早嶋です。1500文字程度です。
最近、「パーキンソン病を予測するペン」というプロトタイプの存在をニュースで知った。これは、人間が文字を書くという日常的な行為から、神経疾患の兆候を早期に察知する取組だ。まだPOCレベルだが、書いた線のブレ、筆圧の変化、字の大きさやリズムといったデータを収集し、スマートフォンなどの端末と連携してクラウドに蓄積、機械学習によってパターン化された「異常兆候」と照合することで、本人も気づかない小さな変化を捉える概念だ。
この発想は、同様に登場しているスマートリングやスマートトイレとも親和性がある。前者は睡眠の質や心拍、ストレスレベルを24時間トラッキングし、後者は尿・便から身体の栄養状態や病気の兆候を検知する。いずれも共通するのは、「日常生活の無意識な行為」を介してバイタルデータを常時取得し、蓄積するという考え方だ。
こうした取り組みは、単に個人の健康を管理するだけではない。全人類のバイタルデータを常時取得・分析することで、疾患の予測・未病の可視化・医療資源の最適配分が可能になる。
たとえば、ある人が突然発症した心臓疾患について、その直前1ヶ月の心拍や睡眠データ、生活習慣を追跡し、過去に同様の症状を呈した人々との傾向をAIが照合する。そこから「なぜこの人が今発症したのか」という因果関係のモデルが生まれる。これが蓄積されればされるほど、未来の誰かを救うための前例となるのだ。
問題は、このデータを誰が持ち、誰がアクセスし、どう管理されるべきかという点だ。もしすべての人類のデータがブロックチェーンのような不可逆的で改ざん不能な形で保存され、個人が匿名のまま解析対象となるならば、その傾向値は多くの研究者や医師が自由に使える公共財となりうる。一方で、個人が特定される可能性があるデータには、アクセスに厳格な制限と透明性が必要だ。
この構想は、ある意味でウィキペディアのようなものに近い。すべての人の経験が集合知として蓄積され、それを誰でも参照できるが、書き換えたり悪用したりはできない。
ここで重要なのは、「すべてのデータが揃えば、もはや専門家はいらない」という誤解だ。実際には逆である。弁護士は判例データベースが整備されたからこそ、判断に集中できるようになった。医師も、過去の症例をAIが整理してくれることで、個々の患者の違いに注目できるようになった。金融も、アルゴリズムがトレンドを予測するからこそ、人間はその意図やリスクを洞察する役割を持つ。
つまり、記憶や情報の保持ではなく、それらを編集し意味づけし活用するスキルが専門性になる。
ここまでくると、教育そのものの在り方も変わる。かつて、教育とは「知識のインストール」だった。しかし、AIや検索エンジンがその役割を肩代わりできる現在、教育の役割はむしろ「問いを立てること」「意味を翻訳すること」「複雑な情報を構造化すること」へとシフトしている。
たとえば、生徒が自分でデータを取り、それを分析し、そこから何を読み取るべきかを議論するという教育スタイル。これは単なるプログラミング教育ではなく、知識の使い方を学ぶ教育であり、極めて実践的だ。教師の役割もまた、「知っている人」から「共に問い、共に考えるナビゲーター」へと変わるだろう。AIとともに学び、AIを使って学ぶ。その中で、人間だけが持つ直感や倫理、共感といった“非数値的”な価値が改めて浮かび上がる。
ペンはもはや、ただ文字を書く道具ではない。それは人間の内面の変化を映し出し、社会全体の健康を写す「レンズ」になり得る。そして、書くという行為のように、我々人間のすべての営みが、未来に向けたインサイトの種になる。問題は、それをどう扱い、どう活かすか。
我々の前にあるのは、道具としてのAIやスマートデバイスではなく、「人間の智慧」をどう開花させるかという問いそのものなのだ。
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