H-1Bビザとアメリカの選挙

2025年9月25日 木曜日

早嶋です。2400文字。

アメリカのH-1Bビザ制度は、長年にわたってグローバルな優秀人材の登竜門として機能してきた。とりわけテック企業は、母国以外から才能あるエンジニアや研究者を獲得するための生命線とも言える制度だった。シリコンバレーがイノベーションを牽引できた背景には、このビザ制度の存在があったと言っても過言ではない。

しかし、現場での運用には歪みが生じていたのだ。元々「高度な専門技術を持つ者」に限定されていたはずのH-1Bビザが、いつの間にか「低コストの外国人労働力確保手段」として扱われるようになったのだ。とりわけ、インド系のITアウトソーシング企業による大量取得が問題視された。年に8万5,000枠しかないはずのビザが、ある意味抜け道として利用され、結果的にアメリカ人の雇用機会が脅かされているという声が上がったのだ。

実際に、アメリカの大手銀行や保険会社では、既存の米国人エンジニアを解雇したうえで、H-1Bで雇用された外国人労働者に業務の引き継ぎをさせていた例がある。解雇された側が自分の後任をトレーニングするという皮肉な構図に、労働者の怒りが噴き出したのだ。一部のH-1B労働者は、米国の法律で定められた最低賃金さえ受け取っておらず、HCLなど大手企業が賃金盗用で訴えられた事例もあった。中には、仲介企業を通して雇用され、同じ職場で働く米国人よりはるかに低賃金で働かされていたケースもある。

こうした現場のねじれは、制度の本来の趣旨を踏みにじるものであり、同時に国内の労働市場に対する信頼も損ねた。そして、この構造に不満を持ったのが、いわゆる「低スキルの白人労働者層」だ。彼らはテック企業が外国人に職を奪われていると感じ、ナショナリズムを背景にトランプを支持してきた。そして今回、そのトランプが再びH-1B制度に手を入れると公言したことで、大きな波紋が広がっている。

今回の動きのポイントは、「H-1Bビザの抽選制度を廃止し、技能・給与水準に基づいたポイント制へ移行する」というものだ。表向きは「優秀な人材をより適切に選ぶ」という方針だが、実際には、これまでアウトソーシング企業などが量的に押さえていた分を排除し、より限定的なエリート層のみに門戸を開くという意図がある。制度の原点回帰とも言えるが、それだけでは済まない複雑な余波がある。

たとえば、これまでは1人の外国人に対して、複数の企業が「この人を雇いたい」と申し込むことができた。ある優秀な学生が10社から内定をもらえば、その人の名前はビザの抽選に10回出ることになり、当選する可能性も高くなっていた。しかし、今年からの制度では「1人につき抽選は1回だけ」と決まった。つまり、どれだけたくさんの会社から内定をもらっても、抽選のチャンスは1回しかないのだ。その結果、たくさんの企業に評価されている優秀な人ほど、ビザを取れる確率がむしろ下がってしまうという、ちょっとおかしな現象が起きるのだ。これは、制度として「みんなに平等なチャンスを与える」ことを重視した結果ではあるが、一方で「企業と申請者が自由に動ける柔軟さ」が失われてしまったとも言える。

さらに、申請コストも大きく跳ね上がった。かつては数千ドルだった申請費用が、今回の制度改定で一気に数万ドル規模にまで引き上げられる。一部では「新規申請に最大10万ドルの手数料」という案まで浮上しており、現実味を帯びている。これにより、スタートアップや地方の中小企業は、事実上H-1Bを使えなくなっていく。今後は、大手グローバル企業だけが、この高額ビザを使って人材を確保する時代に入るのかもしれない。

たしかに、H-1B制度はかつて、その本来の目的を逸脱した部分があった。結果的に、米国の労働者から見れば「外国人に仕事を奪われている」という感覚が生まれたのも事実だ。制度を見直すこと自体は悪いことではない。だが今回の見直しが示しているのは、「エリートは歓迎、その他は門前払い」という、明確な二極化の思想だと思う。

例えば、現在アメリカの大学に在籍し、OPT(Optional Practical Training)制度を経てH-1Bに移行しようとしている外国人学生たちは、今後ますます狭き門に直面する。彼らにとって、ビザの取得は就職やキャリア構築に直結するだけに、制度変更は将来設計を揺るがすものになる。また、雇う側の企業にとっても、より高スキルで高給な人材を前提とすることで、コストと採用のリスクが増す可能性もある。

つまり、この制度変更がもたらすのは「優秀な外国人はウェルカムだが、それ以外は要らない」という、いかにもトランプ的な二極化構造だ。これは一見合理的に見えるかもしれないが、長期的にはアメリカの多様性と人的流動性の低下、さらにはスタートアップなど中堅・中小テック企業の競争力低下にもつながりかねない。

そして何より、これは移民政策というより「選挙政策」だ。トランプはH-1Bに手を入れることで、自らの支持層に「外国人に甘くしない」という明確なメッセージを送りつつ、大企業に対しては「ちゃんと払うなら使ってもいい」と踏み絵を迫っている。アメリカという国は、かつて「移民こそが国家の強さ」と信じていた。だが今は、「誰を入れるか、誰を排除するか」が政治の最前線になっている。H-1Bビザの議論は、まさにその縮図だと思う。今回の制度見直しの背景には、選挙、経済、そしてアメリカという国のアイデンティティそのものが絡んでいる。

この一件を通じて、日本も他人事ではいられない。これからの時代、どの国がどのような人材に門戸を開くのか。その制度設計と運用こそが、国家の競争力と信頼を決める時代が始まっているのだと思う。



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