早嶋です。
5年ぶりに、運転免許の更新に行った。場所は昔からあった、ゴールド免許センターが移転になっており、少し探した。しかし、会場の雰囲気は相変わらずだ。どことなく病院のような、役所のような、そういう空気をまとった空間。朝から多くの人が並び、流れ作業のように各ブースを回る。だが、ふと感じた。
「これ、20年前と何も変わっていないのではないか?」
案内の通知はハガキで届く。ハガキには、自分の講習区分や持ち物、手続き場所などがびっしり書かれている。ところが、このハガキには優良運転者も違反者も同じような説明が書かれていて、正直読みづらい。そして、予約は別途QRコードを用いてWebで取るのだが、その際にまた免許番号や生年月日などを手入力する必要がある。すでに本人宛てに通知を送っているのに、なぜここでまた本人確認のような手続きが必要なのか。
そう感じて、改めて一連のプロセスを観察してみた。
受付で紙のアンケートを記入し、窓口で手数料を支払い、視力検査を受け、30分の講習を聞く。最後に免許証が交付される。もちろん、ところどころに機械で読み取って、印字するなどの流れは改善されているが、トランスフォーメーションが起きていない。むしろ、マイナカードやQRコードといった要素が中途半端に入り込んだことで、むしろ余計に煩雑になっているようにも見える。
そもそも、なぜ免許更新の制度は、3年や5年という定期更新が原則なのだろう。安全運転をしているかどうかを定期的に確認するという意味では合理的かもしれない。だが、今は違う。すでに、過去の違反履歴や事故履歴、さらには運転スタイルに関するデータまで蓄積できる時代だ。であれば、更新の間隔は一律でなくてもよいはずだ。
たとえば過去10年間一度も違反や事故を起こしておらず、安全運転を続けている人には、10年更新でもよいだろう。一方で、違反が多かったり、事故歴があるドライバーには、1年から2年おきの講習とチェックを義務づける方が合理的だ。実際、そうしたデータドリブンな設計は保険の世界では当たり前になってきている。
また、高齢者についても同様だ。日本では70歳以上になると免許更新は3年おきに固定され、75歳以上になると認知機能検査が追加される。だが、年齢だけで一律に判断するのは、フェアではないと思う。80歳でも日常的に運転をしていて、認知能力も身体機能も保たれている人もいる。逆に、70代でもリスクが高い運転者もいる。重要なのは「年齢」ではなく、「能力」だ。
さらに言えば、「更新」という概念自体をパッケージで考えるのではなく、分解してもいいと思う。たとえば、運転に支障がないかの健康チェックは年1回、講習はオンラインで2年に1回、免許証そのものの物理更新は10年に1度。そんなふうに、要素ごとに柔軟に設計することだってできる。
こうした仕組みを支えるのは、もちろんデータだ。だが、そのデータはすでに持っている。警察も、行政も、保険会社も。あとは、それを使っていい制度設計に変えるかどうか。つまり、マネジメントの問題だ。しかし、公務員にはマネジメントの概念が損沿いしない。現場が悪いのではない。構造が、変えるインセンティブを持っていないからだ。
前例通りに粛々と手続きを回す方が、評価され、責任を問われずに済む。そこに改善やUXといった概念が入り込む余地は、あまりない。でも、それではもう通用しないと思う。マイナンバー制度を導入し、デジタル庁まで立ち上げた今こそ、行政の体験設計を抜本的に見直すチャンスだと思う。免許更新という、日常の些細な体験だが、社会全体の制度設計が滲み出ている。変えようと思えば、変えられる。誰でも同じような思いがあり、おおくの場合、解決策も見えている。テクノロジーは十分にあるのだ。