新規事業の旅208 SHEIN制裁が映し出す規制機関の存在論

2025年8月22日 金曜日

早嶋です。約3700文字です。

(SHEINとACGMによるGreenwashingの概要)
中国発のファストファッションプラットフォーマーSHEINは2024年9月、イタリアの競争・市場保障局AGCMにより「環境に優しい」とする表現が、正確でなく、気を起こさせるものであるとして調査対象となった。

問題は「evoluSHEIN」コレクションなどで用いられた「リサイクルコットンの原料を使用した」「環境に優しい素材」などの文言だ。更に、実態や範囲を明示せず「素材の5%だけがリサイクル」といった例もあるのに、商品全体が環境配慮型であるかのような表現がされていたことだ。また、SHEINは2030年までに温度加減排出量を25%減らす、そして2050年までにネットゼロを達成すると宣言している一方で、実際には2022年から2023年間に排出量が増加していたこともAGCMの評価の一因となった。

結果として2025年8月4日、SHEINに対して100万ユーロの制裁金が科された。AGCMはその重要性を語り、「ファストファッションという高い環境負荷を持つ産業に属するなら、より高い責任が必要である」としたのだ。

(SHEINは欧州ファストファッションからの制裁の対象か?)
素直にニュースを受け止めないのが私の悪い癖だ。この制裁は、「エスタブリッシュメントからの排除メッセージの可能性が無いかな?」と思ったのだ。実際にSHEINはプライスでライバル会社の1/3程度で販売し、若者を中心にシェアを拡大している。確実に欧州ブランドにとって強い脅威なのだ。

しかし、諸々調べると中立な期間だった。委員は内閣からではなく議会によって選任される仕組みを持つ。そのため、政治的な意図や企業からの圧力に左右されにくい構造で、制度的に中立性・公正性が強く担保されている。また、調査・制裁の実施過程では公開された年次報告や第三者監査を通じて透明性が確保されており、制度的ガバナンスの水準は高い。

実際に、AGCMは国内外の主要ファストファッション企業に対して同様の基準で調査を行っている。その一例として、H&Mに対する「Conscious」コレクションの問題を見るとわかりやすい。このコレクションでは、商品タグに「持続可能な素材を使用」「高級なオーガニックコットン使用」などと記載されていたが、AGCMはその根拠となる具体的な割合・認証基準の不明瞭さや、検証可能性の欠如を問題視したのだ。また、同シリーズの一部商品が、従来品とほぼ同じ素材構成であるにもかかわらず価格が上乗せされていたことから、消費者を誤認させる不当表示に該当する可能性があると警告を発した。これによりH&Mには自発的な修正と情報開示の強化が求められた。

このような事例は、AGCMが特定のブランドを標的とするのではなく、市場全体に対して一貫したルールの適用を目指していることの証左といえる。

(ラグジュアリーブランド寄りの可能性は無いか?)
今度は、逆にファション全体に対して視野を広げて疑ってみた。SHEIN以外のファッションブランドに対するAGCMやEU、そして各国の規制当局による調査事例を見ることで、公平性を評価することができると考えたのだ。

たとえば、イギリスの競争・市場庁(CMA)は2022年、ASOSおよびBOOHOOに対して「サステナブル・コレクション」と題した一連のプロモーションが、消費者に誤解を与える可能性があるとして調査を開始した。具体的には、両社が展開する「Responsible Edit」「Ready for the Future」といったコレクションにおいて、素材の実態や選定基準が曖昧で、特に「リサイクル含有率が20%から25%にすぎない商品」に対しても「サステナブル」と称する表現が使われていた。さらに、独立した第三者認証が明示されていないにもかかわらず、環境に優しいという印象だけが強調されていたことも問題とされた。

このような手法は、あたかも企業が環境負荷の軽減に真摯に取り組んでいるかのような「グリーンイメージ」を演出し、いわば「意識の高い消費行動を装う」ためのマーケティングであったのだ。これに対し、CMAやAGCMは「消費者に誤った選択をさせるおそれがある」として、情報開示の明確化と根拠ある表示の徹底を求めた。

さらに、イタリア国内の例としては、Giorgio Armaniグループに対する措置が挙げられる。同社は「倫理と社会的責任を重視している」と繰り返し発信していたが、AGCMはその主張とサプライチェーンにおける実態との乖離に注目した。具体的には、南アジア地域の縫製工場における長時間労働、低賃金労働が報告されており、これが「エシカル・ファッション」を掲げる同社の広報姿勢と矛盾していると指摘された。この件に対しては、是正勧告とともに数十万ユーロ規模の制裁金が科されている。

これらの事例は、AGCMや他の欧州規制機関がファストファッション企業だけでなく、ラグジュアリーブランドに対しても同様の基準で監視を行っていること、そして市場全体に対して公平な規制を意図していることを示している。

(規制機関や組織の存在意義と役割についての考察)
規制機関や組織は、自らの存在意義を、一定の「成果」で示そうとする傾向がある。その成果は、調査件数や制裁金の総額といった数値で測られ、結果として次年度の交付金や予算規模の判断材料となる。

経済学者ウィリアム・ニスカネンは、官僚組織が自らの予算と存続を正当化するために、意図的に活動を拡大する傾向があると指摘した。これは「自己目的化する制度」の典型で、規制当局もまた、その例外ではないと思う。継続する制度は、むしろ問題が継続して存在することを必要とするという、逆説的な構造を内包する。

つまり、問題が過度に解決され、平穏な状態が長期化すると、これらの組織は自らの存在理由を見失いかねない。制度の維持と正義の実現が乖離するリスクがそこにあるのだ。

この構造に対して、フランスの思想家ミシェル・フーコーは、「視る者の権力」という概念を通じて、近代社会が制度と監視によって人間の行動や思考を形成していく様を描き出した。病院、学校、監獄、軍隊などの制度は、単なる管理装置ではなく、「規律と訓練」によって人間を構築する働きを持つ。その視点に立てば、正義の名を掲げる制度が、実のところ制度が制度であり続けるための装置として作用していることも理解できる。

また、歴史的に見ても、正義を名目とした制度が「義を対象化」し、最終的に「制度のための正義」へと変質する構図は繰り返されてきた。たとえば、フランス革命後に設けられた革命裁判所は、「人民の敵を裁く」という大義を掲げて設置されたが、次第に裁くこと自体が制度の存在理由となり、ロベスピエールの恐怖政治を正当化する装置へと変質していった。

また、20世紀においては、マッカーシズム期のアメリカで行われた共産主義者追放も同様である。共産主義という「脅威」への対抗という正義の名のもとに、多くの文化人や研究者が「告発されること」自体を目的とした制度的運用の犠牲となった。

このように、制度が一度「正義を執行する主体」として制度化されると、それは次第に対象を管理し続けること自体に意味を見出すようになる。そして、もともとの目的とは異なる軸で正当性を再生産しはじめる。

このことは、規制当局を「必要悪」として捉える観点を導く。不公正な存在であるとは限らないが、その評価には常に「誰が誰を継続的にチェックするのか」という視点が伴わなければならない。ゆえに、規制当局に対する態度は「不要」ではなく、「要監視」である。それこそが、正義を「独占するもの」から「共有され、問い直されるもの」へと転換させる契機となるのだ。

(感想)
今回のSHEINに対するAGCMの制裁から、AGCMなどの機関のリサーチで感じたのは、「正しさ」とは本当に一枚岩なのだろうか、という素朴な疑問だった。

SHEINのマーケティングが不透明であったことは否定できない。しかし、その一方で、消費者意識の高まりや、環境問題の可視化という求められる姿に、彼らなりに応えようとした側面も見える。問題は、その「応え方」が形式や言葉にとどまり、実態とのズレを生んでしまったことにある。

一方、規制当局もまた、正義を行う主体としては「非人格的な制度」である。制度が制度である限り、そこに完璧さはなく、常にどこかに摩擦やズレが生まれる。

SHEINは、急成長するプラットフォーマーとして、時代の要求に応じながらも制度の鋭さに照らされた存在かもしれない。そこに意図的な悪意を読み取るよりも、むしろ「制度と現実の間に立つ企業」がどう在るべきかという問いが残る。

この出来事は、SHEINだけでなく、規制当局や私たち消費者自身にも「持続可能であること」の意味を静かに問いかけているように思う。



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