格差社会

2008年7月11日 金曜日

早嶋です。



格差社会が問題視されていますが、この問題の本質は格差を生じさせる構造にあると感じます。これを考えるために、格差を2つの種類に分けて見ます。1)自由競争による優劣によるもの、2)結果平等を求めすぎたがゆえに行き詰まり感から出てくるもの。



前者の格差は健全な格差ではないでしょうか?そして、現在の日本は後者の行き詰まり感から来る格差で不健全なもののように感じます。



資本主義社会において平等とは本来、競争社会の中における機会均等を確保することです。決して結果平等を保障するものではないと思います。にもかかわらず日本が行ってきていることは、収益企業の税金を高くする一方で、将来的にどう考えても立ち直れそうに無い企業や業種に補助金を注ぎこみ市場を歪まさせる行動を取っています。



これでは日本が低迷して、アジア諸国が台頭してくるのも当然のように思えます。日本では市場の活性化をもたらす競争の芽が取り除かれているからです。結果、社会全体の活力が薄れどんよりとした状況になっているのではないでしょうか。



このほど、国際通貨基金の調査で07年のシンガポールの国民1人当りの国民総生産(GDP)が3万5000千ドルを声、日本の3万4300ドルを抜くことが明らかにされました。シンガポールは国土も小さければ資源も乏しい国です。しかし、積極的に外資の誘致を行い経済の活性化に取り組みました。当に市場開放に先見した国家的な戦略が鮮明になった格好です。



日本が成長しているときは結果平等主義といえる思想が中産階級を形成して一定の機能をもたらしたと思います。しかしその仕組みが結果的に国全体の成長を止めてしまったのも事実ではないでしょうか。健全な競争社会の土壌を作って経済活性化が必要なのではないでしょうか?国際社会といわれますが、実際は経済鎖国とも言えるかもしれません。



シンガポールのように日本に世界中のお金が集まる仕組みが必要です。偏った買収防衛策、それを擁護するかのような法体系。このような構造自体が問題のように思えます。



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