宗教改革から500年

2025年5月9日 金曜日

早嶋です。

ロバート・プレヴォスト。教皇レオ14世が選ばれた。アメリカ出身。南米ペルーで長く活動したイエズス会の聖職者であり、史上初のアメリカ人教皇として、カトリックの歴史にその名を刻んだ。そして、同時に、これは教皇フランシスコの意志を引き継ぐ人物として選ばれたことを意味していると思う。

現在のカトリックは、世界で13億人以上の信者を抱える最大の宗教のひとつである。そしてその信者の多くは、欧州ではなく、南米、アフリカ、東南アジアの新興・発展途上国に広がっている。この教会が今、再び変わらなければならない。その予感を、レオ14世の登場は明らかに内包している。

教皇フランシスコは、2013年にアルゼンチンから選出された。南米出身者としては史上初。イエズス会からの教皇も初だった。選出の瞬間、「カトリックが歴史的な転換を試みる」というメッセージが込められていた。彼の10年以上の在任期間には、象徴的な言動と実務的な改革の両方が存在した。以下はその代表的な取り組みだ。

●清貧の実践
バチカンの伝統的な豪華な服装や生活を避け、質素な白衣と十字架、そして小型車での移動。教皇の姿そのものが「清貧」の象徴となった。
●バチカン銀行の透明化
過去に資金洗浄の温床とされていたバチカン銀行(宗教事業協会)の口座を精査。不要な数千の口座を閉鎖し、外部監査を導入するなど、金融機関としての信頼回復に動いた。
●性的虐待問題への正面からの対応
世界中で報道された聖職者による性虐待。これまで隠蔽と沈黙を続けてきた教会において、フランシスコは初めて被害者に謝罪し、ローマに各国の司教を集めて対策サミットを開催。制度改革の足掛かりを作った。
●LGBTや離婚者への包摂
「神はすべての人を愛している」と明言し、LGBTの人々や離婚・再婚者にも教会が開かれるべきだと説いた。伝統的な教義の解釈を再検討する柔軟な姿勢を示した。
●社会正義と環境への取組
回勅『ラウダート・シ』で、気候変動、経済格差、移民、難民問題に触れ、宗教指導者として国際社会に強い倫理的メッセージを放った。

これらの取り組みは偉業だったと思う。一方で、フランシスコの改革は、象徴的だったが、「制度そのものを根本から変える」には至っていない。むしろ、保守派との対立を避けるために、一定の妥協も必要だったのだろう。今なお、カトリックの制度は矛盾を内包していると感じる。

●ヒエラルキー構造の継続
教会の階層構造は変わっていない。信者は寄付をし、聖職者や司教団がピウラミッドの上に立つ。この構造の頂点に登った者が、自らの地位や制度を否定できるかが、構造的にあると思う。
●バチカン銀行
改革は進んだが、資産の内訳や運用先は依然として非公開が多い。宗教法人という特殊な免税構造が、巨大な資金の温床となっている可能性はまだ否めない。
●聖職者と性制度的な問題
独身制を維持したまま、性の抑圧と逸脱行為が構造的に続いている可能性がある。未成年者への虐待問題は、「個人の問題」ではなく、「制度が生んだ歪み」でもあると思う。
●協会と貧困のパラドックス
豊かな国よりも、むしろ途上国の方が信仰心が強く、寄付も多い。だが、その多くの人は、システィーナ礼拝堂を見ることもないし、バチカンに足を踏み入れることもないだろう。神に近づく手段が、経済的に遠いという矛盾を抱えているからだ。

こうした未解決の課題の中、選ばれたのが教皇レオ14世だ。彼は南米ペルーのチクラヨ教区で貧困層とともに暮らした経験を持つ。そしてアメリカ出身という点では、ヨーロッパ中心の教皇史に対する明確な変化でもある。「14世」という名を選んだ背景には、歴代の教皇レオが持ってきた象徴性がある。レオ1世(大教皇)は、カトリック教義の整備とローマの防衛で名高い。レオ13世は、近代社会と教会を結び直そうとし、労働者の権利や社会正義に言及した『レールム・ノヴァールム』を出した。この「レオ」の名には、信仰と社会、秩序と改革を両立しようとする強い意志が宿るのだろう。

レオ14世が、宗教改革2.0を進める人物か、あるいは中庸を守って終わる人物か、皆が注目をしていることだろう。バチカン銀行の全面開示と外部運営の導入、性的虐待への「法的責任」明記と聖職者の処分制度の明文化、女性・LGBTに関する教義の再定義、教会の寄付構造と貧困層への接続の再設計、教義を越えて、宗教と人間社会との「倫理的接点」を再び問う力等山積だ。

歴史を振り返ると、カトリックは、500年前と同じような問いの前に立たされているとも考えられる。「制度は誰のためにあるのか?」「神を信じるとはどういうことか?」「祈る人を、制度が苦しめていないか?」等々の問いだ。16世紀のルターやカルバンが声を上げたのは、教会が「神の言葉」よりも「お金や権威」に傾いていたからだ。当時の教会は、免罪符を売り、「これを買えば天国に行ける」と説いていた。それに対して、ルターはこう言った。「天国は金で買うものではない」これは宗教というより、制度や構造そのものに対する強い批判だった。

カトリックは、ただの内部改革に加えて、制度の外側にある世界へと、もう一度真剣に向き合うべき時かもしれない。トランプの再登場により、アメリカは再び混乱の渦にある。ロシアによるウクライナ侵攻は長期化し、和平の兆しすら見えない。中国は経済減速の中で世界との距離を測りかねている。国際秩序は緩み、不信が蔓延し、正義が見えづらくなっている。こうした世界の「制度疲労」のなかで、レオ14世が示す第一歩には、大きな意味があるのだと思う。



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