恐怖心と新型コロナ①

2020年2月24日 月曜日

早嶋です。

一連のパンデミックは、コロナというよりも「得体のしれない何か」「見えない恐怖」などの恐怖のパンデミックになっていますね。わからないことに対しては、合理的に反応することが難しいので仕方が無いことでしょう。

サピエンス全史の著書ユヴァル・ノア・ハラリはパニックを傲慢の一形態だと指摘しました。その理由は次の通りです。「私はいったい世界がどこかへ向かっているか承知しているという、うぬぼれた感覚に由来する。当惑はもっと謙虚で、もっと先見の明がある。」と。

まぁ、基本的にこの世の中がどうなるかは基本誰もよくわからないし、そう簡単にコントロールすることは出来なよね。と考えると確かにパニックは傲慢に見えますね。

新コロナにかかると、イチコロということよりも、得体が知れず、感染したら実際どのような可能性をはらんでいるかがわからない。その死ぬかもしれないという可能性が無限に深くなっているところに恐怖が宿っていると思います。

一方で、現時点で共有されている情報を整理すると、
・新型コロナはインフルエンザの致死率よりかなり低い
・患者数も少ない
それでもインフルエンザの時は気にも止めなかった手洗い、うがい、マスク、咳エチケットなどの行動を皆が取りはじめています。

当然、インフルエンザの場合は経験値があり、感染した場合の程度も予測できるし薬もあります。それが新型コロナは薬もありそうなんだけど、まだ実態がよくわからない。ということがやはり恐怖を倍増させていると思います。



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