蓮の種と自分

2020年12月31日 木曜日

早嶋です。

蓮の種は何百年と根を出さずに眠ることができるそうです。今年の夏、随分前からあった蓮の花、カラカラに乾燥したものから種を取り出して試しに根が出るか栽培しました。種の下をナイフで切り込みを入れ水を吸わせます。かなりの硬さですが傷つけると中が空洞になっており薄皮が見えてきます。後は水につけて数日明るい場所に放置することで芽が出てきました。

ヒトも同じように皆何かしらの可能性を持ち合わせており、発芽のタイミングを今か今かと待っていると思います。小学校や中学校で無味乾燥な偏差値という冬の寒空くらい偏った視点で評価されて、たまたま発芽出来なかった多くの子供は以後レッテルを貼られ本来の自分を見出すことを諦めてしまいます。

偏差値は高いほうが良いけれど、低いからといって何ら問題がないのです。世の中には、そのヒトが最も得意とする分野で自分を試すことができるようになっている一方、その環境に自分をシフトできない人の多くは、発芽せずに蓮の種のようにじっとしています。

自分の才能に気づき開花させる。きっと出来ている人にとっては簡単で当たり前のことでしょうが、出来ない人に取っては、無理、不可能、それはあなただからできるのよ。と心で思うことでしょう。確かにそうかも知れませんが、発芽した人の多くは、環境を自分で変えていきながら、自分の才能を信じてひたすら取り組んだ人が多いとおもいます。

また蓮の種のように、そのきっかけは他力本願に任せる方もいるでしょう。しかし、その場合10年、100年とじっとすることが必要になります。それは多分人では耐えられないことでしょうね。だからこそ自分の重たい腰をあげて動くことが大切です。自分の可能性が分からなければ手当り次第試してみる。他人に任せるのであれば、他人のアドバイスを否定しないで素直に聞いてみる。そしてその通りの行動を続けてみる。

その過程で自分の精神や知性や理性も同時に磨いていくのです。何かに取組むことで、様々な能力が同時に見についてききます。それはナイフで皮を削り薄皮を出す作業と同じで、本来は誰でも持っているもの。しかしタイミングと場所が伴わなければそのポテンシャルを引き出すこはできません。そのために、色々手を出し、自分が楽に取り組めることを見つけるのです。

自分の夢なんて幻は、場合によっては捨てても良いと思います。その夢に拘りすぎると本来の能力を開花するチャンスを失うからです。才能は、自分が努力しているつもりでなくても、それが楽にできる。しかも他の人からみると一定以上の評価が付く。だれだって、そのようなことがいくつかできるようにDNAに組み入れられています。

しかし、人は色々取組むと、ちょっとしたことで失敗をして、再起不能に陥ります。ちょっとした失敗を経験すると、それが人生で最大最悪の自体のように捉え、何が要因でそのようになったかを科学的に分析することなく、行動を諦めてしまう。中途半端なプライドを捨て、失敗したら徹底的にその因果を分析して、それらを糧に次に進む。そのような取り組みを10回か100回か、人によって回数は異なると思いますが、継続する中で勘所が見についてきて、これまで見えなかったものが見えてくるようになるのです。

止まっている暇はありません。とにかく動きましょう。疲れても、それは勘違いです。人は弱い生き物のようにプログラムされており、止まったら動きたくありません。昔はそれが大切でした。エネルギーを保存しなければ食に有りつけない時代だったからです。でも今は3分歩けばコンビニ、電話すればウーバーがカロリーを届けてくれます。なので気にせず動きまくりましょう。

そして、種の殻を少し削る感覚を覚えたら、後は自分を信じて窓際の光を浴びながら一気に開花していきましょう。



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