ディズニーがOpenAIを選んだ理由

2025年12月16日 火曜日

早嶋です。約6400文字。

報道によれば、ディズニーはOpenAIに対して約10億ドル規模の出資を行い、同時に生成AI、特に動画生成AI「Sora」を含む技術について、ディズニーのIPを活用する契約を結んだとされている。単なる技術提携ではなく、資本関係を含んだパートナーシップである点は重要だ。ディズニーほどの企業が、この規模で出資を行う以上、短期的な実験ではなく、中長期の戦略を見据えた判断だと考えるのが自然だろう。

この提携を考察するために、まずOpenAIとディズニー、それぞれの立ち位置と目的を整理する。

多くの人にとって、OpenAIとは「ChatGPTをつくったAIの会社」という理解だと思う。質問に答え、文章を書き、要約し、ときには相談相手にもなる。その意味でOpenAIは、これまで「考えること」や「書くこと」を支援するAI企業として認識されてきた。そのため、OpenAIはディズニーやNetflixのようなIPホルダーではない。自社でキャラクターを生み出したり、長い時間をかけて世界観を育てたりする企業ではない。彼らが提供しているのは、物語そのものではなく、物語や表現が生まれるための技術や環境だ。

その延長線上にあるのが、動画生成AIのSoraだ。Soraは、完成された映画を大量に生産する。これまで技術を持たなかった人が映像表現に触れ、「こんな映像も作れるのか」「こういう見せ方があるのか」と試し、学ぶための入口に近い存在だ。文章においてChatGPTが「書くことの敷居」を下げたように、Soraは「映像をつくることの敷居」を下げる役割を担う。

ここで重要なのは、OpenAIが自ら物語の主役になろうとしていない点だ。OpenAIの価値は、特定のキャラクターや世界観を抱え込むことではなく、誰かの表現や物語が生まれる余地を広げるところだ。だから、ディズニーやNetflixのように、IPそのものを競争力の中心に置く企業とは、立ち位置が根本的に違う。

一方、ディズニーは、OpenAIと正反対の企業だ。一般にディズニーと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、ミッキーマウスやプリンセス、マーベルやスター・ウォーズといったキャラクターや物語だろう。ディズニーにとってIPは、単なる映像コンテンツや商品企画の素材ではない。長い時間をかけて育てられ、親から子へ、さらにその次の世代へと受け継がれていく存在であり、企業価値の中核そのものだ。

この点を理解するうえで象徴的なのが、ミッキーマウスの著作権をめぐる話だ。ミッキーマウスは1928年に登場しており、初期作品については、アメリカの著作権保護期間の満了により、すでにパブリックドメイン化している。つまり、法律上は「誰でも使える」状態になっているミッキーマウスが、すでに存在しているもだ。

しかし実際は、ミッキーマウスの価値が公共化したとは誰も感じていない。むしろディズニーのミッキーマウスは、今もなお特別な存在だ。これは、ディズニーがIPを単なる権利としてではなく、物語、文脈、体験、そして長年の信頼の積み重ねとして育ててきたからだ。

ここからも、ディズニーが本当に恐れているものが読み取れる。それは、IPが使われなくなることではない。実際、使われること自体は歓迎してきた歴史があるからだ。ディズニーが警戒しているのは、IPが軽く扱われ、文脈を失い、「どれも同じ」に見えてしまうことだ。つまり、価値が希薄化していくことそのものだ。

だからディズニーにとって重要なのは、IPを守ること以上に、IPがどう扱われ、どんな入口から人々が触れるのかを管理することになる。権利が切れても価値が残る一方で、扱い方を誤れば、権利があっても価値は簡単に失われる。そのことを、ディズニー自身が最もよく知っているのだ。

生成AIとIPの関係を考えるとき、この違いは決定的だ。生成AIは、使い方次第でIPの接点を増やすこともできるが、同時に世界観を無秩序に拡散させ、希少性を薄めてしまう危険もある。ディズニーが目指しているのは、おそらく前者だ。つまり、AIを通じてキャラクターに触れる人を増やし、その先に「公式の物語」や「本物の体験」への関心をつなげることだ。

ここからは早嶋の仮説だ。ディズニーは生成AIを、IP消費の最終地点ではなく、あくまで入口として位置づけていると思う。AIで遊び、触れ、興味を持った人が、映画館やテーマパーク、正規の配信コンテンツへと進む。小売店がティッシュペーパーを安売りして本命の生鮮食品を買ってもらう。サイゼリアがドリアを安価で提供して、利益率の高いワインや小皿を注文してもらう。今回の提携には、そんな思考があり、その流れが作れるなら、IPの価値は薄まるどころか、むしろ強化されると考えることができるのだ。

では、ディズニーは、なぜそのパートナーにOpenAIを選んだかだ。この問いを考えるために、GoogleとOpenAIの違いを考えると良い。ご存知の通り、Googleもまた、生成AIをはじめとした高度な技術を持ち、動画や画像、文章を生み出す力を備えている。技術面だけを見れば、GoogleとOpenAIに決定的な差があるとは言いにくい、多分。

しかし、OpenAIとGoogleは、同じAI技術を扱っているように見えて、その思想とビジネスの構造は大きく異なる。OpenAIが技術提供に徹する企業であるのに対し、Googleは、検索、広告、YouTubeといった巨大なプラットフォームを通じて、人々の「注意」を集め、それを収益化してきた企業だ。Googleの事業モデルの中心にあるのは、注意、つまり「人が何を見て、何に時間を使うか」だ。検索結果も、YouTubeのおすすめ動画も、基本的には人の関心を引きつけ、滞在時間を伸ばす方向に最適化される。その先にあるのが広告で、Googleの収益の大半はここから生まれている。

この構造の中では、「本物かどうか」よりも、「どれだけ見られるか」「どれだけ反応されるか」が重視される。結果として、アルゴリズムは、人々の興味を引く要素を抽出し、似たようなコンテンツを次々に並べていく。「本物」と「それっぽいもの」の違いは、意図せずとも少しずつ曖昧になるのだ。これはGoogleが意図的にIPの価値を壊そうとしている訳では無い。ただ、注意を最大化する目的では、希少性や正統性よりも、反応の良さが優先される。その結果、強いIPでも、数あるコンテンツの1つになり、特別な文脈が薄れていく可能性があるのだ。

ディズニーにとって本当に怖いのは、IPを誰かに奪われることではない。むしろ、ミッキーマウスやスター・ウォーズが、無数の類似表現の中に埋もれ、「特別な存在ではなくなる」ことだ。TVしか媒体がなかった時、出演者の希少性は一定担保された。でもYoutubeの時代は、世界中の人にチャンスがあり、素人でも玄人でも大量の注目を得られたら、その人はGoogleに認知されるのだ。その意味で、Googleはディズニーにとっての競合というより、構造的なリスクになり得る存在なのだ。

同じ理由で、Netflixにとっても無関係ではない。NetflixはIPを自ら育て、物語の価値で勝負する企業だ。しかしGoogleがIPと素人を分け隔てなく競争させ平準化されたら、長期的な価値は揺らいでしまう。Googleはディズニーだけでなく、Netflixにとっても、無視できない脅威なのだ。

その意味で、ディズニーがOpenAIを選んだのは合理的だ。OpenAIは、少なくとも現時点では、IPの主導権を握ろうとしない。競合にもなりにくい。ディズニーにとっては、技術を借りながらも意味の主導権を手放さずに済む相手だと言える。

この選択は、今後のディズニーとGoogleの関係にも、少なからず影響を与えると考えられる。その理由はシンプルだ。OpenAIという有力なパートナーを得たことで、ディズニーは「Googleと組まなければ先に進めない」という状況から一歩離れたからだ。

企業間の関係では、選択肢の有無がそのまま立場の強さにつながる(BATNAの有無)。相手に代わりがないときは条件を受け入れざるを得ないが、別の道が見えてくると、交渉の前提そのものが変わる。今回の提携は、ディズニーにとってその「別の道」を現実のものにした。

もっとも、ディズニーは交渉の場で声を荒らげたり、相手を公然と批判したりする企業ではない。これまでの歴史を見ても、ディズニーは正面から対立するより、静かに別の選択肢を用意し、その結果として関係性を調整してきた。かつてNetflixと距離を取り、自前の配信サービスを立ち上げたときも、同じようなやり方だった。

今回のOpenAIとの関係も、その延長線上にあると考えられる。Googleとの関係を断つわけではないが、「唯一の相手ではない」という状況を明確に示す。そのこと自体が、Googleに対する1つのメッセージになる。つまり、条件や方向性によっては、ディズニーには他の選択肢がある、という静かな意思表示なのだ。

そう考えると、今回の動きは単なる技術提携ではなく、ディズニーが今後どのような距離感で巨大テックと付き合っていくのかを示す、象徴的な一手だと見ることもできる。

一方で、Googleが今後どのような戦略を取るかを考えることも重要だ。Googleは、ディズニーのような強力なIPを買収する方向には、必ずしも進まないだろう。むしろ、IPに依存しなくても成立する世界、つまり「十分それっぽい物語」や「Toutubeでワンちゃん狙う便利な素人」が無限に供給される世界を完成させようとする可能性が高い。これは効率的だが、IPホルダーにとっては最も警戒すべき思想だ。

ここで、AppleとAmazonを加えて見よう。より全体像がよりはっきりすると思う。

Appleは、ディズニーやNetflixのように強力なIPを自社で抱える企業ではない。ミッキーマウスや独自の巨大な世界観を生み出してきたわけでもないし、物語を量産する会社でもない。一方でAppleは、物語に触れる「最初の体験」を強く支配している企業だ。

多くの人は、映画やドラマ、音楽、ゲームに、まずAppleの製品を通じて触れている。iPhoneやiPadで動画を見始め、AirPodsで音を聴き、Apple TVやApple TVアプリを通じて配信サービスにアクセスする。さらにVision Proのような新しいデバイスが登場すれば、没入体験の入口もAppleが握ることになる。

重要なのは、Appleがそこで「どの物語を見せるか」を直接決めているわけではない点だ。Appleは、NetflixやDisney+、その他のサービスを同じ土俵に並べ、滑らかで快適な体験を提供することに注力している。つまりAppleは、物語の中身には深く踏み込まないが、物語に入る扉そのものを設計している。

この立ち位置は、IPホルダーから見ると非常に独特だ。AppleはIPを奪わず、勝手に代替を作ることもない。しかし、入口を押さえている以上、完全に無視することもできない。ディズニーにとってもNetflixにとっても、Appleは競合というより、「切り離すことのできない前提条件」に近い存在だ。

Apple TV+のような自社サービスを持っている点も、この関係をより微妙にしている。Apple自身もコンテンツを提供してはいるが、その規模や思想は、IPを中心に据えるディズニーやNetflixとは異なる。Appleは物語の王になろうとしているわけではなく、あくまで体験全体の質を高める役割に徹している。

その結果、Appleは、誰とも正面衝突しないまま、すべての物語の入口に関わり続けるという、独特のポジションを築いている。

Amazonは、AppleやGoogleとも異なる、さらに別の立ち位置にいる企業だ。一般的にAmazonと聞いて思い浮かぶのは、ありとあらゆる商品を扱う巨大なオンラインストアだろう。日用品から書籍、家電、食品まで、ほぼすべてが揃い、注文すればすぐに届く。その裏側では、膨大な商品データや購買データがデジタル上で管理されており、その基盤を支えているのがAWSに代表されるクラウド事業だ。

この構造を踏まえると、AmazonがどのようにIPを見ているかが見えてくる。Amazonにとって重要なのは、物語や世界観そのものよりも、「それがどれだけ売れるか」「どれだけ回転するか」だ。IPは信仰の対象ではなく、あくまで商品やサービスの一つとして扱われる。売上につながるなら積極的に扱うし、そうでなければ静かに棚から消えていく。その判断は極めて合理的で、感情や思想が入り込む余地は少ない。

Prime VideoやMGMの買収は、一見するとAmazonがIPを重視しているようにも見える。しかし、そこでもAmazonの姿勢は一貫している。物語を文化として育てるというより、サブスクリプションの価値を高め、会員の滞在時間や購買行動につなげるための手段としてIPを位置づけている。映像コンテンツも、最終的にはECや会員基盤と結びついた一つのレバーに過ぎない。

この姿勢は冷淡に見えるかもしれないが、短期的な実利という観点では非常に強力だ。Amazonは、IPを感情的に扱わないからこそ、効率よく広げ、効率よく回収できる。一方で、その構造は、長い時間をかけて世界観や文化を育てていくディズニーやNetflixとは、本質的に相容れない部分も持っている。

だからAmazonは、IPホルダーにとって「使えるが、預けきれない相手」になる。販売や流通、消費の局面では頼もしいが、物語の意味や文化の継承までを委ねる存在ではない。その距離感こそが、Amazonの独特な立ち位置をよく表している。

こうして整理してみると、ディズニーの今回の判断は、単なるAI活用の話ではないことが分かる。それは、IPホルダーが巨大テックとどの距離で付き合うべきか、という、より大きなテーマの一つの実例だ。

ディズニーは、IPそのものを企業価値の中核に据え、意味や世界観を長い時間をかけて育ててきた企業だ。Netflixは、そのディズニーと同じ土俵で、物語とIPを武器に競争する存在である。一方でGoogleは、検索やYouTube、広告という構造を通じて、人々の注意や意味づけを最適化し、結果としてIPの希少性を相対化していく力を持っている。Appleは、物語を奪うことも代替することもせず、デバイスやOSを通じて「体験の入口」を静かに押さえている。そしてAmazonは、ECとクラウドを基盤に、IPを文化ではなく商品として扱い、消費と回転の中で価値を引き出す企業だ。

それぞれが、まったく異なる立ち位置にいる。その中でディズニーが選んだのが、自らIPを持たず、物語の主役にもなろうとしないOpenAIだったという点は示唆的だ。ディズニーは、意味や世界観を他者に預けることはしないが、その入口を広げるための技術は積極的に取り入れる。そして最終的な主導権だけは、自分たちの手元に残す。その姿勢が、今回の選択に表れている。

この判断は、今後、IPを持つ多くの企業にとって重要な参照点になるだろう。AIの時代において、すべてを自前で抱え込む必要はない。しかし同時に、すべてを外に委ねてしまえば、意味や価値は簡単に薄れてしまう。何を他者に任せ、何を自分で守るのか。その線引きこそが、これからの競争力を左右する。

ディズニーは、その問いに対して、「入口は開くが、意味は渡さない」という1つの明確な答えを示したように思える。

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