早嶋です。
(両利きの経営という前提)
企業が成長を続けるために抱えなければならない矛盾がある。それが「両利きの経営」だ。これは、既存事業を深化成長させる努力と、新たな事業を探索創造する取り組みを、同時に並行して進めることだ。前者は効率性、再現性、正確性が求められる世界で、後者は柔軟性、仮説検証、失敗からの学びが求められる世界だ。この2つは、性質も、必要とされる組織文化も、求められる人材の資質も異なるため、両者を一つの組織内で共存させることは簡単ではない。
この既存(深化)と新規(探索)のバランスを誤ると、企業は未来に対する成長の糸口を失ってしまう。実際に、安定した収益を出していた既存事業が、突如競合や技術革新に押され、あっという間に陳腐化してしまうことは、これまで何度も繰り返されてきたと思う。にもかかわらず、多くの企業は新規(探索)に向き合うことができない。なぜなら、新規(探索)は成果が見えにくく、社内の評価制度や資源配分の論理が、どうしても短期成果を求める既存事業に傾く構造があるからだ。
(新規事業が「探索」されない理由)
新規(探索)の役割を果たすために、多くの企業がCVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)やR&D部門を設置している。形式的には両利きの構造を備えているように見えるが、実態は異なる。一定期間(多くは3年から5年)成果が見えなければ、経営会議で「回収が不透明」「収益貢献が薄い」とされ、資源が再び既存事業へと戻されるのだ。
これは、「時間の非対称性」と「不確実性耐性の低さ」からくる。新規事業は本質的に時間のかかる営みであり、すぐにKPIが達成できるものではない。また、既存事業のように市場が整い、収益構造が明確になっているわけでもない。そうした前提に立って戦略を描くべきだが、短期で成果を出す前提で設計されるから、プロジェクトは頓挫する。しかも、経営者自身が新規事業のメカニズムに対する実体験を持っていないことが多く、正しい支援や評価が行われにくいのが現状だ。
資本主義が強すぎて、株主に対して四半期ごとに成果を示さなければならないプレッシャーもあるだろう。長期的に安定的にその企業を応援する株主は少なく、やはり自信の利益を確定するための株主は長期的な利益よりも短期的な利益に焦点がいくのである。ここにも矛盾はつきない。
(CVCの本当の役割)
本来、CVCは単なるファンド運営やスタートアップ投資のために存在するのではない。最も重視すべきは、既存事業が抱えている顧客課題、特に「顧客があきらめていること」「無意識に努力していること」など、いわゆる「ジョブ」を発見し、それを外部の知を活用することで価値創造を行うという点だ。
そのために、CVCチームはまず既存事業の顧客理解を徹底することが大切だ。顧客インタビュー、利用状況の観察、サービスの前後工程の棚卸しなど、多角的に顧客の業務や生活に踏み込み、潜在的な不満やニーズを抽出するのだ。そこから見えてきたジョブに対して、自社の技術やリソースで解決可能かを検討する。解決困難な場合は、CVCとして外部スタートアップとの連携を模索する。
そのジョブを解決出来そうなスタートアップを常に100社以上リストアップし、Zoomなどで対話を繰り返す。投資を前提にしたコミュニケーションではなく、ジョブ解決に向けた可能性探索としての接点である。もちろん、この際に、一企業担当者が連絡するよりもCVCとしてコンタクトをとったほうがスタートアップの対応は早い。
やり取りの中で感触の良いスタートアップはミドルリストに追加し、より深いディスカッションを経て、事業連携やPoC(実証実験)、出資に進むのだ。重要なのは、出資そのものではなく、「どのジョブに、どの技術が、どのように刺さるのか」という事業構造を描ききることにある。もちろん、CVCの機能にもリトルハイアにこそ価値がある。この議論を起点に継続的に事業部に価値を与える存在にスタートアップが出来るようにチームとして継続的に伴走支援するのだ。
(Dの意義と外部との共創)
R&Dの文脈で言えば、これまで多くの企業がR(研究)に注力する傾向にあった。たしかに、10年後の技術シーズを先行して押さえることは、競争優位の源泉となるし継続する必要は引き続きある。一方、D(開発)についてはどうだろう。Dは、研究成果を製品化・サービス化する過程とされるが、必ずしも内製化にこだわる必要はない。更に昨今の直近の成果を急ぐ企業のD(開発)の役割は、上市した製品の不具合を一生懸命こなす部隊として取組んでいる姿も多々観察できる。本来、両利きの経営を行うのであればD(開発)の役割にもフォーカスすべきなのだ。
つまり、顧客起点で見出した課題に対して、外部の技術やソリューションを「共に開発する」姿勢だ。CVCとR&Dが連携し、社外スタートアップと共に、仮説構築と試作を高速で回すことで、未来の事業の芽を作っていく。これは、従来の「自社で完結する開発」から、「越境して編み直す開発」への転換であり、まさにDの再定義といえるだろう。
特に両利きの経営を行ううえでの「D」は、既存事業の深化に寄与する改善的な開発ではない。探索活動と連携して顧客の未解決ジョブに対する新たな価値を生み出すという意味合いが強まるのだ。これは従来の「開発=研究成果の製品化」という直線的な発想とは異なり、「ジョブドリブンで外部知を活かして新しい文脈をつくる」という、より複雑で動的な開発プロセスを意味するのだ。私はこの点に気づき言語化できたことで、Dの役割をより広く深く捉え直す視点を持つことができた。
(経営者の学習能力と、時間の壁)
ここまで述べてきた構造は、理屈として難しくはない。にもかかわらず、なぜ企業は同じ過ちを繰り返すのだろうか。それは、「合理を阻む感情」と「時間の断絶」があると最近は思っている。
特に問題なのは、経営陣の交代による、探索プロジェクトの打ち切り構造だ。新規事業の多くは5年から10年かけて芽を出す。一方で、経営者の任期は多くの場合3年から5年程度だろう。交代した新体制が、前任の掲げたビジョンやプロジェクトを「自分ごとではない」として止めてしまうことが、実に多くの企業で起きているのだ。
さらに、一部の経営者ではあるが、ファイナンスや戦略、海外企業との連携といった重要なテーマについての知識や言語アレルギーを抱える経営者も少なくない。ここに、「学習し続ける経営者」と「思考を止める経営者」の分かれ道が生まれている。仮説を立て、自分の言葉で議論し、理解できないことに愚直に向き合う経営者は、組織の知性そのものを底上げしていく。だが、表層的な理解にとどまり、自分の専門領域でしか語らない経営者では、探索は続かないし、結果的に組織の衰退を招いてしまうのだ。
(時間をつなぐ役割)
我々、コンサルの仕事には、大きな役割があると思う。それは、「時間をつなぐ」ことだ。施策を導入することももちろん大切だ。そして更に、定着させることは行動を促し成果に直結する。変化を一時的に起こしても元の鞘に収まってしまう。そうではなく、継続的に育てることだと思うのだ。5年、10年という時間軸の中で、プロジェクトが途中で中断されないように、経営者が交代しても文脈が失われないように、組織の記憶として残し、橋渡しをする。それはまさに、未来に向けた「時間の番人」としての役割なのだ。
企業が本気で未来を創りたいと考えるならば、単に探索部門を設置するのではなく、その活動が持続するように、制度・評価・文化・人材・時間すべてをデザインし直す必要がある。そして、それを後押しする役割の選択肢に、我々のような第三者も存在しているのだ。
経営者が交代しても、顧客のジョブは続いている。探索は続けなければならない。ビジョンは続いているからだ。従い、我々はそれらを次代へとつなぐ文脈として設計し、受け渡すのだ。それが、「両利きの経営」における、もう一つの両利き──過去と未来をつなぐ仕事だと思う。