早嶋です。4400文字。
最近、日本がGDPでドイツやインドに抜かれたというニュースを目にする。確かにそうで、日本はかつて世界第2位だったが、いまや5位前後を行き来する。そう聞くと、反射的に「日本は衰えた」「国力が落ちた」と感じてしまう。しかし、その「弱くなった」という印象は、実態を表しているのだろうか。私は、そう単純には言い切れないと思う。なぜなら、GDPという指標は、そもそも国内だけの話だからだ。
GDP、つまり国内総生産は、その名の通り「国内で生み出された付加価値の総額」だ。日本の工場で作った車や機械、国内の店舗で売った商品など、国の中で発生した経済活動をすべて足したものがGDPだ。従い、トヨタがアメリカで販売した車の利益、ユニクロがベトナムで作った衣服の付加価値は、日本のGDPには入らない。逆に、アップルが日本の工場に発注した部品の付加価値は、日本のGDPに入る。つまり、GDPは「どこで作ったか」の指標であり、「誰が稼いだか」ではない。
ここに一つ目の落とし穴がある。日本企業は長年、海外での生産や販売を拡大してきた。世界中で稼いでいるのに、その成果は日本のGDPには反映されない。だから、表面的には数字が伸びないように見えるのだ。実際には稼いでいるのに、国内で作っていないから数字に出ない。これが、GDPで見ると日本が「弱くなった」ように映る理由のひとつだと思う。
そこで出てくるもう一つの物差しが、GNI(国民総所得)だ。GNIは「誰が稼いだか」で測る。つまり、日本人や日本企業が世界のどこで利益を得ても、それを日本の所得として数える。トヨタがアメリカで稼いだ利益も、ソニーがヨーロッパで得たロイヤリティも、GNIには含まれる。GNIはGDPに海外からの受取所得を足し、海外への支払を引いたものだ。要するに、国民や企業の「稼ぐ力」そのものを示す指標といえる。日本のように海外投資からの収益が大きい国では、GDPよりGNIのほうが実力を映しやすい。だから、もし国の「力」を測りたいなら、本来はGNIのほうが適している、と思うのだ。
しかし、ここにも第二の落とし穴がある。GNIもGDPも、いずれも総額で見ると、どうしても人口の多い国に軍配が上る。中国やインドが典型だ。人口が10倍もある国と単純に総額を比べると、日本が下に見えるのは当然だ。だから、国の「豊かさ」や「成熟度」を比べたいなら、一人あたりに換算しなければ意味がない。この「一人あたり」に落とした瞬間に、数字と肌感覚がようやく一致してくる。
一人あたりで見ると、世界は驚くほどわかりやすく整理できる。人口と所得、この二つの軸でマトリクスを描けば、各国の立ち位置が自然と浮かび上がる。
まず、人口が多く一人あたりの所得も高い国。これはアメリカが典型だ。アメリカの人口は約3億4千万人。GDPはおよそ27兆ドル、そして一人あたりGDP(もしくはGNI)は約8万ドルに達する。圧倒的なのだ。テクノロジー、金融、軍事、資本市場のすべてでリーダーシップを握り、国のスケールと生産性の両方を同時に備えているのだ。
日本もこのグループに近い。人口は約1億2,500万人、GDPはおよそ4.2兆ドル。一人あたりにすると3万3千〜3万8千ドル前後(為替によって変動する)。円安が進むとドル換算では見栄えが悪くなるが、円建てでの生活水準や社会インフラの整備度を考えれば、依然として豊かな国の一つであることは間違いない。見かけの順位が落ちても、国の質そのものが急に変わったわけではない。むしろ、長い時間をかけて積み上げた安定と成熟が、日本の大きな特徴だと思う。
次に、人口が多く一人あたりの所得がまだ低い国だ。中国やインド、バングラデシュ、ナイジェリアなどがこの層に入る。中国は人口14億人を超え、GDPは18兆ドル規模。一人あたりGDPはおよそ1万2千ドルほどで、急速に中進国水準へ近づいている。インドは人口14億人を超え、GDPは3兆6千億ドル前後だが、一人あたりではおよそ2,500ドルにとどまる。バングラデシュは約1億7千万人で一人あたり2,700ドル前後、ナイジェリアは2億2千万人でおよそ2,000ドル強だ。総額で見ればこれらの国々はすでに巨大な経済圏を形成しており、世界の生産と消費の中心がアジアとアフリカに移っているようにも見える。しかし一人あたりで見ると、まだ伸びしろの大きな段階にあるのだ。
ただし、中国やインドの都市部に限れば、すでに中進国から高所得国に迫る層が厚くなってきている。北京やバンガロール、ムンバイの街を歩くと、生活水準や物価が東京やソウルとそう変わらない場所も増えている。中間層が拡大し、住宅・教育・医療・レジャーへの支出が急速に増えている。この変化が、世界経済の構造を大きく動かしている。私たちがアジアを訪れて感じる街の勢い、物価の上昇、そして若い世代の購買意欲の高さ。それらはすべて、統計と整合している。
次に、三つ目のグループだ。人口が少ないのに一人あたりの所得が非常に高い国々だ。ノルウェー、スイス、ルクセンブルク、アイスランド、シンガポール、カタールなどがその代表格だ。
ノルウェーの人口はわずか540万人ほどだが、一人あたりGNIはおよそ9万8千ドル。カタールも300万人に満たない規模ながら、一人あたり7万6千ドルを超える。彼らは典型的な資源国家型で、石油や天然ガスの輸出で得た富を国家基金に積み上げ、その利子や投資収益を社会保障や教育、インフラ整備に回している。資源を単に掘るのではなく、資源そのものを「金融資産」に変換する発想だ。ノルウェー政府年金基金は世界最大の主権ファンドとして知られ、国内の未来世代のために運用されている。
もうひとつの型は金融・知識集約型だ。スイスやルクセンブルク、シンガポールがこのタイプだ。スイスは人口約900万人ながら、一人あたり9万5千ドル近い水準だ。ルクセンブルクは人口63万人で9万1千ドル。シンガポールも約600万人で7万5千ドル前後を誇る。これらの国々は、法制度の安定性、教育水準、そして厳格で信頼される金融システムを武器に、世界中の資本や人材、知識を吸い寄せている。彼らはモノではなく仕組みで稼ぐ国だ。現地を歩くと、街の整備、医療や教育、公共サービスの質に驚く。少人数でも、制度の成熟と知識の密度で豊かさを支えている。
つまり「人が少ない=国力が小さい」ではなく、「少ない人でも高い生産性を維持する構造を持つ」ことが、欧州小国やシンガポールの共通点だ。
そして、ドイツやフランス、英国、カナダ、オーストラリアといった中規模の国々は、その中間に位置している。ドイツは人口8千万人でGDP約4.5兆ドル、一人あたり5万6千ドル前後だ。フランスは人口6,700万人で4.4万ドルほど、英国は6,800万人で5万2千ドル。カナダは3,900万人で5万3千ドル、オーストラリアは2,700万人で6万2千ドルに達する。
これらの国々は、製造業の競争力や技術力、資源、移民政策、資本市場の整備など、複数の要素を巧みに組み合わせ、それぞれの形で高所得を維持している。特にドイツは、輸出と製造の強さに加えて社会制度の安定があり、派手さはないが底堅い。最近のドイツの成長が目立つのは、まさにこの構造的な強さゆえだと思う。国の規模に対して、一人あたりの生産力が極めて高い。そうした国こそ「地味だが強い」と呼ばれるにふさわしい。
こうして見ると、GDPだけを見て「日本が抜かれた」と言うことがいかに単線的かわかる。GDPは国内の生産力の物差しであり、GNIは国民が世界で稼ぐ力の物差しだ。そして、どちらも人口というスケールを無視すれば、誤った印象を生む。一国の実力を知るには、この二つを併せて見たうえで、さらに一人あたりに直す必要があるのだ。そして、ようやくそこで、国の「生活水準」や「成熟度」が見えてくるのだ。
ただ、ここで見逃せないもう一つの要素がある。それが為替だ。近年、円は120円から160円の間で大きく揺れ動いてきた。ドル建てで見れば、日本のGDPは円安のときに小さく見える。たとえば1ドル120円のときと150円のときでは、同じ国内生産でもドル換算のGDPは20%から30%も縮む。だから、国際比較で日本が「順位を下げた」と見えるのは、為替の影響を受けている部分が大きい。国内の実体は変わっていないのに、外から見ると小さく映る。それが見かけの衰退の正体なのだ。
もちろん、円安は輸出企業にとっては一時的に追い風になる。海外売上を円に直すと利益が増えるからだ。しかし、それは生産性が上がったわけではなく、単に為替レートが変わっただけの話だ。むしろ、エネルギーや食料、原材料を輸入に頼る日本では、円安は生活コストの上昇をもたらす。実質的な購買力が下がり、家計が細る。私たちが「最近、海外が高く感じる」と言うとき、それは為替が私たちの暮らしを通して可視化している瞬間でもある。
だからこそ、私は中期的には円を120円から130円前後に戻すべきだと思っている。そのほうが、日本全体にとって健全だからだ。円高方向に安定すれば、エネルギーや食料の輸入価格が落ち着き、実質賃金が戻る。企業も為替頼みの収益構造から脱し、設備投資や人への投資に向かいやすくなる。円が安定して強ければ、海外の技術や教育、研究資材にもアクセスしやすくなり、日本の学ぶ力が戻るのだ。為替の安定は、国の信頼の裏返しでもある。極端な円安は「安い日本」という印象を世界に与えかねない。逆に、安定した強めの円は、制度や技術、社会の成熟を象徴するのだ。
もちろん、為替は金利差や物価、経常収支、財政など多くの要因で決まる。通貨だけを操作して強くすることはできない。だが、エネルギーの自給力を高め、人的資本や研究開発に投資し、産業構造を整えていけば、円は自然に信頼を取り戻す。通貨は結果であって原因ではない。けれども、その結果を整える力を国が持っているかどうかが、長期的な豊かさを決めるのだと思う。
結局のところ、「日本は弱くなったのか?」という問いに答えるには、まず物差しを正す必要がある。GDPは国内の生産を映し、GNIは国民の稼ぎを映す。総額の順位は人口の大きさに引っ張られる。だから一人あたりで見なければ、生活水準も成熟度も分からない。そして為替がその見え方を歪める。円安は日本を小さく見せる。中期的に円を120円から130円で安定させることは、家計にも企業にも、そして国家としての信頼にもつながる。
数字は便利だが、数字だけを見ていると本質を見誤ることがある。何を測り、何のために比べるのか。その視点が定まれば、悲観や焦りは静かに整理されていく。物差しを替えれば、景色が変わる。日本はまだ豊かで、可能性も残しているのだ。









