バーボン・ボンバイエ

2007年12月5日 水曜日

早嶋です。



本日は、シリーズで開催させていただいた「マネジメント研究会in上場商会」の最終日で、企業の情報化をテーマに研修をさせて頂きました。参加者の皆様、お疲れ様でした。



さて、古いアメリカ映画に良く出てくるシーンで、葉巻とバーボンというのがありますが、お膝元のアメリカでの需要は下降気味でした。これを示す数字に70年代の生産が年間100万バレル以上だったのが、99年には50万バレルを下回ったのです。需要が低下してきた原因の一つは健康ブーム。米国では、バーボンは「不健康」というイメージが定着したのです。



このバーボンの救世主となったのは以外にも日本。ワイルドターキーなどのブランドが日本に輸入されブームをわき起こします。02年には、フォーローゼスをキリンビールが買収し、新しい製法で作り始めたのをきっかけに、05年にはベストバーボンに選択されるまでになりました(フォーローゼスは40年代こそトップブランドでしたが、買収された当時は人気落ちでした)。



並行して米国のバーボン業界も起死回生に奮闘します。例えば、ハードリカーの色が強かったバーボンを使ったカクテルのレシピを開発し、Webを使って広めたり、料理の材料としてそのレシピを考案したりして、若い層をターゲットにPRしました。



また、バーボンの産地でもあるケンタッキー州ではバーボンの醸造所をめぐるツアー「バーボン・トレイル」を企画して宣伝活動に注力しています。醸造所でも、州の取り組みに便乗して、醸造所にテイスティングルームを設けたり、バーボンの歴史を学べるビジターセンターを併設したりしました。



この結果、ケンタッキー州の観光客も増加し、バーボンの生産量も100万バレルを突破する勢いまでなったのです。



更に、バーボンの復権には、民間、州以外にも国が加担しています。9月を毎年、「バーボンの歴史を祝う月間」として、ケンタッキー州でバーボン・フェスティバルを開催するようになりました。



バーボンの復興を行う、一連の活動は、メーカー、地方、国が旨く協力し合った結果と言う事になります。この取り組みは、他のマーケティング活動の参考になると思います。



コメントをどうぞ

CAPTCHA