と同時に、本人の一次体験の話も大いに参考になり、著者にとって良いフィードバックを与えることができるからだ。この相手をメンターとしよう。
日記の内容を週に1回程度、著者とメンターで一緒に整理して振り返る。ネガティブな感情や言動レベルに対してポジティブなフィードバックをメンターは与えることを意識しよう。同時に、毎日や日々の行動の中で取り組んだことを拾い上げて小さな成功として、積極的に認めていくことにも意識する。
2ヶ月目:行動の変革
基礎固めは継続する。慣れてきたら平行して環境を整備する。基礎の構築で、ポジティブなフィードバックと小さな成功体験の確認により、著者のマインドの変化に勢いつけるのだ。そして、2ヶ月目のフェーズでは一定の目標設定を始める。著者に、小さくても良いので、2週間から1ヶ月程度の期間で達成可能な目標を設定してもらうのだ。この際、メンターがリードしながら目標設定の手助けをするなど、状況に応じて対応する。この期間の目標は仕事でもプライベートでも何でも良い。毎日筋トレをするなどでも良いのだ。重要なのは、確実に行動し、確実に達成できる目標設定を試みてもらうことだ。
取り組みに対しては今まで通り日記を付ける。目標を設定して、それに対してどのように取り組んだか。どのような気持ちで取り組んだが。その後、どのような気持ちになったが。実際に取り組んだ行動に対しての著者の感情レベルを簡単で良いので日記に付けてもらう。これにより目標⇒行動⇒フィードバック⇒小さな成功体験のサイクルを繰り返すことになる。また、日記をつけることで内省化する力を高め自己効力感が高まってくる。
メンターは、毎週あるいは定期的に、その日記を見ながら、著者の取り組みや状況をフィードバックする。達成したことそのものより、著者が取り組んでいる行動にフォーカスしてポジティブなフィードバックを提供する。ここでも自己肯定感を高め、同時に自分の成功を自分自身に認識してもらい、自己評価を行う習慣を身に着けてもらう目的がある。
3ヶ月目:継続と強化
この頃より、著者に変化が現れる。そこで改めて問題解決の基本的な考え方やスキルを提供する。問題の設定、課題の特定、解決策の方向性と意思決定、計画と実行とフィードバックの考え方だ。この手のテクニカルなスキルは意識レベルが低い時にインストールしても効果が薄い。
問題解決の流れに沿って、本人の半年から1年間の与えられた目標を、自分自身の目標として設定し、現状の自分とのギャップ(問題)を明確にする。そして、その問題を複数の切り口で分解して、問題が発生するメカニズムを整理する。そして、問題を引き起こす要因(事実)を発見して課題として特定する。その課題を解決するための大きな方向性をいくつかの切り口で整理した後、それぞれの方向性に対してアイデア出しをして、解決策を選択する。その解決策を実行するスケジュールをつくり動いて検証を繰り返し成果を出すのだ。
メンターは、この問題解決の取り組みの中で、時には一緒に考え、時にはヒントになる質問をなげる。そして時には、合理的な考えばかりではなく、感情や本人のやる気にフォーカスして注意深くコミュニケーションを取り続けるのだ。定期的なチェックと適切なフィードバック。これが本来メンター、つまり上長が部下に対して行うべき取り組みになる。
3ヶ月の取り組みを見て感じて頂いたが、日常的にこの手のマネジメントサイクルを行っているチームの部下が学習性無力感を感じる可能性は低いだろう。つまりは、そのような状況に部下や仲間を追いやっているのは組織のトップや管理職に原因がある場合が高いと言えるのだ。
新規事業の旅118 学習性無力感
2024年6月26日
早嶋です。
経営企画や新規事業開発に配属すると心が踊る。事務方、いや企業全体の花形の職場だと思う。が、トップから常に無理難題が降りてきて、そこに向き合い続ける日々が始まる。血尿、十円ハゲ、意味不明な痛み、耳鳴り。ありとあらゆる症状を経験するが、2つの人種に分かれる。1つは無理難題が難しいほど燃えるタイプ。そして、どこかをピークに思考が停止するパターン。
無理難題を受け入れて実践に落とすタイプの共通事項は、自分やチームで管理できること、出来ないことに分けながら、管理できることに集中するなどの一定の思考や行動パターンを有することだ。また、思考の方向性や推察レベルでも、オーナーに確認をしながら適宜自分の意見をぶつけて議論ができる方だ。一方で、ピークを超えてやがて思考停止になるパターンは、全てを自分で抱え込み、自分が取り組まなかれば組織がストップしてしまうと考えてしまう傾向が強い。始めから出来ないことが一定あると割り切りながらも取り組む場合、全部実現しなければならないと決め込む場合。当然、後者の人種はどこかにピークがあり、突然、閾値を超えた瞬間に無力感や敗北感に襲われるのだ。
学習性無力感(learned helplessness)。心理学の概念だ。繰り返し困難や失敗を経験すると、将来的な成功や問題解決が出来ないと思い込み自信を失う状態だ。この状態になると、個人は自分の行動が結果に影響を与えることができないと感じ、状況が改善されても無力感を感じ続ける。結果的に行動を起こす意欲を失うのだ。
この概念は、米国の心理学者マーティン・セリグマン(Martin Seligman)によって1960年代に提唱された。セリグマンの実験では、犬を使った研究で、避けられない電気ショックを受ける犬は、やがてショックを避けようとする努力を放棄し、その後ショックを避けることが可能な状況でも、避けようとしなくなることが観察された。この現象をもとに、学習性無力感の概念が確立さていく。
学習性無力感は教育、職場、健康状態等に影響する。教育では、生徒が繰り返し失敗を経験するなかで学習意欲を失い成績が低下することが観察される。職場でも社員が度重なる失敗や否定的なフィードバックを受けると、仕事に対するモチベーションが低下し、パフォーマンスが悪化する。このブログを読んでいる方は、こちらの現象はピンと来るはずだ。そして、学習性無力感は、うつ病や不安障害などのメンタルヘルスの問題と関連していると言われ健康にも関連する。
もちろん、克服する方法も提唱されている。成功体験を増やすこと、プラスのフィードバックを適宜出すこと、問題解決スキルそのものの能力を積み重ねることだ。小さな成功体験の積み重ねは、自信の回復と自己効力感を高めることにつながる。プラスのフィードバックは、努力や進歩に対して肯定的なフィードバックを与えることだ。親や上司や先輩、あるいは友達や同僚の役割になるだろうが、一定のモチベーション(気持ち)を維持することができる。そして、気分そのものに加えて、根本的な問題解決スキルが大切だ。体系化された問題解決スキルを学び、実践を繰り返すことで、自分の行動が結果に影響を与えるという感覚が身につけられるのだ。
この手の探求を深堀りすると逆の考えを持つケースにも遭遇する。困難な状況をプラスに捉え、逆にやる気を出す人間がいるのだ。最近ややバズワードになっているレジリエンス(resilience)や逆境に対する心理的耐性として定義される。困難や逆境に直面したとき、それを乗り越えて成長し、さらに強くなる能力だ。
現在レジリエンスに関する研究で言われていることはいくつかある。まずは、ポジティブな認知だ。人からのフォードバックに頼らずに、自分で困難な状況をプラスに捉える能力だ。楽観的な思考やポジティブな自己対話を駆使して、困難に対する心理的耐性を高めるのだ。社会的なサポートだ。家族、友人、同僚などのサポートは、ストレスを軽減し、逆境に対処する能力を強化する。やたらと成果を出す人間で一匹狼はいても稀な存在で、そのような人はネットワークや仲間が多いのも事実だ。そして、柔軟な問題解決能力だ。やはりベースとして、創造的な問題解決やストレス管理の技術を持つことは、困難な状況に適応するのに有利になる。この技術は実は学ぶものではなく、遊びの中やスポーツなどの集団競技を通じて学ぶものも多いと思う。当然、問題が発生しているということは、一定の目標があることだ。そう、最後は目的志向が大切なのだ。明確な目標を持つことで、そこに向けて努力する。それ事態がモチベーションを維持し、困難を乗り越える力になるのだ。
今議論してきたように、思考を実践に移すためには、自分のモチベーション(気持ち)を一定に保つ、もしくは管理することが大切だ。その際のポイントは、
– 成功体験の積み重ね
– ポジティブなフィードバック
– 問題解決能力
だ。そして、レジリエンスを身につけるためには、
– ポジティブな認知
– 社会的なサポート(家族、友人、同僚、仲間)
– 柔軟な問題解決能力
– 目的志向
だ。
ここもで議論して、気づきを得た。先天的に物事を楽観的、詰まりポジティブに考える方は、そもそも学習性無力感を感じにくいということではないか。ここは教育でも環境でもなく、親や受け継いだDNAに感謝すべきだ。一方、その感覚が先天的にニュートラル、もしくはネガティブな場合、1990年以降の日本で幼少期を過ごしていれば、相当の努力や特異な行動を起こさないと、誰もが無力感に陥っていくと思うのだ。
1990年から、様々な変化や成長は在ったが、それが個々人の活動や私生活には反映されていない。失われた30年、40年という現象だ。この中では、既に満たされた環境にいるため成功することのイメージがない。むしろ失敗も無く、裏も表も、上も下もない状態で生活していた。従い、相当に変な環境や変わった思想がない限りごく平凡な生活を強いられたはずだ。結果、成功体験を小さく積み上げることがなかった。当然、変化がなければポジティブなフィードバックはなく、むしろ変化の少ない中で、ネガティブなフィードバックを何故か与えられ続けたのだ。小学校から大学に出るまで答え先行型、記憶先行型の勉強が当たり前だったので、問題解決能力は身についていない。問と答えが同時に存在して、記憶した答えに価値があると洗脳され続けたのだ。
と考えると、今、レジリエンスを強化するために、ポジティブな認知、社会的なサポート、柔軟な問題解決能力、目的が大切だと言っても響かないのだ。一方で、学習性無力感を感じない人種はますます成果を出し続け、どんな状況でもレジリエンスしていく。この状況下で情報が民主化して、AIが誰でも月20ドルで使えるようになったら、このギャップはもはや不可逆な方向にしか進まないのではないかと思うのだ。
仮に既にトップが何らかのレジリエンスの持ち主、そして生まれつき学習性無力感を感じないのなら、それはある意味、異常だと認知するのが重要だ。「なんで皆できないんだ!」と思う前に、「俺が異常だ、私が特異なのよ」と受け入れた上で、周りや部下や組織に寄り添うべきだ。100人の社員でも1000人の組織でも残りの99人、もしくは999人を変えるよりも1人が変わった方が早いし管理できる。トップが現場や社員や仲間に寄り添って、
– 成功体験の積み重ね
– ポジティブなフィードバック
– 問題解決能力
をすることが何よりのポイントなのだ。これを理解しないと、その組織は学習無力感の塊になると捉えた方が良いのだ。
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新規事業の旅117 実践の妨げとなる心の豊かさ
2024年6月25日
早嶋です。
近年は改めて豊かだと思う。前回は「足るを知る」について書いたが、実際戦国の世の中やもっと食料や水などの最低限必要なモノが手に入らなかった時期には、そもそもの感情や思考なんてなかったのではないか。つまり死ぬか生きるかの時にいちいち思考なんてしないのでは無いかと思う。
自分はなんて不幸なんだ。自分はできない。なんて思考の隙間があるってことは、すなわち、その時点でラッキーなのだ。生きるか死ぬかの間にいる人間が、そもそも思考する余裕が無いと思うのだ。
哲学の起源については明確な解釈がある訳はない。が、複数の文化圏や地域で独自に発展して、それらが多様に絡み合い、現在認識のように昇華したと思う。哲学と聞くと、古代ギリシャ、インド、中国など、複数の文明圏でほぼ同時期に発展している。それぞれ異なる形態を取り、一方で共通して「世界や存在」についての根本的な問いを探求した。
古代ギリシャでは、紀元前6世紀頃に始まりをみせる。タレス、アナクシマンドロス、ピタゴラスなどが初期の哲学者として知られる。彼らは自然現象や存在の根本原理についての問いを投げかけた。ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった後の哲学者たちは、倫理、政治、形而上などを扱った。形而上(けいいじょう)は存在や実在の根本的な性質、現象の背後にある本質、時間や空間の性質、物事の根源的な実在性などだ。物理的世界やそれらを超えた抽象的な概念について探求を1500年以上も前から議論していたのがすごい。
インドでは、ウパニシャッド哲学や仏教の思想が重要な役割を果たした。ウパニシャッドは、ヴェーダの後期の文献で、存在の本質や宇宙の根本原理についての探求を含む。仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(釈迦)は、苦しみの原因とその解消についての哲学的探求を行った。
中国は、孔子や老子が哲学の発展に寄与する。孔子の儒教は倫理や政治哲学を中心に展開し、老子の道教は自然との調和や無為自然を重視した。無為自然は、自然のままに、何も強制せずに行動することを意味する。その取組の延長で人と自然が調和し秩序を重んじる生き方ができると提唱した。
この手の哲学が生まれた背景はなんだろう。おそらく幸福な状態や最悪の状態という単一の状況があったわけではなく、多様な局面が絡み合い、それぞれが影響したのだろう。幸せな局面では、一部の人々が比較的安定した生活環境の中で、世界や存在についての根本的な問いを持つことから生まれた可能性が高い。古代ギリシャの都市国家は、ある程度の余裕がある市民が哲学的な探求をはじめている。一方、哲学は苦しみや困難な状況からの探求もある。仏教の教えは、人間の苦しみを理解し、その解消を目指すものだ。ただ、私の解釈はどちらも一定の幸せや満たされた状態を経てスタートしていると考える。釈迦はそもそも釈迦族の後継者で相当のボンボンだった。
足るを知るでも触れた通り、多くは老子の無為自然を実践した後にようやく悟れる、あるいは悟りの道を歩むのではないかと思う。生きるか死ぬかの状態では、基本的に何かと比較するなどの思想は生まれず、ひたすら自分の生死しか考えないく思考に余裕がないと思うのだ。あるいは、その状況の前に何らかの満たされた状態を体験、経験していて、それがトリガーとなり生死の状況に走馬灯のように整理されたのではないだろうか。
別の視点もある。哲学的探求は、宗教的・神秘的な背景からも生まれているという見方だ。ウパニシャッド哲学や道教の思想は、霊的な探求や悟りの追求から派生したとされる。しかし、その根本は上述の通り一度満たされた世界観があり、ふと周りを見渡す余裕ができ、脳とひたすら会話をした結果、悟りめいた思想や何らかの自然現象を霊的なそれと勘違いした解釈だと思うのだ。ということは、今の苦しみを感じている時点で実はラッキーで、その余裕が十分にあると言うことなのではないか。
企業に例えたい。人材が不足していると大きな組織は言う。もし本当に不足しているのであれば、仕事は回らず滞り、キャッシュフローがネガティブになる。そして破産する。しかし、実際はそのような状態が続いても3年、5年となんとかなっているのだ。つまり人が不足しているのではなく、実は充足しているだけで、最適な資源配置が出来ていない。人がたくさんいすぎて、皆誰かがやるだろう的な発想になっているのかもしれないのだ。そしてちょっとだけ「やばい」と思ったひとが少し余分に仕事をすることで成果は出るようになっているのだ。
既存の事業と新規事業の関係も同じようなものだ。今の事業が将来衰退する可能性が高い。従い、将来のヘッジのために今から2本目、3本目の事業を創出する。しかし、この大義で新規事業を起こしても実際は生まれない可能性が高い。それは、その企業に心の余裕があり、思考の余裕があるためだ。思考の余裕があるので、多大なるアイデアは出てくるが、瀕死の状態でもないので実際に行動を起こさないのだ。概念的な創造物は出来上がるが、それを実態としての事業に変えるためには心の豊かさだけでは不足するということだ。
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新規事業の旅116 継続は力なり
2024年6月18日
早嶋です。
新規の取り組みにも継続は必要だと思う。もちろん、ビジョナリー・カンパニーで在ったように、始めは大砲を打ちまくって、感触がある部分を探る。次第に、そのあたりの強い部分に資源を投下するという具合に一定の戦略を決めてからの動きに対してだ。この取り組みは最低でも3年から5年はあっても良いと思う。
一方で、既存の取り組みと同じ評価軸を持ち組織を構築して評価するため初めの1年、2年こそ忍耐力はあるが、徐々に短期的なアウトプットを求めるあまり、トップを変えたり、メンバを入れ替えたり。結果数年もしない内にメンバの中に初期メンバーが誰もいなくなるという始末。
事業の成功要因にこれという要素は存在しないだろう。しかし確実に複利の効果はあると信じる。毎日、毎週、毎月、毎年一定の継続的なワークを続け、一定の方向性(戦略)に対して数年単位で資源を投下するのだ。しかし、成熟した事業会社で新規事業を求める組織の多くは、そのような取り組みをしない。
ハーバードビジネスレビューや他の経営に関する紙面やジャーナルで掲げられている複利の効果は次の通りだ。
継続的な学びとインプットの重要性。既存事業に対しても当てはまるが、世の中は絶えず変化している。そのため毎日、毎週。少なくとも毎月の単位で継続的に新たな知見やスキルを身に着けながら組織をアップデートすることが大切だ。そしてその行為自体を強制力でおこなうのではなく、習慣化させ組織の文化として定着さえることが大切だと思う。
この考えは、バーニーのリソース・ベースド・ビューに近いものがある。企業毎に異質でコピペするのに時間と費用がかかる経営資源で差別化をとる戦略だ。日々学びアップデートする組織は理屈でわかっても、実際に自分たちの組織にインストールするのは困難だ。従い、それだけ強烈に意味のある取り組みの証左ともなる。
インプットばかりではない。アウトプットも大切だ。コンピューターの用語に、「garbage in, garbage out」がある。ゴミを入れたらゴミしか出ない。一方でゴミでも有用な情報でもデータベースに入れっぱなしでは役にたたないし、人だと便詰まりを起こしてしまう。そのため定期的にアウトプットして、その成果を定期的に検証して再び、戦略的なインプットを繰り返すのだ。
インプットとアウトプットの継続は、ベースとなる戦略が肝だ。戦略に基づいて一定の大きな方針と計画を示す。ただ既存の計画のように綿密にはできない。この場合の計画の肝は、リソースの確保だ。特に、新規の取り組みをするメンバーの時間を毎週、毎月確実に確保して、新規の取り組みに集中させることが肝だ。
多くの組織は、将来の投資に対してリソースをさけていない。結果、既存の取り組みをしながら新規の取り組みをさせてしまう。これを行うと、当然に過去に発生した問題解決をすることの方が簡単で、成果が目に見えて出てくるため多くの社員は時間を割く。また、将来の取り組みは中々成果が出ない。一方で社員の評価は既存の取り組みでされて、今の成果、直近の四半期の成果で行われる。馬鹿でない限り既存の取り組みにフォーカスするのだ。つまり、仕組みと資源の配分が悪い。これは計画とその管理が悪いのだ。
このように考えると、継続的な取組の裏には、「忍耐」「自己管理」「柔軟性」などの概念が見えてくる。この手の取り組みが得意な人は、そもそも大きな組織で働くのではく、自分の可能性を試すために早々に辞め、小さな組織か、自分で旗を上げて事業を立ち上げているだろう。
仮に、組織の中に一定数いるとしても、その人材は重宝がられて新規の先が見えない取り組みに配属されないのだ。結果、マネジメントもメンバーもなんとなくやっている雰囲気を出すことに手一杯で実際の成果につながらないのだ。
遠い世界の人たちだが、成功者は始めはただの凡人だ。毎日の取り組みが複利になってきいてきて、やがてその取組が簡単に模倣できなくなる。成功や努力を勝ち得たことが無い人間は他社の影の部分や努力にフォーカスせずに、今この瞬間に成功していることに目を向ける。そして一言「あの人だからできるのだ」「あの組織は特別だ」と言う。
が、皆特別なんかではない。初めての時が誰にでもあり、その人や組織が成果を出していないときは注目すらされていない時期が在ったのだ。それでも継続的に一定の方向性を試行錯誤しながら検証と実証を直向きに繰り返しただけなのだ。
ウォーレン・バフェット。バークシャー・ハサウェイのCEOであり、世界的に有名な投資家だ。バフェットは非常に若い頃から投資に興味を持ち、継続的に学びと経験を積み重ねてき。彼の投資哲学は「価値投資」であり、優れた企業を長期的に保有することだ。また、彼は日々数時間を読書に費やし、知識を常に更新していた。そして、あまり知られていないが、彼の資産が莫大なものになったのは60歳を超えてからなのだ。まさに継続的な努力の結果だ。
ジョフ・ベソス。アマゾンの創業者で、元CEOのジェフ・ベゾスは、1994年にガレージからオンライン書店をスタートさせる。インターネット革命は2000年頃からなので、彼の着眼点はすごい。しかし、ベゾスは長期的な視点を持ち続け、顧客満足を最優先に考え、技術革新を推進し続けている。また、失敗を恐れずに新しい挑戦を益属し、複利的な成長を目指した。我々が知る通り、アマゾンは書籍販売から始まり、現在では幅広い商品とサービスを提供する巨大企業となった。すごいのは、考えることができる事業モデルに実際に実践をし続けたことだ。
「GRIT」の著者アンジェラ・ダックワースは心理学者でもある。ダックワースは「やり抜く力(GRIT)」の研究に長年取り組み、成功するためには才能よりも情熱と粘り強さが重要であることを結論つけた。彼女は自身の研究から、教育やビジネスの現場での実践を推進している。今では、一定の人はGRITの重要性を認識し、長期的な目標達成に向けて努力するようになった。しかし、多くの人は「もともとから才能がある」「あの人は特別だ」という固定観念の思考を打破することができない。
ジム・コリンズ。「ビジョナリー・カンパニー」シリーズの著者だ。コリンズも成功する企業の特徴を長期にわたって研究した。継続的な努力と改善が企業の成功に寄与することを明らかにしている。彼の研究は、とにかく膨大なデータに基づいたアプローチで、企業の長期的な成長戦略の探求こそがコリンズの継続の証だ。
「継続は力なり」松下幸之助が言ったとされる。パナソニックの創業者で、経済界にも多大なる影響力のある人物だ。企業経営や人生において「継続することの重要性」を強調しており、彼の経営哲学の一部として広く知られた。
短い期間で成し遂げたことは、短い期間で他に追随されてしまう。日々の努力と忍耐の積み重ね。それを10年単位で状況に合わせて行うことが新規の取り組みの中でも大切な要素なのだ。
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新規事業の旅115 足るを知る
2024年6月14日
早嶋です。
龍安寺の知足のつくばいが好きだ。「吾唯足知」自分は満ち足りていることを知っている。満足を知る人は、貧しくても幸せで、逆に知らない人は金持ちであれ不幸だという考えを示す。中国の古典思想家で老子が語ったとされる(道徳経の33章)。現状に満足することの重要性を説き、今の充足した世界においてイノベーションを起こす際に、再考すべき概念だと思う。
足ることを知らなければ、常に満足することが出来ない。「足るを知る」の言葉の背後に、欲望を抑え、現状に満足することで幸福になるという思想がある。裏返すと、現状に満足せず、常にもっと多くを求める人は、永遠に満足を得ることができない。結果、幸せを感じることが難しいのだ。
老子は、欲望に支配されず、現在の自分の状況に感謝し、満足することが真の幸福への道だと考えた。この教えは、現在にこそ有用で、過剰な消費や競争社会の中での生き方に対する指針となると思う。
一方で、こんなことを思った。「足るを知る」を意図的に行った場合、結果、それは自分の欲望を抑えるという概念にならないかだ。自分の欲を隠し、自分は幸せで満足しているのだと、自分に嘘をつく。それで充足されるのか。考えるに、「欲望を抑える」という表現が、そもそもフィットしない。欲望を無理に抑え込むことは不自然だ。老子の思想の重要な点は、欲望を抑圧することではなく、欲望そのものの性質を理解し、自然にそれを減少させることと解く。
「足るを知る」は、欲望を完全に無くすことを求めない。むしろ、欲望の対象を適切に認識し、それに対する執着を減らすことで、内なる平和と満足感を得ることを目指すのだ。
例えば、近年の心理学にあるような心の在り方にも通ずるものがある。「自己認識」自分の欲望や執着を客観的に理解することを説く。「現状の受け入れ」現在の状態や持っているものに感謝し、満足することを説く。「自然との調和」自然の一部として自分を認識し、自然な欲求を持つことを素晴らしいと説く。欲望を無理に抑えこみ隠さなくて良いのだ。自然に理解し、受け入れ、執着を減らすことが大切だ。
独立起業して20年。確かにイメージできる経験が複数ある。まずはファッションだ。起業したての頃は、ただただ自分を良く見せたくて、仕立ての良い生地をオーダーし、あつらえのスーツで着飾った。徐々に機能的なファッションにフォーカスするようになり、同じジャケット、同じパンツ、同じシャツを着まわすようになった。他人と比較することもなく、仕事着として相手に不快感を与えず、何を着たいかを考えなくて良い状況を作りたかった。今は、ファッションへの執着がない。
次に車だ。当初は、移動手段として考えた。タクシーや公共機関の活用が最も合理的に感じた。子供が生まれた時、車が無いと不便だと思った。家族のタイミングで移動することが必要になったのだ。そこで車の購買を検討した。移動手段とタイミングを満たす道具として考え中古で十分、予算も200万もあればよいと考えた。いざ車を探し始めると、新しい情報がどんどんアップデートされ、予算は300万、400万、500万と上がっていく。面白いのは、購買価格を自分の都合に合わせて合理的だと思い込んだことだ。
当時、レクサスのISを中古で購入した。満足だった。二人目の子供が生まれるタイミングで、子供の自転車やベビーカーを運ぶ機会と量が増え、NXを新車で買い替えた。そして次はRX。オプションもモリモリつけた。そこで満足するかと思えば、面白い。満たされたのは買った瞬間だけだった。
実際、レクサスは最高だ。一方で他人が乗っている車も艶っぽく見えた。今度欲望を解放しポルシェに乗ってみる。最高だ。気分が上がる。しかし上には上がいる。良い車や高い車が良いのではなく、自分がいいと思った車が良いのだ。人と比較する必要はない。改めて気が付いた。高い車に乗る人は、素晴らしい生活をしているかどうかはわからない。その人の気分が高まっているかもわからない。しかし、資産とともに確実に負債を増やしていることは推察できる。そんな見方をするようになると、他人と比較するのが馬鹿らしくなった。自分が乗りたい車が最高なのだ。なんだか悟れた気分だった。自分の車に対する欲望を理解し、受け入れる。執着はなくなったと思う。今はイタリア車に落ち着いている。
老子の教えとしての解釈だ。欲望を隠し持つのではなく、それを自然に理解し、受け入れ、そして執着を減らす。これは、無理に欲望を抑え込むのではなく、心の中で欲望が自然に小さくなるような状態を目指すのだ。
ここでマズローの欲求段階説を思い出す。人間の欲を5つにジャンル分けした理論だ。原始的な欲は生理的な欲求で、食欲や性欲、睡眠欲を満たすことだ。次に安全の欲求を欲する。現代日本社会は、安全の欲求までは当たり前で、夜中に子供が一人で歩いても襲われることも無く、落とした財布もほぼ確実に手元に戻ってくる。雨風もしのげ、災害がおきても誰かが放置することはない。この2つの物質的な欲は、国民は充足されている。
3つ目は社会的欲求だ。学歴や組織に属したい欲だ。誰かの自己紹介を聞くと面白い。日本人は「どこどこ組織の早嶋です」と紹介する。アメリカ人は、「経営コンサルタントの早嶋です」と紹介する。日本人がより深く社会的なつながりの中を生きているのだろう。この社会的なつながりは、一定の努力や運が必要で物質的な欲と異なり、実は誰にも見えないし、当人がそのような欲を持っているなど誰も考えない。しかし本人は、「自分はこんなに地位が低い」とか勝手に考えている。仮に一定の組織やコミュニティに属したとしても、今度は4つ目の欲でなぜか誰かに認めてもらいたいと考える。「見てみて、すごいでしょう!」「すごいね!」的な儀式だ。承認欲求は、元来子供が親から注目を引いて安全を確保するためのツールだったと思う。成人した大人は自分で安全を確保出来ているわけだから社会からの承認を欲し無くても良いのだ。
「SNSをうんざりだ」と誰もが言いながら、垣間見ている理由はこの3つ目、4つ目の欲が関与しているのではないか。「私は誰とつながって、誰と食事して、誰と仲が良いのよ」まさに、自分の社会的なつながりを強調し、周囲から承認を得る動機が働いている。10年前は知りもし得なかった他人の社会的なつながりを見て、比較してしまう。勝手に優劣をつけて高揚し、不安になる。
しかし、そこも老子の教えのように自分の欲望を隠し、抑え込む必要はない。やりたいことをどんどん行い、欲望を隠すのではなく、徹底的に欲に従って行動するのだ。中途半端ではなく、腹いっぱいやりすぎるくらい。すると、その欲が何なのかが見えてきて、社会のつながりも、見ず知らずの他人からの「承認やいいね」もどうでも良くなるのだ。そして5つ目の、自己実現の欲求に到達するのだ。
冒頭、現状に満足することの重要性を説き、今の充足した世界においてイノベーションを起こす際に、再考すべき概念だと思う。ということで「足るを知る」から論考しているが、現状に満足すると新たなイノベーションや創発は逆に起きにくくならないだろうか。必要は発明の母なる言葉がそれを物語っているが。
しかし、現状に満足することが必ずしも新たな発想やイノベーションを妨げるわけではない。実際に、満足とイノベーションは共存でき、互いに補完し合うこともある。不安定な状態より安定した状態が創造性が高まる場合がある。満足は心の安定をもたらす。結果、創造性を促進するのだ。ストレスや不安が少ない状態だからこそ、自由な発想と柔軟な思考を勝ち得ることもある。
現状に満足することは、現状を正確に認識し、その上で改善点を見つける能力も高める。満足から発するポジティブな視点は、建設的な批判や新しいアイデアの発掘を促す。外発的な欲から自分の内から湧き出る興味や情熱に基づき行動することで、より本質的なアイデアが生まれることもあるだろう。
破壊的なイノベーションは結果論で、実は持続的なイノベーションを繰り返した延長にあるのではという見方もできる。それは無理に現状を否定せず、既存を尊重し、それに基づき新しい価値を創造することだ。「足るを知る」という概念は、無理な消費や過剰な開発を避け、持続可能な形での発展を可能にするのだ。
忙しい中で、新たな発想は出るだろうか。毎日を満たされた状態で心を休息させる。そのリフレッシュが新たな視点を生むこともあるのだ。休息とリフレッシュは、創造的プロセスにおいて重要な要素なのだ。
「足るを知る」中国の古典思想がルーツだが、似たような表現が英語であるか調べてみた。結果、英語圏でも広く認識され実践されていることがわかる。
満足は「contentment」で、「現在の状況に満足すること」という意味だ。「足るを知る」という概念に近い。「gratitude」は感謝の気持ちを表し、自分が持ち得るものに感謝し、それを価値あるものとして認識する。日本語でも馴染のある「simple」はそれこそシンプルな生活を追求することで、必要以上の欲望を持たず、現状に満足するというライフスタイルだ。他にも、「Enough is as good as a feast(十分なものはごちそうと同じくらい良い)」という諺もある。満足を知ることの大切さを強調する。必要以上を求めるのではなく、十分であることを喜ぶのだ。最近良く耳にするようになった「Mindfulness(マインドフルネス)」この実践は、現在の瞬間に注意を向けることで、心の平和と満足を得る手法だ。そして、哲学のルーツでもある「Stoicism(ストア哲学)」これこそ、欲望を制御し、理性を持ち現実を受け入れることを重視した思想だ。どれも「足るを知る」に非常に近しい概念だと思う。
ところで齢を取るとともに理解が深まることが多々ある。20年前お自分に「足るを知る」と言ったところでピンとこなかっただろう。20代までは欲の塊。欲しいし、食べたいし、遊びたい。そんな状態だったと思う。しかし、徹底して取り組むと何かしらの物寂しさを覚えた。そして仕事の楽しさ、仕事の本質を知ると充足されると思った。私の場合は会社を辞め、どれだけ自分の力で取り組めるかを試したくなり独立した。当初は自分のための取り組みが仕事だと思っていた。本当は相手のビジョン構築の手伝いであったり、相手の商売繁盛を支援することだと気がつくのは随分あとになってからだ。それから人と関わりながら長期間かけてビジョンを達成する取り組みが楽しくなり、仕事が軌道に乗り始める。
マズローの欲求に6つ目がある。自己超越。つまり、最終的には他者のために行うことで欲を満たすという考えだ。まさに利他の心だ。一方で気になることがある。今の若い人の中で、初めから人のために尽くすという取り組みを一生懸命されている方がいる。無心に相手のために取り組んでいるのだ。
確かに昨今の調査や研究では他に施すことで幸せを満たせるというのが明らかになっている。しかし、自分の欲が満たない時に、一足飛びに他社に尽くすというのが実は欲望を抑えているようにも見えてしまう。自分の欲望を自分と対峙しながら時間をかけて経験として身につける。その上での自己超越は意味がある。しかし未だ、内面が満たされない状態を埋める手段として利他の心を無理やり持つのは矛盾が生じる。
既にヘッドニック。トレッドミルの状態、つまり一定の給与レベルや基本ニーズが満たされた状態であれば、昇給や昇進をしても、爆買いしても一瞬は気分が高揚するだろうが、過ぎに元の鞘に戻ってしまう。そのような場合は、自分の内面に向き合って、やがてそれらを外に開放する。ここには順番に欲をにたしていくことが大切だと思う。それが欲望を隠し持つことではなく、自然に理解して、受け入れ、そして執着を減らすことなのだ。
再び古代ギリシャの例えを思いつく。素晴らしい人生の側面を2つに分けた。ヘドニアとユーダイモニアだ。ヘドニアは快楽中心の側面でユーダイモニアは特と意義を重視する側面だ。まさに社会的なつながりや側面を指す概念だ。
クレイトン・クリステンセンも「プロフェッショナル人生論」で「紙が私の人生を評価する物差しは、お金ではなく、私が関わりを持った一人ひとりである」と結論付けている。これらを網羅したフレームワークはPERMAモデルで説明しているので、別のブログを参照して欲しい。
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経営者QA リーダーシップ 育成
2024年6月12日
早嶋です。
リーダーシップについての考えと人材育成の取り組みについてのQAです。
Q:あなたに取ってのリーダーシップは?
(吉野家の安部社長)
言行一致。私はバイトから社長になった。嫌な上司は多数いた。「あの人のために」と思って仕事ができる人がいた。それは他の人のための貢献で、他の人の成果を喜べる人だった。これは単純に自分の幸福にもつながる。
相手のために尽くし、喜び、チームの成果を上げることが結果的に信頼とチームのエネルギーになる。マネジメントになれば、常に部下を介して成果を出さなければならない。組織は皆が100点ではなく、80点の社員もいれば60点、40点だっている。低い点数の社員を平均レベルに上げ、その方々が成果を出す支援をすることで、チームの底上げができる。
同時に、組織はリーダーを超えて取り組むことはできない。そのために部下の成長を促すと同時に、リーダーは常に成長する必要がある。早く自分の職責を見つけて取り組むこと。
(ジャパネット高田社長)
父はトップダウン。自分は異なる。ある時、姉が「静かなるリーダーシップ」をくれた。世の中を動かすのは、目立たなくて、地道に動かしている人。周囲の評価を期にしないで、地道にマルチタスクを行う人。常に15事業部の責任者と壁打ちしながら方向性を議論している。
Q:チームのチャレンジを引き出す方法は?
(ジャパネット高田社長)
日本は弱みを指摘するが米国は強みを強調する。リーダーは部下の強みを活用する仕組みをつくる。全員を一律引き上げることは考えないで、伸びる人に焦点をあてる。伸びる人には環境を与えて、頑張る人にはひたすら応える。意思のある人にフォーカスする。
何かを人に伝えるためには10伝えたければ、自分は常に50とか100くらいの理解を持たなければいけない。何か話をするときは、自分の言葉で伝える。メモをみても良いが、読むのは良くない。魂が抜けてしまう。自分の言葉で、相手の目をみて伝えることが大切。自分の頭で考えて、その瞬間の対話で生まれた言葉を発する。
組織は一定の2:6:2に従う。トップの2を徹底的にフォローして時間などのリソースを割く。しかし下の2には気にすること無く、特に攻めることもしない。
(吉野家の安部社長)
育成はおこがましいこと。書道などは一定の訓練を継続することで一定のレベルまでに確実に達する。チャレンジもにたところがあるが、ある段階からは、本人が気づいて取り組まなければ伸びない。そのために場を提供する。しかし強制はしない。自分の役割を与え、少し上の仕事に挑戦してもらう。
現場、現地、現物は大切。成長欲が強い人でも、次のステージにいくには今の能力では不足がある。評価する際は、良い点も伝えるが、伸び代や不足する能力も合わせて伝える。
上司と部下はすれ違うもの。見ている視点が異なる。互いになん?と言ってもしかたない。上司は、テーマや優先順位や方向性を明らかに示す。そこにコミュニケーションを介在させる。部下は優先順位の確認を行うようにしつける。上司の役割は部下の疑問を解消することに徹する。
やる気のスイッチを自分で押して貰う工夫を考える。環境は常に提供する。仕事に対しての制約要件を見つけてあげ、その要因や障害をなくす手助けをする。
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2代目ジャパネットタカタ
安部修仁語録
経営者QA(事業承継の際の覚悟、組織からの協力のポイント、大きな決断の覚悟の背景)
経営者QA 事業承継の際の覚悟、組織からの協力のポイント、大きな決断の覚悟の背景
2024年6月10日
早嶋です。
事業承継の際の覚悟、組織からの協力のポイント、大きな決断の覚悟の背景についての回答です。
Q:ファミリービジネスで先代事業を受け継ぐ際、どのようなことを考えるか?
(ジャパネット高田社長)
子どもの時から、父親を見て、楽しそうにしていた。途中で決めて、自分から社長になることを言っていた。社長になった際に、父から本をもらった。「カップヌードルをぶっつぶせ!」だ。色々著書にはメッセージがあったが、「全て創業者のモノだと思え」というメッセージを父は私に言いたかったと思った。何が良いかは全て他人の評価なので自分の軸を持つことが大切。
事業の流れを様々な角度から検証分背して、「見つける」「磨く」「伝える」という軸で事業をしていることを整理した。そして、次々にコアとなる部分を内製化した。コールセンター、プロモーションや企画等々。
(吉野家の安部社長)
松田さんのカリスマ、そしてセゾングループの流れ。世の中には変化して良いものと、いけないものがあると思う。変化して良いものは、存在や形があるもので、全てOK。一方で、変化していけないものは、想いやミッションなどの無形のもの。引き継ぐ際に、この無形のモノを大切にした。もちろん覚悟ははじめから在った。
Q:体制を引き継ぐ際に、組織からの協力を得るためのポイントは何か?
(吉野家の安部社長)
各々常に役割がある。そして働く対象がある。常にそこに貢献できるかを考えることが大切。誰のための仕事かを意識して、役割を認識する。そして組織としての機能体として活動することが信頼につながる。それが支えになる。常に何が課題かを考える。その課題を組織に共有しつづける。一見無駄と思える行動だが、そのような直接成果を出さないが、そのような取り組みが組織の協力のポイントになる。
(ジャパネット高田社長)
組織には若手が多い。何か仕事をする際は、直接1on1のメールをする。上司の役割は一つで、全てに応えることは出来ない。従い力まなくても良い。常に、チーム、課、部、事業が評価されることが大切。自分が取り組むことより、仲間が取り組むことが事業を大きくする。
Q:BSEでの経営の教訓は?大きな判断をする際の軸は?
(吉野家の安部社長)
取り組みは2つある。長期的な判断と短期的な判断。長期的な取り組みは長期の軸で判断を行い結果的に間違いが少ないことだ。BSEの影響を考えて短期的に牛丼を中止しても長期的には再開ができると考えた。再開の時期に向けて、短期的にはブランドイメージを失うよりも、他のメニューで代替することが結果的に勝ちを継続できると判断した。もちろん従業員を食べさせるための1年分のキャッシュがあることを確認しての判断。
(ジャパネット高田社長)
帝王学はない。社長は社員の数の5倍以上の人生の責任を負う。昨日右だったとしても状況の変化に応じて左と今日言えることは大切。長崎のスポーツ振興を意思決定した際に、500億のキャッシュは在った。37歳の今を考えて、将来を見ても、長崎に今と同じくらいの平野の土地はもうでない。だめなときはごめんなさいと言って、650億借り入れした。
(関連リンク:こちらも合わせて参照ください)
2代目ジャパネットタカタ
安部修仁語録
CSから新しいサービスを生み出す
2024年6月6日
高橋です。
私がコンサルティングをしている『営業プロセス研修』のエッセンスを、毎回お伝えしています。
今月のテーマは「CSから新しいサービスを生み出す」です。CS(顧客満足)はどの企業でも重要だと考え、日々取り組んでおられます。今回はそのCSお客様満足から新規ビジネスのヒントを得られた事例を取り上げます。
さて、改めてCSについて確認です。CS(Customer Satisfaction)は、顧客満足と言い、いかにお客様に喜んでいただきご満足いただくか、そのために何ができるのか考え、実践していくことですね。最近は民間企業だけではなく、自治体(役所)や公共機関でもよく研修をさせていただいています。
お客様は事前期待を持って我々の商品やサービスを購入いただきます。その際に、利用実感が事前期待通りだと「普通」、利用実感が事前期待を下回ると「なんだ、この程度か…」と「不満」となります。利用実感が事前期待を上回って「やっぱり良い!」となれば「満足」いただけます。これはリチャード・オリバーの期待不確認モデルとして有名です。
お客様の事前期待も利用実感も人それぞれです。ご満足いただける基準は様々である点が難しいですね。そこで提供側としては、お客様が求めておられるモノをきちんと把握し、そのニーズにあったモノを提供することを心掛けなければなりません。
昨今、価値観の多様化や成熟した社会におけるニーズの複雑化など、お客様のニーズをくみ取るのは至難の業です。時には「無理難題を突き付けてくるお客様」や「場違いで本来ではありえないであろう要望をされるお客様」もいらっしゃいます。元々悪意のある場合を除き、それらのご要望を「お客様がおかしい」、「お客様が間違っている」と処理してしまっては新しいモノは何も生み出されません。お客様の「ムリな」要望(と我々が思っている)の受け止め方次第で、新しい商品サービス誕生のヒントになりえます。
ここからは事例ですが、私が以前在籍した保険会社では、世界初のサービスをお客様のご要望を基に発明しました。
それはリビングニーズ特約と言うオプションです。保険金は亡くなってから遺族に支払われるのが当たり前だった当時、ある末期がんのお客様からこのような要望をいただきました。「自分は尊厳のある死に方をしたい」。つまり生前に借金や医療費をすっかり完済して、安らかに亡くなりたい、そのために生前に保険金を受け取りたいとの要望でした。それまでの保険会社の常識では亡くなってもいないのに保険金を支払うなんて考えられなかったでしょう。しかし会社はお客様の要望を真剣に受け止め、検討し、いずれ支払うお金なら先に払おうと決めました。これが世界初の生前支払サービス「リビングニーズ特約」の誕生経緯です。今ではどこの保険会社でも付いている特約です。
ひとつの事例ではありますが、お客様からの(ムリな)要望から新たな商品サービスを生み出した例です。
お客様からいただく要望を「そんなバカなこと、できないよ」と受けると何も変わりません。しかし、お客様の立場に立ってどうすれば顧客満足を高められるか真剣に考えると、新たな商品サービスが生まれる、つまりビジネスチャンスにつながると言えます。
お客様からの要望(もしくはクレーム)は宝の山とも言いますが、お客様の声やCSの観点から何か新たなビジネスチャンスがないか、今一度見直してみてはいかがでしょうか。
次回はCSのさらに上、CXについてご紹介いたします。今、企業はCXで競っているという話です。
営業プロセス、営業研修、人材育成、セールスコーチなどをご検討の経営者・経営幹部・リーダー・士業の方はお気軽に弊社にご相談ください。
2代目ジャパネットタカタ
2024年6月4日
早嶋です。
KAIL20周年記念の際の講演をベースに書き起こしました。ジャパネットタカタは創業者が65歳の時に、35歳の現社長が継承。創業者は完全に引退すべく、息子には自由に進めるように進言し、2代目は実際に相談せずに事業を進めている。現社長の役員経由で父から「本当に相談しないね」と言われた逸話もある。
現在のジャパネットタカタはスポーツと地域創生で事業を展開するミッションを掲げている。主力の通販事業は「見つける」「磨く」「伝える」というコンセプトに整理して、ほぼほぼ内製化して事業を進める。スポーツ地域創生はヴァーレン長崎を傘下にしたことをきっかけにスタジアムを中心としたまちづくりを行っている。
イベントを中心とした場合、平日の閑散が課題になるが、長崎の立地条件を巧みに活用して修学旅行を通年受け入れる施設として営業を開始している。更に、様々な取り組みも行い平準化をすすめる。オフィスは現時点(24年5月末)で9割が埋まり、商業施設は8割が決めっている。ここは不動産収入が確実に入ることから、残りはその収益を高めるための仕掛けを作ることになる。
通販事業は、従来のビックハイアからリトルハイアにフォーカスしている。商品点数はこれまでの約8,500点から1割の777点まで絞った。リピートする顧客の問い合わせにカスタマーサクセスが応えることができやすくなり、自前の修理部隊の効率等も劇的に上がった。「磨く」ことで「伝える」がしやすくなり顧客のリテンションにもつながっているのだ。
ハウスカードは現在85万人で、年に850万人の取引が行われている。また頒布会、いわゆるサブスク会員も15万人存在する。「見るける」を軸に、毎月の食材をバイヤーが仕入れ家庭に届けている。ここに対してもカタログを軸に4,200名(社員1,200名)のコールセンターできめ細かいフォローとサービスを提供している。もちろん物流も自部門で抱え、購買後のフォローを徹底しているのだ。
2代目の社長は、様々な取り組みを「やってみよう」という感じで高速でPDCAを回して実験し事業化している。長崎の地域開発にも、超VIP向けの会員制レストランを導入している。地方では成り立たないという謎のルールをことごとく破壊して創造しているのだ。
ジャパネットタカタは従業員の半数は女性で平均37歳。特徴は若手でも実力があれば大抜擢される人事だ。現在300人のマネジメント層がいるが、チャレンジして今の立場になっている若手も多い。当然、一部(8%)は昇格もあるが、その方々は腐ることなく、またチャレンジする工夫がある。
例えば、1泊2日の社員(全マネジメント)旅行では、人事と社長が人事テストの理解度テストを全マネジメントに受けさせて上位を入賞するなどの遊び心がある。グループ会社15社のマネジメントが福利厚生や会社の仕組みを理解して、従業員のフォローができるように考えた取り組みで好例となっている。マネジメントであっても16連休を必須にすることで、仕事を個人に貼り付けさせない工夫がある。
会議なども、9時から10時、14時から15時、18時以降は禁止にしている。残業はもちろん、定時内に会議を禁止させることで、考える仕事や作業に追われないように余裕をもたせ、不足する時間を効率的に取り組む社風を生み出している。
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