努力する人としない人

2019年4月24日 水曜日

早嶋です。

何かに真剣に取り組んで見る。その期間が数ヶ月とか1年とか。人によってはもっとかもしれない。この一生懸命に取り組むことで、結果的に成果がでようが、出まいが、その後のその人の感情や行動は変わると思う。もし、真剣に頑張って結果が出なくても、本人もいい意味諦めがつくでしょうし、その取組は今後の糧になります。当然、成果を出せば、次に続く行動がはじまるでしょう。

もしなんとなく行っていて、結果を出してしまった場合。あるいは、適当に取り組んで成果を出せなかった場合。これはどちらともその人に糧になることは無いと思います。前者の場合は、天性的なものもあるとおもいますが、真摯に向き合うことをしないでしょうし、すぐにボロがでるものです。そして筋が悪いのは後者です。努力をしないから成果を出さないという解釈がただしいのですが、この手の方は、成果を他人や環境のせいにして自分が努力をしないことを反省しません。従って、どのようなことがあっても常に他人任せです。

近年働き方改革などと同時に、会社のリストラに対しても記事がでています。そのなかで成果を出せない社員に対しての解雇についてです。世の中は、なんとなく解雇した会社を悪という印象操作をしているようですが、解雇にも2つあると思います。それはまさに上記のような2種類です。努力するか、努力しないかです。

努力して成果を出せない人は、一定数いることは否めません。上述とやや矛盾するかもしれませんが、成果は自分だけではなく、運や環境やタイミングに左右されることが多々あるからです。しかし、この手の人は常に挽回するために試行錯誤を繰り返すので、本人やチームに対しても良い影響を与えることになります。

一方、努力しない人です。努力をせずに、何事も会社のせい、社会のせい、タイミングのせい、環境のせいという思考に陥っています。自分は何もしていないのに会社からクビを宣告された。という感じです。何もしないで給与を払えるような、生易しい環境ではありません。皆が各々努力しており、それでも成果が出せない人が多いのが世の中です。

今の日本社会は、努力をしない人も努力をする人も何故か平等に扱っている傾向が見とれます。努力しても成果を出せない人は、全力で社会で助ける。というのは理解できますが、努力をしないで社会的な地位を利用してフリーライドするような方々を後方支援するような動きが目立つと思います。

そもそも日本は資本主義の社会なので、この基本ルールは守るべきだと思います。もしも、それが嫌なのであれば、そのルールが適用されない国に行くか、自らそのルールの悪いところを改善するために動くがが筋が通るところでしょうが、何もしない。しかし、不平不満だけは誰よりもする。というのはいかがなものかと考えます。



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