大量失業予備軍の増産

2021年4月20日 火曜日

早嶋です。

新学期が始まる。長男と次男は同じ小学校に通う。先週の土曜に家庭訪問の通知が学校からあった。まさかと思ったが案の定そうだった。長男の学年と次男の学年での家庭訪問の通知フォーマットが異なるのだ。文言や時間を知らせる表の形式が明らかに違う。

今朝、子供たちの尿検査だった。トイレに行って紙コップに尿を取り容器に入れる。そして容器に名前を書いたシールをはる。ここでもそうだ。シールの大きさが容器と比較して明らかに多く、きれいに貼れない。何かの拍子ではがれることが予期される。そもそも混合しないための工夫でシールを付けているのではないか。

小学校のフォーマットは今に始まったことではない。紙の統一すらない。A4用紙とA5用紙が平気で混在している。統一や標準化の概念が無いと感じる。電子データで管理する発想の以前の問題だ。思考が完全に停止している。最も問題だと思うのは、上記の様子はおそらく私が小学校の時と同じ状況だということだ。

私が小学校の時、学校から配布されたプリントを集めてはフォルダに入れるのが好きだった。同じシリーズの学年便りが時にはA4用紙、時にはA5用紙とバラバラでファイルをするのが面倒だと思った記憶がよみがえる(おかげで対象におる、見開きやすいように折るなどの工夫ができた点は良かったが)。尿検査もそうだし、学校に返信する封筒のサイズが小さすぎて入らないなど頻発していた。

そして30年以上あまり何も変わっていない。そんな中、小学生は自宅でオンライン授業が行われるようにPCの配布が始まった。恐怖だ。基本的な考えることが21世紀重要だと言われるなか、当の職員たちの思考が一切働いていない。教育に熱心なことは良いが、自分たちの仕事の仕方や工夫の仕方を改善したり試行錯誤する取組はしないのだろいうか。

親としてはこの事実を受け止め、思考する機会や考え方は親から提供することを強く意識することが大切だ。学校に依頼する事項は生活の安全と学業の楽しさや興味を持つレベルにして、或はそれの半分くらいの期待で、他は期待をせず、自分たちがベースとなって提供することが大切だと思う。出なければ21世紀の大量失業を助長する。

余裕がある家庭は私立に行けばよいと思うが、小学校、中学校の私学で組織がクリエイティブに考え、動き、自発的に活動しているところは少ない。学費を高く取り、権威にしがみつき、顧客である親に頭を下げさせるようなトップが未だにごろごろいる。従業員に至っては、そもそもそのような組織に行く前にもっと都合が良い職場を見つけているだろうから、ポテンシャルが低いとおもう。失礼な話は承知で書いている。学校としては工夫して授業料を高額にして生徒を受け入れようとしてもブランドや伝統が無く、もし同じ金額であればスイスや海外の学校に通わせることになるだろう。経営的にも難しいのだ。

と考えると、子供たちが成人して仕事をする際には、今と同じ考えない、与えられても自分たちの権利のみ主張して楽を選び働かない、いわば使えない大人が大量生産されるのだ。加えてAIの進展によって本来人間がしなくても良い仕事はますますロボットに置き換えられるであろうから仕事の母数自体が減少する。賢者はクリエイティブな仕事が新たに生まれる可能性を指摘するが、この教育環境にどっぷりつかり10年を過ごせば、どんなにDNAが良くても芽が摘まれてしまう。そして卒業と共に大量に就職難民を抱えるようになるのだ。

外に避難を向けても仕方がない。基本な名最小ユニットである家族、親が親身に捉え、家庭から子供たちと色々な視点に興味や疑問を持ち、かんがえることをスタートする。そして続ける。答えは出さなくてよいから、そのようなマインドを持ちづけることを提供する。これが大切だと私は思う。



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