新規事業の旅210 人間の進化と悩み

2025年8月29日 金曜日

早嶋です。2300文字。

人間は、知能を持った生き物の代表になった、たぶん。ホモ・サピエンスという今の人類が、他の生き物よりも優位に立ち、道具を使い、集団で協力し、言葉を操るようになったのは、だいたい5万年前あたりからだと言われている。当時の世界の人口はごくわずかだった。1万年前でも、世界全体でたった400万人ほどで、今の東京よりも少ない規模だ。

それが長い時間をかけて、少しずつ増えていった。1900年には16億人。2000年には61億人。そして2025年には82億人にまで増えている。ここまでくると、直線的な増加というより、爆発的に跳ね上がっていると見た方が正しい。

人口増加は胃袋の増加だ。それだけ食べ物も必要になる。だから人間は、自然の流れに任せるのでは足りなくなって、食料を人工的に作るようになった。森を切り開き、畑をつくり、牛や羊を育て、水を引いて田んぼを耕す。農業の始まりだ。この頃から人類は、自然のエネルギーだけでなく、自分たちで集めて変換した新たなエネルギーを使いはじめたのだと思う。

最初は人力や動物の力で作業をしていたが、やがて蒸気や機械が登場し、効率よく大量生産ができるようになっていく。でも、それでもなお、当時使われていたエネルギーは、今のAI時代と比べれば、本当にかわいらしい規模だっただろう。

2022年ごろから、AIが一気に私たちの生活に入り込んできた。月20ドルくらいのサブスクを払えば、誰でも高性能なAIを使えるようになってきた。文章を書いたり、絵を描いたり、データを分析したり。ChatGPTのようなAIが登場してから、何かが一気に変わった気がする。

でも、新たな問題も出てきた。それが電気だ。

AIは、たった1つの質問に答えるだけで、0.3Wh前後の電力を消費する。これは、Googleで検索するよりも30倍も多いという。しかも、AIを動かしているのはGPUという超強力なコンピュータで、それを何百台も同時に動かしている。さらに、その熱を冷やすために、巨大な冷却システムも24時間動いている。昨日のブログにも書いたが、AIが1つの答えを出すだけで、人間が1日かけて脳で考えているのと同じくらいのエネルギーを使っていることになるのだ。

興味が出たので調べてみた。電気の使い道の変遷だ。時代とともに大きく変わってきているのだ。

たとえば1900年ごろの電力は、主に工場の機械を動かしたり、列車を走らせたり、都市の照明を灯すために使われていた。とはいいっても前半は列車は石炭、都市の証明はガスを燃やしていた。当時は家庭に電気が通っていない場所も多く、電力のほとんどは産業や一部の交通インフラのための動力源だっただろう。

それが2000年ごろになると、冷蔵庫や洗濯機、エアコン、テレビ、パソコンといった家電が当たり前になり、工場やオフィスなどの空調や照明など、電力の使用が広範囲に、そして前提になった。食料自給問題の議論も方方で議論されるが電力の確保をあわせて議論しないと意味がないくらい電気が生命のベースになっているのだ。

2025年の今。家庭やオフィスの電力消費は依然として大きいが、近年急激に伸びているのが、AIやデータセンターのための電力消費だ。たとえばアメリカでは、AI関連(主に大規模言語モデルや生成AI)だけで、電力全体の約4%を使っているという推定もある。しかも、これはたった数年で伸びた数字だ。このまま進めば、2030年には8%を超えるとも言われている。

データセンターでは、計算に使われるコンピュータ(GPUなど)そのものの電力だけでなく、それを冷やすための空調設備にも大量の電力が使われている。特にAIモデルは発熱が大きく、冷却コストが電力全体の半分近くになることもあるとされている。つまり、「AIを動かす」には、計算機だけではなく、建物全体、空調システム、配電盤までもが密接に関わっているということだ。

さらに、ビルの立地や電力網の強さによってもAI活用の限界が変わってくると考えると、今後の技術競争は、演算能力ではなく、電気の確保と配分の戦いになるのではないか、と思ってしまう。そして将来的には、電力全体の中でAI関連が20%から50%を占めるような時代が来るかもしれない。そうなれば、誰がどれだけ安定的に電力を確保できるかが、国や企業の存続すら左右する。そんな時代が、もう目前に迫っているのではないだろうか。

人間はいつの時代も、生きるためにエネルギーを使ってきたと思う。人口が増えたから、食べ物をつくるために森を切り開いた。作るだけでは間に合わなくなったから、機械を導入して効率化した。そして今は、複雑化した問題を解くために、AIを使おうとしている。でも、そのAIを動かすために、今度は莫大なエネルギーを用意しようとしている。なんだか少し皮肉な話だな、と思う。

そう考えると、ふと思うのだ。

狩りをして、魚をとって、自然とともに静かに暮らしていた縄文時代の人たちが、実は最も贅沢な人生を送っていたのではないか?と。もちろん戻ることはできないし、あの生活には不便も多かったのだろうけど、それでも、人間として自然と共に呼吸していた時代だったのではないか、と思ってしまう。その時代は1万年近く継続した。

「進歩」とは何だろうか。便利になることは本当に良いことなのか?そして、人間の脳ではなく、AIに問題を考えさせる時代のその先に、本当に幸せがあるのか?

コンピュータとロボットとAIが全てを動かす時代になって、人間は暇になる。そして、その意味を考えることに没頭するようになる。なんだか星新一の短編小説の世界を生きているような感じがする。



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