人間の価値

2022年2月21日 月曜日

早嶋です。

デジタル化が進むと人の価値が更に向上するでしょう。

現在、ありとあらゆるデータがIoTと通信とクラウドの発達により蓄積されています。そしてそれはリアルタイムにどんどん増大しています。それからコンピューターの性能向上とAI技術の進出によって、それらのビックデータは絶えず分析され何かに活用する取り組みが進んでいます。色々と見えなかったことや、わからなかったことが、どんどんわかるようになっていき、その発見のボリュームとスピードと精度は指数関数的に広がりを見せています。

同時に、人間の脳を凌駕する取り組みと研究と実験も繰り返されています。業界では、コンピュータが人間の脳を超えるタイミングが2035年から2045年の間に到来すると言います。仮にその瞬間が来た場合、その瞬間から一気にコンピュータの思考が指数関数的に伸びるので人が思考する役割が終わりを意味する。というのがシンギュラリティ一派が唱える考えです。

しかし、本当に到来するのでしょうか。例えば、画像処理の取り組みで、一枚の画像が「猫」という情報を学習させる。それから同様の画像を1,000枚くらい読み込ませて「猫」の画像から特徴を覚えさせます。そして、徐々にたくさんのデータを読み込ませてAIにその画像が「猫」か否かを判定させます。はじめのうちは誤った判定があるので、そのときは都度、人間が正解をAIに叩き込む。すると正答率が徐々に高まります。最終的に100%に近い確率で猫の画像を指摘します。

では、実際に我々が特定しているようにその画像を「猫」と捉えることができるか?と言えば、おそらく「猫」という人間が概念化した情報と紐づくことを答えている。というのが正解だと思います。例えば、子供が猫と言い当てた場合、多分自分の記憶と結びつけて、かわいい表情や動作を思い出すでしょう。また、僕が小学生の時のように、猫にいたずらをしてその猫から爪でひっかけられた苦い思い出を想起する人もいるでしょう。しかしAIが捉える猫は猫でしかなく、そこには何の意味も無いのです。

重要なことは、我々が「猫」と捉えた場合、それは猫であり、様々な猫が現れますが、AIが捉える猫は文字通りの猫であり、我々が概念化する猫では無いのです。

コンピューターが弾き出す答えはまだアルゴリズムの範疇で、我々が考える猫はややヒューリスティックも含まれます。これは、心理学的な用語で、必ずしも答えではないけれど、それが経験や先入観によって直感的に、ある程度正しい答えを得ることができる思考方法です。当てずっぽうを続けているうちに、その精度が良くなって、結果的にいつしか、正解がわかる思考法になっているのです。

ボールを投げる動作にしても、脳でコンピューターのように物理の計算をして荷重分散した命令を腕の筋肉に出しているわけではなく、実際に投げてみて、少し遠くの的に当てるには、もう少し力を強くすると当たるかな?とか、相当適当な感覚で、でも実は超緻密な動きを体にフィードバックしているのです。

逆に、このヒューリスティックな感覚がなければ、人間はいつまでたっても学習しないでしょうし、言われたことも、言われた通りできるかもしれませんが、今のコンピューターのように、それが何を「意味するのか?」を考えてもわからないでしょう。

つまり、猫はコンピューターによって猫の概念ではあるけれども、我々が想像する猫ではなく、単なる記号としての猫なのです。

冒頭に、「デジタル化が進むと人の価値が更に向上するでしょう。」と書いた理由は、ここにあると思うのです。AIが仮に感情を持てたとしても、それが我々のような人間と同じで自分から自我をもつかが極めて怪しいと思うのです。仮にそう持てたとしても、そのようなアルゴリズムを組んでいるだけであって、途方も無いデータから組み合わせを瞬時に選択しているに過ぎないと思うのです。

であれば、仮にそのスーパーAIがXとして、Xが出した答えに「温かみ」があるか?といえば、「ある」とは答えにくいのです。つまりシンギュラリティが近づくにつれてXみたいなAIが世の中に多数あふれるけれども、最終的にはデジタルなので全てのXが同じような解を出すようになります。すると、今のコンピュータのようにコピペが簡単に出来てしまう。つまり、そこに違いがなくなり、それがありがたいのか否かもわからなくなってしまうのです。

そこに、救世主が現れて、昔のようにアナログで考えた人間が出した考えに、最終的に人は寄り添うようになるのでは無いか?と思うのです。つまり、今の人間と同じよううに、「何を言ったか」ということよりも「誰が言ったか」を重視する人間の理解力を変えることが出来ないから、結果的にスーパーAIのXよりも、その人間は別の人間を優れている人として認識してしまうのです。

では、その人間が人間を認識して信じてしまう根底は何があるかと言えば、そこは信頼関係だと思います。ある人間からすると、別の人間に対して何らかの理由で信頼をおいてしまう。すると、ある日その人間が発する言葉が特別なものに感じてしまい、スーパーAIのXが言った内容よりも、その信頼を持つ人間の言葉を信じるようになるのでは無いかと思うのです。

ということで、デジタル化の恩恵を最大限活用しながら、効率化した時間の中で、徹底的に非効率に相手のことを慮ることを今度は続けることが、将来の自分の価値を上げることに繋がるのではないか。と今の時点の仮説として、私は行動していこうと思います。



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