脱効率化を考える

2015年1月8日 木曜日

1980年代、日本の経済が伸びていた頃。2000年代、人口オーナスにより経済がステイ、あるいは縮小していく頃。

経済が伸びている場合、企業は市場に商品を提供することによって、今よりも需要があるため、トップがひとつの方向性を示せば比較的ビジネスが容易に伸びていた。従って、有用な経営者が大きな方向性を示し、それを経営管理者が現場に術として落とすという流れができていた。経済が伸びているため、管理者がいうことを正しく早くこなすものが評価され、その次代の人材としては優秀と思われていた。

この時期、日本の真骨頂である効率化をどんどん推進。しかし、効率化して更に市場が吸収するというサイクルによって、現場がしんどくてもそこで仕事をする従業員の気持ちは明るかったとおもう。

一方、現在。過度な効率化のため、例えば機械とパソコンと人間の組合せによって一人でも運営ができる仕組みが出来上がった。だからと言って経営が右肩あがりになるのではなく、かろうじて今の地位を維持している企業が多い。そのような中に従業員は追い詰められるような脅迫観念に追われる。

1980年代と今。時代が異なっているので、経営の仕方、マネジメントの仕方、事業の仕方が変わっている。過度な効率化は経済が伸びていることの特徴で、今はある程度の緩やかさが必要になる。従って、価格も市場に還元して安くするのではなく、互いが苦しまないような価格帯を維持するか、価格で勝負するような商品は初めから海外の競合に渡すという戦略を行わないといけない。



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