ソクラテスの弁明

2020年10月29日 木曜日

早嶋です。

ソクラテスがソフィストから妬まれて裁判にかけられ、その中でソクラテスは自分の信念を貫きます。最後の場面では、死についての恐れは、知らないことの恐れ。自分が知らない世界を、知りも知らないのに恐れる事自体がおかしなこと。と、物事に対しての心理、そしてマインドセットを与えるさすがの思想です。

ソクラテスはギリシャ3大哲学者の一人です。当時、紀元前5世紀頃のギリシャは、今では当たり前になっている民主主義が普及しはじめ、皆で議論してきめることが新鮮でした。一方、当時のアテナイの敵でもあるスパルタはその民主主義の考えやアテナイの振る舞いに対して反対で敵対の関係になっていました。

そのような環境の中でもアテナイで進められる民主主義はやがて政治の世界の基本的な思想になり、今のように人気取りを行いたい政治家が言動や表現を匠に操り民衆の人気取りに躍起になっていきます。そこで当時のギリシャでは弁論が異様に発達して知識人の集大成でもあるソフィストが活躍することになります。

ある日、通りで有名なソフィストに見知らぬ老人が語りかけます。ソフィストは傲慢で鼻高々で老人の分際でこのソフィスト様と議論をするとは何を考えているんだ?的な態度で老人と議論をしますが、数分後には老人にけちょんけちょんにされてしまいます。老人はその際に、私は知らない。という言葉をのこしています。

当時のギリシャは神に伝える巫女が神からのお告げを受けて政をする神託が盛んでした。ソクラテスは神こそが最大の心理で、その神の考えや神託に対してかなりの興味を持ち、その謎をとくことに集中しています。そんなおり神託を受けるデルフォイからソクラテスこそ真のソフィストである内容の神託を受けたのです。

ソクラテスの当時の議論の仕方は問答、対話、質問です。議論する相手に対して論点を整理しながらも〇〇は何か?と続けて、やがて相手が思考停止に陥ったり、自分の誤ちに気がついたり、議論の矛盾を発見したりさせることで論破する方法をとっていました。街であったソフィストもその一人で、ソクラテスとしては単に神の本質を知りたくて、通り中の人々に問答を行っていただけなのです。

しかし、その行為は結果的にソフィストからすると悔しかったのでしょう。自分が最高と思っていたら、そこらへんの老人との問答で自分の愚かさを晒されることになったからです。そして高飛車なソフィストは恥をかかされたと思い徐々にソクラテスに対しての恨みをつのるという、まさに逆ギレ大魔王の道を進むのです。

もちろん、当時のソフィストの中にも、そのような問答を通じて、自分の真の愚かさを気付かされることに感銘を受け、弟子になったり、ソクラテスの問答を研究するものもいたようですが、いつの時代も少数の悪が正義を貶める構図が当時もあったのでしょう。当時のギリシャが多神論だった頃のソクラテスは一神論者を貫き、ソフィストは、そこにも罪を着せました。更に、街中をであるき問答をすることで若い人間の才能を潰しているというような罪を着せ裁判に持ち込みます。

ソクラテスの弁明は、4冊シリーズの中の1編で、話がその裁判の始まりから書かれているので背景や流れがつかみにくいのですが、実に今の世の中でも参考になる考えです(当たり前でしょうが)。

裁判にあたり、ソクラテスは他のソフィストと違って普通の言葉で、真実を語ります。街の噂はアタマの中で真実と常識に変わり、自分のアタマで判断ができない人々は思考停止に陥り、多くのソフィストの言うことが真実だと勘違いしてします。しかし、それは決して自分で考えた結果ではなく愚かなことだと。実際の表記は異なりますが、そのようなニュアンスで語ります。

ソクラテスは神託を受け、神とは何か、心理とは何かを探求しているに過ぎず、自分でもその事がわからない。わからないから自分に絶えず問いかけ問答して、みんなにも考えてもらっているのです。しかし、ソフィストは自分が全てを知っていると思っており、ソクラテスとの問答に悶絶して恥をかかされた。その挙げ句に私を追い出したくなったのが真実だと。まぁ、見事な語り口で弁明します。

若者を堕落させているという疑義に関しても、若者が善良になることは何か?とソフィストたちにといかけました。堕落を訴求するのであれば、その反対をソフィストが追求しているはず。ソフィストは若者の将来を考えているはず。それが即答できない、むしろ言葉につまるというのはいかがなことか?常にソフィストは自分がいいようにするために、多くの賢人よりも、一人の悪を作り出し、その悪を貶めようとする。しかし、本当に大勢のソフィストが一人の悪に貶められることが可能なのか?そんなにソフィストは無能なのか?なる返しもしています。かなりスッキリするお話です。

しかし話が進むと告発は明らかに嘘と分かっても裁判はソフィストの政治力で負けてしまいます。ここにも民主主義の悪が露呈し、死の宣告を受けることになります。ソクラテスの仲間は、ソクラテスを解放するために金銭を準備して交渉するシーンが続編には出てきます。しかし、その行為は邪悪な行為として一蹴され、自分が嘘をついていないのに、偽りを認めて牢屋からでるおとは筋が通らない。そのようにこのような状況でも信念を貫きます。

そして多くの人達が恐れる死についても、死を体験したことがない。だから何を恐れるかの理屈が通らない。知らないものを怖がるのは愚。しかしながら、ソクラテスの考え方や生き方は大切にしてほしい。常に問答を繰り返し、自分で考え続ける。知らないことを知ることがその人の思考が発達する方法。そのような教えを残してこの世を去っていきました。

どうでしょう。covit-19によって急に世の中がガラガラポンになり始めました。大企業は方向性を失い、インフラ関係は売上が蒸発します。それでもなんとか従来の延長や事業モデルでしのごうとします。が、本当に大丈夫か?と自分のアタマで考え問い問答をし続けるひとがどの程度いるのでしょうか?個人の戒めを含めて改めて読み返しました。



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