長崎の昔と今

2019年7月25日 木曜日

早嶋です。

昨夜から長崎入。朝少しはやく目が冷めたので浜の町周辺を散歩した。浜の町はジゲモン(地元の人の意味)からすると一番の繁華街で、ここに来ればすべてのモノが揃うと小さい頃は思っていた。

しかし、今は特徴の無い街。路面電車こそ走っているので雰囲気は伝わるが店舗はいずれもナショナルブランドばかり。県庁坂下ったアーケードの正面入口は、あろうことかパチンコ屋から始まる。そしてau、TUTAYA、ドラックストア、ダイソー、エディオンと続く。地方にある国道沿いのナショナルブランドがオンパレードだ。

繰り返すが浜の町はアーケード街がメインストリートだった。しかし今は昔からの店は殆どなく、どこの地方と代わり映えが全くしない。アーケードが交差するところは百貨店が立ち並び謂わば銀座4丁目のような輝きを持っていた記憶だったが、今はファストフードの王者マクドナルドとKFC。百貨店はなくなりビジネスホテルとなている。周辺のテナントはやはりナショナルブランドで面白みが無い。老舗ケーキ屋さんが賑わっていた影も無い。

そこから中華街がある電車通りに抜けるとアオキホールディングスの店舗がある。ここは昔は、「ステラ座前に集合ね」というように、ジゲモンからすると最もイケていた場所の一つだった。今は低層階が紳士服で上層階はマンションになっている。正面のS東美はかろうじて残っているが、1Fはスタバとネットカフェ。うーん。

中華街に抜ける通りは、朝市や屋台を引いた商売人がにぎやかに魚や練もの、そひてとれたての野菜や餅などをカゴやカートで威勢よく販売していた。長崎弁がまじりGちゃんもBちゃんも若いのも関係なく皆活気に溢れていた。が、その面影はなく、あろうことに露天販売自体を禁止しているのだ。寂しい。

長崎市のように地方の地方は、皆都会に憧れるのだろうか。地元にあった屋号を潰し、ナショナルブランドを東から持ってくる。伝統や素材感たっぷりの店舗はスクラップされ、無機質な看板、直ぐに経年劣化しそうなコスパ重視の什器と陳列。商品と接客はすべてマニュアル通りで何も感じることがない。田舎にいながらも都会と同じサービスに憧れたのだろうか。

が、その店舗自体も徐々に薄れている。ネット販売の影響が来ているのと、人口の減少によって、消費者そのものが少なくなっているからだろう。今後、長崎駅に新幹線の開通に合わせて、更に駅ビルができる予定。どこもここもナショナルブランドであれば、わざわざ浜の町に足を運ぼうとはならないだろう。

もし、この通りが30年前の店舗や屋号で、販売する人たちがそのまま続けていれば。一大観光地となっていたことだろう。100年以上続いた伝統や文化や誇りなど。積み重ねて継承されたものは残すとこわずかばかり。

出島に近いエリアに18銀行が佇む。従業員の出入り口の脇に長崎南蛮の銅像がある。18銀行が100周年の時に作られた銅像で1977年9月と記されている。私が生まれた年月と重なる。まもなく42年目になる南蛮くんも私と同じ42歳になる。しかし、親は福岡銀行となり、ひょっとして合理化の影響で建屋自体がなくなる可能性も見えている。

ネットで世界中のものが手に入る時代。そのエリアに足を運び、そこでしか感じ取ることが出来ない空気感。そのようなモノは伝統や文化や昔のモノだ。建物や町並みはコピペせず、昔に戻る取り組みこそ重要と考える朝でした。


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