早嶋です。
一連のコロナの対応について思うことですが、「何とかして先に計画していたことを実行する。」という、なんというか気合と根性は素晴らしいと思います。
しかし、現在の状況を鑑みた時に、確率としては十分に考えられる「実行できない可能性についての対応をどうするか?」についてしっかりと議論をした上で気合と根性を示す。というのがより美しい作法のように感じます。
組織の特徴でしょうか。一度決めたことを変えることを悪とする。計画通りに実行出来なければ、なんとなくペナルティを感じてしまう。確かにそれは分かりますが、状況を考えた場合、計画通り行えないというプランBの存在は絶対だと思います。
リスクを回避するという前提で行うよりは、一定のリスクはあり、最悪の状況がきた場合の行動をどうするべきか?ということに対して普段から議論し準備しておくことが大切だと改めて感じました。
きっとこのまま上手くいくはずだ。という安易な気持ちは、持つこと自体美しいと思いますが、組織を運営するにあたって、その美しさだけではなんとも恥ずかしいとも思います。
2020年2月 のアーカイブ
後手の対応と何とかなるという発想
恐怖心と新型コロナ②
早嶋です。
スマフォの普及で情報の伝達が劇的に早くなった一方、その情報の真贋を見極めることが難しくなったと感じます。その一因にSNSがあるのでは無いでしょうか。
いわゆる煽りです。世の中で注目を浴び、かつ実名として表に出るわけではないし、それでいて何か損得をするわけでもない。なのになんだかちょっぴり注目を集めたい。というココロが悪さをしているように感じます。
ひょっとして煽っている本人は悪気がないのかも知れませんが、親切心か何かで流れた情報をパッと全体にシェアしてしまう。匿名性が強くても、ひょっとしてこれは!と善意があるのかも知れませんが、結果的にソースが不明なまま情報が独り歩きしている。受ける方も判断の基準を持ち合わせていない場合は、それを鵜呑みにしてしまうかも知れません。
あるいは、上記のような考えもなく、ただなんとなしに情報を闇雲に拡散して注目を浴びたいのかも知れません。リアルの世界と違って、特定されないし、実際に正論をその場で突っ込まれて議論になることも無いですし。結果、拡散している情報に何ら一貫性が無い方も多いのでしょう。
危険だなーと思うのは、皆提供された情報の一部をみて瞬発的に判断して感想をぼやいている点です。議論の過程や前提は度外視して、起こった結果のみを歪曲して判断してしまっています。逆に、悪意を持って、意図的に情報の一部を切り取り、その情報を拡散していく。何かしら社会を混乱させようとする悪意も強く感じることが多いです。
恐怖心と新型コロナ①
早嶋です。
一連のパンデミックは、コロナというよりも「得体のしれない何か」「見えない恐怖」などの恐怖のパンデミックになっていますね。わからないことに対しては、合理的に反応することが難しいので仕方が無いことでしょう。
サピエンス全史の著書ユヴァル・ノア・ハラリはパニックを傲慢の一形態だと指摘しました。その理由は次の通りです。「私はいったい世界がどこかへ向かっているか承知しているという、うぬぼれた感覚に由来する。当惑はもっと謙虚で、もっと先見の明がある。」と。
まぁ、基本的にこの世の中がどうなるかは基本誰もよくわからないし、そう簡単にコントロールすることは出来なよね。と考えると確かにパニックは傲慢に見えますね。
新コロナにかかると、イチコロということよりも、得体が知れず、感染したら実際どのような可能性をはらんでいるかがわからない。その死ぬかもしれないという可能性が無限に深くなっているところに恐怖が宿っていると思います。
一方で、現時点で共有されている情報を整理すると、
・新型コロナはインフルエンザの致死率よりかなり低い
・患者数も少ない
それでもインフルエンザの時は気にも止めなかった手洗い、うがい、マスク、咳エチケットなどの行動を皆が取りはじめています。
当然、インフルエンザの場合は経験値があり、感染した場合の程度も予測できるし薬もあります。それが新型コロナは薬もありそうなんだけど、まだ実態がよくわからない。ということがやはり恐怖を倍増させていると思います。
マーケティングを考える④
早嶋です。
SNSなどの台頭によって、企業は顧客とのタッチポイントを活用した取り組みが進んでいます。一方で、昔からの企業は未だにタッチポイントをマーケティング会社に丸投げしている状況を観察できます。そもそもタッチポイントとは、顧客が初めてその商品にふれるとき、その人が得る初めての印象からスタートします。
一方で、スマフォ経済がこれだけ盛んになっても、大きな企業はそのタッチポイントをスタートとして捉えないで、顧客への販売をゴールと捉えています。タッチポイントまでを一つの目的として行動を取っているのです。
サービス業では、タッチポイントは一瞬ですので、それがバイトであれ社員であれ、その体験がココロに残れば顧客は次の購買の動機がたかまります。しかし、タッチポイントいこうに対しての人件費のかけ方やマーケティングコストのかけ方はどこの企業もまだまだ低いです。未だに良い商品を開発することに集中しているのです。
顧客満足もしかりで、実際に顧客が満足するためには、タッチポイント以降の革新が必要で、そこにはココロを動かすことができる従業員が必要になります。そのため従業員の満足を上げることが大切だと気がついている企業もなかなか本気度がみられません。
実際は、もっと総合に尊敬しあう姿勢が大切だと思います。上と下の関係は役割の違いであって、本質的には同じ。現場に最も長くいる方々が自由に声を発してアイデアを出していくことができれば現場はもっと良くなる。責任の違いはあれど、。同じ土俵で考えて顧客をよりハッピーにすることを一緒におこななっていく。そんな姿勢がマーケティングでも大切になっていると思います。
データによって人の行動は理解できるようになりますが、人のココロはまだまだテクノロジーが進んでもダイレクトにみることができません。そこにはタッチポイントを上下させる従業員のココロが大切になってくる。そう考えると、近年のマーケティングは感動体験の共有という方針は理解しやすくなりますね。
マーケティングを考える③
早嶋です。
人の85%は無意識の世界に生きているといわれるように、実は顧客は購買する時にあれこれ考えていないのでは?というのが最近のマーケターの主張です。そのために行動データを分析すると同時に、その人がなぜ買ったのか?というのを、その人以上に知ろうとするマーケターの欲求が非常に楽しい世界に入ってきています。人は感情で購入する。ココロとアタマがあったら、アタマで考える以上に、ココロの決定によって左右されている。だったら、自然とココロを操っていこう。というのがマーケターの密かな思いなのです。
群衆をいかに動かすか。というテーマで言えば、戦時中に多くの人を動かす心理に似たような学問がマーケティングにも活用できる。正しい真理を普及させ、多くの人をその心理の虜にしようとする宗教活動にもにています。でも感情を扱うようになると、創造の世界が更に膨らむことは間違いなく、高度な技術と取り組みが要求されるようになってきます。
基本、機械の進展やAIなどのデジタル技術の融合により企業が提供する商品は、はじめこそ違いがあるでしょうが、普及期にはその違いは素人にはわからなくなります。違いがわからなければ価格の差で勝負が付きます。そうすると合理的に安く提供できる企業が必ず天下を取ることができます。はじめに始めた企業は時間的な経験値でコストを下げることができるでしょう。大量に提供する企業は規模の経済で安く提供することがでいるでしょう。結果的にその業界で資本が大きい、あるいは規模が大きい企業が生き残ります。
でも、これは感情がなかった機能の世界だけの話。そもそも商品の違いがわからないのに、高い価格でも売れるものは売れ、安くても売れないものは売れなくなる。今、そんな自体が観察される時代です。商品の印象や企業に抱くイメージによって同じ商品が、同じ機能が違って見えてくるのです。アタマで考えたら分かりませんが、ココロで捉えてみると、なんとなく解ったつもりになる分野です。
それは細かい気配りかもしれません。それはその企業の社員の独特の文化かもしれません。商品を作る際の環境に配慮した取り組みかもしれません。でもその何かが確実に機能以上に価値を創り出す功績を残しているのは事実です。それは何でしょうか。
しかし、ここで言えるのは、その価値を表現すること、そしてその価値を感じれる人に対して、正しく伝え続けること。その2つの取組みが大切になってきているのです。マーケティングの4Pの中で商品、価格、流通、販促の4つがありますが、商品戦略と価格戦略はどちらかと言えば価値を創り出す分野です。小売に対しては、その商品の展示や届け方を含めて商品でしょうし、営業のトーク一つとっても価値の創造になるでしょう。
一方で、それらをどのように顧客に対して伝えていくのか、どのように双方の考えを取り入れていくのか。これはコミュニケーションに関する取り組みです。感情は顧客に芽生える概念なので、顧客が感じれるように情報提供することが極めて大切になってきています。
顧客起点の捉え方もだいぶ考え方と手法が異なってきているのはこの感情を扱うようになった背景があると思います。
マーケティングを考える②
早嶋です。
日本人は自分の考えを整理して第三者に話をすることが苦手だといわれます。一方で米国人は話すぎると。他方から見れば欠点で一方から見れば利点になります。自分の状況を整理してありたい姿を規定する。そしてそこに向かうためのペインを明らかにして、打破するための策を考えて行動する。行動する前に何らかの策があるから、行動した結果、実際に有っているかいなかを確認することが可能になる。そしてブラッシュアップして、その学びを次に活かしていく。
このような術を身に着けていけば、たとえそれが他人の経験や行動で有ったとしても自分ごととして捉えて自分の思考を都度整理したり視点を変えて擬似的に考えることができます。他人の体験を疑似体験として自分のものにできるのです。マーケティングは本から学ぶと思っていましたが、実際に上記のような思考や考え方に陥れば、実は身近なものから、日常的に学び続けることができる分野だと気づくのです。
デジタル化が浸透しても、我々は1日に3,000から5,000ものメッセージを企業側から受けているといわれます。皆企業のマーケティング担当者が議論して考えただろうメッセージです。どのようにターゲットユーザーに届かせ、どのように認知を得て、どうやって購買の動機を誘い出すか。あるいは、購入者に対して、あなたの購買は正しかったという購買後の満足を引き出すか。等など。世の中はコミュニケーションにあふれていますが、それを意図的になんでそのようなことをするんだろうか?と問いかけ自分で考えるだけでマーケティングを学ぶことが出来てきます。
マーケティングは仕組みつくりです。その魅力は応用範囲が広いことでしょう。日常でも活用できるし、もちろん企業の戦略部門でも企画部門でも、スタッフ部門などでも、コストセンターである経理や製造だって同様に活用できる学問です。企業の価値を考え、商品の価値や立場を整理する。顧客の集合体である市場を創造して、いかに彼ら彼女らにハッピーになってもらうかを考える。市場を調査して、気が付かなかった気づきを言語化していく。顧客は何を考えているのだろうって。何を欲しているのだろうって。そもそも価値ってなんだろうって。
色々ものを買っていくと機能の違いよりも作りての想いが気になってくる。アップルのパソコンはスペックは確かに高いけれども、値段以上の機能スペックはあるとは思えない。でも買ってしまう。それってなんだろうって。しかしアップルの商品を沢山買う人は、その人から勝手にアップルの情報を引き出してかってに自らアップルのことを知るようになる。価値を提供するだけでなく、その価値を購入した人や興味のある人に届ける工夫もしなければならない。
顧客と言っても人口の数だけウォンツがある。しかも顧客の殆どが実際の自分の欲求を正しく言語化できていない。インタビューしたとてわからないし、実際に聞き出した内容は、あなたがインタビューしたからその場で思いついたのよ。というのが正しいかもしれない。だからと言って毎回、その人オリジナルの商品を提供していたら価格は恐ろしい値段になってしまう。
そこで市場を細分化する方法が考えられました。その人は何がほしいのか?なぜ買うのか?そのようなことを考える人はどんな特徴があるのだろう。似たような人を集めることができて、そのような人にリーチすると商売がしやすくなるし、その人達のウォンツを叶えることがでいるのではないか。双方に取ってハッピーだぞ。
マーケターはそれを実現するために、試行錯誤して、最終的にシンプルな言葉に整理していく。これは以前のブログでプロパガンダの手法でもあるのだけど、シンプルに、わかりやすいメッセージを繰り返すことで、その層の人達の記憶に残りやすい状態を作ることができやすくなります。
マーケティングに世界ではUSPと表現します。独自の売りのポイント。市場を分ける際に、分ける切り口が無ければ、独自のユニークなドメインを開発するのも一つの手です。エナジードリンクのレッドブルは日本での普及に栄養ドリンクでは歯が立たないことを理解して、独自ドメインであるエナジードリンクを創造しました。顧客の隠れた欲求を言葉にして、そこを結びつけて上げるのが上手なマーケターです。
マーケティングで市場の研究を徹底するのは、独自のドメインを開発することがゴールです。セグメンテーションでは市場を定義して、ターゲティングで狙うべき層を研究する。そしてポジショニングで独自のドメインを抽出、あるいは創造するのです。サントリーの黒烏龍茶は食べても食べた分くらいは太らない。という独自ドメインを獲得することに成功しています。健康食品の分野なのに食べても良いよ。という絶妙なポジションです。
STP戦略はいろいろなやり方があるけれども、それを独自に自分なりにアレンジして考えるのも楽しいものです。伝統的なデモグラフィック指標以外にも今はデジタル化の並で行動データに関連するデータを駆使してセグメントの切り口を自由にみつけることもできます。行動データだけでは見えない消費者の心理データを探るために実際の行動観察やインタビューを重視するマーケターもいます。どれが正解かは目的によって異なると思いますが、切り口がたくさんあって、メリットとデメリットが沢山ある。それらを自分なりに整理出来て使い分けることが実に楽しい学問です。
しかし、はじめから決めつけでターゲットを決定すると自分の思いつきから外れることは無いので、市場が無いか、有っても小さすぎの場合が多いです。ニッチで攻める場合は別として、通常の企業がマーケティングするには小さすぎることが一般です。論理思考ではモレなくダブりなく考えるでしょうが、STP戦略の考え方も同様です。最初から絞らない。自分の仮説をもちつつも、市場の研究ではできる限り視野を広げていく。そして分析と直感を行き来しながら絶妙な独自ドメインを創り出すのです。
そのためにセグメンテーションの切り口や変数を様々に変えるということをします。そのために、マーケターはいろいろな切り口を持ったほうが良いから、同業だけではなく他者や他業界、場合によって全く関係ない正解の事例や切り口を持ち出して融合して市場を創造していくのです。
ここには完全に自由な発想があり、遊びココロがある。しかし、一定のゴールや戦略の定義はしっかりと忘れないで、制約条件を見た上で思考を張り巡らせていく。実に高度でワクワクする遊び、いや仕事なのです。
マーケティングを考える①
早嶋です。
視点が変わると普段みている景色が変わる。そのためにアンテナの数を増やして複数の視点で見れるように日頃から訓練をする。MBAで最もワクワクした時に当時のマーケティングの先生、平久保先生が話していた言葉。マーケティングはものをみるためのレンズを変え、レンズを変えることで、対象物の心理まで捉える学問。そのために様々なフレームを知っていると便利だよ。と。
フレームワークには賛否両論あるけれども、それは知って使える上で言うべき議論で、知らなくて、使えないのにネガティブポイントを炸裂するのはあまり建設的では無いと思います。コンサルの会社を起こして15年位たち、様々な会社の戦略担当者や経営者と会ってきました。地頭で考える人もいるけれども、多くがバラバラの思いつきで、漏れだらけで、合理的でありません。従って、なんで上手くいかないのか。あるいはなんで上手くいっているのかを自分含めた他者に説明することができません。
経営は、ある種の再現性が必要でしょうが、それが分からないと継続は難しいですよね。確かに数億程度の売上であれば、何とか経営者の力技でこなせるでしょうが、富の分配を考えて、事業を継続しようと思えばある程度の再現性と標準化はあったほうが良いと思います。その時にフレームワークは役に立つでしょう。
ただし、フレームワークは万能ではないので、あくまで話を整理するきっかけや、漏れや抜けをだがすためのきっかけとして使い、一つのフレームで全てをまとめて整理すると考えないほうが私は無難だと思っています。そうすることで、経験や勘のみで進めてきた経営が整理され、考えの筋道が見えることで自分以外の第三者にも理解ができるようになります。
当然、百戦錬磨の経営者は、無意識の内に繰り返し考えて、それができるようになっているのでしょうが、それは日本の道(武道、華道、茶道など)と同じで、ある種の守破離です。型を知らないで型破りというのは有り得ないのです。型を知っているからこそ型を破ることができます。無いよりは有ったほうがよく、理屈もある程度は大切のなのです。
MBAは100年以上の歴史があり、米国だけでも10万人以上は排出され続けています。無駄であるはずは有りません。確かに教科書だけで、人の様々なケースを学ぶことは実践に役に立たないと考える人もいるでしょう。しかし、それを知っている人が実践を試行錯誤することを考えると、知らない人よりも少しは優位にたつのでは無いでしょうか。理論の重要性は、その理論を外しながら他に転用できるということです。
スピード✕100年人生=受け入れる
早嶋です。
人の思考は感情を先に通して始まるようです。従って、ココロはアタマに勝るというのが理にかなっていると思います。しかし長いこと同じことを繰り返してくると、新しいことを始めたり、受け入れることが難しくなってきます。きっとココロが先に反応して思考停止を作っているのでしょう。
しかし、今こそ素直さが必要になってくると思います。年を取って意固地になるのは致し方ないことですが、それだけでは将来が不安すぎます。受け入れるということは、人に取って長年積み上げてきたことを否定することになるかもしれないので、その辛さは想像できます。しかし、新しいことを受け入れなくても、せめて否定しない心構えは持ったほうが自分のためになるのでは無いでしょうか。
20年とか30年前までは良かったのです。しかし今は100年人生。昔は受け入れなくても変化がゆっくりで、気がつけばポックリ逝っていたので問題が少なかったのでしょう。100年人生に加えて、目まぐるしく世の中が変化して、そのスピードも非常に早いです。変わることができない、受け入れることが出来なければ、置いてかれるスピードが半端ない時代です。
受け入れなくても否定しない。これが新しい長生きのテクニックになるのでは無いでしょうか。相対的に同じスピードで動くことができれば変化はしません。変化を好まないのであれば、自分が変化し続ければよいのです。変わらないことは、変化し続けることなのです。
江戸時代の100年と1900年代の100年と2000年以降の100年は桁が指数関数的に異なっていると思います。そんな時代に過去の成功事例は役に立たないというのは明らかです。
今の開業を考える
早嶋です。
多くの業態が成熟期、もしくは衰退期に入っています。しかし、そのような時期でも新規に起業する方もいます。既にその業界で長年経営を続ける方からすると、起業の仕方についてやや不安視する人もいるでしょう。
先日、20年以上独立開業している歯科医院の院長とじっくり話す機会がありました。その歯科医院では定期的に代診のドクターを仲間にいれ治療や医療サービスを提供しています。そして、そのドクターはこれまで何人も独立してきたそうです。
今、歯科医院はコンビニの数よりも多く、昔と比べて虫歯になる子供が減ってきています。景気も低迷しているし、歯科業界もトレンドとしては下り坂です。ドクターが開業した当時1990年代と違い世の中は大きく変わってしまいました。
更に、現在は人生100年時代に突入しました。ドクターが開業した当時の先輩ドクターは60歳で定年して80歳の人生でした。それが今は100年です。60歳で定年しても40年もの時間があるのです。20年の追加は人によっては恐怖でしょうね。
昔の成長期の勢いで収益が出れば良いですが、今はなかなか収益が伸びません。借金して開業してもなかなか減らず、高齢になっても仕事をこなさないといけなくなりました。しかし年齢を重ねると体力の衰えもあるでしょうから、若い時と同じようなパフォーマンスを発揮できるかという不安が多いといいます。
更に20年前と比較して明らかに時代の変化やスピード感が異なっています。レントゲンはアイパッドでデジタル化され、撮ったその場から患者と自由にコミュニケーションしながら患部の確認ができるのが当たり前です。フィルムの世界とは次元が異なります。歯の設計もPCベースで技工士の仕事そのものが不要になっています。削る作業も機械が行い、歯の型を粘土で取る手法も光学スキャナで置き換わりました。デジタル化によって熟練工の技術の差がなくなり、誰でも一定以上のスキルを簡単に安価に早く身につけることができるようになったのです。
100年人生、圧倒的な時代の変化、そしてデジタル化による技術の差異がなくなる今、昔と同じ発想ではそもそも取り残されるのが当たり前です。そのため変化を受け入れ、あるいは楽しむ余裕が必要です。柔軟さが無ければ、きっと次の10年を乗り切ることは極めて難しくなるのではないでしょうか。そんな話が付きませんでした。
歯科医院の平均売上は3,600万円/年といいます。借金が無ければ何とかなるでしょうが、借入が一定あれば結構辛い数字です。不動産が高騰して建築コストも上がっている中、テナントで開業しても開業費用は7,000万から8,000万円かかります。果たしてローンを返済できるのか?ともう少し数字のシミュレーションを行ったほうが良いのではと心配してしまいます。
地政学的な視点③
早嶋です。
地政学にはいつくかのポイントがあります。何かを考える際のベースです。
例えば、
●抑止
攻撃した相手に対して、それ以上攻撃させないこと。あるいは、そもそも攻撃させないことです。抑止力があれば、相手は恐れて攻撃を取りやめる方向に動きます。社会通念として政治問題の軍事解決は結果として双方の利益よりも負担が大きい。という理解があれば互いが納得する。というのも抑止力になっています。
現状の抑止力のポイントは3つあります。
①十分以上の武力と行使する手段を自国や同盟国で保有していること。
②必要に応じて武力を行使するという政治的な意思が見えること。
③敵に対して武力があり自国安全のための行使も辞さないと伝えること。
です。
当然に上記①から③を備えても、相手次第でどうにもならない。ということで、ゲーム理論のように、本当は均衡が美しいのでしょうが、相手に伝わらない国。つまり交渉が出来ないような一方的な国にとっては少しルールが難しいでしょうが、上記のポイントを鑑みて他の国々の動きを見れば理解は早くなります。
●隣国のいじめ
隣人を貧しくさせる。という戦略は昔から取られていました。弱体化させる手段は政治、経済、外交、軍事など問いません。米国にとってメキシコの存在は少し厄介です。1.25億の人口で増加率は米国を凌ぐ。あと10年もすれば世界トップ10にはいる経済国になる可能性があります。大量の天然資源、特に石油の埋蔵量と観光資源も持っています。それなのに人件費は1割から2割り程度なので米国は真面目に競争したくない相手です。
地政学をみていけば隣国と仲良くしたいと見せかけて、実は一番バチバチ敵視している、一番弱い相手にしておきたい。というのは歴史が証明しています。
●間接支配
実は支配している。そんな状況を作るのが理想の一つです。オリンピックも映画の世界も音楽の世界も実は米国の影が・・・。というような考えだとわかりやすいでしょう。
1949年、ペンタゴンはエンターテイメント産業と軍事の協力におけるマニュアルを作成しています。国内においてもマスメディアを通じて操作をするという動きは一定あることはご存知でしょう。無論当時の米国においての目的は米国の軍隊のイメージを良くする印象操作です。
一定の条件を満たせば、軍事基地、戦車、潜水艦、空母、戦闘機、兵士に至るまで使わせてもらう。製作者からするとリアルの追求と同時に制作費の大幅削減が見込めるわけです。使わないては無いよねということで双方の目的を達成しながらも間接的な支配を深めることを行っていました。
現在の中国武漢から始まったパンデミックは、実態が明らかになると、インフルエンザよりも影響力は小さいようですが、一方で得体の知らない恐怖という意味においては非常に影響力が強いです。これを意図的に間接支配の目的で使っているとしたら恐ろしいですね。ただ今の所最も被害が大きいのは中国で国家主席からすると国のメンツを潰す最大の危機ですから意図的にとは考えにくいですが。
間接支配の中で人の中の恐怖をコントロールすることができればその組織は活用するでしょうね。恐怖心をコントロールできれば、人民は確実に動くようになりますよね。戦国武将の次代も、ナチスの事例も、場合のよっては今の北の事例も。
恐怖心によって操られた人民は政府が安全安心を約束するなら他の自由や基本的な保障を犠牲にしても構わない。それで家族が安全安心に過ごせるならば。となるでしょうから。ブッシュ政権はテロ国家に対して真っ向勝負することで恐怖心を強烈な軍事力で抑制しようと試みました。軍事力と恐怖心の関係も我々がいきている間で実際に観察することが出来ていますよね。
●大衆操作
間接支配するためには民衆の多くを操るということが考えられます。最も簡単な内容は「わかりやすいスローガンを繰り返すこと」でしょう。例えばそれが真実でなくとも、群衆に対して繰り返しスローガンを問い続ける。
基本的にはプロパガンダが相当するでしょう。実際は政府にとって有用な情報を構築するために世論を操作することを指しますが、歴史を振り返ると度々繰り返し活用されています。プロパガンダのポイントは次のとおりです。
1)噛み砕いてシンプルに。1つの思想を1つの言葉で1つの象徴で繰り返す。
2)全ての逸話を結びつける。
3)不都合な情報はねじ伏せる。敵に有利な情報は当然に隠す。
4)常に満場一致の印象を創り出す。
です。
うーん、どこかの国で同時に行われていますよね。
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