早嶋です。約3000文字。
ブランドというものは、目に見えないが確かに存在する。ショップでの威圧感や堂々とした店構え、広告の語り口、SNSでの露出、そのすべてが積み重なって「このブランドなら間違いない」という信頼をつくり出す。だが、その信頼が株価にどう関わるかとなると、話は一気に難しくなる。
インターブランドのような機関が毎年「世界ブランド価値ランキング」を発表している。S&P500を対象にした分析では、ブランド評価が上がった企業は株価にも一定の好影響を与えているという。ブランドを資産として扱い、組織的に管理している企業ほど、株主価値が高まりやすいという主張だ。数字としては整っている。だが、それだけで世界のブランドの動きが説明できるわけではない。
マンチェスター大学の研究者らは、もう少し冷静な視点を提示している。ブランドランキングに載ること自体よりも、「前年から評価が上がった」「ブランドの健全性が改善された」というニュースの方が株価に反応をもたらすというのだ。つまり、市場は状態よりも変化を見る。静止画よりも、動いている姿に価値を見出す。
この傾向は新興国でも確認されている。トルコの研究では、ブランド価値が前年より改善した企業の株価は、発表後数ヶ月にわたりプラスの異常収益を記録した。反対に、ランキングの順位が上がっただけの企業には、それほど反応がなかった。ブランドが改善されたこと、つまり「このブランドには伸びしろがある」と市場が感じたとき、初めて投資家の期待が価格に織り込まれる。
一方で、ブランド価値と株価が必ずしも比例しない理由も明快だ。株価はあくまで将来生まれるキャッシュフローの現在価値であり、ブランド価値はその一部に過ぎない。ブランドがいくら輝いていても、それが将来の収益や利益率の向上につながらなければ、株価には反映されにくい。しかも、人気ブランドほど市場で「割高」に評価されがちで、過大な期待が先行し、後に修正が入ることもある。この構造を理解すると、近年のブランド運営の方向性が少し見えてくる。
たとえば、ゴディバである。かつてゴディバは、贈答品の中でも特別な位置にあった。百貨店の最上階に構えたブティックの前で、人々は少し緊張した面持ちでリボンを選び、特別な日のために箱を抱えて帰った。
ところが今では、アウトレットモール、ショッピングモールの中、あるいはイオンの一角、さらにはコンビニエンスストアの棚にまで並んでいる。もはや「高級チョコレート」というより、「ちょっと高いチョコレート」だ。多くの人がそう感じていると思う。
この変化は、単なる戦略転換ではない。背後には資本構造の変化がある。ゴディバはもともとベルギーの老舗ブランドだったが、2007年にトルコの食品大手ユルドゥズ・ホールディング(Yıldız Holding)に買収された。その後、2019年には日本・韓国・オーストラリア・ニュージーランドなどの流通事業が、アジア系のプライベート・エクイティであるMBKパートナーズに売却された。つまり、所有者が変わり、経営の目的が変わったのだ。
創業家やオーナー企業のもとにあるブランドは、長期的な価値維持を優先する。流通を絞り、敢えて稀少性を演出する。しかし、株主がファンドに代わると、物語は変わる。ファンドは5年から10年で投資回収を行う必要がある。したがって、短期的に企業価値を引き上げるために、売上と市場占有率を拡大するのが最も合理的な戦略となる。ブランドがまだ希少と見なされているうちにチャネルを拡げ、認知を最大化し、出口戦略としての企業価値を押し上げる。
実際、ゴディバは価格を下げたわけではない。9粒入りや12粒入りといった定番商品は、10年前も今もおおよそ3,000円から5,000円台のままだ。価格帯を維持しながら、販売数量を拡大している。つまり「値下げによる大衆化」ではなく、「裾野の拡張」である。コンビニ向けの小包装やアウトレット限定商品、スーパーのギフト棚など、新しい販路で新しい客層を取り込むことで、全体のキャッシュフローを増やしている。
これこそが、ブランド経営の撹拌だ。ブランドの上澄みはそのまま残しながら、底の層を動かす。希少性を完全に手放したわけではないが、ブランドの空気感は確実に変わる。その結果として、かつてのような「高嶺の花」としてのオーラは薄れ、代わりによく見るブランドとしての親近感が広がるのだ。
そして、ここに資本とブランドの微妙な関係が現れる。ブランド価値が多少低下しても、売上規模が拡大し、キャッシュフローが改善すれば、企業価値(つまり株価)は上がる可能性がある。ファンドにとっては、ブランドを希少な美術品としてではなく、流動性のある金融資産として扱う方が都合が良い。ブランドの精神は少し揺らぐが、DCFモデルの上では数字が立つ。
つまり、価値を守りながら撹拌するという絶妙なバランスを探しているのだ。問題は、その先だ。短期的に企業価値を上げることはできても、ブランドの意味が薄れてしまえば、次の買い手にとっての魅力は落ちる。売上拡大と希少性維持の両立は、常にトレードオフだ。ゴディバのようなブランドは、いままさにその狭間で揺れている。
ブランドが直面する本質的な課題は、まさにこの希少性と流通の両立にある。市場に出回らなければ経済的価値は生まれない。しかし、広く出回れば出回るほど、ブランドは日常に溶け込み、特別さを失っていく。つまり、ブランドは常に「希少であること」と「存在を広めること」の狭間で生きている。
この構造は、芸術作品や宗教的な象徴とも似ている。モナリザが世界中の複製によって知られるようになっても、ルーヴルに飾られた一点の本物が失われることはない。むしろ、複製が広まるほど、本物の存在感は強まる。ブランドにも同じ原理がある。流通を拡げながらも、どこかに「触れられない核」を持ち続けること。それがブランドが生き延びるための条件だ。経営の言葉で言えば、これは「スケールとスピリットの両立」である。
規模を追えば効率が上がり、利益が安定する。だが、規模の拡大は同時に、ブランドがもっていた文脈や象徴性を薄めていく危険を孕む。逆に、希少性を守ろうとすれば、スケールの機会を逃す。この綱引きを、どの地点で止め、どの範囲で制御するか。それがブランドマネジメントの核心であり、経営の美学が問われる場所でもある。
だからこそ、ブランドは「均衡の芸術」なのだと思う。拡大しながらも崩れず、普及しながらも安っぽくならない。ゴディバのように裾野を広げつつも、どこかで手に届かない一点を演出できるかどうか。そこに、長期的なブランドの生命線がある。
ファンドが描く短期的なキャッシュフローの最大化と、ブランドが求める長期的な意味の維持。この二つのベクトルをどう整合させるか。
その試みの成否が、これからの時代のブランド価値を決めるだろう。なぜなら、ブランドとは単なる記号ではなく、「信じるに値する物語」だからだ。それがどれだけ多くの人に届いたとしても、最後の一滴の純度を失わないこと。そこに、希少性と流通の両立という永遠のテーマの答えがある。









