世界は、ダブルスタンダードに移行している。国際法が機能した前提は「皆が守るから守る」だ。しかし、皆が守らなくなっている。世界の多くの国でナショナリズムが前に出て、力を持つ国ほどルールを選択的に使っている。ダブルスタンダードは、常態化している。
米国は、かつての世界の警察とはかけ離れている。国際連合を含む国際機関との距離は広がり、国益を最優先する姿勢を貫いている。ロシアはウクライナに侵攻し、中国は台湾を内政問題と位置づけ、香港ではすでにそれを実行に移した。国際法は存在しているが、強制執行する主体がいないのだ。つまり、効かない。法が守られる条件は、突き詰めれば2つだ。1つは、皆が守るから自分も守るという均衡が働くこと。もう1つは、誰かが破ったときに合理的に割に合わない罰があることだ。国内法は後者が機能する。警察があり、裁判があり、強制力がある。しかし国際法には、それがない。核を持ち、軍事力を持つ国を、誰も力で縛ることは出来ない。
この前提で日本を見るとどうなるだろうか。日本は資源を持たず、核も持たず、常任理事国でもない。一方で、経済規模は大きく、技術があり、米軍基地を国内に抱え、東アジアの要衝に位置する。米国、中国、ロシア、他のアジア諸国などから見ても重要な国だ。従い、左記の国が動けば真っ先に影響を受ける。沖縄はその象徴だと思う。台湾有事が起きれば、沖縄は必ず巻き込まれる。侵略という言葉を使わなくても、ミサイル、サイバー、情報戦、経済封鎖という形で無力化される可能性は高い。北海道についても、ロシアとの関係を見れば、軍事的圧力や既成事実づくりが進むシナリオは想定しておくべきだ。全面侵攻ではなく、曖昧な形でじわじわ進むなどだ。
こうした世界観の中で、再び選挙だ。政権交代が起こる筋は見えない。自由民主党が圧倒的に票を集め、単体で意思決定できる議席を持つ可能性は高いと思う。公明党や立憲民主党は、「中庸」や「対話」を掲げながら、危機の局面で決められない組織になっていた。少なくとも、多くの有権者はそう見ている。では、その後だ。日本はどうなるのか。かなり右に振れ、アグレッシブに攻撃を仕掛ける国になるだろうか。勿論、日本が自ら先に戦争を始める国家になる可能性は低い。国民感情も、制度も、組織文化も、そこまでの覚悟を前提に作られていない。ただし、重要なのはここだ。日本は「攻撃しない国」であり続けるが、「攻撃できることを前提に振る舞う国」にはなる。
反撃能力、宇宙やサイバーの領域、南西諸島の防衛強化。これらはすでに始まっている。名目は防衛だが、相手から見れば攻撃に見える行動も増えるだろう。殴られてから考える国ではなく、殴られる兆候があれば、殴れる態勢で睨み続ける国になるだろう。これは拡張主義ではない。ダブルスタンダードの世界を生き残るための抑止だ。国際法が効かず、同盟も絶対ではない世界で、理念だけを掲げるのは無責任だ。日本は、右に寄るというより、「覚悟の量」を増やす方向に進むだろう。
怖いのは、戦争が始まることそのものよりも、戦争と平時の境目が消えることだ。宣戦布告なく、日常の延長で、少しずつ現実が変えられる。気がついたときには、選択肢が残っていない。実にきな臭い世の中だ。しかし、目を逸らさずに考える必要がある。選挙は、理想を語る場ではない。どこまで現実を引き受けるかを決める場になった。そういう時代に、もう入っているのだ。どうだろう。









