早嶋です。今回は短めに2800文字程度。
AI助成金は、AIを導入するための制度ではない。この前提を押さえずに使えば、AI研修は必ず歪む。現場に善意の自動化が溢れ、やがて「野良AI」となり、Excelマクロのように誰も触れない仕組みが増えていくのだ。今回は、制度と人間の合理性という視点から、AI研修が失敗しやすい理由と、本来取るべき向き合い方を整理した。
「AI研修をやっています!」「助成金を使って全社員にAIを学ばせています!」という話を聞く。国の後押しもあり、AIやDXという言葉は、バズワードを超えて民主化している。AI助成金は、一人当たり数十万円規模の助成があり、会社の負担も小さく、提供側も営業しやすい。IT会社や研修会社にとっても合理的な選択に見える。
しかし現場で何が起きているかを冷静に見れば違和感が残る。便利そうなAIツールが社内に点在し、どれを使えばいいのかわからなくなる。部署ごとに細分化した自動化が進むも、全体として仕事が楽にならない。むしろ管理は複雑になり、最後は「勝手にAIを使うな」という空気すら生まれてきそうだ。
少し前提整理をしよう。AI研修で使われている多くは、経済産業省の産業政策ではない。厚生労働省の人材開発支援助成金だ。この制度の出発点は、AIでもDXでもなく雇用だ。技術が変わり、仕事が変わり、ついていけない人が生まれる。そこで再教育を目的にしているのだ。制度の目的は、労働者を働き続けさせることだ。仕事の構造をどのように変え、企業の意思決定をどのように再設計するかなどの視点は、入っていない。
そのため、AI助成金の制度は成果ではなく、何人受講したかと、どれだけの時間をかけたかをKPIに設定する。何人が、何時間、どんな研修を受けたか。これは行政としては極めて合理的だ。業務改革の成否など、外からは評価できない。書類で確認できる項目だけを基準にするしかないのだ。
その結果、制度が評価できるのは、人数と時間で平準化できる研修だけだ。特定の1人や少人数が、会社全体の構造や根本的な課題を発見し、AIを活用して全体最適で企業をアップデートする土台づくりや仕組みを構築する制度ではない。あくまでも「大量育成した」と言う事実にフォーカスされる。
AI研修会社にとっては、受講者数が多い方がいい。人数が増えれば、研修費用も助成額も増える。難易度の高い少人数研修より、横並びの大量研修の方が売りやすい。カリキュラムや情報の提供は、それこそ動画等を活用することで提供側のコストはそんなに掛からない。一方で企業側も同じだ。「AI人材を◯人育成」という目標は、社内外に説明しやすく、国の助成も得られてお得な感じがする。
勿論、基礎的な考えや社内の意識合わせには最適だし、集団型のAI研修にも、意味はある。テンプレートを使えばアウトプットは出しやすいし、「AIを使って、こんなこともできる」という成功体験も得やすい。AIに触れる人が増えること自体は、悪い話ではない。むしろ、企業のDXの入口としては健全だ。
問題は、その先に何が起きるかだ。企業や事業部全体の課題や仕事の流れを把握しないまま、AIを触ることが好きな人が、各現場でそれぞれ業務を効率化し始めるとする。経費精算を自動化する人。日報をAIで書く人。請求書処理を楽にする人も出てくる。どれも個別に見れば良い改善だ。
だが、それらは互いに関連しないし接続していないのだ。どの業務で、どのAIが、どの前提データを使っているのか。誰が管理するのか。全体として、何がどこまで自動化され、何が自社の社員が直接行うべきなのか。それを説明できる人がそもそもいない。
結果として、社内には便利そうだが正体のわからないAIツールが点在し溢れ出すのだ。この状況は、少し前に多くの企業が経験した「Excelマクロ乱立」とよく似ている。当時もそうだった。現場の有志が善意でマクロを組み、業務を効率化する。最初は喜ばれる。だが、作った本人しか中身がわからないし、引き継ぎもされない。ある日その人が異動するか退職すると、誰も触れなくなるのだ。気がつけば、便利なはずなのに怖くて触れない仕組みが社内に乱立して溜まっていくのだ。
AIでも、まったく同じことが起きていると思う。その近い末路は、管理部門や経営からこう言われる。「勝手にAIを使うな」だ。AIを導入するための研修が、皮肉にも、AIを禁止する流れを生む。これは珍しい話ではない。むしろ、制度と現場の論理を考えれば、自然な帰結だろう。
ここで改めて立ち返るべきなのが、DXのXの部分だ。いま多くのAI研修で行われているのは、既存のアナログ業務を、デジタルやAIに置き換えることだ。紙をデータにする。手作業を自動化する。それ自体は否定しない。ただ、それはトランスフォーメーションではない。
本来のDXは、企業のバリューチェーンやサプライチェーンそのものを見直し、仕事の分担や意思決定の構造を変えることだ。どこで判断し、どこで人が介在し、どこをAIに任せるのか。その全体像を描くことが先にある。
しかし、現場にはその権限がない。現場は与えられた仕事を前提に、少しでも楽に、少しでも早く終わらせる工夫をする。それは自然な行動だ。だが、自分たちの仕事をゼロにして、新しい仕事をつくる方向に舵を切るインセンティブは生まれにくいと思う。
経営者であれば、「この仕事自体をなくそう」「構造から変えよう」と考えるかもしれない。だが、現場にその発想を期待するのは酷だ。人は合理的だ。新しい取り組みほど、リスクが高く、評価も不確実だからだ。
では、AI研修や助成金を使う意味はどこにあるのかだ。答えは、AIを「現場に任せる」ためではない。全体を設計する人材を見極め、その人が考える時間と余地をつくるために使うことだ。集団型のAI研修は、あくまで入口だ。AIに触れ、当たり前に活用できる感覚をつくり、共通言語を揃える。その裏側で、誰が全体を設計するのかを決めることが大切だ。AIをどこに使い、どこには使わないのか。その線を引くのだ。
AI研修を使って成功している企業は、派手な成果を語らない。ただ設計の主体を定め、現場と切り分けている。現実は社員全員の力はいらない。そもそも、コンピュータの世界では、1万人分、10万人分の作業であっても、少数の人員とデジタルによって自動化できる。だからこそ、AI活用において「全員ができる」ことは、本質ではないのだ。
AI助成金は、会社を変える制度ではない。だが、会社が変わる覚悟を持っているかどうかの入口を試すにはお手頃な制度だ。だから本当に受けるべきなのは、
AIに触れたことがない社員ではないのだ。その企業の役員であり、経営者だと思う。









