「後1ヶ月も無い」

2016年6月3日 金曜日

早嶋です。

昨日、久々に実家に寄った。寄ったと表現したのは、仕事の合間に夕食を取りその後泊まらずにホテルに帰ったからだ。2時間程度の滞在だ。

18時頃出生先からバスで向かい、20時頃帰った。70歳の父と母と玄関を出る時、「車で送って行くよ」と父。ホテルまでは30分程度の距離。いつもながらのことで私が帰るなりその後は目的地まで車で乗せて行ってくれる。

家では、食事の時は父親と会話はあるが、その後、父は自分の部屋にこもってマイペースで過ごすのでゆっくり話すことが無い。私は食事を終えるとそのままソファーに座り母親の話し相手になる。話し相手になると言っても、母の話に耳を傾けて頷く程度だ。

車の中は逆だ。父が色々と話しかけるため今度は父親の話し相手になる。これも母の時と同様に、私が耳を傾けて時々頷く程度だ。

そんな時、「まぁ、後おまえとこうやって話す時間も1ヶ月もなかもんね」と、父。実は同じような会話が60歳の時にもあった。が、その時は1ヶ月ではなく1年だった。10年で1年が1ヶ月になった。

父も母も元気だが、寿命は誰にでもやってくる。しかも、それぞれの生活の拠点があるからいつも一緒にいる時間は取れない。たまに帰って少し話して、少し一緒にいる。それらを積み上げていっても今のペースであれば1ヶ月というのは相場観はあっている。

私には妻と二人の息子がいる。3歳と1歳。私が70歳になった時の息子との関係、会話。それらを考えた時に、時間が貴重であることをあらためて考えた。

父は自分の時間と母との時間を過ごすために、嫌なこと、やりたくないこと、気分が乗らないことをしない。一方で、好きなこと、したいこと、気分が乗っている時は70歳なの?というくらい取り組んでいる。自分のペースを誰よりも知っている。それが故に、他人からは接しにくい存在に思われる時もある。が、彼の哲学はその時間を無駄にせずに楽しんでいる。

もうすぐ40歳。頭の中にある目標を少しペースを上げて達成しよう。更に、手を抜いて効率的に行い余裕のある時間を作ろう。その中で妻や二人の息子、そして両親や兄弟との時間を増やそう。その小さなコミュニティの充実がもっとも幸せな時間なのだと改めて考えた。



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