早嶋です。3300文字。
人は、自分の意思で将来の道を選んでいるように見えて、実は「周囲の人がどう生きているか」に大きな影響を受けている。これは「ピア効果(peer effect)」と呼ばれ、心理学や経済学、社会学の分野でも広く知られた概念だ。
たとえば、東京の23区内で育った人の多くは、幼少期から「良い中学に入り、受験を勝ち抜き、偏差値の高い大学へ進み、名の通った企業に就職する」という道が、ある種の人生の王道として刷り込まれている。これは親や先生、友人の家庭など、周囲の人々の多くがそのような選択をしていることによって形成された見えないレールであり、本人が自覚していなくても、知らず知らずのうちにその道を歩むことが当然のように感じられる。
一方で、地方で育った人たちには、異なるピア効果が働いていることが多い。親や親戚が地元で商売をしていたり、農業や漁業、あるいは地域の行政に携わっている姿を見て育つと、「自分も地元のためになることをしたい」と考えるようになる。大学進学よりも地元での就職や起業、地域活性化に関わる仕事に魅力を感じるようになるのだ。
このように、同じ日本という国に生きていても、置かれた環境や地域コミュニティの文化によって、人生のロールモデルはまったく異なる形で刷り込まれていくことになる。
かつては、都市と地方では、手に入る情報量に大きな差があった。新作の映画、話題の本、最新の音楽やファッション、教育コンテンツなどは、まず都市に集まり、地方にはずいぶん時間が経ってから届くものだった。私が子どもの頃を振り返っても、「少年ジャンプ」は発売日よりも遅れて水曜日に店頭に並び、「笑っていいとも」は夕方に録画で放送されていたのを覚えている。
しかし、今は違う。スマートフォンと高速インターネット、そしてNetflixやSpotify、YouTube、Amazonといったサブスクリプション型のプラットフォームの普及によって、全国どこにいても、ほぼ同時に同じ情報にアクセスできるようになった。東京にいなくても、地方にいながらにして、世界中の知識やエンタメをリアルタイムで享受できる。
このような情報の民主化によって、「あえて都会に行かなくても良い」という発想が、地方に住む人々の間に自然と広がってきている。一方で、都市に住む人たちは逆に、「便利すぎる日常」や「人混み」に疲れ、自然や静けさの中で暮らす地方のライフスタイルに憧れるようになっている。二拠点生活やワーケーションといった新しい生き方が注目されている背景には、こうした価値観の流動化がある。
つまり、かつては場所によって固定されていた「生き方の選択肢」が、今では個人の意思と工夫によって、自由に越境できる時代が訪れつつあるのだ。
こうした時代において、子育てにおいて本当に大切なのは、「あらかじめ用意された正解」を一方的に教えることではないと思う。むしろ、子どもにさまざまな地域の文化や、異なる生き方を見せること。そして、「どれを選んでもいい」「自分の頭で考えて、自分なりの道をつくっていいんだよ」と伝えることこそが、これからの教育に必要な姿勢ではないだろうか。
そのためには、やはり実際に“生きた情報”に触れる必要がある。テレビやSNSで得られるような断片的な情報ではなく、現地に足を運び、人と話し、その土地の空気を肌で感じることで初めて、深く理解できることがある。子どもたちにとっては、それが「自分の人生を考える材料」になる。
この視点を持って街を眺めてみると、まちづくりが人々のライフスタイルや価値観にいかに影響を与えているかが、より鮮明に見えてくる。
たとえば岡山では、岡山駅の隣に巨大なイオンモールが建設されている。これは偶然ではなく、意図的な都市設計の成果だ。もともと駅前に存在していた人流と、モールの集客力をうまく組み合わせることで、駅周辺に新たな賑わいを生み出している。また、岡山駅から後楽園に向かって続く通り(「県庁通り」や「シンフォニーロード」と呼ばれるエリア)では、あえて車線を減らして一方通行とし、歩行者が安全かつ快適に移動できるように設計されている。その結果、百貨店や県庁に向かう人々の流れが「歩くこと」を前提とした空間として機能し、地域の商業施設や文化拠点が点ではなく線で結ばれるようになっている。
このように、「人がどのように動くか」「どこで滞在し、どこで回遊するか」を前提に設計された街は、時間をかけて自然と人を引き寄せる。歩くことに意味があり、動線としての美しさと機能を両立している都市は、やがてその街全体の記憶や魅力を育てていく。
一方、長崎はやや異なる軌跡をたどっている。かつて賑わいの中心だった浜の町は、路面電車やバスといった公共交通の便が非常によく、多くの人が徒歩で行き交う繁華街として機能していた。しかし、駐車場が狭く、車でのアクセスには不便があった。そうした事情もあり、やがて大波止エリアや浦上エリアに車でアクセスしやすい大型のショッピング施設が次々と生まれ、さらに宝町にスタジアムシティという大規模な開発が完成すると、浜の町の地位は相対的に低下していった。
この変化の背景には、地方の多くが「車社会」であるという現実が横たわっている。日常的な移動手段として自家用車が不可欠である以上、駐車スペースが広く、施設内で複数の用事が完結できるようなモールの方が圧倒的に使い勝手が良い。人々の選択基準は、もはや“便利さ”そのものになっている。
佐賀もまた、同じような構造を抱えている。佐賀駅の周辺は整備されているものの、もともと商店街が形成されていたエリアは駅からやや離れており、徒歩でのアクセスには不便があった。そこへ、高速道路のインター近くに大型のモールが開発されると、人の流れは一気にそちらへと移ってしまった。アクセスの良さ、駐車のしやすさ、そして一箇所で衣食住の用事をまとめて済ませられる利便性――それらが現代において人の動きを決定づけている。
そもそも商店街とは、その地域に住む人々が日々の生活に必要なものを、徒歩や自転車で手軽に買い揃えるための場所だった。八百屋、魚屋、クリーニング店、文房具屋など、顔の見える商売が並ぶ、生活と密着した場である。
しかし今や、そうした構造は現代のライフスタイルとズレを生んでいる。共働き世帯の増加によって、平日には買い物に行けず、週末に車でまとめ買いをするスタイルが主流になってきた。大型モールで衣食住のすべてを一括で済ませるほうが効率的だと感じる人が増えているのだ。
さらに、商店街は縦に長い一本道で構成されていることが多く、複数の目的地を回るには歩く距離も時間もかかる。駐車場の数も限られている。その結果、商店街は利便性でモールに劣り、人が来なくなり、店が閉じ、さらに人が来なくなるという悪循環に陥ってしまっている。
こうした街の変化や、人々の生活実態を正確に理解するためには、現地に足を運び、実際にその土地の人と話し、生活の現場を体験するしかない。しかし現実には、東京、特に霞が関に勤務する行政官や政策担当者が、画一的な「地方像」をもとに、2次情報だけで政策を立案し、それを全国一律にコピーして展開している例も少なくない。
だが、「地方」と一括りにされる地域も、それぞれにまったく異なる事情を抱えている。交通インフラの整備状況、生活リズム、地域産業の構造、そして地形や気候の違い。こうした要素が複雑に絡み合い、各地域に固有の人の流れを形成している。これらを無視したテンプレート政策の押しつけは、地方の自律性を奪い、むしろ再生の芽を摘んでしまう危険がある。
地方にも、都市にも、それぞれの生活があり、それぞれの価値がある。問うべきは「どちらが優れているか」ではなく、「どのような生き方が、自分にとって幸せか」という視点だ。
そのために必要なのは、生きたロールモデルとの出会いであり、自分の目で現実を見て、自分なりの問いを立てる力であり、そして「自分の正解を、自分で決めていい」という許可を、自らに与えることなのだと思う。