オーバーツーリズムの課題は都市設計の不足

2026年2月9日 月曜日

早嶋です。約3,000文字です。

日本は、海外からの観光客を増やそう!とか、インバウンドの需要で経済を回そう!と連呼している。実際、日本を訪れる外国人は年間約4,000万人規模に達し、旅行消費額は8兆円を超えている。自動車や半導体に並ぶ外貨獲得源と言ってもよい規模だ。ただその数字の裏にはどこの国も辿ってきた、そして似たような問題があるのだ。

まずは、先進国の問題と解決状況をみてみよう。ヨーロッパの観光都市は、日本よりも先にこの局面を経験し現在進行系で対応している。

バルセロナでは、観光客向け短期賃貸が増え、住宅が投資対象になった。家賃は上昇し、元から住んでいた人が住み続けられなくなっている。観光が地域経済を潤す一方で、生活者が退出していく構図が生まれる。結果として市は、2028年までに観光用アパートメントを実質禁止する方向へ舵を切っている。ここに至るまで実に10年以上も抗議や裁判、政治的議論が続いた。

ベネチアでは別の形で限界が露呈した。日帰り観光客が集中し、公共空間が生活空間を飲み込んでしまった。そこで市は2024年から日帰り客に入域料を課す実験を始めた。クルーズ船も歴史地区近くへの入港を制限した。これも一気には決まらず、長い時間をかけて段階的に動いていて、解決の糸口は現在新進行形だ。

アムステルダムでは観光客増による迷惑行為や混雑が問題化し、新規ホテルの増設をほぼ止める政策を導入した。観光は増やす対象ではなく、「都市の住みやすさの範囲内で管理する対象」へと位置づけが変わっている。2035年を一つの節目とした長期の見直しがまさに進み始めている。

どの都市も、観光を否定したわけではないが、ある地点を越えたとき、観光は経済の話ではなく、都市設計の話になることを認識したのだ。

日本でも同じ兆候が出始めている。元々そこに住んでいた人が住み続けにくくなってきた。通勤や通学の足が混雑で使いにくくなる。ゴミが増え、街の管理コストが跳ね上がる。路上飲食や騒音など、日常のルールがゆるみ、自然景観が摩耗していくのだ。

ただ、これは観光客のマナーの問題にすり替えてはいけない。観光客が「悪い人」というのは議論が浅い。真因は、観光客を呼ぶだけよんで、都市の容量を増やす調整や発想がそもそもないことだ。道路の幅は変わらない。ゴミ処理能力も急には増えない。住宅の供給もすぐには追いつかない。それでも観光客は流動的なので、急に増える。企業で言えば、設備も人員も増やさずに売上だけが倍増したようなものだ。どこかが破綻するのは当然の結末なのだ。

シンガポールやスイスが興味深いのは、この順番が逆な点だ。観光客を呼ぶ前に、生活のルールと空間の設計を先に想定している。

シンガポールでは、住宅の短期賃貸は原則として厳しく制限されている。一般的な住宅は3か月未満の短期滞在用途で貸すことができない。観光需要がそのまま住宅市場に流れ込まない構造を先に作っているのだ。観光は歓迎するが、「住む場所」と「泊まる場所」は制度で分けられている。これは観光政策ではなく、都市計画と住宅政策の領域で決められている点が象徴的だ。さらに、街の設計思想もはっきりしている。観光拠点は商業・MICE・エンターテインメントエリアに集中させ、住宅地区は静穏性を優先する。観光客が多いエリアと生活エリアを自然に分ける都市構造になっている。

スイスも似ているが、焦点は住宅より自然環境だ。アルプスの観光地では、交通流入を管理する仕組みが普通に議論される。ラウターブルンネンのような渓谷地域では、観光客の急増を受けて入域課金の検討が進められたことがある。ゼルマットのような観光地では、街の中心部は原則自動車の乗り入れを制限し、交通そのものを設計している。自然が観光資源である以上、「景観が摩耗する前に止める」という考え方が制度に織り込まれている。

どちらの国も共通しているのは、「観光を止める」のではなく、「ここまでは許容できる」という線を先に引いていることだ。住宅に線を引いたのがシンガポールで自然環境に線を引いたのがスイスだ。そのルールがあるから、観光を歓迎できる。観光客が来てからルールを作るのではなく、観光客が来る前に、都市がどこまで耐えられるかを考えて対策しているのだ。

この順番の違いが、後になって大きな差になっていく。日本の課題は、観光が増えたことではなく、観光を都市政策として扱っていないことなのかもしれない。観光税はあるが、市町村ごとにバラバラで、使い道が見えにくい。住民の生活環境の改善に使われている実感が薄い地域もある。民泊は制度化されたが、「住宅を守る」という視点はまだ弱い。観光客数の目標はあるが、「この都市がどこまで受け入れられるか」という上限の議論はあまり見ない。拡大の議論はあるが、容量の議論が少ないのだ。

これは観光の問題に見えて、実は都市経営の問題だと思う。市場が広がることは良いことだが、市場は、社会の上に存在している。社会が持つ容量を超えて市場だけを拡大すると、摩擦が起きる。当然だ。そして、その摩擦は、まず住民の生活に影響を与える。ヨーロッパの都市が制度を動かすまでに10年以上はかかっている。抗議も、政治的摩擦もあった。それでも動かざるを得なかったのは、生活が揺らいだからだ。日本はいま、ちょうどその手前にいるように見える。

観光を歓迎することと、人が暮らせる都市を守ることは、本来対立するものではない。ただ、設計がないと両立しない問題だと思う。観光客4,000万人という規模に入った今、さらにその目標を高めるのであれば、この設計をどう整えるかは、観光政策というより、都市の未来をどう描くかという話に近いのかもしれない。

日本政府観光局(JNTO)「訪日外客統計(訪日外客数)」 https://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/

観光庁(国土交通省)「訪日外国人消費動向調査」
https://www.mlit.go.jp/kankocho/siryou/toukei/shouhityousa.html

Comune di Venezia(ベネチア市)“Contributo di Accesso alla Città Antica”
https://cda.ve.it/en/

Ajuntament de Barcelona(バルセロナ市)観光住宅規制関連政策資料
https://ajuntament.barcelona.cat/

City of Amsterdam “Tourism in Balance Policy”
https://www.amsterdam.nl/en/policy/policy-tourism/

Urban Redevelopment Authority (URA), Singapore
https://www.ura.gov.sg/

Swissinfo / スイス自治体関連情報 スイス観光地におけるオーバーツーリズム対策報道
https://www.swissinfo.ch/

Reuters(国際報道) 欧州各都市の観光規制・住宅問題に関する報道記事
https://www.reuters.com/



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