早嶋です。約1600文字。
本日、「一般社団法人九州・台湾未来研究所の創設記念イベントに参加。基調講演のtsmc著者林宏文氏の講演を聞きながら整理した内容だ。設計と製造が分業する前の日本に戻る可能性は十分にあり、その勝ち筋を九州を中心に目指す方法があると感じた。
TSMCが熊本に拠点を構え、日本政府が1兆円を超える補助を決定したとき、多くのメディアは「製造回帰」や「経済安全保障」といったキーワードで報じた。だが、本日の講演を聴いて、この流れをもっと深く、戦略的に捉えるべきだと思った。TSMCの事例は、単なる工場誘致ではなく、台湾から日本への主導権の一部移転という構造的な変化と捉えることが出来るからだ。
TSMCはなぜ日本を選んだのか。その理由は単純ではない。米国アリゾナ、欧州ドイツ、そして日本熊本という三拠点への展開は、台湾という国家が生き残るための地政学的分散戦略に他ならない。台湾はTSMCという経済的中枢を国外に少しずつ共有することで、各国が台湾の存在に利害を持つ構造を築いている。まさに経済版NATOのようなものだ。熊本はその中で、日本の自動車産業や産業機器産業を支えるアジア側の安全装置として位置付けられているのだ。
TSMCが巨額を投じたアリゾナ工場は、建設遅延・コスト高騰・技術者不足といった問題に直面している。米国では責任ある精密作業に対する文化的乖離が大きく、TSMCが求める基準を再現することは容易ではなかった。工場の建設に対しても2年程度の期間が4年程度かかるなど、政治的な理由での投資の側面が大きい。一方で熊本は、政府・企業・地域が一定の調和のもとでTSMCの製造文化を受け入れている。日本は最先端製造の静かな受け皿として、アジアで最も安定した選択肢になりつつあるのだ。
ただ、日本の半導体戦略には決定的な空白がある。それがIC設計、つまり、何を作るかを定義する力が不足している点だ。製造・装置・材料・歩留まり、これらに強みを持ちながら、設計の分野ではAppleやNVIDIA、Armといった海外勢に完全に依存しているのが日本の現実だ。思想を持った回路設計、つまりIP(知的財産)を日本が生み出せなければ、製造を国内に持っていても最終的にはTSMCの黒子、もしくは下請けにとどまってしまう。
実際、日本国内には活かされていないIPの種が豊富に眠っている。センサー制御、車載電源、ミリ波レーダー、医療画像処理、MEMS、環境センシング。これらの技術は、大手企業や研究機関に蓄積されてきたものだ。しかし、それを再利用可能な部品、つまりはIPとして構成し直し、世界のEDA(Electronic Data Interchange/電子データ交換)環境で流通させる取り組みはほとんど行われてこなかった。これを変えるには、大学・研究機関とスタートアップを結ぶ、いわば翻訳装置が必要なのだ。
研究成果を社会実装へと変えるスピード感と視野を持つのがスタートアップだ。日本のアカデミアには世界レベルの成果があるが、それを事業化し、製品に昇華させる役割がこれまで決定的に不足していた。いま、熊本にTSMCという実体化のための手段がある。そこに、日本の研究者の構想力とと、スタートアップの翻訳する役割としての足を結びつければ、日本は「設計と製造の自立した国」として再生できる可能性が十分に生まれる。
ここで、今回の講演のスライドのまとめが思い出される。そこにはこう書かれていた。
「日本は基礎研究と長期視点、職人気質が強く、台湾はスピードと資本活用に優れる。この違いがあってこそ、電子産業は競争力を持つ」と。
これは単なる美辞麗句ではない。実際に、TSMCを日本に持ってきた構造そのものが、こうした補完関係によって成り立っているのだと思う。日本の研究と、台湾の実装力。日本の重厚な知見と、台湾の敏捷な組織力。これらが交差する地点に、世界と戦える設計思想が生まれるのだ。そしてその思想を回路に変えるのは、我々の意志と、起業家たちの挑戦なのかもしれない。