早嶋です。
最低賃金は国が決めるべきでは無いと思う。一方的な釣り上げは結果的に弱い層の労働そのものを急速に淘汰するシナリオになると思うからだ。
たとえば、今の最低賃金が1,000円だとして、これを1,500円に上げるべきかの議論についてだ。政治屋は、賃金を上げることを簡単に捉えている。しかし、社会保障や福祉の文脈に加えて産業構造や雇用構造を理解していない証左だとも思う。
政府の強い意思、あるいは政治的なメッセージとして、1,000円からいきなり1,500円に引き上げるとどうなるだろうか。表面的には「労働者の所得改善」が起きるように映るかもしれない。が、その背後には確実に労働分配率の急激な変化が、産業の在り方そのものを塗り替えていくのだ。
労働分配率とは、企業が生み出した付加価値、つまり売上から原材料費などを差し引いた粗利のうち、どれだけが人件費として分配されているかを示す指標だ。式で書けばシンプルで、「人件費 ÷ 付加価値 × 100」だ。たとえば、ある企業が年間10億円の付加価値を生み出していて、そのうち人件費に4億円を支払っているとすれば、労働分配率は40%になる。
では、この企業が最低賃金の引き上げにより、仮に人件費が1.5倍になったとしよう。人件費は6億円に跳ね上がる。付加価値は変わらないとすれば、労働分配率は60%に到達する。これは、単純な数字遊びではない。企業にとっては、「利益が残らない」どころか、「赤字を垂れ流す構造」に変貌することを意味する。とりわけ、もともと薄利多売を前提としていた業界、つまり小売業や飲食業、あるいは介護業界においては、致命的なインパクトをもたらす。
これらの業界は、そもそも人件費が安いからこそ、労働集約型の事業モデルが成り立っていた。つまり、人が人力でレジを打ち、配膳をし、介助を行うというスタイルは、人件費が安いからこそ合理的だった。だが、これが一転して高コスト労働になると、企業は合理性のある次の一手を取らざるを得なくなる。それが「設備投資」であり、「資本集約型事業への転換」だ。
実際に、すでにその兆候は街の中に現れている。近所のスーパーでは、レジがセルフレジに置き換わっていく。かつては4人から5人が並んでいた有人レジの姿がなくなり、今では1人のスタッフが6台のセルフレジを監視しているだけだ。人件費が1.5倍になることを想定すれば、1台あたり100万円のセルフレジはもはや安い。投資回収期間は1年未満かもしれない。
飲食店でも同じような変化が起きている。大手ファミリーレストランでは、かつてホールスタッフが運んでいた食事を、今では配膳ロボットが静かに、正確に、淡々と運ぶ。ロボットは文句も言わず、疲れも見せず、業務を繰り返す。しかも、一度導入すれば深夜手当も、社会保険も必要ない。人間が担ってきた役割が、コストの面でも、安定性の面でも、すでにロボットの方が優れていると見なされる地点に到達してしまったのだ。最低賃金が上がれば、この動きは加速する。人間らしい会話を含めてサービスを提供する高級店以外は、人がやる意味は見出しづらいのだ。
つまり、労働分配率の急騰は、企業の合理性判断を根本から変えてしまう。そしてこの投資行動は、資本余力のある大企業にとっては好機であり、資本を持たない中小零細企業にとっては死刑宣告に等しくなる。中小企業の多くは、IT化やロボット導入の初期投資すら捻出できない。その結果として、退場を余儀なくされるのだ。そして、企業数は劇的に減少し、地方では店舗そのものが倒産、あるいは減っていき更に生活しにくくなる姿が浮かぶ。もちろん弱肉強食の世界が更に進み都市部では淘汰が加速する。
では、どのくらいの影響が出るだろうか。皮算用的なレベルで弾いてみよう。小売業の就業者は900万人、飲食業は400万人、介護業は約220万人。清掃や警備といった、同様に技能や資格に依存しない職種を合わせると、最低賃金レベルで働く人の数は全国で960万人程度と見積もることができる。
仮に、最低賃金が現行の1,000円から1.5倍の1,500円へと引き上げられた場合、最も深刻な影響を受けるのは、これまで人件費の安さを前提に成立していた中小のサービス業だ。特に小売業や飲食業、介護や清掃業のような、いわゆる労働集約型産業では、売上に占める人件費の比率がすでに高い傾向にある。
飲食業をはじめとする労働集約型のサービス産業には、いくつかの共通した構造的な問題がある。そのひとつが、そもそも粗利率が低いという点だ。食材や光熱費といった固定費が高く、そのうえ人手に依存するオペレーションモデルが多いため、人件費が売上に対して占める比率はもともと高い。こうした業界で最低賃金が一気に1.5倍になれば、労働分配率はたちまち50%を超え、企業にとって利益を出すことが極めて難しくなる。
もちろん、ある程度の資本を持つ大手チェーンであれば、値上げやシステム化によってこのコスト増を吸収できる余地がある。しかし、大半を占める中小零細事業者には、そのような柔軟性がない。借入に頼って資金繰りを維持しているような店舗や、家族経営でギリギリのラインを支えている個人店にとっては、「設備投資もできない」「値上げも難しい」「それでも賃金だけは上がる」という、典型的な板挟みの状況に陥ることになる。
この構造的な脆弱性は、コロナ禍によってすでに可視化された。たとえば、2020年には負債1,000万円以上を抱えて倒産した飲食業の件数が842件に達し、過去最多を記録している。さらに、2023年にはその数が768件にのぼり、2022年比で約1.7倍という急増を見せた。これらの数字は、制度的な外圧や突発的なショックが、この業界にとっていかに致命的であるかを物語る。
このように、飲食業や小売業、介護・清掃などの業界では、すでに廃業率の上昇傾向が続いている。だからこそ、もしここに「最低賃金1.5倍」という制度的ショックが重なれば、さらなる退出が起こるのは避けられない。特に中小企業においては、事業継続を断念せざるを得ない企業が全体の2割から3割に達する可能性は、決して極端な話ではないと思うのだ。
このような業界に従事している人の多くは、技能や資格ではなく時間給で働く層だ。全国で最低賃金圏で働いている人は、ざっと見積もって900万人から1,000万人にのぼる。もしこのうちの3割から5割が雇用の場を失えば、単純計算でも300万人から500万人規模の失業が発生することになる。
もちろん、これは一足飛びの話ではない。だが、制度的な強制によって賃金構造が変化すれば、企業の経営構造も、それに従う形で静かに、しかし確実に変わっていく。その先に待っているのは、底辺労働の消滅で、設備投資を前提とした新しい産業構造だ。そしてその構造に適応できない企業と人から順番に社会から退場する厳しい現実が見え隠れするのだ。政治屋は表面的に善意のつもりかもしれない。だが、もう一つの側面が存在する可能性を議論すべきだと思う。
それだけではない。生き残った企業は、資本とテクノロジーで武装した「資本集約型企業群」であり、マーケットは寡占化へと向かう。実際に、大手外食チェーンでは、調理機器の統一、レシピの自動化、バックヤードオペレーションのクラウド化が進み、すでに人手は大幅に削減されている。スーパーマーケットやドラッグストアでも、AIによる発注、自動在庫管理、集中仕入れなどが日常化している。個人店や小規模チェーンがそれらに対抗できる術は、現実にはほとんどない。
ここまで見てきたとおり、最低賃金の引き上げは、それ自体が目的のように語られがちだ。しかし、本質的には「社会における労働の再編を加速させる」トリガーであるのだ。しかもその再編は、決して平等なものではない。スキルを持たない労働者は仕事を失い、投資余力のない企業は淘汰され、資本を持つプレイヤーがマーケットを塗り替えていく。意図せざる格差拡大が、賃上げという善意の施策の裏側で進行する可能性は否定できないのだ。
だからこそ、「賃上げするか否か」ではなく、「その賃上げが何を引き起こすか」について突っ込んだ議論が必要だ。構造を見ずに、表層の数字だけをいじることが、いかに危ういか。経済は、善意では回らない。そして構造を変える力を持つのは、いつだって数式ではなく、人間の合理的で非合理な行動原理なのだ。