ポルシェは、いまどこにいるのか

2025年11月4日 火曜日

早嶋です。約2700文字。

ポルシェブランドは、独特の存在感がある。マカン3を新車で2年ほど所有した、その間、通勤や旅行のたびに感じたのは「走ることそのものが心地いい」という感覚だ。踏み込んだ瞬間に伝わるレスポンスの良さ、高速でのハンドリングの安定性、道の凸凹を繊細に感じる設計、車と人がつながったような感覚。単なるSUVではなく、どこか職人気質の「機械の誇り」を感じさせるものだった。おそらく、ポルシェを愛する人たちは、こうした車の感覚に惹かれているのだと思う。そのポルシェ、今、ブランド哲学の転換点に立っていると思う。

コロナ禍とウクライナ危機による部品供給の滞りをきっかけに、投資目的で車を買う層が増え、911を中心とした人気モデルは新車待ちが当たり前になる。市場は過熱し、ブランド価値は一時的に高騰。だが、その裏で、ポルシェという企業自体の体力は、少しずつ削られていったように思う。

2024年の決算では、売上はほぼ横ばいにもかかわらず、営業利益は約2割減少。営業利益率も18%から14%へと落ち込み、販売台数も約6%減少した。しかも、販売の落ち込みの最大要因は、中国と香港市場の冷え込みだ。世界のポルシェ販売の約3割を占めるこの地域が、景気の減速と政治的不安定を背景に大きく沈んだのだ。ここに、ポルシェが直面する三つの圧力があると思う。

第一に、中国依存のリスク。
第二に、電気自動車(BEV)時代における収益性とブランドらしさの両立という課題。
そして第三に、ソフトウェア競争力の底上げだ。

(中国依存のリスク)
2000年代に入り、中国ではフォルクスワーゲンが早期に築いた販売・整備のネットワークが国中に広がっていた。ポルシェは、そのグループの一員として、自然にこの基盤の恩恵を受ける形で参入した。販売は独立運営だったが、物流や部品供給などの土台はVWグループの構造に支えられていた。その結果、アウディが公用車として定着し、BMWやベンツが富裕層に浸透する中で、ポルシェはそのさらに上を象徴するブランドとして地位を築いた。だが、その強みは同時に、VWグループの中国依存というリスクでもあった。経済の減速と国産EVメーカーの台頭により、グループ全体の販売が鈍る今、その影響を最も強く受けているのがポルシェなのかもしれない。

これまでのポルシェは、アジア戦略を「中国一極集中」と言ってもいいほどに頼ってきた。その構造が、いま大きなリスクとして跳ね返ってきている。短期的に売上を回復させるには、アメリカや中東、欧州での販売を厚くするしかない。だが、これらの地域にはすでに多くのプレミアムブランドが密集しており、容易ではない。

(BEVの収益性とブランドらしさの両立)
ポルシェが直面している第二の圧力は、「電気化の壁」だ。911以外の主力モデル、718、マカン、カイエンなどは、いま電気自動車への移行を進めている。だが、この戦略は必ずしも順調ではない。電動化に巨額の投資を行った結果、開発費が膨張し、ガソリンモデルへの再投資余力が薄まったのだ。

しかも、電気自動車では、従来の「ポルシェらしさ」を表現するのが難しい。エンジン音も振動もない中で、どのようにドライビングの愉しさを再現するか。テスラやBYD、メルセデス、BMWなど、多くのメーカーが同じ舞台で競い合う世界では、ポルシェのアイデンティティが埋没しかねない。

この状況を受けて、ポルシェは2025年秋に電動SUVの開発計画を一部見直し、「ガソリンとハイブリッドを含む複線的な戦略」に切り替えた。電動化一本足では採算が合わず、ブランドらしさを維持できないと判断したのだろう。だが、それは同時に、これまで積み上げてきた電動化投資の一部を「損失」として飲み込む決断でもある。

(ソフトウェア競争力の遅れ0
第三の問題は、ソフトウェアだ。これは、多くのポルシェオーナーが実感していると思うが、インフォテインメントやアプリ連携の品質は、他社と比べて明らかに劣る。車体の設計や走行性能は世界屈指でも、ソフトの出来が悪い。アプリで車を管理する仕組みも不安定で、バグや接続不良が多く、「こんなものか」と諦めなければならないこともある。

この遅れの背景には、VWグループ全体のソフト戦略の失敗がある。グループ子会社「CARIAD」がソフト開発を一手に担っているが、開発の遅延とコスト超過で知られている。結果、ポルシェはGoogle系の外部OSを採用するなど、方針転換を余儀なくされた。だが、ソフトの力が問われる時代に、ここでの遅れは致命的だ。かつて「エンジンの美学」で世界を魅了したブランドが、いまや「ソフトの不具合」で不満を抱かれる。これほどの皮肉はない。

この三つの圧力を俯瞰すると、ポルシェはいま、ブランドの根幹が揺らいでいる状態だ。ハードでは世界最高の水準を維持しながら、ソフトや戦略の面での歪みが、じわじわと企業全体を蝕んでいる。電気化の波に乗り遅れたのではなく、「電気化の意味づけ」に失敗しかけているのだ。

ポルシェというブランドは、単なる移動の手段ではなく、「走ることの哲学」そのものだった。だからこそ、エンジンを失っても、哲学を失ってはならない。EVでもガソリンでもいい。大事なのは、ドライバーがステアリングを握った瞬間に「これがポルシェだ」と感じられるかどうかだ。

ポルシェは、いま大きな試練の中にある。しかし、この企業には、かつて何度も危機を乗り越え、再び頂点に戻ってきた歴史がある。911が何度も絶滅の危機に立たされながらも、常に進化し、時代に合わせて蘇ってきたように、ポルシェもまた「復活のDNA」を持っている。

いまのポルシェがすべきことは、二つだと思う。ひとつは、「電動化をポルシェ流に再定義すること」だ。EVを未来の義務として作るのではなく、ポルシェの快楽を再構築する挑戦として位置づけることだ。加速性能や航続距離ではなく、「走る歓び」をどう設計するか。その視点が戻れば、電動化の意味が生まれる。

もうひとつは、「ソフトウェアをエンジンと同じレベルの文化にすること」だ。ポルシェの車は、もはや動くコンピューターだ。ならば、その頭脳にあたるソフトの完成度を、かつてのメカニカルエンジニアリングのように磨く必要がある。ここを外部依存のままにしていては、ブランドの未来はないと思う。

ポルシェは、いまも世界中のドライバーにとって憧れであり続けている。ただ、その憧れが、過去の延長線上にあるだけでは意味がない。これからの10年、ポルシェが「走る哲学」を再構築できるかどうか。それが、ブランドの未来を決めると思う。



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