新規事業の旅214 破壊と維持と創造

2025年10月2日 木曜日

早嶋です。1400文字。

イノベーションという言葉は、度々使い古されながらも、今だに人の心を惹きつけている。新しいことをする。壊す。そして、また創る。そんな営みは一見過激に見えても、実は人間の歴史そのものだ。

ヒンドゥー教の「トリムルティ(三神一体)」の話を思い出す。創造のブラフマー、維持のヴィシュヌ、破壊のシヴァ。これらの神々が途方もない月日の年単位で宇宙を創っては壊すという神話がある。そう考えると、人類がイノベーションを巡って議論していること自体が、すでにそのサイクルの中にあるのではないかと思えてくる。

企業においても、コンピテンシー・トラップという罠がある。過去の成功体験が逆に視野を狭め、新しいことに挑めなくなる状態だ。最初は探索し、やがて洗練され、完成形を目指す。だがその時点で、もう衰退の芽が生まれている。イノベーションを真に起こすには、探索と深化、創造と破壊を何度も繰り返さなければならない。

トヨタが米国のスーパーに着想を得て、ジャスト・イン・タイムの生産方式を創ったのも、蔦屋が消費者金融のCRMを取り込み、ライフスタイル提案型店舗という新しい価値を生んだのも、越境の力だ。そして、クロネコヤマトが吉野家の牛丼一筋という特化の姿勢にヒントを得て、宅配市場に個人配送という概念を持ち込んだことも、単なる模倣ではない。そこには、自らの視野を拡張するための異業種の観察があり、概念の翻訳がある。

こうした越境のイノベーションの代表例として、ダイソンのサイクロン掃除機も挙げられる。ジェームズ・ダイソンは、吸引力が落ちない掃除機を開発するにあたって、F1マシンの空気の流れを研究した。遠心力で空気とゴミを分離するサイクロン構造は、レーシングカーの冷却システムや空力制御から着想を得ている。掃除機という日用品に、F1の極限技術が活かされているというのは、非常に象徴的な話ではないかと思う。

このように、創造は単独で生まれない。そこには維持と破壊が必要なのだ。ヒンドゥーの宇宙観では、世界は永遠に存在するのではなく、創られ、維持され、破壊され、また創られる。そのサイクルを「マハーユガ(大輪廻)」と呼び、ブラフマーの1日(カラパ)は43億2000万年というスケールで語られる。何億年も続いた世界が、シヴァの踊りによって破壊される。そして、また蓮の花の中からブラフマーが現れ、新たな宇宙を創る。

経営における「両利き」とは、まさにこの宇宙的リズムの縮図ではないかと感じる。探索と深化の両立、新規事業と既存事業の両立。新しいことを始めるには、古い何かを壊さねばならず、しかしそれは単なる破壊ではなく、次の創造のための土壌を耕す作業でもある。成功している時こそ危機であり、変わらないことこそ最大のリスクである。だからこそ、企業は「創造・維持・破壊」の三位一体を、自らの内部に内在させなければならないのだ。

ヒンドゥーの神話は、それを宗教という形で人類に伝えてきた。そして、私たちはそれを経営という言葉で、あるいはイノベーションという言葉で、また繰り返そうとしている。人類は賢いのではない。忘れっぽいのだ。だが、同じ構造を繰り返すことで、少しずつ前に進んでいるのだと思う。

さあ、次のサイクルへ。破壊の舞が聞こえたら、創造の始まりはもうすぐだ!



コメントをどうぞ

CAPTCHA