木下サーカス

2020年1月19日 日曜日

早嶋です。

世界三大サーカスである木下サーカスが、福岡市中央区の舞鶴公園にきています。週末を利用して視察してきました。木下サーカスは1902年、明治35年に設立され、大正、昭和、平成、令和と時を経て100年以上にわたり公演する歴史あるサーカス団です。

演目の特徴は世界でも珍しいホワイトライオンとライオンたちによる世界猛獣ショー、3台のオートバイによるショー、ダブル空中ブランコショーが目玉で、その他にジャグリングやユニークな演目が多数ありました。いずれもテンポ良く演じられ、演技と演技の間の準備期間はピエロが絶妙なタイミングで常に観客を飽きさせない工夫が随所にありました。

現在経営者は4代目の木下唯志氏。チンパンジーやゾウなどの動物と幼少時代を過ごした同氏は、大学卒業後に都市銀行の内定を蹴って木下サーカスに入社しています。御曹司ではありましたが、朝4時から動物のフンの掃除や道具の出し入れなど下っ端の仕事から経験を積んでいきました。

その後、花形である空中ブランコデビューを飾りましたが、人気絶頂の3年目に公演中の落下で首の頚椎を損傷。この怪我がきっかけで肺炎にかかり3年に及ぶ闘病生活を過ごします。この経験から断食をする道場に1ヶ月かより健康よりも精神を鍛える重要さを学んでいます。

復帰後営業職を行います。兄が当時3代目を継いていたため兄弟でサーカスを切り盛りしました。しかし時代の流れで客足が遠のき負債が増えると同時に兄が倒れ4代目の社長に就任します。当時は10億近い負債を抱えていましたが逆境を切り抜け公演を続けたのです。

負債は10年かけて返済しています。4代目のモットーは「最高の場所で公演し、根気よく営業し、ショーを進化させる」というもの。これは1場所、2根、3ネタという父親の口癖だったようです。

小さい時に一度ボリショイサーカスを見に行ったあ記憶があります。その頃のショート同じような演目があったと思いますが、店舗や演出などは今見ても確かにワクワク楽しめるものでした。デジタル全盛期の世界で、生身の人間の限界を追求しつつもエンターテイメントを提供するサーカス、ある意味新しさを感じました。



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