自分自身の中で見つける

2019年6月14日 金曜日

早嶋です。

小学生の頃に始めて意識した年上はボーイスカウトのお兄さん。野外でロープを起用に結びテントをさらりと設営する。重い荷物を物ともせずに険しい山道を掛けていく。自分が同じ年頃になったとき、当時のボーイスカウトのお兄さんよりもなんだか頼りないと思っていた。

中学生で意識した年上は甲子園児。炎天下の中、互いに真剣に直向きにトーナメントを戦う姿がすごいなと思った。自分が高校生になった頃、同じような感覚で何かに取り組むことを想像した。しかし、そんなことはなくなんとなく普通の高校生のような感じしかしなかった。

高校生になり相撲の横綱が20代で誕生し、サッカーやスポーツの第一線の選手の多くが20代だということを意識するようになった。そして歴史の世界でも同じ年頃で起業し、戦いの英雄になっていることを知った。そしていざ自分が大学生になり感じたことは何となく頼りの無い自分だった。常に何かを何となく無意識に追いかけていることが正しいのかモヤモヤした。

新入社員になり、自分の教育係の3年目の先輩がえらくかっこよく写った。他の先輩もバリバリ仕事をしていて成果を出している姿がカッコいいと思えた。自分がその年になった頃、周りと比較することが正しいのかと考えはじめるようになった。いつも追いかけるのではなく自分と向き合うことが大切ではないかと。研究職からキャリアチェンジを決め、ゼロから経営の勉強をあじめた。

ある程度の年齢や経験を積めば、そのさきは何も関係ない。誰が偉いというのも無い。その世界をずっと一生懸命に行ってるヒトは、その世界観を十分に表現する顔つきになっている。そのヒトが当たり前だと思って語ることも、他の周囲の方方からするとかっこよく映る。そんなもんだと思えるようになった。

20代の後半で独立した。そのときは何でも出来ると思い、態度もなんだか偉そうになったのでは無いかと振り返る。一方で20代という事実を隠したくて、ひげを生やして年上に見えるような雰囲気を一生懸命に作った。経営者を相手にする仕事だったので、対象層が読むであろう本を夜通し読みまくっては知識の武装をした。一夜城の知識は薄っぺらだということがバレていると思いながら、なんとかハッタリをかまして30代に突入する。

自分の考えや相手の考えを整理しながら方向性を切り分ける。そんな仕事が続くと、自分ができることと出来ないことがある程度見えてきて、出来ないことを出来ないと正直に言えるようになった。すると、周りからの相談業務やコンサルの依頼が徐々に増えてきた。商品は知識ではなく自分自身だったんだと気づき始めた。

ようやく自分を自分として捉えて、自然体に構えられる回数が増えてきた。それでも、始めての取り組みや金額が大きな仕事はまだまだ比較をしてしまう自分がいる。が、そんなときは自分をだいぶ客観視できるようになったのは年の功でもある。



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