フィリピンについての雑感

2015年2月5日 木曜日

早嶋です。
フィリピンでのビジネスで歴史的な理解、宗教の理解は大変大きいと思います。各書籍では様々な要因があって現在のフィリピンを作り上げていると記述されていますが、ここでは複雑な事象を自分なりの解釈を加えて簡単に捉えてみました。

フィリピンは過去400年に渡り、スペインの支配下で、その後50年間アメリカの支配を受け、最後に4年程度日本の支配を受けています。フィリピン人のことを指す、フィリピーナという言葉は元来、フィリピン生まれのスペイン人を指す言葉でした。アメリカがある前に、スペインの支配が長かったことは、フィリピンの文化を形成する家庭で非常に大切なものだと思います。

言葉にしてしまえばどこでも当てはまりますが、フィリピンの方々と接していて、洗練された感覚の裏に迷信深いものを感じたり、地味好きかと思いきや派手好きであったりと相反するようなことが様々です。

フィリピンの文化や感情や行動を理解するときに、植民地の理解とともにいくつかのポイントを整理しておくと良いと思います。それぞれ家族、面子、信仰、お祭りです。それぞれが互いに絡み合った特徴ですので重複していることもあります。

■家族
まずは家族です。家族を大切にする思想は先住民から受け継いだ価値観かも知れません。多くの話を総合すると、どうも家族は個人よりも優先順位が高いようです。誰か家族の中で困っている人がいれば、優先してその人を助けます。両親は子供に対して必要なモノを提供します。当たり前かもしれませんが学費やビジネスを立ち上げるための費用や車や住宅の費用など、出来る限り援助をしています。

面白いのはその後です。成人した子供は両親の面倒を見続けます。子供が仕送りしたお金は両親が自由に使い、また困っている家族に自由に配分する感覚です。ですから、家族から独立するような発想が乏しいし、逆にそのような行動をすると一般的に変人扱いされるようです。結婚しても両親と同居して暮らし続ける方が多いのもその影響があるのでしょう。

フィリピン人の価値観の一つにウタン・ナ・ロオブがあります。直訳は内側の負債という意味です。絶対に完済されることの無い負債で、自分の両親と後援者に対して絶対的な恩義があり、自分を育ててくれた目上の人に対して過度なまでの忠誠心を示す価値観です。

家族のつながりの背景には宗教も密接に絡んでいます。多くの家族には、教父(ゴットファザー)と教母(ゴットマザー)がいます。洗礼、堅信礼、結婚式などの節目のイベントで永久に教子の後見人になっていきます。そして教父と教母は教子の面倒を一生みていくのです。例えば、両親が医者や弁護士である友人に自分の子供の教父と教母になってもらうことも珍しくありません。これによって自分の子供が生活に困らないようにできると思うのです。

家族のつながりは経済界でもかいま見ることができます。フィリピンのトップ1000社の多くはファミリービジネスです。今回、ビジネスミーティングを行った企業も全て家族経営の組織でした。実際に名刺交換をすると同じ名字を持つ人間でボードメンバーを固めています。

面白い価値観にパキキサマというものがあります。これは家族など多数の集まり、つまり組織に対して自分の意思を譲歩するものです。従って組織の中で強調してうまくやっていくことが価値観として定着しています。この価値観はアメリカ文化の対局です。その部分はフィリピン人からすると受け入れがたいものだと思います。

そしてカババヤンという考えも大切です。フィリピン人は同胞、同国人、同郷人などに対してつよいつながりを認識しています。従って、何かのつながりがある方に対しては特別待遇をしてくれます。

今回の滞在でカババヤンを強く感じました。紹介して頂いた経営者は友人ととても親しい関係にあり家族ぐるみでつきあっています。その友人の紹介がきっかけでボードミーティングに参加できました。滞在中も懇切丁寧にケアして頂きました。ここまで手厚くして頂いたのは、フィリピンの人の文化として残っていることだったのでしょう。

■面子
他のアジア人もそうですが、フィリピンの人は非常に面子を大切にされている印象を受けます。自分や相手の恥を避けるために言動や行動に様々な面白いことが表れています。例えば会話の中に非常にあいまいな受け答えが時々あります。イエスという言葉の中に、どっちなのか実際は分からないという状況です。しかし面子ということを考えると、例えばその誘いを断ってもいけないし、だからと言って、いけなくなる可能性もあるし。というような心情が働いたイエスが多々あります。これはノーも同様ですね。

考えてみるとこれはyes but no, no but yes, というように日本人にもある感覚だと思います。従って我々からすると若干の戸惑いはあるものの違和感は少ないかもしれません。一方、欧米人からすると沢山の誤解を生む原因の一つになっている鴨知れません。

この面子は、フィリピン人の消費スタイルにも一部表れています。経済状況よりも自分の面子を大切にするあまり、借金をしてまでも盛大なセレモニーをしてみたり。自分をもっとよく見せようとしてファッションや美容にお金を費やしたり。見栄っ張りの裏にはそのような文化的な背景があるのではと推察しました。

友人はフィリピンで美容関連のビジネスをしていて不思議に思ったことが何度もあると話していました。平均的な給料が3万円から4万円のOLが毎月客単価1万円の美容室に来ているからです。これはもっと自分を良く見せたいという考え方の典型で、日本人的なお金の使い方とはまた違った感覚があるのですね。知識として知っておくと後々のフィリピンビジネスに有用だと思いました。

■信仰
冒頭でも書きましたが、400年という長い間、スペインの支配とともに定着したのがカトリック教文化への信仰です。高速で地方にいけば夕方になると敬虔な信者が協会に向かう状況を頻繁に観察することができました。フィリピンの社会構造の基盤となっていると考えてよいと思います。日常生活からビジネスのスタイル、時には政治に対してもその影響が浸透していると思います。

中でもバハラナという言葉が面白く思います。神様がなんとかしてくれるという意味で、ケセラセラのように何とかなるさ、沖縄の何くるなるさのようなイメージです。少し飛躍しますが、これがベースにあってフィリピンの人は先の計画ができにくい、今がなんとかなれば問題ないと考えてしまうのではないでしょうか。

良くフィリピン人の特徴に宵越しのお金は持たないという話題があります。貯蓄をしないで給与もきれいに毎月使ってしまう国民性です。この楽観的な発想は、フィリピンの経済を今後も押し上げていくでしょう。人口ボーナスによって経済が発展するなかで、将来もなんとかなるさという勢いでドンドン消費が増えていく。そう考えると、完全に消費が冷えきっている日本企業から考えるとものすごくうらやましい市場に見えてきてしょうがありません。なにせ最近の若い日本人は給与の半分を貯蓄にまわして将来に備えているのですから、逆にフィリピン人からすると理解されないことだと思います。

■お祭り
何と言ってもお祭りが好きな国民性です。葬儀の席でもお祭りごとにしてしまうと聞きます。皆で黙するように故人を憶うという日本の対局です。しかも1日だけではなく、棺を埋めた日から9日間は祈りを捧げながら毎晩家族や仲間で集まってごちそうを食べるそうです。

そして最も華やかなイベントがクリスマスです。日本では11月の中旬くらいからクリスマスの飾りが見られるようになりますが、フィリピンでは9月頃からクリスマスにかけての準備が始まります。そして多くの企業が12月にもう一ヶ月分の給与を社員に支払う風習があります。このお金を使って更に一気にお祭り騒ぎをするという文化が定着しています。

お祭りの際は、極端な話、借金をして、皆が食べきれない量の料理を注文して贅沢しながら楽しみます。実に愉快なハッピーな国民性なのです。




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