評価の目的が大切

2021年8月9日 月曜日

早嶋です。

人の評価を行う際は、何かを成し遂げる際の過程(プロセス)を見るか、何かを成し遂げた後の成果を見るかに分かれると思います。

例えば、中学や高校などでは頻繁にテストが行われていました。毎学期や学期の中間などです。これらはプロセスと成果を同時に図るテストとも解釈できます。しかし、それぞれの成果は限られた単元を範囲とした確認テストですので、全体の能力を評価できたかと言えば謎です。当然にその目的は、勉強した範囲を生徒が理解しているかを確認するための目的が主だった思います。

また、生徒を評価する際の基軸も基本は勉強の成績のみ。その学校がどのような人材を育成するのかについて深い議論が行われているか否かが不明ですので、実際に成果を評価することは難しいと思います。

本来、義務教育であれば小学校と中学校でどのような人材を創出したいかが先にあり、そのためのカリキュラムが定期的に改善され、そしてそこから生み出された人材をその後も定点観測をする必要があると思います。しかし、この手の義務教育はその最中のみの評価しか行っていなく、更に理想とする人材像は学校によってバラバラなので、なんのための義務教育かが不明です。

私だったら、義務教育の過程において、正しい日本人としてどこに行っても正しい行動ができ、人に対して本来の優しさを発揮できる。あるいは、最低仕事をする上でも、生きる上でも必要な知識を身に着けている。などと定義を示すと思います。このような目的があれば、例えば、今の義務教育には戦後に無理くり改定された歴史認識などを見直す。算数の延長に税金の計算や基本的な財務諸表を読む訓練を入れる。国語の延長に民法や商法などの基本と日本と他国の憲法の枠組みなどを理解する内容を入れる。理科にはITやAIなどを活用した場合の倫理的な考えやテクノロジーと法制度の遅延などの議論を入れる。等、目的に応じて教える方法、教師、教材を適切に変えると思います。

と個々まで書いて気づくことは、人を評価する際は、先に基準が有るべきだということです。それは目的であって、評価する以前になぜ、評価すべきなのか?の目的が大切だということです。しかし世の中、全てHowやWhatが先行して一人歩きしています。何かに悩んだ際は、まずはWhyに注視し、歩みを止めてでも目的を確認することが先だと思うのです。



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